士官学校
明人は、士官学校というものがどんな場所なのか知らなかったが、神の世の士官学校に関しては間違いなく厳しいものだった。
出来ない、ということは絶対に言えない。言ってはいけないのだ。
気弾の作り方にしても、結界の作り方にしても、軽くやって見せられるだけで事細かく教えられる訳ではない。それも、玲から聞くと他の宮ではいきなり軍に入れられるのであって、こんな学校があるだけ月の宮はとても親切なのだという。
自分の身は自分で守るのが原則で、王が撤退を命じた時にそれに付いて行けなかったとしても、誰も助けには来てくれないのだと父から聞いた。目の前で討たれて落ちて行っても、誰も見向きもしないのだと…なぜなら、自分も自分の命を背負っているからで、死んだ者に構っては居られないのだという。なので全てが終わってから出なければ、まだ息があっても助けにも行けない状態であるのだそうだ。
自分より気の大きな敵と対峙することもしょっちゅうなのだそうだが、その時は技術でカバーするしかない。気弾の大きさなどでは絶対に敵わないので、頭を使うことも多い。なので、毎日軍に入っても演習を繰り返すのはそのためで、上司達に一本でも多く立ち合ってもらって慣れて判断の選択肢を多く持たねばならないのだ。
明人が士官学校に入って教えてもらったのは、気の使い方と刀の振り方手入れの仕方、それ以外はずっと立ち合いの毎日で、この半年来てしまった。
それも、慎吾と明人はすぐに真剣を持たされ、李関が直接指導するグループへ入れられた。玲は、端に数人居る少人数の者達と共に、棒でひたすら立ち合いの稽古をさせられていた。
入って早々明人が振った刀を避け切れなかった生徒が一人、腕を失い掛けた…それ以来怖くて仕方がなかった。つい、相手の動きを見て手を控えてしまう。それで何度か明人自身も軽い切り傷を負ったり、生傷が絶えなかった。
その様子をずっと見ていた李関が、明人に言った。
「…主、相手を殺す気で立ち合っておるか?」
明人はびっくりした。練習で?
「いえ…これは練習の立ち合いであるので…。」
李関は眉を寄せた。
「では、いつ本気を出すのだ。」
明人はなぜそんなことを聞くのかわからなかった。
「それは、敵が現れた時とか…」
李関は、それを聞いて黙って刀を抜いた。
「…ほう。では、我がその賊だと思うて掛かって来てみよ。この」と、李関は自分の頭の上10センチほどの所に、的のような小さな玉を浮かせた。「的を斬るのだ。我を殺さねば、主が斬られると思うてな。我は本気で掛かるぞ。腕の一本や二本覚悟せよ。」
明人は驚いて刀を抜いた。李関は父にも勝つ軍神だ。本気で掛かっても自分など一溜りもないのに…!でも、腕を失って軍神でいられるかどうかもわからない。
李関は有無を言わさず斬り掛かって来た。…速い。受けるのが精一杯で、的を砕くなど無理だ!
