ツキアイ
塩です。
迷走してます。
「じゃあ、文化祭の出し物は喫茶店で決定」
委員長が多数決の結果を告げる。歓声が上がり、拍手が巻き起こった。うるさいなと窓際、最後尾の僕は息を吐き出した。
くだらないと思う。学校行事でしかない文化祭に騒ぐクラスメートも、団結した姿に笑みを浮かべる担任教師も。
こんなんじゃ歓声を上げるほど興奮は出来ない。もっと刺激がないと僕は楽しめない。
一ヶ月先の文化祭にため息を溢して、僕は黒板から目を逸らした。
楽しそうに肩を揺らすクラスメートを見渡す。その中でこちらを向く女子生徒と目が合った。廊下側の列、後ろから三番目の星宮美雪だ。彼女は眉を隠す前髪の向こうで静かに微笑んだ。
「じゃあ、次は班を決めるよ」
委員長のかけ声に書記がチョークを走らせる。内装班、飲食班、接客班、衣装班、チラシ班。委員長は作業を説明しながらクラスメートを割り振っていく。希望を聞いて、定員以上ならじゃんけんをさせる。
「じゃあ、次、チラシ班。キャッチフレーズとか考えてもらうよ」
その言葉に衣装班に決まった岡本が「はいはいはい」と手を挙げる。
「頭を使うのなら前期末テストで学内一位を取った篠原にやってもらおうぜ。知的なもの考えてくれそう」
僕の名前を添えた無責任な言葉に笑い声が上がった。大きく息を吐き出す。
この学校ではテストの成績優秀者五名を廊下に張り出すことになっている。岡本はそれを見て言ったのだろう。
「どうかな、篠原くん」
そう問いかけてくる委員長に僕は頷いて応えた。
「じゃあ、もう一人ぐらいチラシ班が欲しいんだけど。誰か希望者はいない?」
委員長がクラスを見渡して言う。廊下側の席から手が挙がった。
「私やります」
凛とした声に委員長は頷いて、書記がチラシ係の下に決定と書き込んだ。教室の後ろからじゃんけんのかけ声が響いた。
「うおおお、負けたー」
山田の野太い叫びに笑いが広がる。僕は吐息を溢して窓の外に目を向けた。
日が落ち辺りが暗くなる頃、クラスメート全員の班が決まった。拍手が止むのを確認して鞄に手を伸ばす。
「篠原くん」
凛とした声に振り返る。大きな目を柔和に曲げて笑う星宮がいた。
「同じ班になったね。これからよろしく」
丁寧に話しかけてきた星宮に僕もよろしくと答える。彼女は嬉しそうに腰まで伸びた黒髪を揺らした。
「あ、それだけだから。ごめんね、邪魔しちゃって」
笑いが収まると彼女はそう言って自分の席に戻っていった。今度こそ帰ろうと、鞄を取って立ち上がると、泣きまねをした岡本が近づいてきた。
「な、なんでこのひねくれた篠原と星宮さんが同じ班なんだよ。羨ましい」
回りの男子も賛同するように頷く。大きく息を吐いてから言葉を紡いだ。
「羨ましいって?」
「彼女、美人だろうが」
くだらない理由だった。
「星宮さんは頭が良いし、気立ても良いし、美人だろう。だいたいの男子はお近づきになりたいって思っているんだよ」
岡本は「ちくしょう」と叫んだ。
「星宮さん、手芸部に入ってて、四月の自己紹介でも服を作るのは好きだって言ってたんだよ。だから衣装班にくると思って手を挙げたのに。俺、針の穴に糸通せないのに。なんでチラシ班なんだよ」
岡本が嘆く。星宮のことはよく知らないけれど、岡本の言うとおりなら確かに変だと思う。
クラスで人気者の不自然な立候補。奇妙な謎はどことなく魅力的に見えた。
「恋する喫茶店だって、篠原くん」
星宮が机に置いた紙を見て苦笑を漏らす。肘をついて目を細めていた。
話し合いで喫茶店のコンセプトは『恋する喫茶店』に決まった。何を示したいのかも分からない、つまらないテーマだ。
それを元に班はそれぞれ動き出している。内装班は華やかな道具を話し合い、衣装班はフリルの量を相談している。
星宮は「うーん」と唸った後、持っていたシャーペンを机に置いた。
「こういうのってひらめきだと思うの。だからうんうん唸っていてもどうしようもないんじゃない?」
自ら立候補したには消極的な姿勢だと思う。
「はあ、俺がスカートはくの?」
衣装班から大きな声が上がった。目を向けると岡本が大げさな動きで抗議の意を示している。クラスが騒がしくなる。
