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明人がそんなことを思い出しながら月を見上げていると、横から声がした。

「あそこに、今オレは居ねぇよ。」明人は慌てて横を見た。「お前、軍に移るんだってな。蒼から聞いた。ちょっとの間に成長したじゃねぇか。」

十六夜だった。明人はなぜか嬉しくて、十六夜に飛び付かんばかりに駆け寄った。

「十六夜!オレ…話したかったんだ!」

十六夜はびっくりしたように言った。

「なんでぇ、話したいなら月に向かって呼べと言ったじゃねぇか。今日は長居出来ねぇけどな。維月が帰って来てるからよ。」

明人は頷いた。

「時間は取らせねぇ。」と、下を向いた。「オレ…自信が無くなった。」

十六夜は眉を上げた。

「見習いのお前が李関とあれだけ立ち合えりゃあ大したもんだ。何を自信を無くしてる?」

見てたのか、と思いながら、明人は首を振った。

「殺す殺さないのことだ。玲を知ってるか?」

十六夜は複雑な表情を浮かべた。

「ああ。あのちっこい龍だろ?お前と同期の。」

明人は頷いた。

「あいつにはあいつの意地があるんだ。あっちの宮で軍神になれなかったから、こっちでリベンジしようと思ってるんだよ…あいつの親父が軍神だから。」

十六夜は頷いた。どうも知っていたようだ。

「…なあ明人。あいつの場合、お前が医者になりてぇって必死に勉強してるようなもんなんでぇ。お前に医者の素質はねぇ。頑張ればなんとかなるかも知れねぇが、なってからまたひと苦労だ。命が掛かってるからな。殺しちまってから、すいませんじゃすまねぇだろうが。お前をフォローしようと回りも余裕なくなるから、回りまで自分の患者を殺しちまうかもしれねぇ。要は、そういうことだ。維心の記憶を見た事があるが、戦場ってのは残酷だ。囲まれるしな…余裕なんざ維心レベルでなきゃあり得ねぇだろう。今は維心が押さえ付けて大平かも知れねぇが、それでもあちこちいざこざはあるからな。大きな戦が無いとは言えねぇ。間違いなく玲は死ぬ。軍神達にはそれが分かるんだよ。」

明人は反論しようとして、口を閉じた。その通りだ。命に関わることなのに、個人の希望だけで決められる進路ではない。神の世はシンプルで分かりやすい。役に立つか立たないか、回りに迷惑を掛けるか掛けないか。玲が無理に軍に入れば、間違いなく回りは皆、玲を気遣う。自分も慎吾もそうだろう。それで、実戦で生き残れるかと言えば…きっと、お互いに死ぬだろう。そういうことなのだ。

それでも、明人は言った。

「十六夜、月は力を持ってるんだろう。玲を守ってやることは出来ないのか。あいつの回りに、戦場で結界を張るとか…。」

十六夜はため息を付いて、首を振った。

「なんでオレが玲だけを特別扱いしなきゃならねぇ。いや、聞け。」明人が何か言おうとするのを、遮って十六夜は続けた。「あのな、オレはこの宮を守ってる。この結界は誰も通っては来れねぇ。この結界の小さいのを玲に張ることは可能だ。だが、それを玲一人にする訳には行かねぇよ。オレにとっちゃあ、宮の者達は皆守る対象だ…しかし、一人一人に結界を張れるほど、オレは器用じゃねぇ。皆に平等に出来ないことを、玲だけにする訳には行かねぇんだよ。わかるか?オレは誰かを特別扱い出来るほど、暇じゃねぇんだ。有事には特にな。」

明人はうなだれた。十六夜は、月だ。オレも含めて皆の生活を守っている。確かに玲一人を特別扱いしたら、皆我も我もとなるだろう…特別扱いが出来る立場ではないのだ。

「…そうだな。悪かったよ。十六夜だって立場があるよな。」

十六夜は頷いた。

「玲にもな。」明人は驚いて、十六夜を見た。「考えてみろ、そんなゴマメみたいな扱いで、軍神になって従軍したって共に戦ったことにはならねぇだろうが。皆は命張ってるのに、あいつだけは命の保証がされてるなんてよ。軍はお遊びじゃねぇ。お前だってもうわかってるんだろうが。」

