After school of the world
わたしはゆっくりと目を開けた。台の上に寝ていた。上体を起こしてあたりを見回すと工具やら資料が散らかっていて広い部屋を埋め尽くしていた。少し離れたところにある椅子に座った男はピクリとも動かず眠っているようにも見えたが、わたしを見ると笑みを浮かべた。
「おはよう。よく眠れたかな」
彼は椅子に座ったままいった。上下ともに白色の服を着ていた。
「あなたは誰ですか?」
彼は立ち上がり一度部屋を出ると服と靴を持って戻ってきた。わたしの質問に笑って答えた。
「きみを造った科学者だよ」
彼はそう言いながら近づいてきた。天井の照明に照らされて彼の顔を間近に見ることができた。肌の色は白く、髪は黒色だった。わたしに服を渡して着るように言った。彼と同じ白の上下だった。わたしはなにもまとっていなかった。
「誕生を祝ってきみにプレゼントを贈ろう」
渡された服を着て彼について歩いた。彼は分厚い本を抱えていた。わたしはその本を設計図だと悟った。
長い廊下を進むと階段がありそこを上りきると扉があった。彼が扉を開けると強い光がわたしの視界をさえぎった。太陽の光だ。自分は地下にいたのだとわかった。はじめての太陽光は身体の表面を焦がし体温を上昇させた。
扉の向こうには山が見えた。とても大きな山々がまわりを囲んでいるかのようにそびえ立っていた。彼と共になだらかな斜面を下るとさっきのところは丘だったとわかる地下へ下りる扉はちょうど丘の頂上にありコンクリートの直方体に扉が付いているだけだった。
「僕の家はあそこの森の中にあるんだ」
彼が指差した方角を見ると唐突に生い茂る木々の間から杏子色の屋根の先端が見えた。
「きみは今日からあそこで僕と暮らすんだ」
わたしたちは家に向かった。
十字に組まれた木の柱が何本もありそこだけ土が盛り上がっていた。十字架と呼ばれるものだと理解した。
「あれは墓だ」
彼は立ち止まり十字架をじっと見つめていた。わたしが心配になって彼の顔を覗き込むと彼は笑い家の中に入るよう促した。錆び付いた車、骨が折れた傘、ブレーキが壊れた自転車が時の流れを感じさせる。
家には一階と二階があった。彼はわたしを二階に案内してひとつ部屋を与えた。その部屋はベッドと机のわきに置いてある本棚しかない狭い部屋だったがわたしには充分すぎた。
しばらくして彼はわたしを呼びつけた。
「コーヒーは好きかい?」
わたしはコーヒーというものがよくわからないから教えてほしいと答えた。
すると彼はわたしにコーヒーの作り方を教えてくれた。
「おいしい」
わたしがそう言うと彼は嬉しそうに笑った。彼がコーヒーにミルクをいれたのでわたしも真似していれた。微かだか味がまろやかになった。
「僕はもっと甘くてもいいね。きみはブラックが好きだった...かな」
「今度からわたしがコーヒーを淹れます。」
彼は疲れたように椅子に座り目を閉じた。わたしはカップを片付けるために台所に立った。窓から長さの違う金属の棒が垂れ下がっていて風が吹くたびに揺れてぶつかり高い音を鳴らした。その音は不規則であったが彼がその音を気に入っていることを知った。
壁に小さな鏡がかけられていたのでわたしは正面に立ち自分の顔を見た。わたしは人間がどんな姿をしているか知っていた。わたしは人間の女性の形を忠実に再現した人形だと認識している。白い肌も全身に流れる血管も髪も装飾品に過ぎずに体温も空腹感も何もかも人間に似せてあるだけだった。
洗ったカップを戻そうと食器棚に手を伸ばすと一枚の写真を見つけた。手にとってみると彼とわたしにそっくりな女性が写っていた。
「洗い終わったかい?」
わたしは写真を彼に見つからないよう食器棚に戻した。
「あなた以外の人間はどこにいますか」
「残念ながら人間と呼べる生命体はどこにもいない」
「どこにもいない?.」
科学や医療が進化して人間に不可能がなくなった。どんな願いも現実になり叶わない願いを探すのが難しくなった。
「はじめのうちは世界中の人が喜んだはじめのうちはだ」
彼は言った。願いが叶うとは願いがなくなるといことでもあるのだ。進んだ科学は人間の可能性と希望を奪った。生きる意味さえも。
やがて人間は身体を捨て人間だった頃の記憶だけを残して地上から消えた。
彼はそんな世界に嫌気がさし人里離れたこの地を訪れたという。
「あなたも消えてしまうのですか」
「さぁどうかな」
年をたずねると彼はもう百年以上生きているという
「とてもそうには見えません。外見はわたしのほうがいくつか年上のようですしあなたは二十歳前後の青年に見えます」
「科学の進歩さ」
人間は特別な手術をすれば不老不死にもなれるらしい。
「ほとんどの人間は体を捨てて電脳世界で暮らしているけどね」
台所にある備品を一通り確認した。冷蔵庫の中には野菜が多くあり肉は少なかった。いろいろな種類の調味料と解凍すれば食べられる加工食品などがはいっていた。
「あなたの名前を教えてくれませんかわたしはあなたのことを知りたい」
彼に提案した。テーブルに肘をのせ頬杖をついて彼は窓の外の十字架を眺めていた。ときおり吹く風が庭の芝をなびかせた。
「きみが僕のことを知る必要はないだろう」
彼の首の角度がさがったわたしは彼がいまどんな顔をしているのかわからなかった。
「僕が死んだらあの墓のとなりに埋葬してほしい。それが目的できみを造った」
彼は振り返りわたしを見た
「理解しました。わたしはあなたのお世話とあなたが死んだとき埋葬するために存在しているのですね」
彼は微笑む。
「そうだよ。だから好きなように僕のことを呼べばいい」
わたしは頷く。
「はい。マスター」
これ以降彼のことをマスターと呼ぶことにした。
わたしは家の掃除にとりかかったマスターはリビングからなにか特別な用事がなければ出てこないので他の部屋は煤だらけでクモの巣も張っていた。
箒で床を掃き窓ガラスを拭いた。マスターは先ほどから動く気配すらなく椅子に座って外を眺めていた。わたしがほこりを払うために外に出たそのとき庭に一羽の小鳥が横たわっていた。
近づいてみると小鳥はすでに息絶えていた。わたしは小鳥の亡骸を手の中に収めた。手のひらに伝わる冷たさが小鳥の死を裏付けた。
いつの間にかマスターは窓辺に立っていて家の中からわたしの手にある小鳥の死骸を見つめていた。
「この子もう治りませんか」
マスターに小鳥を差し出して質問した。マスターは首を振り死んだものは治せないと言った。
「その小鳥をきみはどう処理するんだい」
わたしはその問いかけに答え、小鳥を森の中に投げた。一般的な女性の力しかないわたしはあまり遠くへは投げられなかったが小鳥は木の枝にあたりながら地面に落ちた。
「きみの意図を教えてくれないか?」
「小鳥はやがてバクテリアによって分解され木や花や虫たちの肥料になるからです」
マスターは首を傾げた。
「死について詳しく学ぶ必要があるな」
わたしは死を理解できてないらしい。