明人は必死になってやっと見えている李関の動きに合わせて刀を受け続けた。早すぎて、所々見失うのを勘で補ってやっと裁く…冷や汗が背中を伝って落ちて来る。
李関の刀が右腕の横をかすめ、鋭い痛みが走った。それでも、立ち合いは終わらない。実戦では、傷を負っても戦いは続くからだ。一瞬怯んだ隙に下から腕を返した李関の刀が太腿を狙っているのを知って、かわそうとしたがまた切っ先がかすめた。生暖かく血がにじんで来ているのを感じる。このままでは、本当に四肢を失う…。
明人は、自分の中から何かが湧きあがって来るのを感じた。殺される。相手を殺すしか、ない。
何も考えは浮かばなかった。ただ相手を殺さねばならない。龍の急所は、頭。
明人の動きが変わった。
回りで立ち合いをしていた者達が、明人から湧き上って来た闘気を感じて動きを止め、二人を見上げた。宙でにらみ合っていた二人は、李関が動き出したことで再び刀を交わし始めた。明人は腕と足から血を流しながら、それを感じさせない動きで李関に掛かって行く。李関はフッと口元を緩めた…こやつは何も考えず、感覚だけで来ておる。
ふと、明人の刀が一度空を切ったかと思うと、それを避けた李関の腕を掴み、すぐに頭目掛けて刀を振り下ろした。そこに、なんの躊躇もない。あれでは避け切れないばかりか、的だけでなく頭も切ってしまう。学生達が息を飲んだその時、李関は空いたほうの手の甲冑でその刀を受け止め、頭は守った…的は砕けた。
「…ようやった。」
李関は言って、ハッとしたような表情をした明人を、掴まれた腕を振り切って地面へ叩き落とした。
地面に叩き付けられた明人は唸った。何が起こったのかわからない。自分は我を忘れていた…李関を殺そうとした。明人が半身を起こすと、李関が地上へ降りて来た。
「出来たではないか。それが本気というものぞ。相手に傷を負わせるのが怖くて、戦場へ出た時に相手を殺せるはずはない。軍では、遊びでない限り常、闘気を出して立ち合うものよ。ここで主らがやっておるのは我から見れば遊びでしかない。殺す気になったことの無い者が、戦場でだけ殺せるなどと都合のいいことがあるものか。」と、李関は刀を鞘へ収めた。「主はその傷が癒え次第軍へ。それまでは気弾の練習をせよ。軍の立ち合いでは気弾も使う。」と慎吾のほうを見た。「主もだ。明人共に軍へ参れ。」
慎吾と明人はためらいがちに頷いた。
「は!」
こんな状態で軍へ移って大丈夫なのか…軍では訓練ばかりではない。ほとんどが任務で、そして空いた者が訓練なのだ。
こんな状態で任務など、明人には全く自信がなかった。
それでも、命令が絶対なのをもう知っていた明人は、急に痛みが来た足を引きずりながら医務室へ向かった。
その夜、部屋でぼーっと月を見上げていた明人は、家に帰って来た時のことを思い出した。
明人が手足に傷を負っているのを見て、母は大騒ぎをしたが、非番で家に居た父は涼しい顔をしていた。
「なんだ、ちゃんと繋がってるじゃねぇか。斬り落とされた訳でもねぇのに、そんな大騒ぎすんな、陽花。」
明人は予想していた反応だったので、別段驚くふうでもなく言った。
「…これが治ったら軍へ行けと言われた。」
父は、そっちのほうに反応した。
「…お前が?まだ早いんじゃねぇのか。」
明人は居間の椅子に座りながら答えた。
「知らねぇよ。李関殿がそう言ったんだ。今日、李関殿と立ち合って…その後に。」
信明は明人の前に座りながら言った。
「そうか、それでその傷か。で、どうだった?」
明人は、父に聞いておこうと思った。今日の立ち合いはいつもと違った…李関殿は軍では本気の立ち合いと言っていたけど、あんなに毎回、我を忘れていいのだろうか。
「実は…オレ、立ち合いの時我を忘れてさ。二か所続けて斬り付けられて、身の危険を感じた時、相手を殺さなければ、と思った。そしたら闘気が勝手に出て…あとはあんまし覚えてねぇ。殺すことだけ考えてた。」
信明は頷いた。
「それが本気の戦闘モードだ。相手もそれで掛かって来るから、自分もそうでなきゃ戦場から生き残って帰って来れねぇ。どれだけ集中して相手を殺すことが出来るかだ。しかも一人じゃねぇぞ?だいたいは次から次へと敵は現れるからな。何時間でも連続して集中できることが、自分を守る鍵だ。俺らみたいに慣れて来たら、スイッチを入れたり切ったりするようにそのモードに入ったり出たり出来る訳だ。お前もそうならねぇと、気がもたねぇな。何しろ、相手も神だからよ。」
