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Lovestory in Railways

君のために、生きる。

作者: 秋葉隆介

明らかにそれとわかる不倫の描写があります。

許せない方は、ページを閉じて下さい。

 君は今日も眠り続ける。


 何の不安もないような安らかな顔で。


 僕は君の寝顔を見つめ続ける。


 君の笑顔を取り戻す日まで。




 ‘それ’は突然訪れた。

 ある晴れた春の日の午後に、着信を告げた僕の携帯電話。電話の相手が話す言葉は、とても信じることができない内容だった。

「奥様が交通事故にあわれました。つきましては高月市の高月市立病院まで……」

「……」

 絶句した僕に、電話の相手が強い口調で問いかける。

「もしもしっ、聞いてらっしゃいますか!?」

 その声で我に返った僕。

「あ、ああ…… すみません」

「高月市立病院まですぐにお越しください。詳しいお話はそちらで……」

 徐々に思考が働き始めた僕は、あることに思いが及ぶ。

「妻は、妻は大丈夫なんですか!?」

 突然取り乱した声を上げる僕に、電話の相手が嗜めるように声をかけてきた。

「私の口からは何とも…… とにかく急いでお越し下さい」

「わかりました」

 僕のその返事で電話越しの会話が終わり、顔を上げたときに同僚たちの視線が僕に集まっていることに気がついた。課長のデスクの方に目をやると、いつもにが虫を噛み潰したような顔をした人が、珍しく労わりの表情を浮かべていた。

 僕は立ち上がり、課長のデスクに歩み寄った。すると課長が、

「何かあったのか?」

 と声をかけてくれた。ぼくは即座にありのままを話すことにした。

「妻が地元で交通事故にあいました」

 僕の言葉でオフィス内がざわつく。目の前の課長も驚きを隠せない様子だった。いずれにも構うことなく、僕は話を続けた。

「今の電話は運ばれたらしい病院からの連絡です。すぐに来て欲しいと」

「わかった、すぐに行ってあげなさい」

 即座に答えが返ってきて驚きの表情をしていた僕に、課長が苦笑いをして答える。

「お前たちは、俺を鬼か何かと勘違いしてるのか? 一応人並みに優しさなんかも持ち合わせているつもりなんだが」

「すみません」

「まあいい。こんな下らないやり取りしている時間も惜しいだろうが。早く行ってあげなさい。後のことは心配しなくていい。良く看てあげなさい」

 意外な人の意外な優しさに触れ、僕は素直に頭を下げた。

「ありがとうございます!」

 そう言うと僕は、自分のデスクに戻り身支度を整えると、小走りにオフィスを出た。


 その時だった。

「柏木君!」

 急ぎ足の僕を後ろから呼び止める厄介な人物の声。同期の女子社員、高木優子だった。

「気をしっかり持ってね。わたしも祈ってるから」

 心にもないことをさらっと言ってのける、そのふてぶてしさにイラつきながらも、口からはお礼の言葉がサラリと出てくるのが不思議だった。

「ありがとう」

 振り返ることなく抑揚のない口調で放たれたその言葉の意味が、彼女に伝わればいいと念じて、僕はすがる彼女の両手を振り払うと、会社の玄関を飛び出しちょうど通りかかったタクシーに手を上げた。

 乗り込んだタクシーの運転手に行き先を告げる。

「高月市立病院までお願いします」

 運転手は無言で頷きドアを閉めた。タクシーは逸る心を抑えられない僕を乗せ、目指す場所へと走り始めた。




 白亜の巨大な建造物の車寄せに、僕の乗ったタクシーが滑り込んだ。告げられた金額に財布から数枚の紙幣を抜き出して運転手に手渡し、釣銭がいらない事を伝えて僕は病院の玄関へと駆け出した。

 総合受付の前に立ち、僕は息せき切って妻の名前を告げる。

「美咲はっ、柏木美咲はどこにいますかっ!」

「少しお待ち下さい」

 表情こそにこやかだが明らかに困惑したような担当者は、インターフォンを操作して彼女の居所を確認しているようだ。僕はじりじりしながら待った。

「お待たせいたしました」

 担当者の声を聞き、僕は弾かれるようにその人の顔を見た。

「ご主人様の柏木泰輔様ですか?」

「はい」

「奥様は3階のICUにいらっしゃいます。右手のエレベータで……」


 ……ICUだって?


