戸惑い
それから、一年近くが経過していた。
玲はまだ帰って来ることはなく、明人はいつも龍の宮の方を眺めては、玲のことを考えていた。
龍の宮で新しい居場所を見つけられたなら、それでよかった。だが、会って話をしたいと思っていた。自分達はなかなか宮を離れて訪ねて行くことなど出来ない。なので、玲がこちらへ訪ねてくれたら、と、明人は自分勝手ながら思っていた。
宮の任務は格段に減ったまま、増えることはなかった。あれから、ただひたすら毎日休み以外は立ち合いをし、力を上げるように強く言われていた。明人は自分の小隊の分隊を、育てようと一生懸命に指導した…だが、技術では、どうしても補えない何かがある。明人はそこに限界を感じて、またあのような事があった時、守り切れる自信はまだなかった。
週に一回だった休みは、週に二回になっていて、まるで人の世に居た時のように穏やかだった。
これまではあまりの慌ただしさに四苦八苦していて、ゆっくりと過ごすことなどなかったのだが、ここに来てやっと、ゆっくり過ごしていた。
だが、長く軍神をしている者はその余暇に戸惑うようで、何をしたらいいのか分からず、ただ図書館に行って本を読んだり、パソコンを触ったりして過ごすので、人の世にどんどんと明るくなって来ていた。
元々月の宮は人の世との混合のような感じであったが、それでも神達には理解できないことがたくさんあったのだ。だが、少しずつ歩み寄れている感じだった。
明人と嘉韻と慎吾も、休みはいつも一緒だったので、一緒に休みを過ごした。神は釣りなどしないが、釣りを教えたりもした。それで宮の池で鯉を釣って重臣の翔馬に叱られたりもした。もちろん、その立派な錦鯉はきちんとリリースした。
ゲーム機を軍宿舎に持ち込んで一晩中ロールプレイングゲームをしていたこともあった。以外にも嘉韻がハマって、ハッピーエンドになるまで何度も選択肢を変えてするとゴネて慎吾も明人もふらふらになった。
そんな毎日を過ごしていると、警備の軍神達が、龍を連れて飛んで行くのが見えた。
「…見ろよ、龍が来た。この時期に珍しいな。」
明人が言うと、隣の嘉韻が頷いた。
「なんだか覚えのある気だったような気がするの。ま、あとで分かろうぞ。」
嘉韻の向こうの慎吾が言った。
「しかし、緊急であったらどうする?」
明人は手を振った。
「有りえねぇ。気が穏やかだったじゃねぇか。大丈夫だよ、このまま帰れるか。」
三人は、コロシアムの向こうの湖の畔に座って釣り糸を垂れていたのだ。朝から三時間ぐらいこうしているが、全く引きはなかった。
嘉韻が言った。
「しかしなあ、我らここに座って話しておるだけで、少しも釣りに来たという感じではないぞ。やはり宮の池のほうが引きが良かった。」
慎吾は頷いたが、言った。
「あのな嘉韻、あれは飼ってる鯉であるから、釣ってはならんのよ。翔馬殿が怒っておったであろう…龍の宮から贈られたものであったらしいぞ。」
「どうりでよう太っておったわ。」嘉韻は言った。「人はあれも食うのであろう?」
明人は眉を寄せた。
「鯉?食ったことねぇな。だが、おそらく錦鯉は食うためのものではないと思うぞ。あんまり知らねぇんだ。だが、オレは鯛は好きだったな。」
そういえば最近、物を食べていない。明人は腹がすくという感覚を忘れ掛けていた。
「鯛か…我はヒラメやフグも好きであったぞ。ポン酢で食すのだ。」と腹を押さえた。「そういえば長く食しておらん…久しぶりに食してもいいかの。」
明人は呆れたように言った。
「おい慎吾、ここにはそんなもの無いぞ。食いたいんなら人の世へ行かなきゃな。」
嘉韻が割り込んだ。
「ポン酢とはなんだ?」
明人と慎吾は顔を見合わせた。
「そうか、こればっかりは説明してもわからねぇ。行くか?食いによ。」
慎吾は頷いて、竿を上げた。
「我は良い店を知っておるぞ。」と嘉韻を見た。「ほれ、行こうぞ。食ってみればわかるゆえ。」
三人は竿を持って、宿舎へいそいそと引き上げて行った。
外出の許可を得ようと王に会いに宮へと入って行くと、蒼が誰かと共に歩いて来るところだった。
「王。」と嘉韻が蒼に歩み寄って膝を付いた。それを見て、明人と慎吾も膝を付く。「外出の許可を頂くために参りました。」
