撤収
部下の事は小隊長達に任せ、嘉韻は鳥の宮の墓所へ向かった。
幼い頃父に手を引かれて初めてこの宮を見た時、なんと大きくて美しい宮なのだと思った。しかし、中は龍の身にはとても冷たかった。それでもここで過ごした数十年は、今の嘉韻を作っていた。
その宮が、今は無残に崩れ、あちこちに飛び散った血飛沫が生々しく残っていた。亡骸は既に無く、龍の軍神達がどれほどに手際良くそれを集めて行ったのか分かる。
墓所の裏側には、起きな塚が出来ていた。そこに、兵は皆埋葬されたようだ。僅かに残ったのは、将達の亡骸で、それを今龍の軍神達が墓所の中へ運び込んでいた。
胸の上に手を置く形で並べられた将達の亡骸の中に、見知った顔はいくつかあった。しかし、そこにはあの時嘉晋が言った通り、父の姿も兄の姿も、筆頭軍神であった延史の姿もなかった。主だった将が抜けた宮…どれほどに荒れていたのだろう。王に従えぬと言ったと聞いた。炎翔様は、確かに短気で喧嘩っ早いところがあったが、しかし、あれほどに龍を憎んだのはなぜだったのだろう…。そうせざるを得なかった、何かがあったのかと、嘉韻は思っていた。
一人一人確認しながら進んで行くと、軍神達が運ぼうとしていた将に気付いて、嘉韻は急いで止めた。
「…待ってくれ。」
軍神達は何事かと嘉韻を見た。そして、それが月の宮の将だと知ると、頭を下げた。
「いかがいたしましたか?」
嘉韻は、その顔を見た。青ざめた顔で目を閉じ、手を前に組まれているのは、間違いなく嘉晋であったのだ。
「その将は、我の縁者であっての。我はゆえあって月の宮へ行っておったが、此度の戦でまた会うことになったのだ。主ら、この者の最後のことを何か見知っておらぬか。」
軍神達は顔を見合わせた。
「…我らの王に斬り掛かって行ったと聞いておりまする。」
嘉韻は、それだけでわかった。あれほどに己の中の恐れに負けていた嘉晋が、最後は誰もが恐れて近寄らぬ龍王に斬り掛かって行くということで、己に勝ったのだ。そして、この家の家名も守った…父や兄すら捨てて行った場所を、たった一人で守ったのだ。
嘉韻は、つぶやいた。
「ようやった、嘉晋。我は、しかと見たぞ。父と兄にもし会うことがあったなら、きっと伝える。ゆっくり休め。」
嘉晋の険しかった死に顔が、緩んだように見えた。嘉韻は、軍神達に言った。
「すまぬの。手を止めてしもうた。では、よろしく頼む。」
軍神達は嘉韻に頭を下げると、嘉晋を墓所へと運び込んで行った。嘉韻は、決心した。我も、己の道を迷わずに行こう。
明人は、頭の辺りだけ開かれた袋を一つ一つ確認して行き、部下達を集めて回った。穏やかな顔をしている者もいたが、斬られた瞬間の恐怖を感じさせる表情のままで居る者もおり、明人はいたたまれなかった。どれほどに恐ろしかったことか。しかし、軍神とは、そうなのかもしれない。皆が皆、同じように己の中の恐怖に耐え、必死に戦って生き残ることだけを考える。
明人や慎吾は、生粋の軍神だった。なぜなら、戦闘体勢になると、体から勝手に闘気が溢れ、恐怖というものが無くなり、相手を殺すことだけを考える、まるで殺戮の機械のようになるからだ。この血を流れる軍神の血は、戦う為に生まれた神であることを明人に知らしめた。
しかし、軍神とは、皆が皆、生まれながらの軍神である訳ではない。
ただ軍神に憧れて、少し気が強いというだけで入隊するものも中には居る。序列を上げるには軍しかなかったために、軍神のような気質でないのに軍に入る者も居る。そういった者達は、敵だけでなく己の中の恐怖にも打ち勝たねばならない。なので、そういう者達が将になれる確率は低く、稀にしか居なかった。