明人は、わかりたくないが、もうわかっていた。それで仕方なく頷いた。

「そうだな。無理を言ってすまなかった。」

十六夜は、浮き上がった。

「さて、もう行く。維月が待ってるんでな。」

浮き上がった十六夜に、明人は言った。

「十六夜、聞きたかったんだよ…なんで維心様の妃を好きなんだ?」

十六夜は眉を寄せた。

「あいつはオレの妃だ。維心が拝み倒すから仕方なく許してやっただけでぇ。」

明人は驚いた。

「え、龍王が?」

十六夜はため息を付いた。

「物の例えじゃねぇか。あいつは、死にてぇぐらい維月を望んでたからな。ま、話せば長い。お前にゃまだわからねぇよ。好きな女が出来たら、もう一回聞きな。教えてやらあ。」と高く飛び上がった。「じゃあな。」

明人は、宮へと帰って行く十六夜を見送った。

明日からは、気の使い方をマスターしなければと思いながら。


十六夜は、維月と二人の部屋へ舞い降りた。

「おかえりなさい。」

維月が出て来て、十六夜に歩み寄って来た。十六夜は微笑んで維月を腕に抱いた。

「待たせたな。なんだか話が込み入っちまってよ。」

維月は気遣わしげに十六夜を見た。

「…神の世に慣れないの?」

十六夜は首を振った。

「いや、あいつは信明からもらった気の力と天性の戦いの勘がある。だが、一緒に居た友達のほうがな…神の世は残酷だ。能力がない者にはな。だから皆、己の希望じゃなく能力のある職に就くだろうが。」

「…玲のことね。」

維月は悲しげに言った。十六夜は頷いた。

「そうだ。維心も気にしていただろう。あの時、試験を受けてる玲を見てるからな。」と維月の頬を撫でた。「お前が気に病むんじゃねぇよ。ここで生きて行こうと思ったら、自分の能力は知らなきゃならねぇからな。これも試練だ。玲はまだ18、あの頃の蒼と同じ歳じゃねぇか。まだまだ時間はある。焦ることはねぇ。気が済むまで、訓練場で棒を振ればいいのさ。そのうちに、分かって来る…あいつは頭のいいヤツだ。」

維月は頷いた。十六夜はそれを見て微笑むと、維月に唇を寄せた。

「さあ…この話はここまでだ。あとはオレ達の時間だろ?」

維月も微笑んだ。

「十六夜…愛してるわ。」

十六夜は答えた。

「知ってるよ。」と維月を抱き上げた。「オレも愛してる。言わなくてもわかってるだろ?オレもそうだ。」

維月は十六夜に頬を摺り寄せた。

十六夜は維月を連れて、部屋の奥へ向かった。


月日は瞬く間に過ぎて行った。

話したいと思っていたのに、玲は学校、明人は軍で、とても時間が空かない…軍神は、思っていたよりずっと仕事が多かった。

任務が多くてそれに必死になっていると、時間が無くて立ち合いが出来ない。焦って夜に慎吾と二人で闘技場に立つことも、一度や二度ではなかった。そして、それは自分達だけではなく、ほとんどの下位の軍神達はそうだった。

疲れてボロボロの毎日だったが、明人はずっと玲を気にしていた。慎吾とは同じ隊だったが、嘉韻とは違う隊なのでルーティンが合わず、なかなか会う事がない。嘉韻にも話を聞きたい。今なら、きっと話が分かるからだ。

そうして、もう二年以上経ってしまっていた。それでも、その二年がとても短く感じた。あまりにも毎日が忙し過ぎたからだ。

明人がやっと夜勤の任務を終えてとぼとぼと宿舎の廊下を歩いていると、着物姿の嘉韻が部屋から出て来た。遠くから何度か見掛けていたが、近くで見るのは本当に一年ぶりだった。明人は慌てて頭を下げた。嘉韻は上司になる…序列が付いているからだ。自分には、まだだった。

「明人、久しぶりだの。」と嘉韻は言った。「任務を離れたら、頭を下げる必要などない。主は我の友よ。」

明人はホッとした…嘉韻は変わらないからだ。

「嘉韻、ずっと話したいと思ってたんだ。今日は非番か?」

嘉韻は頷いた。

「ここは七日に一度休みがあるからの。学校の図書館にでも行こうと思っていた所よ。しかし主、任務明けではないのか。少し休んでからの方が良いのではないか?」

明人は、これを逃してはいけないと思った。軍は、いつ召集されるか分からない。休みと言っても、一日休めるかは分からないからだ。

「大丈夫だ。甲冑を脱いで来るから、図書館で待っててくれ。」

嘉韻は、それ以上何も言わずに頷いた。明人は急いで自分の部屋へ飛び込むと、着物に着替えて嘉韻を追った。

嘉韻は、机に腰掛けて本をすごい速さでめくっていた。しかし、明人はそれが、神がゆっくり書物を読む時の寛いだ状態なのだともう知っていた。なぜなら、神は本を念で一度に頭に入れて読むことが出来るからだ。ああやって一ページずつめくっているということは、時間があるということなのだ。

