ありがち(?)な悪役令嬢の家に生まれて
久しぶりに小説を書きました。
リハビリ程度のものですので気楽に読んでいただければ。
参ったねこりゃ、目覚めて開口一番、そう彼女、マリーアンは呟いた。
マリーアンはルセリア王国の中でも最も勢いのある一族、ファナティクス伯爵家の生に生まれた。
祖父母は既に他界し、現当主の父、母、そして14歳になる姉。
マリーアンを含めたファナティクス伯爵家は最も嫌われる「悪」の一族であった。
ルセリア王国は数十年前まで存亡の危機にあった。
王国のある一帯を襲った干ばつによる飢饉。
賢王の指示により、それまでに食糧を備蓄していた王国への被害は軽微であった。
しかし近隣の国々はそうはいかなかった。
足りない食料を求め、連合を組んでは難癖をつけて王国へと攻め入ったのである。
その時に活躍したのが当時小領の子爵に過ぎなかったファナティクスの一族である。
溢れんばかりの魔力による身体強化と強力な攻撃魔法。
それらを以って敵将の首を文字通りもぎ取って来たのである。
無論、そのような無茶な戦い方をしていれば一族側にも大きな被害が出た。
ファナティクスの傍流の男子で生き残った者は少なく、本家の者たちですら当主の連れ合いたる夫人とその嫡男以外は戦場の露と消えていった。
しかしその獅子奮迅の活躍によって王国は領土を削る事無く戦乱を乗り越えたのである。
王国はファナティクス一族の活躍に敬意を表し、彼の家を伯爵へと陞爵させた。
また戦いによって切り取った辺境の地を彼らの領土として与えたのである。
ここまでなら英雄物語としては良く出来ている、と言えるだろう。
問題は生き残った嫡男、現ファナティクス伯爵の人柄にあった。
戦乱の終わった時、彼は数歳の児童に過ぎなかった。
無論、と言おうか、彼の母は彼を溺愛した。
また、父がどれだけ優秀であったか、果敢に戦ったのか、そして一族の者達がどれだけ無残な死に様を晒したのか、を語った。
そう、その戦場は今ファナティクス一族の領地なのである。
ファナティクス伯爵はその土地に住まうものたちに憎悪の視線を向けるようになっていった。
彼が15歳の時、母である前伯爵の夫人が亡くなった。
そこから伯爵は枷が外れたかのように領民を虐待するようになっていったのである。
王国の法では領民を奴隷とする事は認められていない。
しかし、制度として奴隷は存在していた。
戦争奴隷と犯罪奴隷である。
彼は何かと因縁をつけては村々に住む領民を奴隷化していった。
もちろん、国を支配する王族や宰相などはこれを問題視した。
しかし領地の管理は貴族の権利でもある。
王と言えども下手に口出しをすればそれは越権行為となり、他の貴族との間に軋轢を生みかねない状況であったのだ。
また、貴族内の派閥として奴隷をどう扱うか、という問題に関して「奴隷制度推進派」と「奴隷制度反対派」の二大派閥があった。
ファナティクス伯爵は推進派にすり寄り、自らの領民を奴隷として差し出す事により、彼らから莫大な支援と信頼を得る事に成功していた。
結果としてファナティクス伯爵は金、人脈、そして一族の特性としての莫大な魔力によってもたらされる軍事力、暴力と言い換えても良い、を持つに至った。
更には奴隷推進派の強力な支柱であり、王の遠戚でもあるルナー公爵家より妻を迎える事により、彼の権勢は盤石なものとなっていた。
「参ったね、こりゃ…」
そう呟いた彼女、ファナティクス家の二女であるマリーアン・ファナティクスは頭を抱えていた。
彼女は一族直系の者としては破格に魔力が少なかった。
その為、伯爵をはじめとする一族のものたちからはみそっかす扱い。
伯爵の館に住むことは認められていたものの、家族の住む区画からは引き離された使用人達の住む区画に近い所に追いやられ、いないものと扱われていた。
無論、それは彼女にとって大きなストレスとなった。
弱いとはいえ魔力によって小さな体に不釣り合いな馬鹿力を振りかざし、使用人(奴隷)を脅しつけるのは日常茶飯事であった。
その為か、使用人達は彼女を腫れものを触るように扱い、敬して遠ざける、という状態。
であるからか、風邪をひいて倒れたマリーアンを看護する者もなく、彼女は風邪をこじらせ一週間以上も寝込む事となった。
生死の境をさまよい、そして彼女は思い出した。
「ここって、『逆ハー』の世界じゃね?」
逆ハー、正式名称は『逆転! バーニングハート! ~愛は全てを超えるの!~』。
何やら地雷臭のするタイトルであるが、これでもいわゆる「乙女ゲーム」の1つである。
べたべたなファンタジー学園RPGモノであり、主人公は庶民ながら強力な魔力を持ち、回復能力に長けた魔法能力を持つというこの世界において稀有な存在。
その能力を見こまれて貧乏子爵の養子となった主人公は15歳で王立学園の魔法科に入学、またたく間に頭角を現していく。
彼女は生まれが庶民ではあるものの、子爵家の教育が良かった為でもあろうか、周囲の人間とも良好な関係を築いていく。
その中には後に『賢王』とも呼ばれるこの国の第一王子、つまりは王太子候補や、宰相の息子、庶民ながらも剣の達人にして後の近衛騎士団団長、卓越した魔力によって後々賢者の塔と呼ばれる魔法研究所の所長になる少年なども含まれている。
当然と言おうか、その物語には彼らの友情、もしくは愛情を邪魔する存在がある。
それが、
「我が姉、なんだよねえ…」
ファナティクス伯爵令嬢、公式には一人娘、とされるいわゆる悪役令嬢のポジション、それに当たるのがマリーアンの姉であるエリザベスである。
「…というか、悪役というか『悪』の令嬢だと思うんだけど」
エリザベスは『逆ハー』の中では王太子の婚約者であり、各ルート中で共通する悪役として描かれている。
彼女は非常に選民意識が強く、上流階級の者達と親しく付き合う主人公を毛嫌いし、姑息な嫌がらせから始まり、最終的に主人公パーティとたった1人で渡り合う、いわゆるラスボスの役割も担っている。
