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俺は何かひとこと言い返してやろうかとも思ったのだが、やめた。
俺が今ここですべきことは劇場に潜入してハーランに関する情報を聞き出してくることであって、こんなところでイケ好かないトカゲ頭と諍いを起こすことなんかじゃない。
クドゥームは俺の手の中に10デラー硬貨を何枚か握らせた。
「楽屋の見張りに立っているじいさんは目が悪い。紙の札よりも硬貨の方を好むからな、これを持っておけ」
なるほど、つまり買収用の金というわけか。
俺はそれをポケットに突っ込んで劇場に入っていった。
まだ明かりをつけていない劇場のロビーは暗くて、ホットドッグの匂いがした。
俺が入ってきたことに気づいたのか、一頭の狼人間がすぐに走ってきた。
どうやらこいつが裏口の門番であるらしい。
そいつはクドゥームの言った通りひどいじいさんで、背中を大きく丸めて時々コフコフとせき込んだりする。
俺はポケットから取り出した硬貨を何枚か、じいさんの手に握らせてやった。
それを受け取ったじいさんは両手でしばらく硬貨をこね回してから、牙の抜けた口を開いた。
「ダイムかい?」
「いいや、1デラー玉だ」
「気前がいいねえ、誰に会いたいんだい?」
話がすんなり通るところを見るに、このじいさんはこうやって小遣い銭を稼いでいるのだろう。
つまり小銭と引き換えに楽屋への通行許可をくれると、そういうわけだ。
「レイスに会いたいんだ」
俺が言うと、じいさんはさらに金をせびろうと、意地汚く片手を出した。
「そりゃあ、話が別だ、あれはウチの売れっ子だからな、こんなはした金で取り次いだりしたら、失礼ってもんだろう」
俺はポケットからありったけの小銭を掻きだしてじいさんにくれてやった。
じいさんはそれで満足したのか、上機嫌で俺に背を向けた。
「ついてきな」
じいさんについて行く。
劇場に入るための大きなドアが正面に見えたが、これは客のためのドアだ、今は閉ざされている。
じいさんはそのドアには触れもしないで、広いホールの隅へと向かった。
そこには小さな緑色のドアがあった。
「俺はあくまでも案内をするだけだ、あんたとレイスが楽屋の中でナニをしようが、それは俺の知ったこっちゃない。だけどな、踊り子に無礼を働くのだけはいかんよ、何しろここのオーナーは、踊り子に無礼なことをする奴がなによりも嫌いなんでな」
そう言いながらじいさんは緑色のドアを開けてくれた。
化粧品と、そして酒のにおいがした。
「行きな、レイスの控室は三番目のドア、黄色いドアだ」
俺はじいさんに礼を言って中へと進んだ。
酒のにおいがますます濃くなる。
しかもそれはボトルから注いだばかりの新鮮な酒のにおいではなく、酩酊するまで飲んで道端で酔いつぶれた酒飲みの体から立ち上る少し酸化したアルコールの匂い――つまり呑ん兵衛の体臭だ。
俺はその悪臭の中を進んで、目的の黄色いドアを見つけた。
軽くノックすれば、中から若い女の声が返ってくる。
「だれよ?」
「俺はハーランの亭主だ」
しばらくの間、彼女は黙っていた。
だが、やがてドアは内側から開かれた。
「入りなさいよ」
ドアの向こうにいたのは、美しいエルフだった。
もっとも、ひどく不機嫌そうに眉間にしわを寄せているせいで、その美しさもいささか曇りがちだが。
きっとステージに立って満面の笑みを浮かべれば、これに熱狂しない男はいないだろう。
彼女は顎で楽屋の中を差した。
「早く入って」
つっけんどんな言葉とともに吐き出される彼女の息は、たったいま酒を飲みほしたばかりであるのかひどくアルコール臭かった。
美しい体からは花のような香水の香りがかすかに立ち上っていたが、それを打ち消すほど強い『呑ん兵衛の匂い』がすっかり身に沁みついているようだった。
俺が部屋へ入ると、彼女は乱暴にドアを閉めて、大きなため息をついた。
「で、ハーランの亭主が、ここになんの用?」
女は俺が答えるよりも早く、メイク台に置いてあった酒瓶をとって中身をあおる。
「さっさと用を言いなさいよ、まさか、私とイイコトしに来たってわけじゃないんでしょ」
彼女の声は人嫌いの野良猫がだす威嚇音みたいに不機嫌だったが、俺の方だってここまで来て手ぶらで帰るわけにはいかない。
彼女がこれ以上警戒しないように、できるだけ優しい声で。
「ハーランを探している」
彼女はそっけなく「ああ」と答えて、酒の壜をまた呷った。