宴
朝から、龍王が大勢の臣下を引き連れて月の宮へやって来た。
それを蒼が迎え、宮の召使い達が必死に整えた桜の庭へと出ていた。明人達は、そこから離れた端の、桜の下へ座っていた。さらに下の部下達は、桜すらない番傘の下へ座っていたが、それでも嬉しそうに酒を酌み交わしていた。
龍王は王と共に月と妃と、王族達と一番桜の多い中心の席に座っていた。遠くに見える王族達は、確かに美しかった。王の娘達も妃も、まるで別世界を見るようだった。
つと、義心が混じっているのが見えた。義心は何かを感じているようで、王族達の席の方へゆっくりと歩いて行き、傍に座った。ふと、龍王が酔ったのか妃の膝に頭を乗せて横になった。まるで、戦などなかったようなのんびりとした雰囲気だった。
「こら!何をそっぽ向いておる!主も何とかせんか!」
慎吾の声が明人に向かって飛ぶ。明人は振り返った。
そこでは、慎吾と嘉韻に、宮の女達が寄ってたかって酒を注ごうと争っていた。明人はため息を付いた。
「のんびりしに来たのによ。」
「主はそんな端近に座りおって」嘉韻が言った。「最初からこうなるのを知っておったな!」
明人は不敵に微笑んだ。そう、知っていた。女達が酒瓶を持って尋常でない雰囲気を醸し出してスタンバっているのを見た時、自分は絶対に囲まれない位置に座ろうと思ったのだ。嘉韻と慎吾はそれを見ていなかったのだ。
なので、明人は一人だけがやっと隣に座れる位置であるので、一人の女が酒を注いでいるだけで済んでいた。仮にその女が追い出されても、次の女もやっぱり一人しか入れないので一人で座って注いでいたのだ。
しかし、慎吾と嘉韻が並んで座った両側には女が鈴なりになり、そして少し空いていた二人の間にも女が割り込んでそれは大変なことになっていた。
二人が疲れて席を立とうかと思っているところに、上司の師団長、長賀が歩いて来た。
「これは大変なことになっておるの。」
と苦笑して回りを見た。長賀は妻が三人居て、もうこれ以上は面倒だから、迷わず斬ると宣言してから、誰も寄って行かなくなっていた。その長賀が、回りの女に言った。
「下がれ。我が話があるのだ。」
女達はビクッとしたかと思うと、一斉に慌てて頭を下げ、名残惜しげに退いて言った。嘉韻がホッとしたように言った。
「感謝し申す、長賀殿。まさか花見というのはこれほどに大変なものであるとは…我は思わなんだ。」
明人は笑った。花見初体験でこれでは、これから嘉韻が花見をする気になるか心配だが。
長賀が、そこへ座りながら言った。
「まあの、初めての宮を挙げての宴であるので、おそらく女達も張り切っておるのだろうて。独身の将など、今や主らぐらいの者ぞ。後は結界を張り忘れたりで、えらい目に合っておる。我も最初の妃は勝手に忍んで来た女ぞ。世話はしておるが、三人とも通ってはおらん。屋敷に置いたっきりよ。」とため息を付いた。「王が羨ましい限りぞ。気に入らねば殺せば良いのだからの。我ら下の者には、それが許されぬ。」
明人は仰天して長賀を見た。
「殺す?妃を?」
長賀は何を言っている、という顔をした。
「常識ぞ。まあ、人の世では違うのだろうの。王は何をしても許されるからの。何しろ、決めるのは全て王であるから。我があれらを里へ帰そうと思うと、王に許しを得ねばならぬ。それなりの理由が要るし、里で受け入れぬとなれば、また許しを得なければ斬ることも出来ぬ。一度妻になってしまうと、それは面倒であるのだ…主らも胆に銘じておくとよい。結界はゆめ、忘れるのではないぞ。」
明人は唾を飲んで頷いた。家に押しかけ女房が三人も居るなんて。絶対にごめんだ。
「…我は女などよい。面倒であるわ…あんなものが疲れて帰って回りをうろうろするとは。」
慎吾がぐったりと疲れたように杯を口に運びながら言った。嘉韻も大真面目に頷いた。
「ほんにそうよ。なぜにあれほどに押し付けがましいのか。我は…生涯あんなものは要らぬぞ。」
明人は言った。
「確かにな。人の世の女は、あそこまであからさまではなかったし…女には男のほうから寄って行くもんじゃねぇのか。女のほうが逃げ回っていた記憶があるぞ?まあモテる男は追い掛けられていたがな。」
嘉韻は眉を上げた。
「女が逃げる?まあ、神の女でもあんな奴らばかりではないがの。黙っていてもさらわれる女も居るのだ。それに、人の数は神と比べものにならぬではないか。あれほどに居ったら、気に入る女もおるであろうの。」
長賀は頷いた。
「我は未だ女を恋うるということを知らぬ。これで400年生きておるのに。このまま生涯を終えるのかと思うと、寂しい気もするの。」
慎吾は長賀を見た。