明人は、自信なさげに下を向いた。
「我を忘れちまって、まともに戦えるのか?軍の練習で相手を殺しちまったらどうする?」
信明は声を立てて笑った。
「お前だって殺されるかもしねぇのに!」と、信明は真剣な顔つきになった。「明人、こうなったら仕方がねぇ。あのな、相手もお前を殺しに掛かってるんだよ。なのにお前が殺しちまったらなんて言っててどうするんでぇ。学校みたいなお遊びじゃねぇぞ。軽い立ち合いみたいな娯楽でもねぇ。軍の訓練なんでぇ。そりゃ何人も死んでらあな。訓練で死ぬようなヤツは、実戦では足手まといでしかないからな。それを承知で軍神になったんじゃねぇのか?神の世じゃあ、みんなそうだ。」と、何か思い出したように、言った。「そうそう、お前と同期の嘉韻、もう序列が付いたぞ。元々鳥の宮で軍の訓練を受けてたからな。あいつは来た時からお前みたいに女々しい事は言わなかった。」
明人は驚くと同時に、やっぱり、という気持ちだった。嘉韻は神の世で育った軍神の子。もっと幼い時から訓練を受けていたのだろう。行く場所を選ぶ時も、最後まで軍神はと渋っていた…軍神がなんたるかと知っていたからなのだ。そしてまた選んだからには、その覚悟をもって選んでいたのだ。
「嘉韻…あれだけ、軍神のこと話してくれてたのに。オレ、分からなかったんだ…人の世で、職を選ぶみたいな気軽な感じだったかもしれない。殺すとか殺されるとか、なかなか実感湧かなくてよ…こんなで軍へ行って大丈夫なのかって。」
信明はそれを聞いて、ふーと長く息を付いた。
「まあなあ…お前は人の世で平和ボケして育ったからな。それがいいかもしれねぇと思ってたけど、神には神の世がある。こっちがオレ達の世界だ。まだ殺し合いもある上、力が全ての世界だ。腹ぁくくりな、明人。もう逃げられねぇ。人の世からも神の世からも逃げて、お前どこに行くつもりだ?」
明人はグッと黙った。人の世からも逃げて来たようなもんだ。これ以上、どこにも行く所なんかねぇ。
明人は、ボソッと言った。
「…玲は、どうなるんだろう…。」
信明は眉を寄せた。
「明人…玲は諦めな。あいつが軍に入ったら、間違いなく命を落とす。学校の中の立ち合いですら、真剣を持たせてもらってないだろうが。なんで真剣を持たせるかと言うとな、本気にするためなんだよ。命を守るための本能を磨く為に最初から持たせる。相手の気が少し自分より上ぐらいならまあなんとかなるが、ずっと上なら餌食になりに行くようなもんだ。だから、相手が居なくて横へ除けられてるんだよ。何人か居ただろう?皆気が他より弱すぎるからだ。虎の相手にウサギを出す訳ないだろうが。」
明人はキッと父を睨んだ。
「玲だって龍だ。軍神の子なんだ!ウサギじゃねぇ!」
信明は明人を見返した。
「…じゃあお前、今日と同じ状態で玲と立ち合うか?我を忘れて、相手を殺すことしか考えてねぇ時に。」
明人は言葉に詰まった。あの状態の時は…。
その様子を見て、信明は言った。
「出来ねぇだろう。敵は何も情けなんか掛けちゃくれねぇ。あの状態のお前と同じなんだ。その前に、玲を出せるか?…お前の言ってるのは、人の世でしか通用しねぇよ。人の世だって、戦場だったら同じじゃねぇか?神にだって向き不向きがある。あれの両親も、ここなら軍神にならずに済むからとここへ送ったのに。…うまく行かねぇな。」
立ち上がった父を、明人は見上げて言った。
「なあ親父…じゃあ玲は軍には来れねぇのか?」
父は苦笑した。
「オレなら入学すらさせてねぇ。だが、ここは月の宮だ…月の守りが有る限り、中は絶対的に安全だ。内勤だけならこなせるという判断をするなら、形だけでも軍神にはなれる。だがな、そんな雑用係になってまで、軍に入ろうと考えるか?序列は間違いなく最下位の辺りだ。召し使い達と変わらねぇ。なら、政務に移って序列を上げることを目指したほうが、まだ将来性はある。士官学校で何ヵ月も真剣を持たせて貰えない奴等は、己で悟って道を変えて行く。要はな、考える時間を与えられてるんだよ。」
明人は、唇を噛んだ。こればかりは自分にもどうにも出来ない。命に関わって来るからだ。恐らく自分にも、玲を庇う余裕などないだろう。玲を死なせたくない。
明人は、玲と話さなければならないと思った。