そう、ラスボス、だ。
主人公を含めた6人のパーティーと殴り合うのだ。
「どんな令嬢だよ…」
マリーアンが溜息をつくのも無理はない。
ファナティクスの血を色濃く受け継いだエリザベスは何と言おうか、『魔王』とでも言いたくなるような理不尽な力を持っている。
劇中では序盤に対立した剣士を扇の一振りで吹き飛ばし、高笑いを上げながら去っていく、という展開まである。
魔法で吹き飛ばしたのではなく、その身に宿った魔力による身体強化と武器強化によって己の体とほとんど強度などない様な扇を使って台風の様な風を作りあげたのだ。
出鱈目も良いところである。
とはいえ、悪役であることには変わりはない。
彼女は今14歳。
物語が始まるのはエリザベスが17歳になった時であり、その次の年の三の月には物語が収束する。
その時、エリザベスが破れればファナティクスのやって来た悪行が陽の元に晒され、エリザベス派修道院にて監禁、伯爵夫妻は斬首となる。
「そして私は続編の悪役、と…」
4歳になるマリーアンはその年齢もあり、他の貴族の家に預けられるだけで済んだ。
しかしどこをどうこじらせたのか分からないが、物語が終わった11年後、続編の主人公が物語を紡ぐ際、マリーアンは典型的な悪役令嬢になり果ててしまうのである。
「しかもストレスから3ケタの自重を誇る超重量級お嬢様、って誰得な話なんよ…」
前作がかなりシリアスであり、ルートによってはかなり凄惨なエピソードもあったが故に、2作目ではコミカルを前面に押し出したのであろうか。
ずずむずずむと地響きを立てる効果音を背負って登場する彼女は笑いを誘う、前に失笑を誘うものであった気がする。
「出来ればそれは避けたいなあ…」
前世の記憶がよみがえったマリーアンはそう零すのであった。
マリーアンは熱に浮かされている時、生命の危機に晒された為であろうか前世の記憶が蘇っていた。
前世は男、児童相談所、というところで仕事をする雇われ者であった。
享年は59歳、もう少しで年金がもらえるだろう、と伴侶と笑っていた記憶がある。
死因は何らかの病であったようだ。
成人男性、しかも父親よりもさらに年上の人格は、マリーアンを喰い潰すことをしなかった。
マリーアンの苦しみを理解し、そして慰撫した。
その結果としてマリーアンはマリーアンとして、男性の記憶の一部を受け継ぐのみで己の人格を維持する事が出来たのである。
そして彼の残してくれた記憶の一部、その中に『逆ハー』の物語があった。
男の子どもが遊んでいた「ゲーム」、当時仲が拗れていた子どもを理解する為に男はそれを遊んでいた。
彼には全く理解できないものであったようだが、子供と妻はそれに付いて語り合い、その話が理解できる分意味はあったようである。
そしてその記憶の中に、
「これは使えるんじゃ、ない、かなあ…」
そう思えるものがあった。
男はいわゆる「ペーパー格闘家」であった。
真面目で趣味の少ないサラリーマン、その唯一の趣味、と呼べるものが格闘技に関する書物、映像の収集だった。
まだインターネットの無い時代に生を受けた彼は通信教育講座の中国拳法の書物を取り寄せるところから始まり、柔道、空手、古武術の教書の購入、長じては中国拳法のビデオなどを買っていた。
自身もある程度は嗜んだものの、絶望する程に格闘技の才能がなく、結局のところ健康太極拳を続ける程度のものであった。
その分、格闘技の理論などの蘊蓄は大量に記憶の中にあった。
マリーアンはゲームの情報から己は太りやすい体質なのだ、と認識していた。
体重100キロは避けたい。
彼女はその為に、貴族の子女としては珍しい、「体を動かす」という発想に至ったのである。
マリーアンの一日は『ラジオ体操第一』から始まる。
「♪~」
何やら軽快な鼻歌を歌いつつ、体を横に倒したり、飛び跳ねたりする。
傍から見ている使用人達には訳が分からない行動だろう。
しかし、それを伯爵に伝える者はいない。
下手に声をかけると、すなわちそれは死に直結するからだ。
命令を淡々と実行する、それが使用人達に求められる事だからである。
次に先ほどとは打って変わってゆったりとした動き。
緩やかな川の流れの様にとどまることの無い一連の流れ、これは使用人達にもダンスの練習であろう、と察する事が出来た。
実際の所、彼女のやっていたのは男が唯一身に付けていた、「太極拳」の型である。
実践に使える訳ではないであろう健康法としての太極拳、マリーアンはいわゆるダイエット法の1つとしてそれを取り込んでいた。
…実の所、格闘技に限らず各種スポーツにおいて、そして日々の生活において大事なことの1つとして体幹を安定させる、というのは重要な事だ。
体の中心線を支える筋肉を鍛え、どんな状態になろうともバランスを崩さない、それは戦いにおいて大きなアドバンテージになる。
スポーツ太極拳のゆったりした動きはそれを得るのに有効な鍛錬方法なのだ。
その後は朝食だ。
かつての彼女は使用人達の用意する食事にケチをつけながら、出されたものを食べていた。
今の彼女は使用人達と同様の、ファナティクス伯爵家の者達が食べ残した残りを食べる様にしていた。
その方が都合が良かったからだ。
伯爵達は贅を凝らしたこってり、というかゴッテリしたものを朝から食べる。
よくもまああれだけ油と砂糖の入った食事をとれるものである。
実際伯爵と夫人はふっくらとしている、というかふっくらで済んでいるのが驚きだ。
エリザベスに至っては朝からステーキと砂糖菓子を平らげて理想の美貌と体型を保っている。
既に同じ人間とは思えない。
今更ながらにマリーアンは呆れかえっていた。
…伯爵一家が贅をこらした食事をとる、という事。
そこから分かるのは素材の内最上級のもののみを使い、残りは打ち捨てられる、という事。