「長賀殿は、そういう女が現れたらどうなさるおつもりか?妃が邪魔になることもあるかもしれぬが。」
「斬る。」長賀は迷わず言って、肩を竦めた。「ま、王が許せばであるが。我らの王は許さぬであろうよ。なのでその時にならねばわからぬなあ。」
明人はその話を聞いて、神の感覚を少しずつ理解していた。男社会で力社会の神の世でありながら、女を守らねばならぬという責務を男は持っていて。それをしたたかに利用しようとする女も居て。だが、オレは絶対好きな女でなければ、嫁にはもらわないぞ。何しろ面倒なんだし。
ふと横を見ると、杏樹がこちらを伺っているのが見えた。学校卒業以来初めてだ。
「杏樹?なんだ、久しぶりじゃねぇか!」
明人の声に、嘉韻も慎吾も振り返った。桜の木に隠れるように、酒瓶を持った杏樹が立っていた。
「ほんに久しぶりぞ。どうしておったのだ。確か主は、宮へ侍女として上がっておったのであったな。」
慎吾もそう言って、懐かしそうに笑った。長賀がためらいがちに言った。
「なんだ、知り合いか?」
「同級生なんですよ。」明人は言った。「杏樹、こっちへ来いよ。お前だったら構わねぇ。」
杏樹は恐る恐る敷物に入って来て、明人の横へ座った。
「…皆忙しそうだったから。私は、侍女としてずっと宮に仕えているわ。」
明人は頷いた。
「頑張っているんじゃないか。オレ達も忙しくて、何も聞いてやれなくてごめんな。」
杏樹は頷いて、嘉韻を見た。嘉韻は黙って杯を口へ運んでいる。杯が空いたので、杏樹は酒瓶を差し出した。嘉韻はそれに気付いて、首を振った。
「いや、よい。我はこっちに自分用の酒瓶があるのよ。」
慎吾は顔をしかめた。
「なんだ、せっかく注ごうとしておるのに。」と慎吾は自分の杯を差し出した。「では、我がもらおう。」
杏樹は酒を注いだ。嘉韻はまた黙っている。明人は、なんだか居心地が悪かった。何かおかしい気がする…。明人の杯に酒を注ごうと杏樹が酒瓶を傾けた時、杏樹の右手に深い切り傷の跡があるのを見た。
「…杏樹?どうしたんだ…侍女の仕事ってのは、そんな危ないもんもあるのか?」
杏樹はハッとして、手を袖の中へ隠して嘉韻の方を見た。嘉韻はそれに気付いて、視線を逸らす。杏樹は頭を下げた。
「酒瓶が空に…失礼して、新しい物をお持ちいたします。」
杏樹は慌てたように立ち上がると、その場を辞して行った。それを見送ってから、明人は嘉韻を見た。
「…嘉韻。」嘉韻はこちらを向かない。明人は続けた。「あれは、お前の結界に触れた時の傷だな。」
慎吾も長賀も振り返った。嘉韻は反応しなかったが、しばらくして明人を見た。
「…そうだ。」と重い口を開いた。「数か月前のことだった。いつものように結界が弾き返す音が聞こえた後、聞きなれた声の悲鳴がした。驚いて戸を開けて見ると、杏樹が居ったのだ。我は驚いて、何か用があったのかと訊ねた。答えは…」と息を付いた。「我の妻になりたいのだと。我は断った…とてもそんな目で見ることは出来ぬとな。我は学友としてだからあのように話しておった…女として見ておったら、あのようには行かぬ。なのでこれ以上は接しない方が良いと思うておるのだ。」
慎吾は視線を落とす。明人も厳しい顔で頷いた。長賀が言った。
「主もまた徹底しておるの。…まあ、我のように情けで娶っても、後は不幸であるわ。なので、結局はそれが良いのかもしれぬ。」
慎吾は考え込んで、言った。
「仕事がきついのかのう…我らがめとれば仕えずに済む。女はそのようなことも考えると聞いた。だが、確かに我も杏樹であっても断ったの。確かに想う女が出来た時、それが理由で断られたらどうしようもない。なので、嘉韻に無理強いすることは出来ぬな。」
明人も考えた。確かに、友達としてだから普通に話せたが、女としてなら自分も分からない。まだそんな風に考える事は出来ない。
「オレもそうだ。そう簡単には嫁になんて思えねぇよ。だから仕方ねぇんじゃないか?杏樹なら、他にも受け入れる奴は居るだろうよ。」
嘉韻はホッとしたように頷いた。
「そうであるな。我はもっとよく考えたいのだ。龍王のように、迷いなく愛せる女というものに出逢うまで、いくらでも待つつもりでおるよ。」
明人は龍王の方を見た。何やら立ち上がったかと思うと、飛び立って行く。妃が立ち上がって呼んでいたが、義心に何か命じたようで、義心がその後を追って飛び立った。何事かと思ったが、十六夜はのんびりと座っている。きっと何か用事でも思い出したのだろう。
ふと、向こうの席で李関が席を立って出て行った。
明人はまた、嘉韻達と話を再開した。こんなにのんびりと話していられるなんて、いつから無いんだろうと思いながら。




