龍組
そうやって1カ月が過ぎた頃、明人も神の生活というものに慣れて来た。
母は最初、かなり神経質になっていたが、月の宮はほとんどが人の世から神の世へ来た者ばかり、しかも、その配偶者が人である者も、配偶者を連れて来ることを許された地であったので、少なからず人も居り、すぐに近所の主婦たちとも仲良くなった。
ほとんどの女は宮へ侍女として仕えていたので、母も宮へ出るようになっていた。そうしたほうが、家に流される電力も多くなるので、家電を使うにも便利であったのだ。昼間の仕事ではあったが、シフトで夜に宮へ残ることもある。だが、母は人の世に居た頃より、数段生き生きとしていた。まだ食べることを諦められない明人の為に、食物もよく持って帰って来てくれた。宮へ使える侍女は、そういった軽い願いも良く聞いてもらえたのだ。
明人は、龍のクラスに編入することになった。その時点で龍は4人、明人を入れて5人になった。
涼について教室へ入って行くと、設えが宮の中のようになった部屋に、4人が座っていた。明人は幾分緊張した…皆、龍なのだ。だが、見た目は自分と同じ人の形で、それぞれ目の色は違うものの、人の学校に居た頃と何ら変わりはないような感じだった。
「おはよう。今日は以前からお話ししていたように、新しいクラスメイトを紹介するわ。」と、明人を見た。「明人よ。ご両親が共に龍。最近まで人の世の高校生だったわ。18歳よ…でも、見た目は人に合わせてあるのだとお父様は言っていたわ。」
明人は衝撃を覚えた。それって、龍の18歳はこの姿でないってことか?確かにそれは習ったが、自分は特別なのだと思っていた。では、習った通り、自分の本当の姿は、もしかして子供…?
涼が苛立たしげに明人を突いた。
「ほら、自己紹介して。」
明人は、ハッとして慌てて皆に向き合った。
「明人です。父は信明、軍に所属しています。やっと神の世を認識したばかりなので、よろしく。」
4人は軽く頭を下げた。神の世では、余計なことは公式の場ではあまり言わないと聞いた。きっと、皆そうなのだ。
涼が言った。
「明人はそこに座って。」と椅子を示す。明人はそこへぎこちなく座った。「では、一人一人自己紹介してくれる?杏樹から。」
言われた女子が頷いた。見た目高校生になったばかりぐらいに見える。目は薄い青色だった。そして、椅子に座ったままこちらを見た。
「杏樹といいます。半神で、母は龍。父は人。家族でこちらへ来て、今で半年になります。私は人の世に居たのは28年、生まれた時からです。母の力で私の見た目を変えておりましたが、今は元の姿で過ごしております。父は宮で会計のお手伝いをしております。よろしくお願い致します。」
ということは、28歳まで人で居たのだ。だが、見た目はどう見ても人のそれではなかった。しかし、今まであった神の女らしく、控えめな感じで話している。明人も控えめに軽く頭を下げた。
「こちらこそ、よろしく。」
隣に座っている、黒髪で真っ青な瞳の男がこちらを見た。こちらは自分と同じぐらいか少し上ぐらいの見た目だった。
「我は慎吾。40歳だ。父は龍、母は知らんが、おそらく人であったのだろう。亡くなったと聞いている。父は龍の宮に仕えておるが、我だけ人の世で人に育てられて来た。なかなかに育たないので、人の世では病だと言われて育ったが、我を育てていた人が亡くなった時に父が迎えに参って、龍だと知った。ここへ来て1年になる…馴染むのに時間が掛かってな。もうあと一週間で軍の士官学校へ移る予定だ。」
明人は頭を下げた。では、この龍は40歳でこの外見で人の世で奇異の目にさらされて過ごしていたのだ。きっと、こんな風に自分が何なのか知らずに生きている神もまだ、何人か居るのだろうな…。
その隣の、どう見ても小学校高学年か中学生ぐらいの男子が口を開いた。髪は黒く、目も茶色くて、今まで馴染んで来た回りの人達に似ているので、親しみが持てる。
「我は玲。18歳だ。きっと同い年だと思う。我は生まれて5歳で人の世に入って、10年ほどで戻ったのだが、人の世に馴染み過ぎていて、龍の宮で居づらくて…両親が見かねてここへ入れてくれたのだ。ここへ来て三カ月になる。両親共に龍で、父は軍神だから、我もきっと、このあと軍士官学校へ入るのだと思う。ただ、父も母も今は龍の宮の方へ仕えている。」
最後は、金髪に赤みがかった茶色の目の、見た目は同い年ぐらいの男だった。
「…我は嘉韻30歳。もうすぐ40になる。父は鳥、母は龍。ほとんど人型の見た目は鳥のそれだが、龍の気が強いので本性に戻ると龍身だ。鳥の宮で育ったが、龍と鳥は相容れないので爪弾きになっておってな。鳥の社会には馴染めなんだ。しかし龍の宮ももっと厳しいと聞いておって、考えあぐねておったところにこちらへ紹介してもらったのだ。ゆえに我は人の世は知らぬ。ここで暮らすには人の世を知らねばならぬので、ここで学んでおるのだ。主らとは逆であるの。よろしく頼む。」
明人は神の重みというものを、この嘉韻から感じ取っていた。
「人の世のことなら、なんでも聞いてもらえたら。」
明人は答えた。嘉韻は微笑した。
「おお、ここには聞く者が多いのでな。我も心強いわ。」
涼は満足げに頷いた。