明人は、嘉韻の言ったことを考えた。力の大きい者は、それに見合った重い責務を背負って生まれている。自分が父の子として生まれたのは、軍神になるためだった。しかし、そうして何をせよと言うのか。部下を救うことも出来なかった。こうして集めた29名は、皆、つい何時間前までは自分の後ろを付いて来ていた者達であったのに…。
慎吾が、声を掛けて来た。
「明人、終わったか?」
明人は振り返った。
「ああ。そっちはどうだ?」
慎吾は頷いた。
「我は25名失った。15名が逃れていて無事だった。我は40名部下が居たからの。皆見つかった。連れ帰らねばな。」
明人は頷いた。もう、ここには用はない。先程、玲は龍の宮へ連れ帰ると修から知らせて来た…まだ昏睡状態であるらしかった。
「玲、龍の宮へ帰るんだろうか。」
慎吾は苦笑した。
「さてな。それは玲が決めることだ。我らのことは我らが決める…主は、龍の宮へ行かぬのか?」
明人は驚いて慎吾を見た。
「…知ってるのか。」
慎吾は頷いた。
「知っておるわ。最初に主が試験を受けた時に義心殿が言っておった時から、我はわかっていた。主はなんのことか分からぬような顔をしておったがな。あちらの軍に誘われたのであろう?」
明人は頷いた。確かに、父から言われた。神の世に戻った直後から、もしも明人が龍の宮へ戻りたいと言うのなら、戻って来ても良いと言われていると。
明人は、迷っていた。月の宮には力のある将が居ない。なので自分のような気が強いだけの軍神であっても、部下を持たされ、将になる。しかし、どう考えても自分は将の器ではない。実戦で、これだけの部下を失って…己の身を守ることすら危うかった。このまま帰って、また部下を持たされるとしたら、もうこれ以上月の宮の軍でやって行けるのか自信がなかったのだ。
明人が黙っているので、慎吾は言った。
「我は断った。」明人は驚いた顔をした。慎吾も?「我は元より父が現役の龍の宮の次席軍神ぞ。しかも我はただ一人の子。いつかは戻らねばならぬのかも知れぬが、今は無理であるとな。父は残念そうであったが、我の友は月の宮に居るゆえ…それにの、もっと実力を付けねば、父の跡を継ぐことなど出来ぬ。月の宮は知っての通り神の世でも緩やかな軍だ。まだ人の世から移って数年であるしな。あと少し、我は月の宮へ厄介になるつもりよ。」
明人は、慎吾を見上げた。
「慎吾は実力もあるし、それでもいいかもしれねぇが、オレは…また部下を持ってやって行けるのか、自信がねぇんだ。こんなに死なせて…また戦があったらどうする?」
慎吾は眉を寄せた。
「…主、龍の宮の軍が、それほどに甘いと思うておるのか?」
明人は驚いた顔をした。どういうことだ?慎吾はその表情を見て、ため息を付いた。
「序列が下であるほど、任務は過酷ぞ。休みなど無い。月の宮では七日に一度あるがな。何事も王の許しを得なければならない。月の宮の王は人であったゆえ、こちらの話も聞いてくれるが、神の世の王などそんな暇はないゆえな。それに、どんなに危険な任務であろうとも、班分けされている一団で分けられておっての。数が多いゆえ、そうなるのよ。お互いにお互いの命を背負った班ぞ。いずれ部下を持った時のため、同僚の命を守ることも責務に入るのよ。」
明人は目を見開いた。
「それって…オレが足を引っ張る可能性もあるじゃねぇか!」
慎吾は頷いた。
「己の命を己が守るのが軍神ぞ。だが、龍はそうやって数を減らさぬように教えているのだ。月の宮の軍ですらまともに仕えられなかった者が、龍の宮へ逃げようなどと思わぬことよ。あちらはあちらで、それは大変であるのだ。主の父なら知って居ようぞ。詳しく聞いてみるが良いわ。」
