うそつき鏡さん
むかしむかしあるところに、うそつきな鏡がありました。どれだけうそつきかというと…。
「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ?」
「それはもちろん、魔女様でございます」
と、こんな具合です。元々は森深くに住む魔女の持ち物でしたが、あるとき魔女は鏡を手放してしまいました。それから、鏡はずいぶんと長い旅をして、とある街へと移されました。しかし、うそつきな鏡はのぞきこむ人に「うそ」を映してみせるので、持ち主はみな鏡を嫌いになってしまいました。
たとえば…。
「鏡よ鏡、今日は髭のそり残しはないかい?」
「もちろんですよだんな様。さあいってらっしゃい」
ところが、鏡はうそつきだったので、本当は持ち主は髭をそっていなかったのです。おかげでこのご主人は、大切なお仕事でさんざんな目にあいました。こんな具合だったから、誰も鏡を引き受けようとはせず、とうとう街外れのゴミ捨て場の入り口あたりに立てかけられて、そのままになってしまいました。ゴミ捨て場で鏡をのぞきこむものと言えば、野良猫とかカラスとか、たまに掃除のおじさんがやってくるくらいでした。
その夜、うそつきな鏡は眠れずに、じっとゴミ捨て場の入り口で考えました。
僕はまだ、古くなった訳じゃない。どこも壊れていないし、何も映せなくなったわけじゃない。だけど、僕には「うそ」しか映せない。僕を本当に必要としてくれる人が、まだこの街にいるかどうかも分からない。
僕をのぞきこむ人が誰もいなくなったら、大人しくゴミ捨て場の中に行こう。
そう決心し、鏡はようやく眠りにつきました。
次の日。鏡が居眠りをしていると、目の前に大きなクマのぬいぐるみが捨てられました。クマのぬいぐるみはくたびれた顔をして鏡を見上げると、弱弱しく笑いかけました。
「やあ、鏡さん」
「あなたは、クマのぬいぐるみさん。ゴミ捨て場なんかに、なんの用です?」
鏡がそうたずねると、クマは困ったように目を落としました。カランカラン、とビーズで出来た目がコンクリートの地面に転がり音を立てました。
「それがね、どうやらワシの持ち主は、もうワシのことを必要としていないらしい」
「まさか。そんなことはないでしょう」
「あるんだ。みてくれ、ワシの身体を。糸は解れ、腕はもげかけ、背中から綿が飛び出してきておる。それになにより、ワシの持ち主はもう、年をとってしまったんだ」
クマはさびしげにつぶやきました。
「こんなぼろぼろのぬいぐるみより、スポーツとか、ビデオゲームに夢中になるのもいたし方がない。あの子はそのうち、ワシのことなど忘れてしまうじゃろう」
「いいえ。きっと思い出しますよ。いつの日か、あなたのことを迎えに来て、両腕いっぱいに抱きしめてくれることでしょう」
「はっはっは。最後にとっておきのうそをありがとう」
ぼろぼろのクマはそういうと、ゴミ捨て場の中へと歩いていきました。
また次の日。鏡が居眠りをしていると、目の前に折れた傘が捨てられました。
「やあ、鏡さん」
折れた傘は、水をしたたらせながら鏡に笑いかけました。
「あなたは、傘さんじゃあありませんか。ゴミ捨て場なんかに、なんの用です?」
「みての通りさ。俺はもう、折れてしまったんだ」
傘はそういうと、折れた両腕を広げて見せました。ところどころ大きく穴の開いたビニールから、向こうの風景が見えかくれしていました。
「折れた傘で、俺の持ち主は一体何をするっていうんだい? 一度折れてしまったものは、もう二度と役には立たないのさ」
「そんなことありません。折れたということは、元々は折れていなかったということでしょう? ほんの少し手直しさえすれば、あなたはまだまだ誰かのお役に立てますよ」
「そんなテマヒマかけるくらいなら、みんな新しいのを買いなおすさ。じゃあな、ありがとよ」
そういうと、穴だらけの傘はゴミ捨て場へと転がっていきました。
