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父と母

嘉韻は、慎吾と明人と別れて、母の待つ屋敷へと帰って来た。

久しぶりに帰る屋敷から、母が飛び出して来た。

「嘉韻!…ああ、無事だったのね!」

嘉韻は驚いた。そうか、母は心配するのだった。嘉韻は知らなかったとはいえ、一度屋敷に戻って来てよかったと思った。

「母上、我は大丈夫でございまする。しかし、部下が多数犠牲になり申した…此度の戦は、龍が鳥を滅ぼす為に起こしたもの。大きなものでございました。」

母は、頷いた。

「とにかく、中へ。ゆっくり休まねばね。」

嘉韻は頷いて屋敷の中へ入った。

自分の屋敷であるのに、まるで違う家に来たかのような心地がする…。嘉韻はそう思った。思えば宮の宿舎にばかり居て、こちらにはあまり帰っていなかったのだ。茶入れている母を見て、その目が腫れているのを見て取って、嘉韻は言った。

「…母上?寝ておられぬのでは。」

母は首を振った。

「我は大丈夫。きっと、王は鳥を事もなげに全滅させたのでしょうね。」

母が言う王とは、いつも龍王を指していた。母は龍の結界の中で生まれ育った…生を受けた時から、龍王は王であったのだという。なので、母の中では、いつまでも王は龍王であるのだ。

嘉韻は答えた。

「はい…龍軍は、そのあと虎も殲滅させました。最早虎も鳥も、あの辺りには存在しませぬ。」

母は分かっていたことであったのだろう、それでも涙を流した。

「では…全て…。」

嘉韻はハッとした。そうか。父がまだ宮に居たと思っているのか。

「母上、父上は居りませんでした。嘉晋が言っておったのですが、父上と兄上・嘉渕は、延史殿と共に数か月前に炎翔様に逆らって宮を出たとのこと。嘉晋は残っておったのですが、此度の戦で命を落としました。父上と兄上の行方は、分かっておりませぬ。」

母は顔を上げた。

「では…嘉楠様は生きておられるのね。」

嘉韻は頷いた。

「はい。父上は宮を離れてもそう簡単にはお命を落とすことはないでしょう。まして、兄上と延史殿が共であるのです。残った鳥の将達を見ても、おそらく数人は共であったはず。」

母はホッとしたように微笑んだ。

「ああ、生きていらっしゃるのね。ならば、良いの。きっと父上は、どこかで生きていらっしゃると思うだけで…。」

嘉韻は驚いた。母は、父を厭うていたのではないのか。我が月の宮へ参ると言った時も、何も言わずに共に付いて来た母であるのに…。

「母上…我は、母上は父上に、さらわれるように龍の宮から連れて来られたと聞いておりまする。しかも、あのような場所に住まわせて…。」

母・蘭萌は、驚いたように嘉韻を見た。そしてしばらくそうしていたが、ホッとため息を付いた。

「…そう…そう思っても、仕方がないわね。そうではないの。我が父上にお連れくださいと頼んだのよ。父上は、鳥の宮が龍にとってどんなところか知っておられたから、悩んでらしたわ。でも、結局は連れ帰ってくれた…あの頃の王、炎嘉様は、それを許してくださったの。」と空を見上げた。「そうね、もう話しても良いわね。」

母はそういうと、父とのことを話し出した。


蘭萌は、絶世の美女と言われていた。それは、美女が多い龍の宮で、ことさら美しいのだという事だった。それを見た王の重臣達が、是非王の妃にと蘭萌の両親に話しに来て、屋敷では大騒ぎになった。この屋敷から、王族が出るとは!

しかし、化粧をして着飾らせられて連れて行かれた王の居間では、王はちらりと蘭萌を見やっただけで、全く興味を示さなかった。重臣達は必死に王を説き伏せようとしていたが、王は意に介さず、終いには席を立って居間の窓からどこかへ飛び立って行ってしまった。

重臣達は仕方なく諦めた。王が帰って来なくなると困るからだ。

しかし、屋敷に帰された蘭萌に、行き場はなかった。王の妃になると騒ぎ立てた手前、家に入れる訳には行かぬと親にも言われ、仕方なく事情をしった重臣達に下賜された、宮から少し離れた屋敷に身を寄せていた。

