対面
漠は驚いた。なんと相手が見付かったという。しかも将で、次席軍神の息子。若いながら序列も高く、そして何よりまだ妻は一人も居なかった。
紗羅は、それを聞いて少しホッとしていた。何人も妻の居る神の男に嫁ぐのは、どうしても抵抗があったのだ。後から入るなど、自分も辛いが相手の妻も辛いはず。そんな神の世に、居るしかないとわかっていても、どうしても納得出来ない自分が居たのだ。
龍の軍神であるだという。願わくば、あの日見た軍神であるならば…。
紗羅はしかし、あまり期待はしていなかった。あまりに神の世とかけ離れた考え方で、父ですら自分をもてあまし、早くに手放そうと嫁ぎ先を決めたのだ。あちらも龍なら、きっと困るはず。
紗羅は、嫁ぐ準備が整って行くのを見ながら、ひそかにため息を付いた。
明人は、否応ながら毎日紗羅を迎える準備が進んで行くのを見ていた。
今まで父の屋敷に住んでいればいいからと自分の屋敷はなかったにも関わらず、新しい屋敷を与えられ、宿舎の寝台は大きなものに変わり、屋敷に仕える侍女も召し使いも与えられた。
たくさんの女物の着物が与えられ、屋敷に運び込まれて行く。だが、思えば自分はほとんど宿舎に居るので、屋敷にじっと置いておけば今までの生活が干渉されることはない。それがわかって、少しホッとしていた。
しかし、これからは屋敷にも意識して帰らねばならない。屋敷にも結界を張らねばならない。もしかして、この軍宿舎で泊まるとか言い出すかもしれない。それを考えると、また気が重くなり、思わず知らずため息が漏れるのだった。
明人の両側で、じっと黙って釣糸を垂れていた慎吾と嘉韻が、控えめに言った。
「その…明人。いよいよ明日よの。」
嘉韻の言葉に、慎吾も頷く。
「何はともあれめでたいの。我は人の世から酒を取り寄せてあるゆえ…また祝宴を開こうぞ。」
明人は黙っている。嘉韻がまた言った。
「何でも美しい女だというではないか。王がおっしゃるには妃達の諍いに巻き込まれぬように、物心つくまで人の巫女に育てられたとか。主とは気も合うかもしれぬ。」
「そうよの。」慎吾も話を合わせた。「良く分からぬ神の女を娶るより、よほど良いではないか。」
明人はまたため息を付いた。確かにそうだが。
「…気ぃ使ってくれなくてもいいよ。元々オレが言い出したことでぇ。とにかく、よく話をするさ。顔も知らねぇ女と結婚するなんざ、思ってもみなかったから落ち込んでるだけでぇ。」
嘉韻と慎吾は顔を見合わせた。嘉韻は言った。
「まあの…それは相手も同じであろう。神の世では常識でも、人の世で育ったとなればのう…。ま、お互い様だと思うて、ゆっくりやれば良いわ。」
明人は頷いた。そうだ。こうなったからには仕方がない。とにかくお互い不幸にならないように、考えて行くよりないのだ。
三人は釣ったヒメマスを手に、宿舎へ引き上げて行った。
紗羅は、着飾りさせられて明けた空を眺めていた。
月の宮…まだ見たこともない、大きな宮。月の力を持つ王が統治する、絶対に結界に守られた宮だと言う。父は、そこへ入れば自分は絶対に安全だと言う。その上人の世を解する王の元、他の人の世からの帰還者達に理解されて過ごすことが出来るのだと。
それでも、父が言うほど心安らかな訳ではないだろう。自分は神の世では王族で、相手を勝手に決められて嫁ぐのは当然のことであるのはわかっている。だが、納得出来ない自分もいる…人の世では、お互いに納得して結婚するものなのに。きっと相手のかたも、顔も知らない自分を娶るなんて嫌に決まっている。王に命じられて、仕方なく迎えてくれることになったのであろう。
そう思うと、気が重かった。乞われて行くなら、少しは気も晴れたかもしれないのに…。
侍女の声がした。
「紗羅様。出発の御時刻でございます。王がお待ちでございます。」
紗羅は頷いて、侍女に促されて父の元へ向かった。
父は、紗羅の姿に嬉しそうに目を細めた。