「では、この間の続きね。この宮での…人の世でいう所の就職先よ。仕える場所。それについて決める前に考えて行きましょう。」と、目の前の黒板に書いた。「大きく分けて宮の政務、軍隊、そして学校。宮の政務の中には、普通の宮と同じ省…他の神達とかとのこととかね…と、月の宮にしかない省もあるの。人の世からの受け入れや、人世からの物資の納入とか、主に人の世と関わることを引き受けている省ね。この中から、神世では自分で決められないけれど、ここでは好きな所へ仕えることが出来るわ…ただ、採用テストがあるの。能力が試されるのよ。それに受かれば、そこで仕えることが出来るわ。それで、今日はその希望を聞こうと思っているのよ。」
涼は皆に二枚ずつ紙を配った。一枚は各場所の簡単な説明。二枚目には空欄があって、第三希望まで書いて出すようにということらしい。
「もう決まっているひとはいいとして、本決まりしていないひとは、ここに書いて出して。それに合わせたカリキュラムを組んで、ここから一か月はその採用テストに向けた勉強をしていくつもりよ。」
明人は驚いた。自分はまだこのクラスに来たばかりなのに。
「でも先生…オレはまだ、ここに来たばっかりなのに。」
涼は笑った。
「あなたはよく頑張ったわよ。テストばっかりの一か月だったでしょう?このクラスはもう終わりなの…ここに入れたかったから、スパルタ授業したのよね。ほんと、根を上げるかと思ったのに。」
涼はほほほと声を立てて笑った。明人は唖然とした。みんなあれぐらい頑張っているんだと思ったから、必死にやったのに…。
そんなことは気にもせず、涼はひとつひとつ丁寧に説明して行った。
この学校には、決められた区切りがない。なのでチャイムも鳴らず、その時々で授業時間は違ったが、終わるのはきっちり5時だった。仕える場所ということだったが、明人は軍神になるのだと思い込んでいたし、まさか自分で選べるとは思っても居なかったので、真剣に悩んでいた。図書室でもう少し考えてから帰ろうと思っていると、玲が話し掛けて来た。
「明人、悩んでるようだな。」
明人は振り返った。どう見ても年下だが同い年なのはこの玲一人。明人は頷いた。
「オレ、親父が軍神だから、自分もそうなるんだと思ってたしな。どうしたもんだろう…他に決めてもいいんだろうか。」
後ろから、嘉韻の声がした。
「良いと思うぞ。」二人は振り返った。「ここは恵まれておるの。我らの宮では、親の職業はそのまま子の職業であって、それに疑問を持つ者はいなかった。能力は遺伝するのでな。それでうまく行くと思うておったのよ。だが、己のしたいことが出来るなら、それに越したことはないであろう。例えば軍神の子であっても、人の命を絶つのは出来ないという者も居るのよ。心を病んでしもうて、見て居ても気の毒であったの。」
明人は驚いた。そうか。神世ではまだ、戦がある。軍隊に入れば、そんなことも起こるのか。それは考えたこともなかった…人として育って、その倫理感の中で生きて来た自分が、いざとなって殺せるのか…。
明人は言った。
「嘉韻は、どこにするんだ?もう決めたのか。」
嘉韻は首を振った。
「我には政治は向かぬ気がするしの。親は軍神であったし、それなりの訓練は受けておるが、我が軍隊と言われてものう…。だが、人の世のことに全く疎い我が、学校やら人の世と関わる省にもどうかと思うしの。悩んでおるところよ。だがな、パソコンは出来るのだ。あれは神であれば誰でもすぐに習得出来る。学校の事務関係などはどうであろうな?」
明人は眉を寄せた。この金髪の体格のいい神様が、事務…。
「なあ、嘉韻、やっぱり嘉韻は甲冑が似合いそうだけど。事務ってイメージ湧かないんだけどなあ…じっと座って何かするの、得意なのか?」
嘉韻は考えた。少しして、首を振った。
「確かにの。我が座りっぱなしで一日など、想像もつかぬな。」
「素直に軍に入れば良いではないか。」横から慎吾が言った。「我など何の訓練も受けておらぬのに、気がやたら強いゆえスカウトされたわ。」とため息を付いた。「仕方がないの。他に取り柄もないゆえ。」
嘉韻は慎吾を見た。
「主は人の世にどっぷり浸かっておったのだろうが。知らぬぞ、そのように安易に決めおって。」と眉を寄せた。「で、スカウトとはなんだ?」
明人は話し方に驚いた。皆それなりに人の世に居たはずなのに、親父が神と話す時の話し方をする。明人はこそっと玲に聞いた。
「なあ、玲。みんなあんな話し方しなきゃならねぇのか?オレ、できるか自信ねぇよ。」
玲は笑った。
「我だってここに来た時は明人みたいな話し方だったんだ。でも、少しずつ神と過ごして、しかも嘉韻が来てからは移ってしまって。慎吾もそうだ…嘉韻と一番仲がいいから、長く共に居るうちにああなった。通じなかったりするんだ…ほら、スカウトみたいにさ。」
見ると、慎吾が必死に嘉韻にスカウトの意味を説明していた。あれでは会話が続かない。友達になったら、確かに面倒だしああなるな。
「そうか…難しいな。」
杏樹がふふと笑った。
「殿方は大変ですわね。私など、少し丁寧に話せば神の世の女と同じように聞こえまするので。」
明人はとぼとぼと歩き出した。
「オレ…ちょっと図書館寄って帰るよ。わからねぇことばっかだ。」
玲が慌てて後に続いた。
「付き合うよ。我でも分かることあるだろうし。」
「我も行くぞ。」慎吾が言った。「軍に来る友が欲しい。こやつはなぜか渋りおる。」
嘉韻が後に続きながら言う。
「何を申す。主は軍のなんたるかを分かっておらぬのだ。」
結局、五人で図書館へと歩いて行ったのだった。