李関の合図が聞こえる。時刻だ。
慎吾は手を上げた。
「では、帰ろうぞ。我らの王の待つ宮へ。」
明人も手を上げた。部下達の入った袋が宙に浮く。二人はゆっくりと、軍に付いて月の宮へと帰路に着いた。
月の宮は、まったく変わらないたたずまいでそこにあった。
穏やかに流れる気は、月の守りに守られた空間であることがわかる。明人達軍神にとって、この癒しの気は心を洗い流されるようであった。
月の力は、浄化の作用があるのだという。明人は今更ながら、ここがどれほど恵まれた地であるのか実感していた。
コロシアムに降り、部下達をそこへ降ろすと、王が直々にすごい勢いで飛んで来た。
「皆、無事か?!負傷者は?!」
李関が膝を付いて報告する。
「王、残念ながら多数の犠牲を出してしまいました。しかし誰一人欠けることなく、連れ帰りましてございます。」
蒼は、並んだ布袋を見た。その目は潤んでいるように見えた。
「…ご苦労だった。」蒼はやっと言った。「ここからは第三師団の宮に残っておった者に引き継ぐがよい。主らは休め。」と横に控えていた、第三師団第二連隊長に言った。「墓所を設えよ。場所は北、湖の向こう側にある平地。家族の居る者には、急ぎ伝えよ。」
「は!」
王が休めと言った時点で任務を解かれたのだが、明人は部下達を最後まで送ってやりたかった。しかし、墓所の準備に時間が掛かると聞いて、明人は昨夜飛び立った、自室の方へと足を引きずりながら向かった。
そこは、夜具が乱れ、窓は開け放たれ、昨夜出て行った時のままになっていた。
ここを出たのは、ほんの十数時間前なのに。明人は、もう何年も経ったような気がしていた。甲冑を脱いで見ると、それは血に塗れた上傷だらけになっていた。入れておくと洗濯してくれる籠にそれを放り込み、それでもあちこちに血が飛び散っている様を見て、明人は洗い流そうと湯殿へ向かった。
「主もか。」
慎吾が言った。その横には嘉韻が居る。明人は言った。
「嘉韻?確か部屋に風呂があったんじゃねぇのか?」
連隊長以上の部屋には風呂が付いている。嘉韻は憮然として言った。
「我が自室の風呂に入ろうとしておるのに、こやつが来てここへ引っ張って来おった。背を流せと言いよる。我は長であるぞ。何を考えておる。」
慎吾はフンと横を向いた。
「たまには部下を労ろうても罰は当たるまい?明人も流してもらえば良いわ。」
明人は呆れた。まだ何やら言い合いながら脱衣所から風呂へと向かって行く二人を、慌てて着物を脱ぎすてて追った。
水道の前に並んで座ってまだ何か言い合っている二人に、明人は言った。
「仕方ねぇな、オレが流してやるから、二人とも座ってろ。」
明人は風呂でよく父の背を流さされたのを思いだし、ごしごしと擦ると、はい次!と手際よく洗い、自分も自分で背をタオルで擦った。最後は三人で湯をかぶり、石鹸を洗い流すと、大きな浴槽に浸かった。
「他人に背を擦られるなど、幼い頃に母がやって以来よの。」嘉韻は言った。「己では背は見えぬしの。何やらすっきりしたような気がする。」
慎吾は笑った。
「我はいつも明人と共であるからの。お互いたまに面倒な時は背を流し合うのよ。主は部屋から出て来ぬから…たまにはいいであろうが。」
明人はそれを聞いて、慎吾が嘉韻をわざと連れ出したのだと分かった。嘉韻は、何でも自分の内にしまい込んで耐える。きっと、それを解放してやろうと思ったのだ。
「嘉韻」明人は、気になっていたことを聞いた。「鳥の宮に…親族は居たんじゃねぇのか?」
嘉韻は、しばらく黙った。そして、ゆっくりと明人を見た。