それは、寂しい所だった。訪ねて来る者も居らず、毎日がゆるゆると過ぎて行く。そんな時に、屋敷の前の湖を眺めていた時、王の供で付いて来て居た嘉楠が散策しているのに出くわした。

嘉楠は、蘭萌に驚いた。こんな外れの寂しい所に、女が一人きりで住んでいるとは。

一方蘭萌は、嘉楠に一目で惹かれた。なんと凛々しいお姿なのかしら…。

王が滞在している三日間、特にすることがない嘉楠は、自由に毎日蘭萌の所へ通った。そして帰るというその日、蘭萌はついに言った。

「我を共にお連れくださいませ。どうか、置いて行かないで。」

嘉楠は言った。

「しかし…我が鳥の宮は、龍には大変に偏見を持っておる宮。主が来ては、おそらく過ごし辛かろう。我はここへ、王に付いて良く参るのだ。だから、それを待っておってはくれぬか。」

蘭萌は、涙を流した。

「そのような…離れておるなど、我には耐えられませぬ。嘉楠様…。」

嘉楠は蘭萌を抱き締めながら、考えた。しかし、龍ともなると、王の許しも得なければならぬ。嘉楠は蘭萌をじっと見た。

「わかった。我は主を妻に迎えよう。しかし、それには王の許しが要る。主は龍であるからだ。我は、王にお話して参るゆえ…しばし待っておれ。」

その夜、嘉楠は炎嘉の部屋を訪ねた。呼ばれないのに来ることがなかった嘉楠が、自ら目通りを望んだのを炎嘉は不思議に思っていた。待っていると、嘉楠が緊張した面持ちで入って来た。

「王。お時間をお取り致しまして、申し訳ございませぬ。」

炎嘉は頷いた。

「良い。我も退屈しておったところよ。して、何用ぞ。」

嘉楠は膝を付いたまま、言った。

「我は、龍を妻に迎えたいと思うておりまする。」炎嘉は眉を上げた。嘉楠は続けた。「我はこの先の湖の畔の屋敷住んでおる娘の所に、この三日というもの通っておりました。あれも我と共に行くことを望んでおりまする。我も、あれを連れて参りたいと思っております。王に、お許し願えればと思い、参りました次第です。」

炎嘉は、顎を触った。

「ふむ」炎嘉は言った。「それが主らにとって、かなり不利なことになることは、分かっておるのであるな?」

嘉楠は頷いた。

「はい。覚悟の上でございまする。」

炎嘉はじっと嘉楠を見ていたが、頷いた。

「では、連れ帰るがよい。我は元より龍だ鳥だとあまり気にはせぬ。龍だからといって、皆同じではあるまいに。鳥も然りよ。しかしの、鳥の中にはまだまだ偏見の多いもの。おそらくその女も、おそらくは大変に居心地の悪い思いをしようぞ。」と少し考えた。「…北にある、我の結界内の小さな屋敷を知っておるか?」

嘉楠は頷いた。

「はい。ここへ来る途中も上を通って参った。」

炎嘉は頷いた。

「そこを使わせるが良いぞ。宮へ来るのは止めはせぬが、おそらく長くはもたぬであろう。そこであれば、心安らかに居れる。主に、その屋敷を譲ろうぞ。」

嘉楠は、炎嘉に深々と頭を下げた。

「王…そのようなことまで…。」

炎嘉は笑って手を振った。

「ああ良い、我も気まぐれであるのよ。」と外を示した。「さっさと行って、知らせてやるが良い。明日は連れ帰るのであろうが。」

嘉楠は炎嘉に深く感謝し、そして蘭萌を連れ帰ることが出来た。


炎嘉の北の小さな持ち家をもらった嘉楠は、足蹴くそこへ通った。

蘭萌はいつも暖かく迎えてくれた…それは、鳥の宮に居る、半ば押しかけて来た妻達とは、まったく違う穏やかな時間だった。

毎日のようにそこへ通っていたので、子が出来たのは道理であった。そして、その子が龍であることも、生まれる前から知っていた。

「蘭萌…この気は男。生まれ出れば、間違いなく宮に仕えねばならぬ。そうしなければ、世に認められぬからだ。しかし、今更に龍の宮では迎えてはくれぬだろう…鳥の宮へ、連れて参るよりない。然るべき時が来たら、この子は宮へ上げる。それしか、生きて行く方法はないのだ。」