蒼は頷いて、言った。
「それはいいが、ちょうどよかった。オレも呼ぼうとしていた所だ。」と後ろを振り返った。「帰って来たのでな。」
三人は顔を上げた。そこには、玲が笑って立っていた。
「ただいま。」
「玲!」
三人は、蒼の前であるのを忘れて叫んだ。玲は恥ずかしそうに言った。
「あんまり寝たきりだったから、なかなか立ち上がることも出来なくってさ…リハビリに時間掛かっちゃって、帰るの遅れちゃった。」
蒼は微笑んで言った。
「玲には学校で仕えてもらうことになった。人の世にも神の世にも詳しいし、何より成績はものすごく良かったからな。」
明人は笑った。
「玲はなんでもすぐに覚えちまうんだもんな!全然敵わなかった。」
玲はフフンと明人を見た。
「そっちの方は得意だからね。」
慎吾が言った。
「では、主も共にどうだ?我らは人の世へ食しに行くのだ。祝いに奢ろうぞ。」
玲は困ったように首を振った。
「それが、これから学校へ行って、顔合わせと仕事のことを聞いて来ないといけないんだ。また次の休みにゆっくり話そうよ。」
慎吾はがっかりしたような顔をした。
「そうか、仕方ないの。では、参るか。」
と明人と嘉韻に頷き掛けた。
「王、行って参りまする。夜には戻りまするゆえ。」
蒼は頷いた。
「気を付けるのだぞ。人の世も、最近はまた闇のようなものが感じられるのでな…闇は主らの力では封じることしか出来ぬ。大きなものなら太刀打ち出来ぬ。出くわしたら、絶対に戦わず、戻ってオレに言うのだ。わかったな。」
三人は頷いた。
「は!」
そして歩いて行きながら、嘉韻が慎吾に聞いた。
「あの場合の奢るとはなんだ?知らぬ使い方であるの…」
三人は話しながら出て行った。
蒼は、玲を連れて学校へ行き、裕馬に玲を預けると、涼の所へ向かった。
一年近く前、涼は確かに李関と結婚したと報告しに来たが、そのあと軍神と結婚するということが、どんな精神的負担を強いられるものであるのか悟り、涙に濡れて蒼の所を後にしていた。
そして、それから話し合った二人は、涼が、心の準備が出来るまで待ってほしい、それまで誰かを娶ろうと思うのなら私は諦めるから、と言ったのだと、聞いていた。
それからも李関は部屋に厳重な結界を張って女を寄せ付けず、ただじっと待っているようだった。
表面上はいつもと変わりなく過ごしているようだが、李関がふとした時に涼を見ているのを、蒼は気付いていた。涼も、コロシアムで立ち合いをしている李関など、そっと見ているのを知っていた。
想いが深ければ深いほど、失うことを考えると臆病になるのだろうな…。
蒼はそう思っていた。
涼の部屋の前に立って、蒼は言った。
「涼?入るぞ。」
戸を開けると、涼が机に座ってパソコンの画面を睨んでいた。
「…蒼。」
涼は顔を上げた。蒼は誰も居ないのを確認してから、部屋に入って傍の椅子に座った。
「涼、母さんが戻ったんだ。」
涼は息を飲んだ。
「それって…維心様が?」
蒼は頷いた。
「見つけたんだそうだ。昨日、龍の宮につれて戻ったって知らせて来た。」
涼は視線を下へ向けた。
「…無理矢理…?」
蒼は首を振った。
「違うよ。見つけた時、維心様は一緒に人の世で住むって言って、傍に居ようとしたらしいんだけど…母さんはそんなことはさせられないって。だから母さんが神の世に戻ったんだよ。」
涼は考え込んだ。母さんが、戻って来た…。何か答えを見つけたのかしら…。
考え込んでいる涼を見て、蒼は言った。
「なあ涼…お前、迷ってるなら、母さんと話して来たらどうだ?同じことで悩んでいたんだから、きっと何か聞かせてくれると思うぞ。このままじゃいけないことは、わかってるんだろう。李関だってこのままにしておく訳にはいかない。お前が結婚しないなら、他に誰か縁付けてやらないと。」
涼はキッと顔を上げた。だが、すぐに表情を力なく弱めて、頷いた。
「…わかったわ。私、龍の宮へ行って来る。母さんと話して来るから…蒼、先触れをお願い。」
蒼は頷いて、立ち上がった。
「供を付ける。一時間後に宮の門の前へ行け。」
涼は、蒼と目を合わせずに頷いた。
蒼はそれを横目に、部屋を出て行った。
李関は、この一年近く、今までにないほどつらい気持ちで過ごしていた。