本来はそれらを使用人達は食材として賄いを作るのである。
それに本当ならばマリーアンの食材として使用される筈の物が加わった。
マリーアンから料理長に対してそのような交渉がなされたからだ。
その代わり、マリーアンには本来馬の餌として消費される大豆、鶏肉の内脂身の少ないささみ肉、伯爵が好んで食べる茹卵の残りである白身などを優先的に食事に出すことを約束させられてた。
料理長は奇妙な顔をしたものの、一応なりとも伯爵の令嬢であるマリーアンの言に逆らう事も出来ず、言うがままに食事を用意していた。
マリーアンとしては、たんぱく質を多く取ることで良質な筋肉を付けよう、という魂胆によるものだった。
食事の後、マリーアンはひたすら歩き続ける。
ただ歩く、という訳でもない。
全力で10メートル程を駆け、速度を落としつつそのまま歩く、また走る、を繰り返す。
その際腕を大きく振る。
ダッシュで瞬発力を鍛え、そしてその後歩き続ける事で持久力を鍛える。
腕を大きく振るのは筋肉を鍛えつつ肩関節の可動域を広げるためだ。
午前中は、この先にあるターニングポイントであろう「ゲーム本編」に向けてその幼い体を鍛えこむことに費やされていた。
午後になると伯爵や夫人が帰宅する確率が上がる為に動きがとりにくくなる。
午前中は伯爵は政務のために登城し、夫人は買い物へと繰り出す。
伯爵夫婦は味方も多いが敵が多い。
こと、殺したい程恨んでいる手合いは星の数ほど、と言って良い。
故に、彼らは王都の別邸で暮らす事はあまりない。
精強な戦士であるファナティクス一族の守る領館の方がよほど安全なのだ。
しかし、伯爵には仕事があるし、公爵の娘である夫人には買い物や美食などに対する節約、という概念がない。
彼らはわざわざ高額の報酬を用意して転移呪文の使える魔法使いを雇い入れ、王都への送り迎えをさせていた。
…無論それは領民の税と奴隷売買による金で賄われている。
娘のエリザベスは現在王立学園に入学しており、その寮で生活している筈だ。
しかし、時折転移によってこの屋敷に帰って来ては鬱憤を晴らすように周囲に暴力をふるっていく。
これが普通の貴族令嬢ならば周囲の調度品が壊れる程度で済むだろう、しかし、彼女はファナティクスの一族だ。
騎士の一団を引き連れて『盗賊狩り』へと向かうのだ。
確かに、本物の盗賊が出るほどファナティクス領は荒れている。
だが、それ以上に彼女は普通の村への襲撃を行うのだ。
これは実のところ父親であるファナティクス伯爵の意向を受けたものである。
普通の農民の村を「盗賊の根城である」として襲撃、村民を奴隷商へと売り飛ばす。
そうすることでファナティクス領は奴隷商が行きかう通商の要所へと変貌した。
そうなると他領から商人を狙う盗賊が入り込む。
それらを狩り、奴隷とする事でファナティクス領はさらに栄える。
…最も、それは早晩破たんするだろう。
貴族領の基盤を支える領民が奴隷として領外に持ち出されているのだから。
ファナティクス伯爵はそれを分かっていながらやり方を変えるつもりがない。
夫人はそもそもそれを考えるだけの思慮を持たない。
そしてエリザベスはと言えば。
「…どう転んだとしても自分は大丈夫、そう思ってるんだろうなあ」
この世界において、一流の魔法使いは一軍に匹敵する力を持つ。
無論、そんな者は国1つに付き1人いれば良い方だろう。
エリザベスはそれだけの力を持っているのだ。
強化された彼女の腕は振るうだけで散弾の様な砂利を含んだ突風を巻き起こし、纏う魔力は攻城弓の一撃ですら傷1つ付けることは出来ない。
歩く要塞とでも言うべき非常識な存在なのだ。
…乙女の夢の詰まったゲームのラスボスがこんなんで良いのか? と前世では呆れたものだったが、実際に目の当たりにすると恐怖しか感じない。
怪獣に勝てるんだろうか? 主人公達。
それはさておき、マリーアンの午後は勉強に費やされる。
意外かもしれないが、ファナティクス伯爵は勤勉だ。
彼の書斎には様々な書物がうずたかく積まれており、彼はそれに一通り目を通しているのだ。
それはファナティクス家の家令を務める使用人から確認している。
マリーアンは家令の弱みを握ることで彼から情報を引き出すことに成功していた。
とは言っても大したものではない。
それ程の価値もない調度品に傷を付けた事を黙っている、程度のものだ。
とは言え、その程度の事でもこの屋敷においては文字通り首が飛ぶ事も珍しくない。
ファナティクス領においては人の命は羽毛の如く軽い。
領主の機嫌を損ねればその腕の一振りで人が死ぬのだ。
屋敷の中はいつもきれいに清掃がなされているものの、隠しきれない血の匂いがほのかにこびりついていた。
その屋敷の中でマリーアンは、
「…これは何と読むの、ジェイド?」
「これは『ファトナ』と読みます。
古代語で『川』を表す名詞ですね」
家令であるジェイドをマリーアンの家庭教師の代わりともしていた。
最初こそマリーアンを疑ってかかっていたジェイドであるが、マリーアンと関わるにつれ、その性根を理解していったようだ。
今ではマリーアンに様々な助言を与えてくれる重要人物の一人である。
ジェイドの職務は使用人を仕切る事、これだけだ。
本来、家令とは貴族の家の管理や会計も行うものであるが、それはジェイドに任せられていない。
そういった事柄は、ファナティクスの一族の傍流の者達が行っていた。
無論の事、と言おうか、伯爵が特に収支に気を付ける事がない為だろうか、領地経営に当たる者達は揃って無能、残虐な者たちばかりであり、伯爵家の経済状況はひどいものであった。
最もそれを見越して伯爵はほおっておいているのでは、とジェイドは見ている。
伯爵の手腕を見ていると、領地の経営以外の部分、国家の運営に関わる部分では辣腕を振るう優秀な政治家であるのだ。