「おお!実に美しいの。主の母によう似ておる。」と紗羅をじっと見た。「これで主は終生なんの憂いもなく暮らして行くことが出来よう。月の宮は龍の宮とも深く繋がる大きな宮。月に守られておるゆえ、陥落するようなことは絶対にない。紗羅、またいつなりと里帰りすると良いぞ。主の夫の顔も、また見せてもらいたいゆえの。」
紗羅は頭を下げた。
「お父様、いろいろとお心砕いて頂きまして、ありがとうございまする。では、行って参ります。」
父は感慨深げに頷いた。
「迎えの者達が外へ参っておる。月の宮へ参るが良い。」
紗羅は大きなベールを侍女達に掛けられて、輿に乗せられ月の宮へと旅立った。
明人は、正装の着物を着せられて、居心地悪げに王と並んで宮の入口に立っていた。もうすぐこちらへ、紗羅が着く。相手は王族ということで、王も共に出迎えるためにここで待っていたのだ。父の信明も、そして嘉韻も慎吾も、そして同僚たちも宿舎の窓からこちらを伺っているのを感じる。
「…来たな。」
結界に掛かったのだろう。蒼がそう言って空を見上げた。すると、空にポツンと現れた迎えに行った軍神達が、見る見る大きくなって来た。背後に輿があり、それに紗羅が乗っているのだと思った明人は、にわかに緊張した。…今日初めて会って、本当に結婚するっていうのかよ。
目の前に降り立った一団は、蒼に向かって膝を付いた。そして軍神の一人が進み出て、輿の入り口の布を開いた。
中には、大きなベールにすっぽりと包まれた女が居た。明人がただ突っ立っていると、蒼が言った。
「これ、手を取って降ろすのは主の役目ぞ。」
そうだったのか。明人は慌てて歩み寄ると、手を差し出した。相手はその手を取って、輿から降りた…大きなベールで全身を隠されているので、中は定かに見えない。そのまま手を引いて蒼の前に進み出ると、蒼は微笑んで言った。
「よう来られた、紗羅殿。漠殿からお聞きしておる。我が王の蒼。月の宮は人の世から来た者が多い場所。心安く過ごせばよい。」
紗羅は驚いて蒼を見た。こんなに若いかたが、こちらの王?でも…確かに大きな気を感じる。これが月の力の波動なのだ。蒼は、自分の手を引く龍を見た。
「そちらが、主の夫となる者。明人だ。軍神でまだ若いが、気が強く既に将である。頼りにすればよい。」
紗羅は明人を見て深々と頭を下げた。
「よろしくお願い致しまする、明人様。」
明人はなんと声を掛けて良いのか分からず、ただ頷いた。蒼はそれを見て苦笑し、踵を返した。
「では、戻る。主らは宿舎なり屋敷なり案内してやるとよい。」
蒼はそのまま奥の間へと立ち去って行った。迎えに行った軍神達も、明人に頭を下げると引き上げて行く…気が付くと、明人は紗羅とついて来たその侍女達と共に、そこに取り残されていた。
明人は慌てて言った。
「では、屋敷のほうへ案内しよう。」
紗羅は顔を伏せたまま頷いた。ベールの中は全く見えないので、明人には表情はうかがえない。とにかく、屋敷に落ち着いて欲しかったので、明人は侍女達も引き連れ、自分の新しく建てられた屋敷の方へと向かった。
それは、月の宮にもほど近い位置に下賜されてあった。
他の一般の神達の屋敷からは少し離れていて、王族の妻に配慮された場所であることが分かる。そこにそこそこの大きさで建てられた屋敷は、父の屋敷よりも大きかった…それもまた、王族ゆえのようだった。
屋敷へ戻ると、待ち構えた侍女達や召使い達が並んで出迎えていた。
「おかえりなさいませ。」
明人は頷いて、紗羅を示した。
「我が妻、紗羅だ。」と紗羅を見た。「皆、我に仕えてくれておる者達。なんなりと申し付ければ良い。」
紗羅は頷き、頭を軽く下げた。
「よろしくお願い致しまするね。」
そのあと、先に部屋へ案内する間、明人は落ち着かなかった…だいたい、女と二人きりになった経験などない。しかも、言葉に気を付けろと父に言われて、思うように話せない。これから家で、ずっとこんな風に不自由な思いをしなきゃならねぇのか。
昨日まで、慣れようと一人きりでここに通って寝ていた部屋へ、紗羅を連れて入りながら、明人は思った。
部屋に入ると、まだ付いて来ていた紗羅の侍女達が荷物を運び入れ、明人の前に進み出て言った。
「では、明人様。ベールをお取りくださいませ。」