 予想していたよりもはるかに深刻な事態に、僕は呆然としてしまったようだ。

「柏木様?」

 担当者に声をかけられ我に返った僕は、その人に一礼をしてエレベータに向け駆け出した。


 とてもゆっくりと動いているように感じるエレベータにジリジリしながら、僕は回数表示のランプを見つめていた。『3』のランプが点灯し、ポーンと軽快な音を立ててエレベータが3階への到着を告げる。扉が開くのを待ちきれず、僕は身体を捩りながらエレベータの外に出た。

 ICUのナースステーションは、とても緊迫した雰囲気に包まれていた。忙しく動き回るスタッフに気後れしながらも、僕は一人を呼び止めると妻の名前を告げた。

「柏木美咲はこちらにいますか?」

「柏木様? ご主人様ですね? お待ちしておりました」

 待っていた? そんなに急を要することなのか? 僕は不安に押し潰されそうになりながらも、指定された院内着に着替えると、隔離された病室内に入った。

 そこには、たくさんのチューブやケーブルが繋がれ、青白い顔をした妻がベッドの上に横たわっていた。一つ救いだったのは、妻には目立った外傷が無く安らかに眠っている様子だったことだ。

「ご主人様ですね? 私、担当の伊東と申します」

 年若い様子だが怜悧な雰囲気を漂わせた男性の医師が、僕に近寄り声をかけた。僕は反射的に頭を下げると「お願いします」と彼に挨拶をした。

「奥様の状況のご説明をしてもよろしいですか?」

 ずっと落ち着かない様子でいた僕に、伊東、と名乗った医師は遠慮がちに口を開いた。僕が黙って頷くと、彼は一つ咳払いをして僕のほうに向き直った。

「それではご説明申し上げます」

 そこで言葉を切り僕を見つめた医師に、僕はまっすぐ視線を返した。

「良いお知らせと悪いお知らせがありますので、まず良いことから申し上げますね」

 僕は首肯し、彼に先を促した。

「ご覧のとおり、奥様には目立った外傷がなく、身体の機能にも大きな問題はないようです。生命維持をつかさどる脳幹の部分も全く問題が見られませんので、一命は取り留められた、とは言えると思います。ただ……」

 また僕の様子を伺うように、彼が僕の視線に自分の視線を合わせた。その瞳に宿した険しい光に、僕はただならぬものを感じた。

「大脳の一部分に深刻な出血が見られ、このまま行くと奥様は意識を取り戻されることが非常に難しい状態です。このまま目を覚まされない事態も十分に考えられるということです。それが悪いお知らせです」

 言いにくいことをはっきりと伝えようという真摯な医師の態度に、僕は大いに好感を持ったのだが、あまりに衝撃的な内容に、僕は言葉を発することが出来ずにいた。


 これは、現実?


 僕は何かに問いかけずにはいられなかった。世の中のすべてが暗転したように感じていた。朝まで僕の隣で微笑んでいた美咲が、目を覚ますことがないなんて、とても受け入れがたい現実だった。

「奇跡を…… 信じましょう」

 そう言って微笑みかけてくれた伊東医師に何とかお礼の言葉を返し、なす術のない僕は病院を後にしたのだった。




 会社に電話を入れて課長に状況を報告し、僕はそのまま直帰することを告げ、僕は駅のベンチにへたり込んだ。課長は落ち着くまで休みを取るよう勧めてくれたが、僕はそれに生返事で返してしまったことを改めて思い出し、深いため息をついた僕は何もかも嫌になって頭を抱え込んだ。

 その時、マナーモードにしていた僕の携帯が、バイブを震わせ着信を告げた。ディスプレイに表示されていたのは、あの厄介な人の名前だった。そのまま無視してしまおうかと思ったんだけど、誰でもいいから縋りたいと考えていた僕はその電話に出てしまったんだ。

「泰輔?」

 その呼び方は、僕と彼女が二人きりでいる時のものだった。

 そう、彼女、高木優子と僕とは、ただならぬ関係を続けていた。美咲と優子、そして僕は同期入社で、新人研修で同じ班だったことから急速に親しくなって、仕事が終わった後も一緒に遊びに行ったりするようになった。おとなしい美咲とは違い、すべてに派手で性にも奔放な優子とは、すぐに身体を重ねる関係になった。その関係は美咲と結婚してからも続いていて、最近ではそのことを隠そうともしない彼女の言動に、僕は手を焼き始めていた。

 厄介だとさえ思っている人間にでも縋りたい心境に、その時陥ってしまっていた僕は、偽りの甘さに満ちた彼女の声に、心地よささえ感じていたんだ。

「大丈夫? 泰輔……」

「心配かけて、悪いな」

「ううん、いいの。わたしに気を使わないで」

 甘く優しい優子の声は、暗闇に包まれたような僕の心に暖かな光を注いだ。

「泰輔が落ち込んでいないか心配でさ、まだ帰り道なんだけど電話しちゃった」

 快活な優子の声を聞いているうちに、強烈な人恋しさに襲われた僕は、彼女の誘いにあっさりと乗ってしまって、気がつけばベッドの上で彼女と抱き合っていた。


 激しい行為が終わり少し冷静になった僕は、こんな時に何をやっているんだ、という自己嫌悪に陥り、寝返りを打って優子に背を向けた。

「ねえ……」

 背を向けた僕の身体に、優子は尚も腕を絡ませてくる。

「こっち向いてよ……」

「何だよ……」

 そう返事して優子の方に向き直ると、彼女は妖艶な微笑を湛えていた。僕の下半身に伸びてくる彼女の手を払いながら、僕は不機嫌な声で問いかける。

「何か言いたいことがあるんじゃないの?」

 その問いに対する彼女の答えは、僕を立腹させるのに十分なものだった。

「わたしと一緒に暮らしましょうよ?」

 