そうであるが故に、王家も伯爵領に手出しできない、という部分も存在した。
国家からの援助はこの伯爵領には期待できない。
ならば、次世代の領主候補を教育する事でこの事態を何とか打開できないだろうか、そうジェイドは考えた。
とは言えエリザベスは駄目だ。
彼女は既に両親であるファナティクス伯爵夫妻の手からも離れていると言って良い。
気まぐれに力を振るう魔王、それがジェイドのエリザベスに対する認識であり、それは間違っていない。
ならば、伯爵に気にも掛けられていないとはいえ直系の存在に期待をかけるというのも、一縷の望み、とはいえども間違えてはいまい。
マリーアンを善政を敷く貴族として教育することで、ファナティクス領を立て直したい、そう願うジェイドの思いと、今の内に出来るだけ知識を得ることで今後訪れるであろう死亡フラグをへし折りたいと考えているマリーアンとの利害の一致が、今の師弟関係を成立させたのであった。
午後の勉強を終わらせると、マリーアンは食事をとり、そしてまた鍛錬を開始する。
既に周囲は真っ暗になっている、しかし明かりを付ける事はない。
ファナティクス伯爵が使用人に余計な油を消費することを認めていない、というのもあるが、
たし、たし。
地面を踏みしめる音がする。
最初は使用人達も不審な顔をしたものだが、すぐに気にしなくなった。
音の元は裏庭の一角、完璧に調整された庭木の生い茂る中、2メートル四方ほどの空間がぽっかりと存在した、その中に居るマリーアンの足音である。
彼女は中国拳法における『套路』、つまりは型稽古を行っていた。
武道の型、とはシチュエーションロールプレイと思えば良いだろう。
仮想の相手の攻撃をかわし、いなし、そして相手の体勢を崩して致命の一撃を打ち込む。
古武術の方には全て意味があり、その意味を解読しなければ型はただの舞踊だ。
本来ならば指導者が付き、型を完全に模倣する事が出来るようにするものなのだが、マリーアンにはそれがいない。
いや、現実にはいない、というべきか。
彼女に引き継がれた記憶、その中には「型の意味」という知識も存在していた。
体を動かす事については才がなかった前世の男。
それだけに理論については一家言持っていたようだ、
彼の構築した理論、それを引きついだマリーアン。
魔力は少ない、と評されたマリーアンだが、武闘派であるファナティクス一族の血はまぎれもなく継いでいた。
彼女は真綿が水を吸うが如く知識を技術へと昇華していったのである。
マリーアンが前世の記憶を思い出してから3年。
彼女の生活は時折頭上を暴風が過ぎ去る他は至って平穏なものであった。
その暴風とは。
「あの女狐があっ!!」
とても淑女の口から飛び出すとは思えないドスの利いた声でわめき散らし、近くの木をなぎ倒すのはマリーアンの姉であるエリザベス。
そう、『ゲーム』が始まっていたのである。
一応なりとも学園においては伯爵令嬢の表っ面を整えているエリザベス。
今、彼女はこの国の第一王子の婚約者、という事になっている。
ファナティクス伯爵の政治的手腕により、また圧倒的戦力であるエリザベスを王国に抱え込むという国としての都合もあるようだ。
その為、一応なりとも貴族の令嬢という体を取っているエリザベスは一定以上に魔力(暴力)に訴えることが難しい状態だ。
下手に腕を振るうと敵対陣営より「王子の正妻としてふさわしくない」というレッテルを貼られかねないのだ。
エリザベスはこの状況になってやっと「暴力だけではどうしようもない」という事態があることを理解した。
その為、自身が動くのではなく、取り巻きたちに様々な指示を出して主人公に嫌がらせをしているのだが、それがどうもはかばかしくない様子。
時折領地に戻り、こうして思う存分力を振るうのが彼女のストレス解消法であった。
「…巻き添え喰う方としちゃたまんないんだけどね」
頭にクッションを被り、まるで戦中の空襲時避難の様な様相である。
あながち間違っていないのが更に問題であるが。
以前はエリザベスがこうしてストレスを解消する際、巻き添えをくって怪我をするものが多発していた。
マリーアンは使用人達の間に連絡網を作り、いざという時のためにエリザベスが暴れそうな場所に対しては避難勧告を出すようにした。
そのせいもあるのだろうか、怪我人は格段に少なくなっていた。
…何やら伊○部マーチが幻聴されそうな気がする、なんぞと現実逃避をしている内に、嵐は通り過ぎていく。
「今日も一日、生き延びた…」
エリザベスが気のすむまで魔力をぶちまけ、すっきりした顔で学園に返っていくのを確認し、使用人達と手を取って喜ぶのがマリーアンの密かな楽しみとなっていた。
これももう、そう遠くない内に終わりになるのだから。
そしてとうとうその日がやって来た。
その日、王国に激震が走った。
奴隷推進派の貴族達が王城に対してクーデターを仕掛けたのである。
最も、それは事前に王に知られており、数日を以って鎮圧された。
首魁はファナティクス伯爵。
彼自身は王室に足を掴まれる事無く非常に上手くクーデターの計画を練っていたようだ。
計画が漏れたのはエリザベスからだ。
彼女もまた伯爵の計画に組み込まれ、その強大な魔力を用いて前線で活躍する筈だった。
しかし、彼女はその力ゆえか、性格ゆえか驕り高ぶりが酷かった。
彼女の周囲のものに、計画の一端を話してしまっていたのだ。
それだけではなんの事はない令嬢の自慢話。
しかし、それを手掛かりに様々な出来事を結び付ける直感と推理能力を持った者がいた。
誰であろう「ゲーム」の主人公、エマ・ディエゴ子爵令嬢である。
彼女の卓越した分析と、『現場に居合わせる才能』によってファナティクス伯爵のたくらみが陽の元に晒される事となり、彼は捕えられた、との事。
「…そうなると今頃は学園で最終決戦が行われてるんだろうか」
