不穏
月の宮は、緊張感にあふれていた。
王と月が炎嘉を探す中、その気は全く読み取れず、地上から忽然と消えてしまった。龍の宮でも探しているようだが、同じように成果は無しのままだった。
炎嘉と最後に話したとされる龍王も、何も心当たりはないという。明人もコロシアムで会ったが、最後に炎嘉が話していたことを嘉韻に報告し、それを嘉韻が長賀に報告し、それを長賀が李関に報告し、李関が王に報告しと、順を追って知らされたが、有益な情報ではないので、なんの役にも立たなかった。
それから軍の方では、有事に備えていつでも出撃出来るようにと軍備を整え始めていた。何が起こるかわからない。炎嘉は、龍王に次ぐ力の持ち主と言われていた。もちろん、跡継ぎの将維の方が力はあったが、龍王に対抗する可能性のある神の中でという意味だ。
もしも炎嘉に反意ありとなると、戦になる可能性がある。備えておいて、やり過ぎではないのだ。
通常業務の中で工事関係やら緊急でないものは全て省かれ、いつでも出れるようにと甲冑を着て寝る毎日だった。
待って居るだけで何もすることがないので、戦の時の陣の作り方や、大勢の敵に大した時の演習をこなしながら、日中をこなしていた明人は、玲を闘技場で見かけるようになった。
学校のほうの演習も中止するわけには行かないので、軍の演習の邪魔にならない隅の方で、立ち合いがされていたのだ。
明人は、もう何年も玲と話せずに居た。玲は少し身長も伸びて、高校生ぐらいには見える大きさになっている。話したいが、話しに行けずに居たこの数年を、明人は後悔していた…あれからもう、五年以上になるのか。それでも、玲はまだ訓練場で立ち合っていた。ただ、今は真剣を持たされて、それで立ち合いが出来るようになっていた…おそらく、気は強くないが、技術が上がったのだろう。自分より明らかに気の強い相手に、形になった立ち合いが出来るようになっていたのだ。
明人は、絶対に今日こそと心に決め、自分の小隊の演習が終わってすぐに玲の所へ飛んだ。
玲は、居残りの練習を終えて帰るところだった。
「玲!」
明人は呼びかけた。玲は振り返って、驚いたようにこちらを見た。
「明人!…なんだか久しぶりだ…あれ?明人、身長これぐらいだっけ?」
明人は笑った。
「玲が伸びたんだよ。」明人はいきなり頭を下げた。「すまねぇ!オレ、全然玲に会いに来れなくて…ずっと気にしてたんだ。」
玲は慌てて明人に言った。
「何頭なんか下げてるんだ!我は別に、気にしてないよ。明人と慎吾にいきなり序列が高くついたのも聞いて知ってたし、それからは全く暇がなくなるのも、龍の宮で見てて知ってたしさ…軍神は休みなんか有って無いようなもんだものな。」とまじまじと顔を見た。「明人…顔つき変わったな。部下も居るんだろ?あれからもう、五年以上になるのか…。」
明人は頷いた。しかし、神の世の五年などまるで数か月のような扱いだ。そんな感覚になってしまっている自分に、明人は驚いた。これなら、800年ぐらいあると言われている寿命も、そう退屈しなくて済むかもしれない。
「でも、玲は何年もよく頑張ったな。今は真剣で立ち合ってるじゃないか。技術が上がったんだろ?」
玲は恥ずかしそうに笑った。
「そうなんだ。それにね…もしかしたら、軍に上がれるかもしれない。昨日言われたんだ。最初は第三師団第二連隊第三小隊第三分隊になるって言われたけど…。」
明人はそれを聞いてホッとした。一番気の弱い者が集まっている分隊だ。そこに居れば、戦場へ送られることはまずない。だが、もしも序列が付いたとしても、一番下であることは間違いない…。
「よかったじゃないか。これで軍神の仲間入りだな。」
玲は頷いた。
「序列なんていいんだ。軍に入れたら…五年も学校に居たのは我だけだけど、でも、粘った甲斐があったなって。」と声を潜めた。「だって、今緊張状態が続いてるんだろ?戦が始まったら、学校に居たんじゃ役に立てない。早く軍へ正式に移してくれないと、我も参戦出来ないじゃないか。だから、少し焦ってるんだ…早く告示してくれないかなって。」
明人は複雑な表情をした。仮に軍に移ったとしても、玲の入る隊では出撃は出来ない…宮の守りに回される。それは、明人にはわかっていた。それに、今の玲に従軍してほしくない。特に、こんな有事前に。
「今は、他の事で軍もバタバタしてるからな。人事のことまで手が回ってないのだと思うぞ。」と月の宮にはどこにでもある時計を見て、慌てた。「ああ玲、すまねぇな、オレ行かなきゃ。上の嘉韻が会議に出てて、帰って来るから連隊会議をするんだよ。オレだけ遅れたらいくら嘉韻でも怒るからよ。」
