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彼は俺をじろりと一瞥してから、オークに向かって言った。
「捜索願いぐらい、受理してやれ」
オークは鼻の穴を膨らませて「ブフン」と息を吐いた。
「おい、新入り、この街のことをよく知らないようだから教えてやる。このマムナッタンではなぁ、娼婦が行方不明になるなんざ日常茶飯事なんだ、いちいち捜索願を受け付けていたりしたら、娼婦探しだけで手いっぱいになっちまう」
オークの口調は威圧的であったが、リザードマンは顔色一つ変えなかった。もっとも、こうした爬虫類系の魔族は本来が無表情で、顔色の変わることなどおそらくないのだが。
彼は起き上がり、ぴしっと背を伸ばして立った。背はオークよりも高く、だからオークを見下ろす形になる。そして口調もどこか高圧的であった。
「口を慎みたまえ、私は確かにここに配属されたばかりだが、階級は君より上だぞ」
オークは不服そうに鼻を鳴らす。
「へいへい、お偉いこって」
「ともかく、その捜索願を受理したまえ。それが君の仕事だろう」
「だからぁ、こんなものいちいち受理してたら、俺らの仕事が無限に増えちまうって言ってんだよ!」
「なるほど、つまり君は自分の職務を放棄すると?」
リザードマンは自ら俺に歩み寄り、俺の手の中にあった届け出用紙をひったくった。
「これは私が受理しよう。だが、一つだけ言っておく、私はそこのオーク君のように『種族で人を判断しない』なんて生ぬるいことは言わない、転生者は嫌いだ。それでも仕事であれば、きちんと捜査はする、これは約束しよう」
オークが厭らしい笑いを浮かべた。
「なるほど、仕事熱心なんですな」
小バカにしたような口調と、そして見下すような視線と――明らかない病みの言葉を、しかしリザードマンは平然と受け止めた。
「嫌味のつもりなら、もう少しひねった方がいい。その言葉は聞き飽きた」
彼はすでに、手元にある届け出用紙に目を通し始めている。
もはやオークの方など見向きもしない。
「なるほど、行方不明者は『ハーラン=ノーレスク』……これは本名かね?」
それは俺に対する質問だ。俺は少し首をかしげて答える。
「さあ、本名かと言われると……俺は彼女が他になんと呼ばれていたのかを知らないし、ここでは彼女の名前は『ハーラン=ノーレスク』で通っていた、それだけだ」
「そうか、ここはそういう街だったな。故郷も名も捨てた流れ者がたどり着く街、マムナッタンか」
「そういう意味でいうと、そこに書いてある俺の名前、それも本名じゃない」
「ふむ、『ケージ=レクサリオ』……本名は?」
「忘れた。転生の時に、前世での記憶の大部分を失っちまったんでね。その名前は、ハーランに拾われたとき、俺が自分で『おれはケージだ』って言ったもんだから、そのまんま名前として使われているんだが、さて、これが本名かどうか、俺には確かめるすべがない」
「何もかもが偽りかもしれない……なるほどね、あの怠け者のオーク君が受理を嫌がるのも無理はない」
「それでも、ウソじゃないんだ。彼女はここでは『ハーラン=ノーレスク』の名で知られていたし、銀行の口座だってその名前で承認されている。俺の名前は……まあ、偽名と言われてしまえば申し開きはできないが、それでも前世での本名を覚えていないんだから、俺の名前といえばそれっきりしかないんだ」
「ああ、焦るんじゃないよ、引き受けないとは言っていないだろう?」
リザードマンはさらに書類をなぞって、どうやら俺の職業に興味を惹かれた様子だった。
「私立探偵ねぇ……これは本当かい?」
「ああ、そっちの方は名前よりも正確だ。もっとも仕事の内容は、どっちかっていうと用心棒だがね」
「ならば、迷子のハーピィ探しぐらいお手の物だろう?」
「そうでもない。個人でできることには限度がある」
それこそが俺がここへ来た理由だ。
俺はこの世界で私立探偵を名乗り、ちょっとした厄介ごとや浮気調査で日銭を稼いでいたが、行方不明者を探すには少しばかり力が足りない。
例えば妻の足取りを追うために聞きこみに行っても、俺が個人的な調査のために動いている、しかも転生者だと分かった途端に相手は顔色を変える。
ろくな情報も聞きだせないうちに追い返されるようなことが多くて、俺一人で調査するのは正直、限界だと感じていた。
リザードマンはそんな俺の苦境をいくらか理解している様子だった。
「なるほど、つまり、君一人の調査では手詰まりだと」
リザードマンは書類を丁寧に折りたたんでポケットにしまった。
それから俺に手招きする。
「こちらに来たまえ、ここ数週間の身元不明死体のリストを見せてあげよう。その中に奥さんがいないとは限らないだろう?」
「ああ、最悪の結果ではあるが、それならそれで納得がいく」
不満げな顔をしているオークの横をすり抜けて、俺は部屋の奥へと向かった。そこには次の部屋へ続くドアがあった。