神の娘
“ゴォー“
ビルの屋上を無数の雨粒を纏った風が走り抜ける。視線を上げれば人の勝手な振る舞いで永い眠りから冷めた龍神が咆哮を上げている。厚い雲と同化するのではないかと言わんばかりの色をした龍神の姿は色も相まって普通の一般人には見えないだろう。
“ギャァァァ”
この苦しみのためにあげるその声は最早自分達以外誰にも聞こえない。
“許してください”
そんな中、一人の少年はぐっと意思の強い瞳を空に向けた。脆弱な人の子である自分達を襲う“神の怒り”が具現化した雨風から自分の相方とその恋し人を守るために全力で結界を張っていた少年は誰の……とは言えない罪をただ懺悔する。人の子が織り成した罪と穢れが神を苦しめている。龍神が咆哮を上げる度に結界を張るために上げた手が震えて冷たさを増す。
“申し訳ありません……”
我々はあなた達から与えられた恩恵を軽んじていたのだ。
“ギャアァァ”
神が咆哮をあげる度に神気と呼ばれる神が纏った気が降り注ぐ。神気と呼ばれるその力は強すぎて人間を害する。この雨に打たれた多くの人間がまるで毒に侵されるように死への階段をかけ降りているだろう。
「かずはっ…かずは!…佳寿羽!」
そんな自分の耳に相方が必死に一人の少女の名前を呼ぶ声が届くいた。その声に肩越しに相方と少女を振り返れば自分と同じように至るところから血を流した相方が少女の手を握って名前を呼んでいる。胸に刺さった短刀を基点に仄かに白い光に包まれた彼女は今、まさに彼女に課せられた役目を果たそうとしていた。それは自分達がどれだけ望んでも普通の人間にもなれなくて、どれだけ望んでも自分達は人間の域を越えることはできない証だった。
太古から続く神鎮めをー人柱ーと呼ぶ
人と神には決して越えられない壁がある。その違いがあるからこそ、自分達はどれだけ渇望しようともたった一人の少女さえ、救うことが出来ない無力な人間のまま。彼女の命を犠牲にする以外の解決法を見つけることが出来なかった。
“俺はなんて…無力なんだろう”
人でありながら人ならざるもの達の力を受け継ぎながらも一人の少女を犠牲にする以外の方法を見つけられなかった。背後から届く相方の慟哭を聞きながら悔しさに拳に力を込める。彼女を犠牲にしなければ救われない世界は果たして正しいのだろうか。そう問いかけても答えは返らない。なぜならその答えは誰も分からないからだ。幾度となく、この場所に来てから修羅場を乗り越た。ぼろぼろに傷ついて、人の痛みと苦しみを目の当たりにしても今だ、答えた出ない。
「佳寿羽!」
今もまた相方の喉が張り裂けそうな声に鼻の奥がつんと痛む。
“どうすればいい!”
最早、“神の娘”を捧げるまで龍神は怒りを鎮めることはないだろう。
ー天津國の神と國津神の娘ー
その力を受け継ぎし、神の妻となる資格を持つ巫女のを人は“魂依姫”と呼ぶ。それは代々、その力と名を受け継いで来た娘の呼称。その娘の真名を知るのは彼女を守るー剣ーだけ。剣は神の娘が神に見初められるその日までその傍らに在り続ける。
剣と神の娘は決して結ばれない。
まるで巡り合わせのように伝承そのままに二人揃ったことは行幸かそれとも……
「佳寿羽!」
その声が暗い思考に落ちようとする自分を引き留める。それに振り返れば血の気を失った真っ白な手が空に伸ばされる。彼女の口が少し動くと相方がその言葉に肩を震わせて俯く。
「…………………………」
自分には届かない微かな吐息を彼女が吐く。彼女はもうすぐ龍神の花嫁としてその身を捨てる。
すっと差しのべられた手の先を追えばそこにあるのは昼間とは思えない暗い闇夜。
「……せめて……最期は…空がみたいわ…」
その声が届いたのは奇跡か神の慈悲か……。
その言葉と共に光輝いていた彼女は一層、輝きを増して…その姿を消した。
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