またその次の日。鏡が居眠りをしていると、目の前に古びた靴が捨てられました。
「やあ、鏡さん」
「あなたは、靴さんじゃありませんか。ゴミ捨て場なんかに、何の用です?」
「捨てられたのよ。もう古くなったから」
ひものほどけた靴は、今にも千切れてしまいそうな靴底を辛うじてその身体にくっつけていました。
「底の抜けた靴じゃ、まともに道も歩けはしないもの。私に使い道なんて残されてないわ」
「いいえ。あなたの靴跡が、今まで歩いてきたあぜ道にちゃんと残っているでしょう? あなたは今からここまで来る人の、道しるべになるんですよ」
「靴として生まれてきた以上、私は靴として最後を迎えたいわ。じゃあ鏡さん、お元気で」
そういうと、靴はゴミ捨て場へと足跡を残して去っていきました。
またその次の日。鏡が居眠りをしていると、今度はレンズの割れた望遠鏡が捨てられました。
「やあ、鏡さん」
「あなたは、望遠鏡さんじゃあありませんか。ゴミ捨て場なんかに、何の用です?」
「処分されたんだ」
鏡が見ると、望遠鏡はひどく色あせていて、ところどころさび付いていました。
「もう土星のわっかも、月のうさぎも、僕には映すことができない。レンズにヒビが入ってね」
「きっとどんな新しい望遠鏡にも、あなたが映した最初の景色以上のものは見せられないでしょうね。あなたのご主人様の瞳の中の記憶には、一生ヒビは入らないでしょうから…」
「それは僕の誇りだよ。ありがとう、さようなら」
そういうと、望遠鏡はゴミ捨て場へと進んでいきました。
また次の日。鏡が居眠りしていると、目の前に見知らぬ女の子が座り込んでしました。女の子はなにやら浮かない表情を浮かべ、ぼんやりと鏡をのぞきこんでいました。
「はぁ…」
「どうしたんですか?」
「自信がないの…」
鏡がたずねると、女の子は深いため息をつきました。
「今日のピアノの発表会。もしかしたらうまくいかないんじゃないかって…」
「大丈夫ですよ。あなたの自信なら、ぼくがもってます」
「本当?」
しかめっ面で映る女の子の顔を、鏡はぱあっと笑顔に変えて表面に映しました。女の子は驚いたようにほほ笑みました。
「…ありがとう。わたしもういかなきゃ」
「いってらっしゃい。また自信がなくなったら、鏡をのぞきにきてくださいね」
立ち上がりかけていく女の子を、鏡もほほ笑んで見送りました。
そして、何日もたったある日のこと。鏡が居眠りをしていると、とうとうそのまま誰にも起こされることなく、朝を迎えてしまいました。これまでいっしょうけんめい「うそ」をついてきた鏡でしたが、それも今日が最後になりました。気がつくといつの間にか外に野ざらしにされていた鏡は、ところどころヒビが入っていました。ヒビ割れた鏡はゆっくりと、ゴミ捨て場に向かいました。
ゴミ捨て場の中に入ると、受付に一人のおじさんが立っていました。鏡は受付のおじさんに笑いかけました。
「やあ、おじさん」
「あなたは…うそつき鏡さんじゃありませんか。ゴミ捨て場なんかに、何の用です?」
「処分されようと思いまして。もう私を必要としている人は、いなくなったようですから」
「はて…どうしてそんなことが言えるんです? あなたは入り口で、ここに捨てられたみんなを必死に励ましてきた。きっとまだ、あなたを必要としてくれる誰かがやってきますよ」
おじさんの言葉に、鏡はうなだれました。
「励ますだなんて。僕はただ、うそをついていただけです」
「あなたのうそが、どんな本当よりも彼らを勇気付けたんですよ」
「だと、いいですけど…おじさん、ありがとう」
最後の最後に、鏡はうそをつきませんでした。これで、うそつきとしての鏡の役目も終わりのようです。それから鏡は、ゴミ捨て場の奥で静かに横たわりました。やがて、鏡がうとうとと眠りにつこうとしていると…目の前にまた何かが、どさりと捨て去られました。
「やあ、鏡さん」
「やあ…こんばんは。あなたは…」