「すぐ上の兄に会った。」としばらく間があって、言った。「龍王に斬り掛かって行ったのだそうだ。次に会った時は、墓所へ運ばれる所であったわ。」
慎吾が、気遣わしげに嘉韻を見た。嘉韻はフッと笑った。
「なんて顔をしておるのだ。我はあれは生き方を貫いたと思うておる。己に勝って、あちらの世へ行ったのよ。ただ…父と兄は、鳥の宮の軍神筆頭だった延史殿と共に、炎翔は間違っていると数か月前に宮を出たのだと聞いた。今は行方知れずであるが…仕える宮もなく、いったいどこをさまよっておるのかと思う。」
慎吾は頷いた。
「宮のない神は、立ち止まることが出来ぬ。棲家に困るの。ここへ来れば、おそらく王は受け入れてくださるであろうに…。」
嘉韻は、頷き返した。
「そうであるな。王はきっと、ここへ置いてくださるだろう。だが、父達はここへは来ないと思う…我が居るし、今更我に合わせる顔も無いであろうて。」と、窓から見える空を見上げた。「我は気にせぬのにの…。」
明人には掛ける言葉がなかった。嘉韻…。
しばらくの沈黙の後、慎吾がいきなり明るい声で言った。
「おおそうよ、知っておるか?戦から帰ってからの方が、結界を強化しておかねばならぬぞ。」
明人はハッとした。そう言えば、部屋の結界か。忘れるところだった…。
嘉韻が眉をひそめた。
「知っておるわ。軍神は戦で気が高ぶっておるからの。ああいうことも抑えが利かぬ者が多いらしい。それに疲れて結界を張るのを忘れる者もおる…そこに付け込むのよ。明人、主も心せよ。ま、妻が欲しいなら止めぬがの。」
明人は真剣に頷いた。そんな気持ちになるはずがない。あれだけ人の生死にかかわって来たところなのに。だが、忘れていたのは事実だ。結界を張って置こう。
「嘉韻、気を付けないと…それでなくても多いんだからよ。」
明人の言葉に、嘉韻はうんざりしたようにため息を付いた。
「我は屋敷に戻って休んで来るつもりよ。ここでは落ち着かぬ気がする。女は、だから面倒よ。」
そういう嘉韻の横顔は、端正だった。この金髪に赤い茶色の目、しかも序列は高く、独身で、若い。人の世にあってもモテただろう。神の世でもモテるのは、至極当然のことに思えた。しかし、当の嘉韻はまったくそんなことに興味はないらしい。龍は皆こんな感じなのだと聞いた。しかし、自分はどうだろう。確かに、人の世にあった時から、あまり興味はなかった。慎吾も、口ではああ言うが、まったく女の気配はない。李関もあんな感じ、父は…母が居るし、人の世に染まっていたし、あまりわからなかった。
しかし、それの象徴のようなのが龍王だ。1700年も誰にも興味を示さず、独身でいたのだと聞いた。そして、欲しいと思ったらそればかりで、それしか目に入らず、まさにストーカーのように食い下がって、今、十六夜と妃をシェアするなんてことになってしまっているのだと噂に聞いた。
「…嘉韻も龍王みたいになるじゃねぇかと今から心配だよ。誰かをストーカーみたいに追い掛けて、挙げ句に妻をシェアするなんて、オレなら考えられねぇなあ。」
慎吾が、おい!という風に明人を小突いた。え?別に龍王はいないし…。
嘉韻がキョトンとして言った。
「まず、ストーカーとはなんだ?」
ああやっぱり…という顔をして、慎吾はため息を付いた。そうだった。嘉韻は俗な人の世の言葉の使い方がよくわからないのだった。
「あーストーカーってのは…」
「図書館で調べよ!」慎吾が割り込んだ。「ここでそんなことをしておったら、のぼせてしまうわ。」
嘉韻は慎吾を見た。
「今はそんな暇はないであろうが。シェアとはなんだ?」
仕方なく慎吾は、嘉韻が理解するまで根気よく、風呂から出てもまだ説明させられたのだった。




