出撃
「出撃!鳥の宮へ向かう!コロシアム上空へ集合せよ!」
甲冑を着たまま眠っていた明人は、飛び起きた。激しいサイレンが鳴り響いた後、李関の声が宿舎いっぱいに響き渡り、必死に一番使い慣れた刀を腰に挿すと、窓から外へ飛び出した。
隣から、慎吾も飛び出したのが見える。
「明人!分隊長だ!」
明人は頷いて下へ降り、自分の小隊の分隊長に向かって叫んだ。
「隊を整えよ!急げ!置いて行かれるぞ!」
分隊長達は必死に駆け回って隊員達を集め、飛び出して来た。明人は先に飛んで、付いて来るのを確かめながら、コロシアム上空へ集まりつつある本隊へと急いだ。後ろからは、飛びながら列を整えている自分の小隊の軍神達30人が付いて来る。明人は気を引き締めた。これから、この軍神達を守らねばならない。
李関と師団長三人は既にそこに浮いていた。先頭に浮く連隊長の前に、続々と軍神達が並び始める。ここまで、僅か5分ほどであった。
李関が叫んだ。
「龍王が軍を率いて鳥の宮へ妃の奪還に向かった!月と領嘉殿はその軍に付いて先に向かっておるとのこと。鳥が龍王に背いた首謀者であることがわかったが、詳しくはわからぬ。鳥の宮は殲滅される…龍王が決めたことだ。我らもこれより、鳥の討伐に向かう!」と踵を返した。「出撃!」
李関が飛び、その後に信明が続く。皆がそれに付いて、飛ぶ中、遅れながら必死に後ろから何人かの軍神が甲冑を整えながら飛び上がって来るのが見えた。遅れたら置いて行かれる…待ってはくれない。これは、おそらく撤退の時もそうであろう。明人はそれを肝に銘じて、必死に軍に付いて行った。そして部下達もそれに付いて飛んで来ていた。
その後ろから、同じく甲冑に身を包んだ軍神が、一人遅れて軍に付いて飛び立ったのを、誰も振り返ることはなかった。
李関が先頭を飛ぶ中、その横に父の信明の背が見える。少し前、まだ人だと思っていた頃、自分はあの父に手を引かれて、それにぶら下がって龍王に会うため飛んだ…それが最初だった。あの時はそのスピードに、回りを見る余裕すらなかった自分が、今は部下を率いてその背を追っている…大勢の神と共に、神と戦うために。そんなことは、人の世に居た頃、考えてもいなかった。人の世の町の灯りが遠くに見える。こんな事が起こっているなんて、おそらく誰も知らないのだ。自分はあのまま高校を卒業していたら、どうなっていたのだろう。就職して、まだ何も知らずにあの中で暮らしていたのだろうか。やがて分かる、老いない自分というものを知らずに、人と付き合い、小さな幸せが自分にも許されると信じて…。実際は、人と結婚など出来ない身であるのに。
明人は、これでよかったのだと思った。神は人とは暮らせない。不幸になってしまう…どちらにとっても。
ふと、嘉韻の表情が目に入った。固く結ばれた唇は、心なしか青く見える。この嘉韻に限って恐れる事などないはず。明人は問おうとして、ハッと思い当たった。
嘉韻は、鳥の宮の軍に居たのだ。
嘉韻の父は、まだ鳥の宮で健在なはず。嘉韻は…父と対峙しなければならないかもしれないのだ。
「嘉韻…。」
明人は、飛びながら言った。嘉韻はハッとしたようにこちらを見て、その表情にフッと笑った。
「なんて顔をしておる。我は鳥ではない、龍よ。あれは捨てて参った宮…今さら未練もないわ。」
明人は、その言葉に嘘はないと感じた。だが、嘉韻はあれほどまでに軍に入るのを渋っていたのではないか。それは、鳥の宮など忘れてしまいたかったからではないのか…それを、討ち滅ぼしに向かう事など、考えもしなかったはずなのだ。
それでも、明人は頷いた。嘉韻がどう考えているのかわからない。だが、このことばかりは明人が口出しできることではないのだ。慎吾も、それを察して横で険しい顔をしている。明人なら、もっと嘉韻と話して、事情ももっと知っているのかもしれない。明人は遠く近付いて来る鳥の宮の灯りを目にして、表情を引き締めた。これからは、自分と自分の部下を守ることに集中しなければ。
鳥の宮を望む空では、龍の大軍が到着して浮いていた。すぐに飛んで行った李関が、すぐに戻って来て伝えた。神の耳は相当にいいが、それでも李関は皆に伝わるように念で言った。
《龍王妃が捕えられておるので、これより個々に軍を殲滅して行く。龍王の下知に従う。》
すぐに、龍王の声がした。
「月と将維は東、義心は西、領嘉はそこで我らに飛んで来る仙術を回避させよ。我は正面から参る!」
おそらく、龍に命じたことであったろう。その声が終わった途端、龍王が先頭をきって真正面から降りて行くのが見えた。遠目にも見える大きな闘気は、辺りの空気をビリビリと震わせ、こちらにも伝わって来る。瞬く間に龍の全軍は三方に分かれて鳥の宮へとなだれ込んで行った。李関の念が叫んだ。
《第一師団正面、第二師団西、残りは月に付いて東へ行け!》と李関自身は正面へと向かった。《行け!》
長賀が西へ向かって龍軍を追う。明人はそれを見て必死について行く。そしてハッとして部下達を振り返った。飛ぶのが遅い。確かにそうだろう…気が絶対的に自分達とは違うのだ。
「急げ!お前達を待ってはくれぬ!遅れたら狙い討ちであるぞ!」