玲は頷いた。
「じゃあ、またね。我も軍に行ったら、また皆で話をしよう。」
明人は頷いて手を振った。
「宿舎に入ったらいくらでも夜話せるぞ。じゃあな!」
明人は外へ出て急いで飛んだ。
状況は進んで行っていた。
嘉韻が、もう自分の連隊の小隊長二人、新吾と光明を前に座っていた。明人を見て眉をひそめる。
「遅いぞ、明人。座れ。」
明人は頭を下げた。
「玲と話しておりました。」
嘉韻は上司なので、公の場では礼を尽くさなければならない。明人は急いで椅子に座った。嘉韻は険しい顔で言った。
「…あれも第三師団へ入るのだろう。本日聞いた。明也殿が頭を抱えておったわ。」
やはり、そうか。明人は頷いた。
「第二連隊第三小隊第三分隊と聞きました。」
嘉韻は視線を落とした。
「…まあ、上も根負けしたような形よ。五年半も学校におった…もうこれ以上、学校に置いておくわけにはいかぬということらしい。しかし、このような時に。」嘉韻は手元の書状に目を向けた。「本日聞かされた事を話す。」
明人は姿勢を正した。他の二人も身を乗り出す。嘉韻は言った。
「…先日龍王の記憶が、400年後退するという事件が起こった。つまり、400年前までの記憶しか今、持たれていないというのだ。原因を調べた結果、庭に仙術の跡が残されていた事が分かった…今、月とこの宮に居る仙人の領嘉殿が、仙術の事を調べておられる。近隣の宮に不穏な気は感じられず、誰の仕業なのかまだ分かっていない。ただ、間違いなく龍王を狙ったものであることは分かっておるので、あちらでも警戒している。どうも仙術には、気を遮断する膜というものがあるらしくてな。その膜に包まれておれば、何をしておってもどこに居ても我らには気取れぬ。どうやら、面倒な事になりそうな気配であるのだ。」
小隊長三人は息を飲んだ。それはつまり…やはり、戦になるということか。
「では、龍とどこかの宮の戦が起こった場合、我らも参戦するということか。」
慎吾が言った。嘉韻は頷いた。
「ここと龍の宮はかなり親交が深い。維月様が龍王の正妃であられるうえ、この北の領地は龍のものを譲り受け、建設も龍の力で成された。ゆえ、ここには龍の駐屯兵も多数おるし、軍には龍が過半数であるだろう。李関殿は、龍の宮の軍神であったのを、ここに移動なされた方であるし、次席の信明殿も龍。間違いなく、共に戦うことになろう。」
明人は頷いた。自分も、慎吾も、それにもう一人の小隊長の光明も龍だ。それに、鳥の宮に居たとはいえ、嘉韻自身も龍だった。間違いなく、戦が起これば戦うことになる。
「…それは…時期は予測が付くのでしょうか。」
「今すぐにでも」明人に、嘉韻は答えた。「まったく予測はつかぬが、記憶を封じるのに成功したとあっては、いつ次の手を打って来るかわからぬ。ゆえ、まさに今すぐにでも出撃出来るよう指示が出ておる。」
嘉韻は手元に目を落とした。
「これよりは、戻って各分隊へ伝えよ。出撃命令が下った後、第一第二師団は総軍、第三師団からは師団長と第一連隊長、第一第二第三小隊長が我らの連隊に合流して、出撃する。残りは第三師団第二連隊長が指揮を執って月の宮の守りを行う。王もこちらに残られるので、攻撃に困ることはない…王はその気になれば月の力で一気に敵を殲滅することが出来る。まあおそらく、封じるだけであるだろうが…王はお優しいゆえの。ゆえに、ここの心配はない。」
明人は緊張した。では、ほぼ全軍が戦に向かうことになるのだ。嘉韻は言った。
「我らも、勝ち負けであるならそう心配することは無いと思うぞ。なぜなら、龍王はたった一人で宮を殲滅させたことのあるお方だ。おそらく現存する神で最強であるだろう。ただ、一気に殲滅するということは、敵味方関係なくその場に居る者全てということになる…ゆえに、もしも人質など取られようものなら、その力は使えぬ。個々に殲滅して行くよりほかない。なので、我らも行くのだ。こちらが負けるということはおそらく有り得ぬが、それでも少なからず死傷者は出る。迎え撃つ方もそれなりの力を持っておるから、弱い者はその敵の中の強い者にやられるであろう。心せよ。」と息を付いた。「では、分隊長に知らせるのだ。行け。」
三人は立ち上がった。いよいよ、実戦が近くなって来ている…明人は不安と共に湧き上って来る、なんとも言えない闘気を、心地よく思う自分に驚きながら宿舎へと急いだ。