そして、魔王(笑えない)エリザベスと主人公一行が学園を破壊しながら戦うのもこの時期。
エリザベスが勝てば彼女を旗頭にして奴隷推進派が盛り返し、王族と奴隷制度反対派と泥沼の内乱に突入する。
主人公が勝てばこのファナティクス領に軍隊が派遣され、ファナティクス一族は捕えられる。
どちらにしてもマリーアンにとっては都合が悪い。
エリザベスが勝ったとしたなら、常日頃ごみ扱いされているマリーアンは確実に殺されるだろう。
未だマリーアンは武術を極めたとはとても言い難い。
体が出来ていないという事もあり、古武術の伝位(段位)で言えば中伝に足が掛かったというところか。
7歳の子どもとしてはそれもまた異常な実力であるのだが、その程度の実力では魔力での強化を図ったところであの大魔王エリザベスは歯牙にも掛けるまい。
一方、主人公が勝ったとしたら、それは…
「重量級令嬢は勘弁だなあ…」
次世代の悪役を担うルートに直行である。
ゆえに、だ。
「お嬢様、準備が整っております」
ジェイドがマリーアンに声をかけた。
「すいません、ジェイド。
今までこれだけ世話になったというのに…」
家令のジェイドが差し出したもの。
それは旅装であった。
このままファナティクス領に居ては彼女の命も危ない。
ジェイドはそう判断したのであろう。
「ありがとう。
ここからは私と貴方は無関係、そう言う事にしておいてね」
そうでなければ、ファナティクス一族のみで済んでいた災禍が使用人達にまで及びかねない。
あくまでジェイド達使用人は嫌々ファナティクスにこき使われていた、という事にしなければ彼らの安寧を守る事は出来ない。
その為だ。
ジェイド達は安全のため、怪獣対策のために館の外に用意した避難場所へと移動してもらう事になっている。
彼らが荷物を纏め、避難したのを確認し、
「さて私、も、…」
マリーアンがそう呟いた時、その耳に何かを叩く様な複数の音が聞こえた。
暫くすると、
「…遅かったかぁ」
それが、複数の馬の蹄の音であることが彼女には分かった。
どうやら逃げだす前に、相手に先を取られたようだ。
それは、伯爵の尻馬に乗って我が世の春を謳歌していた、周囲に居たはずのファナティクス傍流の者達が捕えられるか討ち取られたという事。
本丸である領主の館にはファナティクス夫人しかいない。
ここまで攻め込まれる筈がないと高を括っていた夫人、彼女の周囲には既に使用人達はいない。
皆逃げ出しているのだ。
きーきーとヒステリックに喚く夫人の声が階下に居るマリーアンにも聞こえてくる。
彼女を囮にして何とか逃げられないものか、と考えるマリーアンだが、
「…魔力が減衰してる。
やっぱり原作通りか。
しかも逆ハーレムルートですかい、主人公さま」
その力は年齢相応のものしか出せなかった。
これはどういう事か。
『逆ハー』ではいわゆるトゥルーエンディングが存在する。
非常に条件の厳しいルートなのだが、これをクリアする事で大団円、というストーリー展開になる。
それが全ての攻略対象のイベントをクリアする事で到達するものであり、それはつまり『逆ハーレム』状態でのシナリオクリア、という事になる。
こうすることで王国の中に巣食う奴隷推進派を排除し、内乱の目を完全に潰すことが出来る、という状態になるのだ。
第一皇子や宰相の息子の権限を強化し、奴隷推進派の勢力を削ぐ。
剣士の実力を上げて悪役令嬢の腰巾着達をやっつける。
魔法使いの実力を上げて魔力減衰の結界装置を作り上げる。
その内、特にこの魔力減衰装置がキモである。
これを開発する事によってファナティクス一族の戦闘力が極度に下がるのだ。
3つの装置を1組とし、三角形を組んだその中の魔力が極度に下がる仕組みである。
ちなみにエリザベスの場合、減衰したところで大差ないレベルだ。
湖いっぱいの水から100リットル吸い上げた所でほとんど誤差と言って良いだろう。
返す返すも規格外なのだ、エリザベスという存在は。
規格の範囲内であるマリーアンは見事なまでに魔力を封印されていた。
ただの7歳児に何が出来るものか、などと彼女は考えている。
…ただの7歳児が代の大人を叩きのめせるだけの武術の技量があるという事自体が異常なのだが、それを簡単に塗り替える非常識が傍に居た為に本人は気付いていない。
そうこうしている内に、伯爵夫人が捕えられたようだ。
そろそろ逃げ出すチャンスか、と考えていたマリーアンだが。
「まだ一人いる筈だ!
7、8歳の女子とは言え、ファナティクスの一族だ!
用心しろ!」
凜、とした声が周囲に響き渡った。
「…この声は、確か…」
後に剣聖と呼ばれる事になるギーシュ・ウェラン。
『ゲーム』における攻略対象の1人である。
本来ならば主人公と共に大魔王と対峙しており、こんな所に居る筈の無い男だ。
それがここに居る、という事は…。
「え? なに? まさかエマってエリザベスにタイマンモード仕掛けたん!?」
タイマンモードとは。
『ゲーム』の中において、文字通りあの大怪獣に1対1で戦いを挑む恐ろしく難易度の高い攻略法である。
攻略対象達を王国各地に配置し、クーデターにおける損害を最小限に抑える、という点では非常に効果が高い。
しかしそれは同時に主人公が実質1人でラスボスに挑む、ということを意味する。
ゲームを遊ぶ立場からすればベリーハードモードというのも挑み甲斐がある、と考える者もいるやも知れない。
しかし現実のエリザベスを目の当たりにするならば、
「無謀だあ…」
という感想しか出てこない。
とは言え、ゲームの中では、徹底的に鍛えこめばエリザベスにも勝利することが可能であった。
装備をガチガチに整え、徹底的に訓練と実践を積み、エリザベスに匹敵するほどの魔力を蓄えたなら、という条件付きで。
「つまりは、今頃王城の方ではに大怪獣大決戦みたいな光景が…」
何ぞと考えていたその時だ。
どおぉぉん!!!!!!!!