 ……何言ってんだ、コイツ。


「美咲はもう帰ってこないんでしょ? だったらさ……」

 優子はそう言って、僕の目を見つめた。

「美咲のことはほっといて、わたしと楽しく暮らしましょ? ねっ?」

 その一言が、僕の感情を沸騰させた。僕は跳ねるように起き上がると、シャワーも浴びずに手早く衣服を身に着けた。そう、自分が演じた失態に、早くケリをつけたい気持ちでいっぱいだったんだ。

 豹変した僕の態度に驚いた優子は、縋るように腕を伸ばしてきた。それを汚らわしいようなものに感じた僕は、反射的にその腕をはたき落としていた。

「痛いっ! 何すんのよっ!」

 金切り声を上げる優子を睨みつけ、僕は捨て台詞を吐いた。

「その無神経さが、俺がお前を選ばなかった理由なんだよ。わかるか?」

「何よ。今までさんざん好きなように抱いてたくせに、良く言うわ!」

 痛いところを衝かれて言葉が詰まったけど、その時僕は、もう優子に嫌悪感しか抱いていなかった。

「お前を『捌け口』にしてきたことは謝る。けどな、最初からお前には気持ちはなかったんだ」

「何でよっ……!」

 さめざめと涙を流す優子にも、僕は心を動かすことはなかった。

「俺の心の中にはな、ずっと美咲しかいなかったんだ」

 自分に確認するように言い残すと、僕は玄関のドアに向かった。何事か恨み言を叫んでいる優子の耳障りな声も、もう僕の耳には届かなかった。

 優子との関係を断ち切るようにドアを荒々しく閉じると、僕は振り返ることなく自宅への道を歩き始めた。


 自宅へ何とかたどり着き、何もする気が起きず着替えもせずにソファーにへたり込む。

 真っ暗な部屋の中で呆然としている僕の耳に、規則正しい音が飛び込んで来た。


 カタンコトン…… 

 カタンコトン……


 高架の上を走る電車の音だった。窓の外を見やると、光の帯を残しながら電車が通過していく。


『わたしね、この音好きだなぁ』


 電車の騒音が気になると文句を言う僕に、美咲は綺麗に笑ってそう言ったんだ。

『リズムを刻んでるみたいで楽しいじゃない? 何だか元気になれるような気がするんだ』

 そう言って微笑む美咲の顔を、僕は思い出していた。

 刹那、頬を涙が伝う。


 何でだよ……


喪失感と絶望感で打ちひしがれる僕の耳に、美咲の声が響く。


『もう一度頑張ってみよう』


 それは彼女の口癖だった。すぐに諦めてしまう僕に、諭すように励ますように語りかける美咲。その顔はいつも笑顔だった。それを思い出し、僕は美咲に答えを返す。

「わかったよ、美咲。俺、頑張ってみるから」

 いつの間にか涙は止まっていた。そして鏡に映る僕の双眸には、強い光が宿っていた。




 翌朝。


 僕はしばらく休暇を取ることを会社に告げ、美咲が眠っている病室に向かった。

 本当に安らかに眠っているようにしか見えない美咲は、声をかけたらびっくりしたように目を覚ますんじゃないかと思えるほどだった。でも現実にはそれは僕の願望でしかなく、彼女の声を聞くことも、笑顔を見ることも不可能に近いのだ。それでも……


 美咲を、愛している


 それが昨日僕が出した答えだった。


 僕が、見守るから

 僕が、支えるから


 そう決心した、昨日の夜。

 

 


 奇跡が起こることを諦めず……


 僕は君のために、生きる。

◎Railwaysシリーズ、第11弾をお贈りします。


この作品は最初から前後編を意識して書きはじめたもので、なかなかストーリーが浮かんでこずに苦しみました。

僕は基本的に自分の体験や願望を下敷きにストーリーを練っていくことが多く、この作品のように、自身が未体験の状況で主人公の気持ちを全部想像していく作業は、正直かなりの困難を伴いました。

大変に不細工な作品になってしまったと感じていますが、完成を見たものとして上梓させていただきます。

お楽しみいただければ幸いです。

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