自分を愛していると、涼は言った。だが、軍神である限り付いて来る、命の危険というものに耐えられるかどうか、自分には覚悟がなかったと。自分が心の整理を付ける間待って欲しい。待てなくて、誰かを娶るというのなら諦める。
涼はそう言って、自分から離れて行った。それから、涼は微笑みかけてもくれなくなった…近寄ろうとすれば離れて行ってしまい、触れることはおろか、話すことも出来ない。あの夜が夢であったのかと、李関が思うほどであった。
そんな中、増えた余暇に己の気持ちを持って行きようもなく、李関はただ耐えていた。こんな時に、任務で忙しければ、気も紛れるのに。昨日は、王から気の重い提案を受けたし…。李関はため息を付いた。
自室の前から声がした。
「李関殿。王より、李関殿に龍の宮までお送り頂きたい者が居るとのこと。一時間後に宮の門の前へ来るようにとのことでございまする。」
李関は、立ち上がって言った。
「…承知したと伝えてくれ。」
「は!」
部下の気配が戸の前から去る。李関は甲冑を身に付けながら思っていた。何かしていた方が良いと思っていたところ。願ってもないことであるわ。
龍の宮は久しぶりであった。李関は腰に刀を挿すと、時間まで外を見て過ごした。
李関が命令通り宮の門へ行くと、涼が着物を着てかんざしを挿された状態で、蒼と共に立っていた。李関は思わず息を飲んだ…なんと美しいのだろう。普段は動きやすいようにと、袴姿で居るか人の洋服を着ているかであるのに…。降りて来た李関を見て、涼も驚いたようだった。蒼は李関に気付くと、言った。
「ああ…李関、来たか。」と涼を指した。「母が戻ったので、会いたいとのことなんだ。龍の宮まで涼を連れてって欲しい。向こうに先触れは出してあって、すぐに会えるってことだったんでな。よろしく頼む。」
李関はためらいがちに頷いた。涼は驚いたままだったが、李関に抱き上げられて、空へと飛び立って行った。
男女の仲は、ままならぬ。
蒼はつくづく思っていた。
涼は久しぶりに近くで見る李関に、少し頬を赤らめた。龍は決まって皆落ち着いた色合いに生まれるので、維心と同じような黒髪に、青緑の深い瞳。自分達と同じような肌の色。しかし、李関は軍神で外に居る事が多いので、少し日焼けしていた。
思わず知らずじっと見ていた涼は、李関と目が合って慌てて目を反らした。すると李関は、真剣な面持ちで言った。
「涼、昨日王から、もう身を固めよと言われた。」涼は驚いて李関を見た。李関は続けた。「近くの宮の姫の、相手をとそこの王から頼んで来たらしいのだ。我を推そうと思っていると、言われた。」
涼は、下を向いた。確かに李関はもう、そんな話が来てもおかしくはない。
「…お受けするの?」
李関は目を反らした。
「王の命には従わねばならぬ。我は…主に問いたいのだ。もう、軍神との婚姻は無理だと思うか。」
涼は下を向いたまま、じっと考えた。李関を愛している。だからこそ、命を落とすようなことに笑って見送る事が出来ないと思ったのに…。
「…愛しているわ。でも…答えが見付からないの。私はあなたを平気で見送る事が出来ないの。そんな妻は、困るでしょう?あなたは生まれながらの神で、私は人から仙人になった。これからも困らせるわ…きっと。そんな事で、婚姻関係を続けて行けるのか、不安なのよ。李関、あなたも不安なのではない?」
李関は黙った。確かに、自分は人が分からない。あの月の宮に居ても、なかなか理解出来ないのだ。
これからも、確かに涼の言うように行き違いはあるだろう。それを乗り越えて行けるのか…。
考えているうちに、龍の宮が見えて来た。二人はそこに降り立った。
龍王の維心と、王妃維月が、並んで出迎えてくれた。寄り添って立っていて、相変わらず仲睦まじい。李関は涼を降ろすと、かつての王に膝を付いた。
「王。ご無沙汰致しておりまする。」
維心は頷いた。
「李関、久しいの。主も共に参れ。涼は維月と話があるのだろう…主には我が話があるのだ。」
李関はためらった。通常供の軍神は、控えの間へ向かう。王が直々に話すなど、何事であろうか。
しかし、李関は頷いて、涼と共に二人について王の居間へと向かった。