王城のある方角から長大な光の柱が吹き上がった。
このファナティクス領館があるのは辺境だ。
王都からは整備されていない馬車で5日ほどもある距離、大体100キロメートルほどだろうか、そこから見える、というのも異常。
よく見れば、柱は2色の微妙に異なる光が螺旋の様に絡み合って天に昇っていた。
それを見てマリーアンは思う。
ああ、主人公さんも規格外なのね、と。
そうやって現実逃避をしていた為であろうか。
「見つけた!」
マリーアンが振り向くと、そこには栗色の髪の端正な顔立ちをした軽装の青年が立っていた。
ギーシュ・ウェランは焦りを禁じ得ないでいた。
極力早めにファナティクス一族を平らげ、エマの加勢に行く筈であったのに、思いのほか手間をかけさせられた。
それは魔力減衰結界を使用している為に、魔力を伴った攻撃を行えないから、である。
自分だけならばそれなしでも戦えるが、兵士達はそうもいかない。
ファナティクスは魔力によって凶暴な力を振るう魔法戦士の一族だ。
そこに、結界無しで殴りこむのは無謀であろう。
この世界において、魔力の量は即ち強さに直結する。
王国一の剣の使い手であるギーシュですら、ファナティクスの者達と戦うのならばある程度の損耗を覚悟しなければならない。
逆に言えば、完全武装した兵士が魔力の底上げを受けないファナティクスと戦うならば確実に勝てる、という事でもある。
万全を期すためにはどうしても結界による相手の弱体化が必須であった。
アルフレッド王子、今や大魔法使いとなったチャーリーが救援に間に合ってくれていればいいのだが、そう考えている時だ。
視界の隅に子どもの影が映った。
皮肉にも王都から立ち上った魔力の光、それが子どもの姿を浮き上がらせていた。
エリザベスと同じ、黄金といっても良い金髪の、しかしエリザベスほど派手な顔立ちではない少年の様な子ども。
どうやらあれがファナティクス家の最後の1人、マリーアン・ファナティクスの様だ。
彼女を確保すればこの任務も終わり、王都に戻れるというものだ。
まあ、その頃にはエマとエリザベスの勝負も終わっている筈だが。
ギーシュは頭を振ると、マリーアンに近付いていった。
まずいな。
マリーアンは周囲を見回してそう思った。
屋敷の中には青年と、兵装を纏った兵士らしい者達。
彼らの背にはリュックサックほどの大きさの機械とも調度品とも取れそうなものが背負われている。
魔力減衰結界の発生装置である。
これを何とかしないことにはここからの脱出は難しいだろう。
とは言え、それを成す為には目の前の青年を何とかしなければならない。
「大人しくしなさい。
君はまだ幼い。
悪い様にはしないから」
と、ギーシュは言っているものの、どこまでそれを信じて良いのか。
少なくとも『ゲーム』の中のマリーアンはこの後途轍もない体重とプライドをこじらせた怪物になる。
それは何らかのストレスが原因だろう、とマリーアンは分析していた。
それだけのストレスを受けるような環境は御免蒙る。
ここから脱出するためには…。
「やるしか、ない、か…」
マリーアンはすい、と拳を目の前にかざした。
ギーシュは目の前の少女の雰囲気が変わった事に気がついた。
彼は驚きを隠せなかった。
ファナティクス一族の戦闘技術は既に失伝している、と聞いていたからだ。
数十年前の戦乱、その際にファナティクスの戦士達は己の技量と膨大な魔力を以って最前線で味方を守るために奮戦した。
その結果、王国は守られた訳だがその代償として彼らは己が命でそれを贖った訳である。
そして優秀な戦士のほぼ全員を失ったファナティクス一族には幼少の跡継ぎと女性しか残らなかったのである。
戦士の一族にはその一族にしか伝わっていない戦闘技術があるものだ。
それはその一族の特性に合わせて形作られたもの、つまりは最適化がなされているものだ。
それが後世に受け継がれなかった。
無論、秘伝書の様な形での文書は残っているだろう。
しかし、それを正しく読み解くにはやはり体験が必要となる。
実際に戦場で培われた経験なしに紙の上に書かれたものを正しく理解するのは不可能。
また、エリザベスという規格外が存在した事も、技術の復興を阻害する原因となった。
ファナティクスの者達は「魔力さえ高ければ技術は必要ない」と認識してしまったのである。
確かにエリザベスほどの魔力があるなら、よほどの技量があっても彼女を倒す事など不可能だ。
しかし、それ以外の者達の魔力は膨大とは言え規格外、とは言い難い。
ギーシュほどの腕があれば魔力の鎧を打ち抜き、斬り倒すことは難しい事ではなかった。
ファナティクス一族の技術が断絶していたからこそ、ファナティクス領における武力鎮圧はあっけないほどに速やかに終わったのである。
しかし、目の前の少女、彼女は明らかに戦闘技術を習得しているのが見て取れる。
…なるほど。
ギーシュはそう理解した。
ファナティクス伯爵がこの幼い姫の存在を秘匿した理由。
彼女はファナティクスの武の継承者なのだ、と。
今だ完成を見てはいないようだが、あと数年すればこの少女は恐るべき手練れに成長するだろう。
その時こそ本当の意味でのファナティクスの復興なのではなかったか。
今回のクーデターも、それに合わせて行われるべきものではなかったか。
どうやら自分達は薄皮一枚でこの国の危機を回避する事が出来たのだ、そうギーシュは思った。
…それが見当違いであることを知らずに。
とは言え、そうそう油断をしなければ拘束するのも難しくはない技量、目の前の少女の構えからはそう読み取れる。
ギーシュは油断なく剣を構えた。
油断してくんないかな?
マリーアンの希望は既に露と消えた。
目の前の剣士はその得物を中段に油断なく構えている。
流石に隙がない。
世には「剣道三倍段」という言葉がある。
槍を相手にする場合、刀では三倍の技量がある、というのが本来の意味だが、剣と拳ならばどれだけの差が必要となるのだろうか、少なくとも今のマリーアンの腕ではかなり難しい、と言えるだろう。
しかし、
我に勝機あり。
彼女はそう考えていた。
この世界の武器格闘は、そう洗練されたものではない。
実際の戦場において技量などというものは二の次三の次。
己の筋力と反応速度が戦場で生き残る武器となる。
敵味方の入り乱れる戦場で、1人の敵に集中するのがどれだけ危険な事か。
武術の中にも複数人を相手取る技術を修練する流派もある事はあるものの、結局のところその技術が使えるかどうかは個人の資質によるところが大きくなる。
基本的に武術とは卓越した筋力や反射神経などがない「才能の無い者の為の戦闘技術」であると言える。
型というシチュエーション戦闘を反復し、攻撃方法を型にはめ、選択肢を減らすなど、「本当に強い者」にとっては害悪でしかないだろう。
どうせ戦いなど「相手より早く、相手が反応できないくらいの速度で、相手が壊れる程度の力でぶったたく」事さえできれば勝つのだから。
相手の動きを予測し、攻撃をいなし、それによって出来た隙に向けてその急所を抉る、などというあまりにもニッチな戦い方は、それを習得するのに多大な労力を必要とする。
ならば強者はその能力そのものを鍛錬する方が有効であろう。
故に、マリーアンの目から見てギーシュの動きは「戦場において隙の無いもの」として映っていた。
ならば、彼は「武術の怖さ」を知らない。
武術とは、限りある人生において相応の時間と努力をその習得に必要とするものだ。
そして弱者は武術を習得する事で強者に対抗する手段を得る。
それは、人間が有史以来綿々と受け継いできた「技術の継承」というもの。
太古の戦士が戦いにおいて有効であるとして生み出した細やかな戦術、それらを洗練、統合し、それ程才能がない者でも一端に戦えるように編み出されたのが武術であり、その型である。
その中には力と力のぶつかり合いである戦場ではまずお目にかからない様な戦い方もある訳だ。
そう、ギーシュの様な生粋の戦士が体験した事の無い戦い方が。
初見では対処できない様な攻撃を当てることが出来れば、道は開ける可能性がある。
無論、その対処できない筈の攻撃に対処してのけるのも才能ある強者ではあるのだが。
マリーアンとギーシュは対峙した。
「ウェラン卿! 我々も…」
兵士達がそう言って前に出ようとするのを、
「手出し無用!