くだらないと顔を戻すと、星宮さんは肘をつきながら笑っていた。僕はため息を溢す。
クラスがゆっくりと落ち着いていき、僕は口を開いた。
「コンセプトって結構難しいんだね」
苦笑しながら言うと、星宮は頬に添えていた手を下ろして「そうだね」と笑った。
「でも他の班よりは楽だと思うよ。何か作ったり、管理したり、大変そう」
彼女の笑顔を見て岡本の嘆きを思い出した。
星宮は自ら立候補したにも関わらず積極的にやろうとはしない。さらにチラシ班は楽そうだとも思っている。
その二つを結びつけて、僕は静かに笑った。彼女は文化祭で楽をしたいだけなんじゃないか。
クラスメートがまた騒がしくなる。肘をついて他の班に目を向けた星宮を眺める。
美人で性格が良い人気者が文化祭で楽をしたがっている。
その奇妙なギャップに刺激的な香りがした。
『恋する喫茶店』の文字をなぞる。内装班はピンクや水色の布を買い、衣装班はミシンを動かし始めていた。
「そろそろ決めないとまずいよね」
星宮が肘をつきながら黒板横のカレンダーを見る。文化祭まであと二週間。そろそろ決めたいところだ。
僕が息を吐き出すと、星宮はちらりとこちらを見ていたずらっぽく笑った。白く細い手は机の下に消えていく。
「ねえ、篠原くんって恋人いる?」
脈絡のない質問に首を捻る。
「いないよ。なんで」
「なんだいないんだ。参考になれば良いと思ったのに」
星宮はコンセプトの恋という文字に目を落とす。
「じゃあ、恋ってなんだと思う」
「さあ?」
漠然としすぎていて分からない。彼女は頬を膨らませた。
「もう、決めなきゃいけないんだからちょっとは考えてよ。……じゃあ、篠原くんが恋をするとしたらどんなとき?」
名指しで言われてはぐらかすのをやめる。深く息を吐き出した。
「うーん、よく分からないけど、価値観が合うなって思った時じゃない?」
少なくともそんな人はクラスメートにはいない。変な噂話の題材にならないよう言葉を選びながら答える。星宮は嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、そういう方向で考えてみようか」
正直、どうでもいいとため息を溢した。
「できたー」
完成したチラシの束を星宮は机の上に置いた。翌日の文化祭に向けて教室を飾っていたクラスメートが歓声を上げる。僕は息を吐き出した。
チラシが出来ただけで騒ぐクラスメートに嫌気がさし、絡んでくる岡本や山田をあしらって廊下に出る。教室から一歩離れてため息を溢した。
「篠原くん、お疲れ」
振り返ると星宮が笑顔を浮かべて立っていた。その表情に彼女の刺激的な秘密を思い出す。
「お疲れ。ところで星宮さん、手芸部の君がなんでチラシ班に立候補したの?」
普段は隠している本性を覗かせて彼女に問う。クラスの人気者を暴く少し危険で刺激的ないたずらだ。楽をして文化祭を楽しみたかったから。そんな風に答えるだろうと高を括って彼女に笑いかける。或いは困ったように笑って答えられないと言うかも知れない。
彼女はジッと僕を見つめる。そして口の端を上げて嬉しそうに笑った。
「篠原くんがため息ばかり”ついて”いたから」
予想もしない言葉と笑顔に思考が止まる。星宮は目に強い光をたたえて言葉を続けた。
「私、楽しいってあんまり思えないの。中学に入ったとき、女子に無視されて、男子には嫌らしい視線を向けられて、嫌だった。そして気づいたら誰にも共感できなくなってたの」
教室で笑い声が響く。壁越しのその声に星宮は白く美しい顔をゆがめた。
そういえばと僕は思い出す。彼女は皆が楽しそうにしている時、いつも肘を”ついて”いた。
「高校に入ってもそれは変わらなくて、私は一人なんだって落ち込んだな。それでもなんとか誤魔化してみんなと接してた。違和感は消えないけど、それを隠せばなんとかなるからね」
彼女はからからと笑った。その楽しそうな姿になぜか背筋が冷えていく。
「篠原くんに興味を持ったのは期末テストが終わった後、学年一位を取ったと知ってから。すごいなと思ったの。でも篠原くんは褒めてくれるクラスメートの前では笑うけど、みんながいなくなったら窓の外を見てため息をついてた」