明人は嘉韻に声を掛けた。

「嘉韻。」

嘉韻は顔を上げた。今は朝なので、皆授業に出ているようで、ここには嘉韻以外誰も居ない。明人は嘉韻の前に腰掛けた。

「こうして向かい合うのは久しぶりだの。全く時間があわなんだゆえ…慎吾は夜中でも宿舎の部屋へ押しかけて来よるから、ほとんど毎日ほど話しておるがな。」

明人は驚いた。慎吾は、嘉韻と話していたのか。慎吾とはほとんど同じように行動していたのに、明人は全く知らなかった。慎吾と嘉韻はとても仲の良い友人だと聞いている…きっと、どんなに疲れていても、そうせざるを得なかったのであろう。

「…知らなかった。慎吾は何も言わねぇから…。」

毎日ふらふらだったはずだ。自分でも宿舎に帰って着替えもせずに寝込んでしまうことも多かった。それでも、慎吾は嘉韻に話しに行っていたのか。

「まあ、あやつは話してる最中に寝込んでしまうことがしょちゅうであるがな。我の部屋の長椅子があやつの寝台みたいなものよ。それで、主はどうしたのだ。我に何か話があるのであろう?」

明人は頷いた。

「嘉韻…オレ、嘉韻があれだけ言ってくれてたのに、軍神がなんたるか知らずにいた。なってから知ることが多過ぎて、ためらうことも多い。まあ、それでもなんとか仕えられてるからオレはいいんだが、気になることがあってな…玲のことだ。」

嘉韻はまるで知っていたかのように、頷いた。

「…まだ真剣も持たされておらぬと聞いた。我も気になって見に行ったことがあるが、確かに厳しいの。内々に立ち合っておるだけならまだしも、実戦には明らかに向かぬ。今、あの気が弱いグループで残っておるのは玲だけ。次に入って来る予定の者の中でどうやら一人、気の弱い者がおるらしいが…それも練習を始めればおそらく政務のほうへ回るのではないかと思われる。」

明人は下を向いた。では、あの時に居た何人かはもう、違う部署へ変わったのか。それでも、玲は残っているんだ…。

「嘉韻、オレは玲の話を聞いてしまった。玲は軍神である父に、安心してもらいたいと言っていた…それに、意地もあると思うんだ。」

嘉韻は明人をじっと見た。

「意地であるな。」嘉韻はあっさり言った。「そのために死するのも、また選択の一つであろうぞ。我は止めぬがな。」

明人は驚いた。嘉韻は、玲は友達とは思っていないのか。

「嘉韻…玲は友じゃねぇのか?」

今度は嘉韻のほうが驚いた顔をした。

「友であろうが。なのでその意地を張るのも止めぬと申した。でなければ軍の足手まといになる者など認めぬわ。己の守るものの妨げにもなろうしの。人は違うのか?…まあ、人の感覚とは我らには奇異なものよ。主から見ても、我らはそうであろうて。」

明人は嘉韻が足手まといと言った時、声を荒げ掛けたが思いとどまった。確かに、そうなのだ。明人の隊にも、気が他より少ないが軍神には難なくなれた者が居る。飛ぶスピードも明人達より遅く、宮の結界を破ろうとしていた賊を討つ時も、それを庇って危うく明人も傷を受けるところだった。慎吾が居たので事なきを得たが、あれが戦場であって、回りに無数の敵が居るとなれば、明人もその軍神も命はなかっただろう…実質、隊を支えているのは、隊長の龍と、慎吾と明人。皆気が強いからだ。他はその三人に頼っているような感じがある…今はそれでいいが、実質三人しかいないような隊で、8人分の考えで戦闘の指示を出されたら、どうなるのだろう?良くて三人が生き残り、悪くて全滅…おそらく、そうなるだろう。

明人は深くため息を付いた。

「嘉韻の言っていることは、分かる。オレもオレの隊にこれ以上抱え切れねぇし、それがどんなことなのかも今は理解出来てる。わがままなのは分かってる…玲には軍神になってほしいし、死んでほしくない。矛盾してるよな。」

嘉韻はじっと考えていたが、頷いた。

「我も同じ気持ちよ。我のように仕方ないからと軍神になった訳ではないからの。しかしまた、軍神になりたくはなかった我だから言うが、持って生まれた能力というものはある。我は本当なら宮の医務部門のほうへ行きたいと思うた。いろいろと試してみた結果の。人の命を奪うのでなく、助ける仕事。だがの、我の気は治療には向かぬ…あくまで攻撃に対して多大な力を持っておる。何度か試してみたが、宮の治療の神達のようには出来なんだ。それでも我はそこに留まろうと思ったのよ…だが、炎嘉様に諭されての。」