彼女は年若いが手練れだ!
ここは私が相手をする!」
そうギーシュが制止する。
内心舌打ちをするマリーアン。
体格差を利用して相手側の兵士をギーシュの攻撃に対する盾にするつもりだったのだが。
「残念だが、こちらも油断する気はないのでね。
貴公の魂胆は読めているよ」
…流石は戦場の雄。
連携の取れない味方が小規模な戦場において厄介であること、それをギーシュは身を以って知っていた。
…まあそういうイベントが『ゲーム』の中にはあった訳で、傷付いたギーシュをエマがその治癒魔法で癒すことで親密度が上がっていくという寸法である。
中段に剣を構えるギーシュ。
剣を以って体の中心線を守っている。
そして肩や前腕、脛などには軽装であるもののしっかりと防具が覆っている。
剣を構えたギーシュは対個人戦であるならば下手な重装鎧よりも厚い防壁に守られていると言って良い状態だ。
戦場においてはまあ切り崩すにはよほどの業物か、魔力強化による強烈な一撃が必要だろう。
だが。
「ひゅっ!」
マリーアンが踏み込んだ。
「!?」
その速度はまるで脚部に魔力強化を加えた神速。
そうギーシュには思えた。
武術の技の中に縮地、というものがある。
体を沈みこませたり、走る際の体幹のブレを最小限に抑え込むことで相手に移動している事を悟らせないなどの、武術における移動法の総称であるが、ギーシュはそれを目の当たりにした事がなかった。
魔法による「もの凄い速度の移動」が存在するこの世界において、発達し難い技術である為だ。
近付いていることを一瞬なりとも悟らせないことで初動を遅らせる。
そして剣の間合いの内側に入り込み、
「せっ!」
剣によって隠されていた腹部にマリーアンの掌打が叩き込まれ、
「ぬっ!?」
ギーシュの左の拳に阻まれた。
戦場で培った危機感知、それが間一髪で下腹部に突きこまれそうになっていたマリーアンの攻撃を察知させたのである。
「せいっ!!」
そのままマリーアンを突き飛ばし、距離を取ろうとするギーシュ、しかし。
「貰った! 小手返し!」
マリーアンはギーシュの手を掴み、その手首の関節を極めに掛かる。
しかし、これは悪手だった。
ギーシュは手首をしっかりと固め、力でマリーアンを弾き飛ばした。
マリーアンが、というよりその前世の記憶の持ち主はいささか西洋の戦闘技術を甘く見ていた感がある。
レスリングという西洋の格闘技には肩や肘の関節を極める技術が存在する。
そして元々レスリングは戦場格闘術であり、片手で相手を抑え込み、反対の手でダガーを抜いて相手にとどめを刺すためのものであるのだ。
マリーアンはそれを失念し、「手首の関節を極める技術をギーシュが知らない」と勘違いしていたのである。
ファナティクス一族の格闘技術が失伝している為、マリーアンはこの世界の格闘技術の水準を知らなかったが故のミスだ。
双方は大きく距離を取る事になった。
2度3度と同じ手で懐に入られるギーシュではない。
マリーアンはギーシュを攻めあぐむようになっていった。
「ふっ!」
凄まじい速度で振り下ろされる鞘。
ギーシュは剣を鞘に納め、鞘ごと剣をマリーアンに叩きつけてきた。
マリーアンの戦闘能力が予想以上に高かった為、加減の難しい刃付きではなく、鈍器として剣を使う事をギーシュは選択していた。
元々10代後半のギーシュと7歳のマリーアンでは体格、腕の長さに大きな差がある。
マリーアン捕縛のために有利な部分を有効に使うべく、ギーシュは剣を刃の無い状態で使う事を選択していた。
流石に戦場で培われた剣は違う。
相手のペースに惑わされず、確実に自分の武器の間合いで戦っている。
マリーアンが位置を移動し、周囲の兵士を巻き込もうと動いても、確実にそれを阻止し、1対1の状況を崩すことが出来ない。
10代にして既にギーシュは後の世に剣聖と呼ばれる才能の一端を表していた。
しかし、それですらマリーアンを捉えてはいない。
それは、
「…なるほ、どっ!」
マリーアンから見て、ギーシュの動きにはほんの少し、毛ほどの違和感があった。
これは「魔力強化を行って戦うのが当たり前」であるが故の違和感だろう。
ファナティクス伯爵に鍛錬を見られたくない為に、マリーアンは基本的に魔力を纏わないで修練を続けていた。
今、この場では魔力減衰結界のせいで魔力による身体強化が行えない状態だ。
皮肉にもその事がマリーアンにとって有利に働いていた。
ギーシュは内心驚愕していた。
情報によればマリーアンは未だ7歳ほどなはず。
それが、いくら魔力減衰結界の中とは言え、いや、この中であるからこそ純粋な身体能力の差が如実に出る筈だ。
体格も、腕の長さも、反射神経も全てがこの少女より上回っている筈の己が、未だに彼女を制する事が出来ていない。
これがファナティクスの力なのか。
ギーシュは猜疑心により、己の技がほんの少し曇っている事に気が付いていなかった。
そして。
どおおおんっ!!!
またしても王都の方から魔力の光が立ち昇った。
それに全ての人が一瞬ではあったが意識を向けた。
…マリーアン以外は。
ここが好機!
これが最後の機会と瞬時に決めた彼女は最後の突貫をギーシュに仕掛けた。
彼女の持つ全ての技術を使い、緩急をつけた移動法で滑るようにギーシュに肉薄する。
ギーシュからはマリーアンが幾重にもぶれているようにも見えただろう。
しかし、それにすらギーシュは対応して見せた。
「ぬあっ!」
鋭い軌跡を描き、鞘の突いたままの剣が袈裟切りにマリーアンに迫る。
だが、
しまった!