彼女の目が細くなった。その鋭い視線は真っ直ぐ僕を突き刺す。
「その姿が気になって目で追っていたの。そしたらみんなが騒いでいるときもため息ばかり。ああ、この人も私とおなじなんだなって」
最初の文化祭の話し合いのとき、彼女と目が合ったことを思い出した。
僕の想定していた彼女とはまったく違う姿の星宮にため息がこぼれる。くだらないのは僕自身だったのだと思い至った。
「そう思ったらいてもたってもいられなくて立候補したの。でも篠原くんは私を見下してばかりだったよね」
そうでしょうと星宮は静かに問う。僕は頬が熱くなるのを感じて顔を背けた。
彼女の行動を勝手に決めつけて、バカにしていた。けれど彼女は僕に興味を持って僕の行動を見て、この傲慢な本心に気づけたのだ。
僕よりも彼女の方が何枚も上手だ。
それは膝をつきそうなほど屈辱的で、刺激的な事実だった。
「ねえ、篠原くん。言ったよね」
星宮の声色が変わる。甘い陰りをさした蠱惑的な響き。ぞっと鳥肌が立った。
軋むような感覚とともに顔を向けると、星宮は艶やかな笑みを浮かべていた。教室の笑い声が遠のく。
絡め取られる、そんな錯覚を抱いた。けれど今の僕には目を背けられない。
彼女の口がつり上がる。その冷酷な笑顔に体の芯が熱くなった。
「恋をするのは価値観が合ったときだって」
理性がこれ以上は危険だと告げてくる。けれど手足はしびれ、呼吸もままならい。
ああ、もうダメなのだ。
美しく残忍な笑みを浮かべた星宮を見つめる。絡め取られた心は鈍い痛みを発し、甘い刺激に脳がしびれる。
僕はもうこの魅力的な刺激に抗えない。
「私と篠原くんって似ていると思わない?」
甘美なセリフに体が震える。目の奥で火花が散り思考が止まった。
もうダメなのだ。
僕はもうどうしようもなく彼女に惹かれている。
星宮は妖艶な笑みを浮かべたまま、すうっと手を上げる。ブラウスから伸びる、白く細い指に視線を奪われた。
僕は震える手を伸ばして彼女の指に触れる。甘いしびれと、柔らかく冷たい彼女の感触が指先から広がった。
そんな僕を眺めて、女はめまいがしてしまうほど残酷で美しい笑みを浮かべた。
三日間の文化祭を終えて、校庭では後夜祭が行われていた。照明に照らされた生徒会長が成功を報告し、生徒が歓声を上げる。
その姿にもうくだらないとは思わない。彼らは彼らの価値観で楽しんでいるのだ。
合わない人から一歩引くことを覚えた僕は後夜祭に参加せず星宮と教室にいる。
「楽しそうだね」
「行きたければ行けば良いじゃん」
星宮は冷たく言い放つ。そんなことをしないのは星宮自身がよくわかっていることだろう。
軽く笑って星宮に目を向ける。隣に座っている彼女は熱っぽい目で僕を見つめていた。
そこに含まれている要求に顔が赤くなる。けれど彼女はゆっくり目を閉じてわずかに顎を上げた。鼓動が早くなるのを感じながら彼女の手に手を重ねる。
「意気地なし」
目を開けて星宮は頬を膨らませた。「ここは学校だから」と僕は小声で言い訳をする。彼女は大きく息を吐いた。
「じゃあ、意気地なしの篠原くんには良いこと教えてあげる」
甘いしびれを感じて彼女を眺める。
「クラスで人気者の後ろめたい動機。とても魅力的な題材ね」
僕が真っ直ぐ見つめていることを確認した星宮はくらっとしていしまいそうな残酷な笑みを浮かべた。
「じゃあ篠原くんがそれに気づいたのはどうして?」
それは星宮の態度と言葉から。突風に吹かれたように鳥肌が広がった。
僕は初めから彼女の手の上で踊らされていたのだ。
「あー、もう。ほんと星宮はっ!」
頭をかきむしりながら叫ぶ。彼女は静かに笑った。
隣にいる彼女を今すぐ抱き寄せてキスしたい衝動に駆られる。けれど一度チャンスを逃した僕を彼女は許さないだろう。
僕が暴いた本性は僕に扱える代物ではなかった。魅力的で刺激的な彼女にはやっぱりかなわない。その姿にどうしようもなく惹かれてしまう。
頭をかきむしりながら「あー」と叫ぶ。星宮の甘い笑い声が教室に響いた。