蘭萌は心配げに腹を触った。

「…たった一人の龍であるのに。私が…お連れ下さるように無理を言ってしまったばかりに…このようなことに…。」

蘭萌は涙を流した。嘉楠は蘭萌を抱き寄せた。

「我が守る。我が子であるのだからの。心配するでない…大丈夫だ。王は理解のあるかたなのだから。」

蘭萌は頷いた。そして、生まれた子は嘉楠にそっくりな男子だった…しかし、やはり龍だった。

嘉楠の思惑が外れた。炎嘉が亡くなり、そして嘉韻が宮へ上がるほどに育った頃には、炎翔が君臨していた。それでもと宮へ上げて、数十年を過ごしたが、あれほどの気と能力を持つにも関わらず、嘉韻に序列付けることを、王は許さなかった。それでも辛抱強く過ごしていれば、王も分かって下さる時が来ると思っていた所に、あの事件が起きた。

炎翔相手に、嘉韻は少しも退かなかった…あまつさえ、気は炎翔を越えるのではないかと思われた。しかし、あの見せしめのような対応は、さすがに他の鳥の将も憤った。

「あれはなんだ!炎嘉様はあのように誰彼構わず傷つけようとはしなかった。まして嘉韻はあれほどに忠実に、あんな扱いの中耐えていたのではないのか。我は納得できぬ。」

延史が言った。嘉楠はじっと黙っている。他の将も言った。

「あれでは、鳥は愚かだと他の宮に知らしめているようなものよ。なぜにあのような者を王として残されたのか…。」

嘉楠は、口を開いた。

「嘉韻は、ここを出す。このままでは、恐らく命も危ういと思われるからだ。月の宮というものが出来たであろう…そこのことを、嘉韻に知らせれば、恐らくあれはそこへ向かう。蘭萌共々、月の宮で世話をしてもらうつもりよ。」

延史はしばらく黙ったが、頷いた。

「そうであるな。それが良い。あのままでは…我も、少し考えようぞ。」

他の将が驚いたような顔をしたが、延史は至極真面目だった。他の将も頷いた。

「…そうであるな。命を預けるに足る王かどうか、しかと見定めさせてもらおうぞ。」

嘉楠は、こっそりと蘭萌に会いに出かけた。そして、その日起こったことを話してから、蘭萌に言った。

「蘭萌、嘉韻の命を守るためには、ここを出すよりほか、もうないのだ。月の宮へ行け。主も共に。」

蘭萌は嘉楠を見た。

「でも嘉楠様は…、」

「我は残る。」嘉楠は言った。「主らの無事を確かめてから、延史殿達と考えようと思うておる。蘭萌、強くなるのだ。我と主の子を守るには、こうするよりない。嘉韻は、嬲り殺されようぞ。」

蘭萌は、不安げな顔をしていたが、決意したように頷いた。

「はい、嘉楠様。きっと、守ってみせまする。ですからきっと、またお会い出来るとお約束してくださいませ…!」

嘉楠は頷いた。

「約束しようぞ。蘭萌、嘉韻を頼む。この書状を、嘉韻の目の付く所へ何気なく置いておくのだ。月の宮のことが書いてある報告書ぞ。おそらく、これを見て嘉韻はここを出ようと決意するはず。わかったの。」

蘭萌は頷いた。そして嘉楠は最後に蘭萌を抱き締めると、そこを出て行った。

そして、嘉韻は思惑通りに、蘭萌を連れて月の宮へ向かったのだった。


話しを聞き終えて、嘉韻は茫然とした…では、あれは全て父の思惑であったと言うのか。父は我を守ろうとして、宮を出したのか。そして、我らがここで落ち着いたと見て、話していた将と共に宮を出たのだ。

嘉韻は、涙を流した。我は、確かに父にも大切にされていたのだ。それを知らずに、ただ恨んでおったなんて…。

嘉韻は、母の傍を辞して、自室に入った。とにかく、体を休めよう。それから、慎吾と明人に、この話をしよう。そして自分の中で、気持ちの整理を付けなければ…それから、出来れば、我は父を探し出したい…。

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