ギーシュはこの戦いで初めて焦りを顔に滲ませた。
反射的にマリーアンの攻撃にカウンターを合わせたのは良いものの、このままでは怪我では済まないレベルの攻撃が彼女に命中してしまう。
これが成人男性なら骨折はするものの命に別条はないだろう。
しかし、マリーアンはまだ子供だ、この勢いの攻撃が命中すれば、即死もありうる。
それが僅かばかり、剣先を鈍らせた。
走りながら沈み込んだマリーアンの髪の毛をギーシュの剣が掠め。
一気に懐に踏み込んだマリーアンはその勢いのままギーシュの膝を横から叩いた。
「うおっ!?」
ただ蹴られた、叩かれただけならばギーシュと手バランスを崩すことがなかっただろう。
だが、走り込んだ勢いを利用した一撃は、剣を振りだした時の遠心力と相まってギーシュの体を大きくかしがせることに成功していた。
沈み込む体のバランスを取り戻そうとするギーシュ、その顎がマリーアンの小さな体でも届く位置まで落ち込む。
そこに、
「せいぃ、やっ!!」
マリーアンは両手の掌打を繰り出した。
沈み込む体と、突き上げる打撃、これが直撃すれば大の大人でも無事では済まないだろう。
しかし、それでもギーシュは反応して見せた。
体を捻ることで重心を変え、顔面に伸びてきた攻撃を避けて見せたのだ。
しかし、
ちっ
マリーアンの一撃を直撃こそ避け得たものの、ギーシュの顎先を掠めていった。
その瞬間。
「なにっ!?」
ギーシュの体が操り糸が切れた様にくたり、と崩れた。
ギーシュは何が起こっているのか分からない、といった表情だ。
体を動かそうとしても全然意のままにならない。
…ボクシングなどでままあることだが、顎先を掠めるように打たれた場合、テコの原理で衝撃が頭蓋骨のなかに伝わり、脳水に浮いた状態の脳が激しく揺さぶられた状態になる。
今のギーシュの状態はそれだ。
脳が揺さぶられ、一時的に機能がマヒしているのだ。
「チャンス!」
崩れ落ちるギーシュを無視し、マリーアンは走り出した。
その先には魔力減衰結界装置を担いだ兵士。
「な、なにが!?」
兵士は向かってくるマリーアンを見て動揺した。
しかし流石は訓練を受けた兵士、動揺しながらもマリーアンに腕を伸ばしてくる。
彼女はその兵士に肉薄すると、
「よいしょ!」
その膝に足をかけ、
「せいっ!」
駆けあがるかのように膝を踏み台にして跳び上がり、その勢いのままひざ蹴りを兵士の顎に叩き込んだ。
悲鳴を上げる事も出来ないまま意識を刈り取られた兵士。
彼女はさらに背中の結界装置に一撃を加えた。
パちっ、という小さな音と共にその動きを止める結界装置。
その瞬間、マリーアンの体になじみ深い魔力の高まりが感じられた。
「ぃよしっ! 魔力による身体強化開始!」
一連の流れのまま、倒れ込む兵士を踏み台にして地面に飛び降りたマリーアンは、魔力で強化した脚力によって全力で走りだした。
マリーアンの魔力が少ない、といってもそれはファナティクス一族の直系としては、というだけに過ぎない。
並みの魔法使いと遜色がない程の魔力によって強化されたその足は、人としては限界を超えた速度で走りだす。
流石にエリザベスの様にマッハとはいかないが、それでも一瞬ではあるが時速100キロに迫る勢いで走りだしたマリーアンに追いつける者はこの場にはいない。
あっという間にマリーアンはギーシュ達の前から姿を消した。
「ギーシュ様、屋敷内の要人、全て拘束いたしました」
兵士の1人がそう告げて来る。
不幸中の幸いか、領主の館に居たファナティクスの家系の者はマリーアンだけであった。
ここに居た要人、つまり拘束すべき人物はマリーアンと伯爵夫人だけ。
夫人はファナティクスの一族ではないのであのでたらめな魔力は持ち得なかった。
その為、魔力減衰結界が使い物にならなくなってもその拘束には何の問題も発生しなかった、その事は不幸中の幸いである。
これで1人を除いてファナティクス一族の急進派を捉えることが出来た、という事だ。
しかしその1人が問題だ。
周囲からはみそっかす扱いであったとしても、一族の直系が逃走した、となればそれを利用して奴隷推進派が息を吹き返すことにもなりかねない。
今回の事は失態だった。
そう考えて、ギーシュは頭を振った。
意識を切り替え、マリーアンの調査と、奴隷推進派の抑え込みに全力を尽くす必要がある。
なにより、王都に居るエマがエリザベスを抑え込んでくれている内に彼女の援護に行かなければならない。
そう考えてギーシュの元に伝令がやって来た。
「王都にて、エマ・ディエゴ子爵令嬢がエリザベス・ファナティクスを打倒した、との事でございます!
また、王都郊外において行われた反乱軍との戦闘も、王太子殿下の勝利でございました!
お味方、大勝利で御座います!」
その一報に歓声を上げる兵士達。
ギーシュの顔もつい綻ぶ。
「そうか、エマは無事か、良かった…」
ここでの任務は終わった。
一旦王都にもどり、今後の対策をしなければならない。
ギーシュはまだふらつく頭を振りながら撤収の準備を指示した。
しかし、まだ己も未熟、一から鍛え直さなければな。
ギーシュはそう意志を固め、兵たちと共に去っていった。
ギーシュ・ウェラン。
生涯において数度の敗北を喫した、その最後が幼い少女であった事は知られていない。
彼はその戦いの人生において、それを死ぬまで諌めとした、と語っていたという。
領主の館を望む小高い丘、そこにマリーアンはいた。
いざという時のために、この丘の木の根もとにある程度の資金、旅装などを隠しておいたのだ。
彼女は今まで自分が生活していた館を見降ろした。
大体1万平米と言ったところか。
辺境貴族の本邸としてはまあ大きい方だろう。
あれがかつてのマリーアンの世界の全てだった。
もうあそこに戻る事はない。
彼女にとって、あそこは牢獄であり、悪役令嬢への十三階段でもあった。
そこから、
「やっと、解放された、か…」
憑きものが落ちた様な、何か大事なものを無くしたような虚脱した表情をマリーアンは見せていた。
暫くそこで佇んでいたマリーアンだが。
「…行くか」
そう、ぽつりと呟くと、マント代わりのぼろきれに身にまとい、荷物を背に担ぐと館に背を向け歩き始めた。
それ以降、マリーアン・ファナティクスの足取りはぱたりと途絶えた。
代わりに5年ほど後、年若いながらも優秀な傭兵、「マリア」の名前が巷に囁かれるようになる。
そして彼女が10年ほど後に、王国の幼い王子を助け、その為に宮廷の陰謀劇に巻き込まれることになるのはまた別の話である。