明人は驚いた。そうだった、確かベールを取るようにと父に言われていたっけ。明人はすっぽり覆われて、どこから手を付けて取ればいいのかわからないベールを、とにかく引っ張って取った。
明人は、息を飲んだ。
王女とはいえ、そうでもないだろうと思っていたのに、中から出て来たのは、亜麻色の髪で、抜けるように白い肌の、おとなしそうな顔立ちの美しい女だったのだ。相手は、桜色の瞳でじっと明人を見上げている。なんだかわからないが、驚いているようだった。
明人があまりに驚いて絶句して立っていると、侍女達が一斉に頭を下げた。
「では、我らは失礼いたします。御用があれば、お呼びくださいませ。」
明人は仰天した。もう二人きりにされてしまった。とにかく、何か話をしなければ。
「その、屋敷の中を案内して、それから宮の回りを散策しながら案内しようぞ。」と、紗羅の凝った衣装を見た。「もしもそれが重ければ、着替えても良い。侍女に申すか?」
紗羅はにっこりと微笑んだ。
「はい。」
明人はびっくりした。どうしてあんなに嬉しそうに出来るんだろう。女って分からない。
「では、次の間で着替えるが良い。我はここで待っておるゆえ。」
紗羅は頭を下げると、次の間へ歩いて行った。
明人はホッと肩を落とした…ああ、なんだかわからないけど、ここまではなんとかなったようだ。それにしても、あんなに美しい女を間近に見たのは初めてだ。王族とは皆あんな感じなんだろうか…。
慎吾と嘉韻は、明人が心配で仕方なかったが、まさか婚姻当日に屋敷へ押しかけて行く訳にも行かず、ただ宿舎でやきもきしていた。そのうちにこっちにも案内にでも来るだろうと、ひたすら待っていたが、まだ来る様子はない。明日まで様子は伺えないかと諦め掛けて居た時、ふと窓の外に明人の気を感じた。慌てて窓に走り寄ってみると、窓の外を明人が、身軽な着物で女の手を引いて歩いて行くところだった。
「おお」と慎吾が言った。「何やら和んでおるようだが。」
嘉韻は頷いた。
「話しておるよの。言葉は大丈夫であったのか。あれほどに我らに聞いて話そうとしておったが、どうもうまく話せず一人キレて大暴れしておったではないか。」
慎吾は頷いた。
「だがな、あの後我と一緒にそれはがんばったので、込み入ったことでなければまあ、神っぽくは話せるようになったのであるぞ。湖のほうへ向かっておるようよの…」と嘉韻を見た。「…のう嘉韻、散策にでも出掛けるか?」
嘉韻は一瞬顔をしかめたが、おお!と言う顔をした。
「そうよの、我も外の空気を吸いたくなっておったところよ。参ろうぞ。」
二人は、湖に向かってそっと飛んで行った。
一方明人は、やっと少し肩の力が抜けて来ていた。紗羅はおっとりとしていて、人の世のことに話しを向けると、笑顔でよく話した。話す速度が遅いので、明人がその間に考えることが出来、助かっていた。確かに今まで迫って来た女達が弾丸のように話すことに比べると、格が違う感じもしてホッとしていた。
そして何より、とてもかわいらしかった。笑顔がまた花のようで、明人は神の世に来て初めて、こんなにも和む雰囲気の女に出逢ったと思っていた。
いつも明人達が釣りをする湖の畔に出ると、紗羅はパアッと表情を明るくして、駆け出した…が、着物が足に絡まってひっくり返った。
「紗羅!」
明人は慌てて手を出した。神の女って走ったっけ?というか着物さばくの苦手な王族って…。
紗羅は、真っ赤な顔をしていた。手で顔を覆って涙目になっている。
「あ、あの…申し訳、ありませぬ…。私は、着物に慣れないのでございます…。」
そう言えば、人の世で育ったと聞いている。生まれた時から着物を着ていた訳ではなかったのだ。明人は自分も同じだし、気持ちはわかった。なので、紗羅に合わせて膝を付いて、座った。
「そうか、同じだ。」明人は言った。「我だってここに来るまで洋服で過ごしたし、着物だってまともに着れたことがない。龍と言っても、最近までは人だと思っていたしな。」
紗羅は明人を見た。
「だから…人を、助けようと思われたのですか?」
明人は驚いて紗羅を見た。人を助ける?