明人の叫びに、部下達は必死の形相で付いて来る。弱い者はせめて固まっていないと、バラけたら途端にやられる…父が、部下を守るためだと教えてくれたことだ。
そのわずかな隙に、月の宮の軍はもう戦闘のただ中へ突っ込んでいた。先頭の長賀が物凄い速さで敵を斬り捨てて行く。鳥の宮の軍は、龍のあの数の軍神であっても、全てを殲滅しながら進むことは困難だった。一人一人の能力が高い上、数がとても多い。さすがに炎嘉が育てた軍だと、明人は思った。明人は追い付いて戦闘の中へ突っ込んだ。今まで立ち合いとは明らかに違うー皆、自分の命を取りに来ている。しかも、自分が将だと分かると、その囲いは数を増やして来る。明人の闘気が瞬時に湧きあがった…殺さねば。
ためらう気持ちなど、欠片も起こらなかった。冷静に敵の数を読み、その手数と動きから斬る順を瞬時に判断してどんどんと斬って行く。相手は一太刀で落ちてくれるほど、弱くはなかった。気を抜くと、気弾が飛んで来る…明人は空間全てを使って飛び回り、身を翻して攻撃を避け、太刀を振り上げ続けた。
あまりにも明人に群がる敵の数が多過ぎて、部下を気遣う余裕もなかった。そこへ気を向けることも出来なかった。回りが見えない…。ただ、群がって来る敵を倒すことしか考えられなかった。
夢中になって敵を斬り付けている中、目の前の敵が下へ落ちて行き、ふと、明人の目の前に空間が開いた。
視界が開けて、回りの軍神が見えた。龍軍の軍神達が多い。月の宮の甲冑を探して振り返ると、慎吾が後方に見え、明人はそこでやっと部下のことを思い出した。
「慎吾!」
明人が慎吾の方へ慌てて飛ぶと、慎吾は明人を見た。肩で息をし、明人を見ている。
「…この辺りは鳥は退いた。おそらく前線の将を助けに行ったのだ。我らも行かねば…」
明人は部下達の気を探った。しかし、戦場は闘気が激しくて探ることが出来ない。慎吾は明人を見て、首を振った。
「鳥は下っ端であっても我らぐらいの気ぞ。あやつらは次々に落ちて行きおった…我には常7人ほどの軍神が群がっておったゆえ、とても助けてやれるものではなかった。」
明人は愕然とした。では、全て死なせたのか。あの、突入前に振り返ったのが最期だったのか。
そして何より、そんな状態でも回りを見ていた慎吾に、明人は自分の不甲斐なさに歯ぎしりしたい気持ちだった。自分は何も見れなかった…落ちて行く様も、まったく見ていなかった。
慎吾はそれを見て、明人の肩に手を置いた。
「主には常10人ほどが群がっておったゆえ。我は主より後ろであるから、少なくて済んだのよ。行くぞ。ここで居ったら我らこそ狙い撃ちにされかねぬ。龍軍に合流しようぞ。」
明人は慎吾の姿を間近に見て驚いた…返り血がそこかしこについている。そして自分を見て、また驚いた…慎吾より多くの返り血を浴びていたのだ。
回りの龍の軍神達が、本隊に合流しようと前進し始める。明人は刀を握り締め、足の下の地面に転がるおびただしい数の軍神達から目を反らして、慎吾と共にそれを追った。あれに遅れたら、自分達も命はないのだ。
嘉韻は、前線の只中に居た。上司の長賀にぴたりと付いて、その背を守る形で敵と対峙していたのだ。第一連隊長は先刻、部下の小隊長を庇って負傷し、後方の龍軍補佐の隊、軍医の隊に囲まれて連れ去られた。命は落とさなかったはず…嘉韻は思っていた。
鳥の軍神達は、さすがに手強かった。だが、嘉韻は鳥達との立ち合いで、間合いの取り方も癖も何もかも身に付いて知っている。気がわずかばかり上であっても、嘉韻には敵ではなかった。見知った顔が嘉韻を見て険しい顔をして、構える。嘉韻は表情一つ変えずに、それらを斬り捨てて行った。
ふと、背後の長賀が身を強ばらせた。
「う…!」
長賀が脇腹を押さえる。嘉韻は叫んだ。
「長賀殿!」
支えようとした手を長賀は振り払った。
「来るぞ!我は捨て置け!」
刹那、嘉韻は飛んできた刃を受けた。相手を睨み付けた嘉韻を、相手は珍しいものを見るような目で見た。
「…ふん、嘉韻か!鳥になり損なった龍よ!」
その隙に龍の補佐隊が素早く長賀をかすめて連れ去った。追おうとする他の鳥に向かって、その鳥は鼻を鳴らした。
「捨て置け。あんなやつに用はないわ。」
気が付くと、回りはその将以外に鳥ばかりに囲まれていた。嘉韻は構えた。龍の前線はもっと先、月の宮の軍はまだ後方。自分はここで孤立している…一人でやるしかない。
「しばらく!」上空から、鳥の軍神が叫んだ。「ただちに宮へ降りよとの命!龍王は既に中庭まで到達、中央は全滅とのことです!急ぎ援護に!」
その将は回りを見た。
「主らは行け!我はこれを始末してすぐ参る。なに、時は取らん。」
回りの鳥達は頭を下げてすぐに中央へと飛んだ。嘉韻は相手を睨み付けた。
「…一人で我の相手になるのか、嘉晋よ。」
嘉晋は不敵に笑った。
「主など敵ではないわ。序列も付かぬただの龍よ。」
嘉晋は突然に斬り掛かって来た。嘉韻は迎え討つ気弾を激しく放出する。確かに、あの時は序列が付いていなかった。あの鳥の宮の偏見の中で、土台無理な話だった。だが、今は違う!我は龍なのだ。鳥ではない!