明人は顔を上げた。炎嘉様は、この宮最強の軍神だ。だが、宮の序列に入らず、あくまで客員指導者として月の宮に滞在している。記憶を持ったまま転生したが、前世は龍王の友でもあった鳥の宮の王で、存命の間長く龍王と天下を二分していたと聞いた。記憶を持ったまま転生するために使った器が龍であったため、今は龍として生きている、それは大きな力を持った神だった。

「炎嘉様が…なんと?」

嘉韻は遠い目をした。

「神も人も、生まれ出る時に責務を背負わされておるのだという。それは力の大きさに準じ、そしてその能力もそのために与えられていると。責務はなんなのかわからないが、ただ一つわかっているのは、力が大きい者ほど大きな責務を与えられ、それを成し遂げる器の無い者には力も与えられないのだと。」と、明人に視線を戻した。「それを聞いて、我は決心した。己が選べるものではないのだと。我の能力が攻撃に特化しているのは、それを持って成し遂げねばならぬことがあるということなのだ。ゆえ、我は軍神になることを選んだ。この力が何かのためにあるのなら、それに使うべきであろう。」

明人は、そんなふうに考えたことがなかった。力を持って生まれたのは、何かの責務を負わされて…それを成し遂げる能力を持たされたためなのか。では…玲は、別の責務を負わされているのか。だから、軍神になりたいと、意地になっていると、嘉韻は言っているのだ。だが、友だからその選択も仕方がないと理解してやろうと。

「責務を果たせないと、どうなるんだろう…。」

明人は呟いた。嘉韻は眉を寄せた。

「…責務を果たそうとしておるのなら、その体の寿命の間待ってくれる。だが、そうでないのなら…待っているのは、死よ。命を保つために、我らが命の気を補充しておるのは知っておるの。それは無限ではないゆえ…新しい命にそれを譲るため、遅かれ早かれそうであろう。自然にそうなって行く。それが、世の理であるの。もちろん、別の命に命の尊さを知らしめるため、始めから短い寿命の者も居るらしい。だが、そういう命は向こうでもかなりの良い位置に居るらしいぞ。あくまで一度あちらへ行った炎嘉様の言葉によるとだがな。」

明人は、まさかそんなことを知った上で嘉韻が軍神を選んだとは思わなかった。だから、玲のことも、そんな風に見る事が出来るのか。でもオレは…玲には死んで欲しくない。

わらわらと生徒が図書館へ入って来た。休み時間に入ったクラスだろう。嘉韻はそれを見て、立ち上がった。

「戻ろうぞ。我も一度屋敷に戻らねばならぬ。家の者の様子を見て参らねば。」

嘉韻は本を戻して、明人と並んで歩き出した。

廊下を歩きながら、明人は言った。

「嘉韻、一人暮らしじゃなかったのか?」

嘉韻はチラリと明人を見た。

「…母が共よ。鳥の宮では龍は肩身が狭い。まして炎嘉様が亡くなって龍の世になってからというもの、軍で唯一の龍であった我など序列もつかなんだ。力に関係なくの。父にも風当たりは強くなり、母は孤立しておった。ここへ来るのを決めたのは我だ。母をあのような場所には置いて置けぬのでな。父は見送りにもこなんだ…厄介払い出来て、清々しておるのではないか?」

その口調に皮肉が混じっているようなのを、明人には咎められなかった。オレは恵まれている…両親共に龍で、何も知らずに親に守られて育った。ここに来てからも回りに気遣われ、そして、父から譲り受けた気の大きさに感謝することもなかった。自分で何も決められず、回りを頼ってばかりだった。これではいけないのだ。

宿舎に着いて、明人は言った。

「嘉韻…また話に行ってもいいか?」

嘉韻は驚いた顔をしたが、頷いた。

「夜中は駄目だぞ?慎吾にも申してくれ。ま、奴は駄目だと言っても来るのだがな。」

部屋へ入ろうとすると、隊の軍神の一人が駆け寄って来た。

「明人、嘉韻殿、よかった、お探ししました。今夕、軍の会議に、軍神は皆出席するようにと、李関殿より命でございます。」

明人と嘉韻は顔を見合わせた。全員?

「分かった。」

嘉韻は答え、その軍神は去って行った。

明人は夕方までにとにかく寝ようと、今度こそ部屋に入った。

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