「なんのことだ?」
紗羅は、あ、と口を押えて下を向いた。
「あの…出過ぎたことを申しました。」
明人は気になって、立ち上がろうとする紗羅の手を取って止めた。
「気になるではないか。主は、人の世を知っているのだろうが…。」
紗羅は頷いた。
「はい。人の世のほうが心安くて…つい、宮に帰っても街を歩いておりました。あの…それで…お見かけしましたの。西の街へ来られましたでしょう…何人かの軍神達と共に、青銀の甲冑を着て何かを探しておられました。」
明人は思い出そうとした。西の街へ行ったのは、維月様を探して居た時。慎吾と一緒に、部下が捜索を終えるのを待っていた…あの時か。
「確かに、行った。」
紗羅は頷いて、先を続けようか迷っているようなしぐさをした。紗羅はどうやら、なんでも時間の掛かる女らしい。いきなりガツガツ来られるより余程いいと明人は思ったので、急がせないで忍耐強く待っていた。紗羅は、顔を上げた。
「明人様は、突っ込んで来た車を吹き飛ばそうとなさいました。」と、紗羅は桜色の瞳でじっと明人を見上げて言った。「でも、一緒に居た別の神に押さえられて、力が反れて…少ししか、人を助けられなかったけれど。でも、そんな軍神も、いらっしゃるのだと思って…。私は、あの時一人で街を歩いておりました。私の力は、車を吹き飛ばせるほど強くはないので…。」と、首を傾げた。「でも…明人様、こんな感じでなかったです。なんだか、人みたいに話してらしたと思うの…。」
明人は、思い出して、困った。そうだ、あの時か。神なら神が見えてもおかしくない。自分達が浮いてあそこで話していたのを見て聞いていたのだ。神の聴覚は、その気になれば何キロにも拡張出来る。聞いていてもおかしくない…。
明人は、ため息を付いて、手足を投げ出して座った。
「そう、オレは人が抜けてねぇんだよ。」紗羅がびっくりしたように明人を見た。「ここへ来て間無しだって言ったろう。オレはつい最近まで、神の存在すら知らなかった…人だと思って生きてたからな。それが、数年でこうなっちまった。戦にも出た。あまりに早く過ぎちまって、振る舞いが追い付かねぇんだ。王族のお姫様が来るってんで、友達に頼んで特訓してもらったのさ。」
紗羅はしばらく呆然と明人を見て座っていたが、ふふ、と笑った。
「まあ!」と袖で口元を押さえた。「私、気にしませんのに。だって、中学の三年まではあちらに居たのです。そこで父が帰って来いと言っていると、いきなり、育ててくれた巫女に言われて…戻りましたの。もう三十年も前のことになりますが…。」
それでも、やはり神であるので、見た目は高校生から二十歳ぐらいにしかならなかった。明人は、思っていたより、紗羅がまったく平気な顔をして笑っているので、なんだかホッとした。
「じゃあ、オレがこのままでも大丈夫か?ほんとはこんな感じで話してるんだ。神っぽく話すのは、堅苦しくって肩が凝って仕方がねぇし…。」
紗羅は嬉しそうに肩を竦めた。
「よかった、私、実はとてもハラハラしておりましたの…龍は厳格だと聞いていたし。私、とってもゆっくりだし、キビキビ動けないし、それに着物にも慣れないし、叱られて呆れられて…と考えたら…。」
紗羅はとても悲しげな顔をして下を向いた。確かにおっとりと言うよりは、どんくさいのかもしれない。明人は笑った。
「構わねぇよ。オレだって神らしくねぇし。友達が皆あんまりにも神だから、劣等感持ってたぐらいだ。一緒に神になって行こう。」と、そこにいきなり寝転がった。「あー、気が抜けちまった…」
そこで、上空に浮かぶ二人と目が合った。相手は、しまった、という顔をしている。明人は思わず立ち上がった。
「なんだお前ら、いつからそこに居たんでぇ!」
紗羅も上を見た。金髪の龍と、黒髪の龍が二人、バツが悪そうに浮いていたが、明人に見咎められて、こちらへ降りて来た。
「主が心配での。」慎吾が言い訳がましく言った。「だが、うまくいきそうではないか。」
嘉韻も頷いた。
「なかなかに似合いよの。」
明人は呆れてため息を付いたが、紗羅を見て言った。
「オレの友達だ。慎吾と、嘉韻。」
紗羅は慌てて立ち上がって、頭を下げた。
「紗羅ともうしまする。よろしくお願い申し上げます。」
二人は軽く返礼した。
「…あまり見たことのないタイプよの、明人。」
慎吾が言う。ゆっくり話すからだろう。明人は頷いた。
「お互いこれから慣れようって話してたところだ。ま、オレが居ない所で困ってたら、助けてやってくれ。」
嘉韻は慎重に頷いた。
「分かった。」と慎吾をせっついた。「では、我らはもう、引き揚げるゆえの。」
慎吾もハッとしたように頷いた。
「ああ。ではな、明人。」
二人はいそいそと飛び立って行った。明人はそれを呆れたように見送ると、紗羅を見た。
「では、屋敷へ戻ろう。荷物が半端なくあったろう?見に行かなきゃならねぇな。」
紗羅は頷いて、明人の手を取って屋敷へと歩いた。




