訓練
慎吾は、軍神の父から継いだ立ち合いの勘も持ち合わせており、嘉韻のように動きには無駄がなかった。少し教えただけですぐに動きを修正して来ると明人の父も感心していたが、今義心相手にしていてもそれは見て取れた。僅かな試験の立ち合いの中で、義心の動きを覚えて読んで先に動くことが出来るようになって行く。これは、まさに持って生まれた能力だった。義心は、しばらく立ち合った後、満足げに頷いた。
「ここまで。さすがに慎怜の子よ。」
義心は満足げに頷いた。慎吾は息を切らせて頭を下げる。李関が言った。
「主はしかし、術の何某を知らぬからの。最初は学校からにすればよいぞ。直に軍へ合流できるであろうがの。」
慎吾は頷いて頭を下げ、後ろへ下がった。そして、ついに明人を見た。
「では、主で最後ぞ。前へ。」
明人は途端に緊張した。人の学校でフリースローの試験とやらがあったことがあったが、人前で試験を受けることに慣れなくて仕方がない。試験というからには一人でこっそり受けたいと望む明人は間違っているのだろうか。
しかし、皆が受けたし自分も皆の立ち合いを見たのだから、受けない訳には行かなかった。わかっているので、明人は固まりながらぎこちなく前へ出て、棒を受け取った。
傍で見た義心は、見た目父と変わらない風で、しかし意識的に抑えているとわかる気は、かなりのものだった。明人の龍の体はそれを感じて身震いをした…だが、怖がっている風でない。逆に血が騒ぐようだった。
その義心は、明人を見て言った。
「信明の子よの。本人と王から聞いておる。」
明人は仰天した。あの龍王が、オレのことを話してたって?
「よろしくお願い致します。」
義心はフッと笑った。
「なんと、人のように。」義心は棒を構えながら言った。なぜか人のよう、というのか嬉しいように聞こえたが、おそらく気のせいだろう。「来るが良い。」
明人は、父に聞いた通り、自分の突きに対して義心がどれぐらいのスピードでどう反応するのか見るため、あちこちから違う形で斬り込んだり突きを入れたりした。義心は見習い相手なので片手で軽く裁くように滑らかに受けて来る。見えないような角度から突きを入れても、義心には難なく返された。そして時に構える体勢になっていないのに突きが来たりして、明人は焦った。こんな遊びのように相手をされているのに、冷や汗が出て来る…これがこんな棒ではなく真剣でやったら、一本取られたでは済まないではないか。
必死になっていると、息が上がって来た。こんなに呼吸が乱れるのは久しぶりのことだった…人の世の動きでは、息を乱すどころか息をしなくて大丈夫だったからだ。
義心はそれを見て、手を止めた。
「ここまで。」
明人はハッとして動きを止めた。いったいどれぐらい立ち合っていたのだろう。皆の目に無様に映っていませんでしたように…。明人はそう思いながら、李関の言葉を待った。
義心が李関を振り返っている。
「…信明はなんと言っておった?」
李関は答える。
「それは明人次第であると。いかがされまするか?しかし、最近まで完全に人として生きておったので…。」
明人は何のことやらわからない。戸惑いながらそれを見ていると、義心は頷いた。
「我は別に良いがの。だが、本人がつらいであろう。ここへ置けば良いわ。のち、己で判断できるようになれば、聞いてやると良い。」
李関は頷いて頭を下げた。
「は!」
明人がなんのことやらと見ている中で、李関が明人に言った。
「主もとりあえず士官学校へ入るがよい。直に軍に上がるだろうて。」と玲を見た。「主も学校へ入ることは許す。だが軍に移れるかどうかはまだここでは判断出来ぬ。なぜなら、実戦に耐えられるだけの気がないからだ。実戦に出れない軍神など要らぬ。学校に居る間に気が育つ可能性がある…まだ成人しておらぬし、稀にそんな龍も居るのでな。だが、ほとんどの軍神は、幼い頃より隠す事の出来ない気と闘気を持っておる。主にはそれがない。ゆえ、今判断できない。学校に入ってもそれが無駄になるかもしれぬ。それでも、軍神への道を参るか?」
玲は、グッと唇を引き結んで、頷いた。
「はい!」とじっと李関と見た。「軍神を目指しまする!」
李関は玲を見ていたが、頷いた。義心も何も言わなかった。李関が手を上げると、傍の戸が開き、わらわらと甲冑を着た若い神達が練習用の棒をたくさん持って出て来た。
「では、訓練に移る。嘉韻、今日は主もここで訓練して行くとよい。」
明人はびっくりした。もう?!今士官学校に入ると決まったばっかりなのに、もうここから授業なのかよ!
当然のことのように棒を手にしている嘉韻を横目に茫然としていると、李関が明人を睨んだ。
「何をボウッをしておる!早よう構えよ!」
明人は今の試験で使った棒を手に必死に目の前の士官学校生に向き合った。何が何だか分からない間に、どんどんと立ち合いは始まって進んで行った。
「やめ!」
何本もの立ち合いをこなして、明人はもうふらふらだった。始めたのは確かに朝だったのに、今はもう夕方だ。休憩もなく内と外で輪になって向かい合い、次から次へと立ち合っては次、立ち合っては次と続けて来た。そしてその声にやっと解放されることを知り、闘技場に大の字に倒れた。
「…軍神、半端ねー…」
明人が呟いて目を開けると、上空に何か浮いている。女だ。明人は驚いて起き上がった。相手は、あ、見つかった、という顔をしている。あれは涼先生と、そっくりなもう一人…あれは確か…。
「維月様!」
義心が言った。と思うと、すっと飛び上がって行って、宙で片膝を付いた。それを見て思い出した…龍王妃だ。え、龍王妃?!
「なんでこんなところに。」
横で息を切らしている玲が言った。
「ここは龍王妃様のお里なんだよ。」
それだけ言うのもつらそうだ。明人は思い出した…そうか、そうだった。でも、前に会った時はあんなにフランクな感じではなかったんだけど。
明人が不思議に思って見ていると、義心に促されて涼と共に下へ降りて来た。離れた端っこにつれて行かれると、そこで義心と何か話しているのが見えた。
義心は、慌てて維月と涼を闘技場の隅へ連れて行くと、言った。
「維月様、王になんのお断りも無くこのような所へいらしてはなりませぬ。それでなくとも今回はご機嫌もお悪くて、お里帰りも共にでなくばと来られたのではありませんか。」
維月はため息をついた。
「それでは里帰りではないわ。涼からこちらに新しい人の世からの子達が居ると聞いて、見たかったのよ。私は人だったのだから、あの子達の気持ちもわかるかと思うの。だから、様子ぐらい見てあげたかったの。」
義心はため息を付いた。
「我は良いことだと思いまする。ですが、王のお許しが無ければこんな男ばかりの所へ参ってはなりませぬ。」
涼が横で眉をひそめた。
「維心様ったらそんなにうるさくおっしゃるの?母さん、よく我慢しているわね。私ならやってられないわ。そんな自由のない結婚なんて…」
維月は涼を見た。
「涼ったら、結婚もしてないあなたが言っても真実味がないわよ。どこかの理解がある殿方と、そろそろ考えてもよいのではない?」
涼は顔をしかめた。
「そんな感じと聞いたら、神と結婚なんて出来ないかもと思うわ。このかたなら…と思う神に出逢っても。」と義心を見た。「神世ってよくわからないの。学校で教えてはいるけど、常識とか深くまではね。維心様のような感じが、神世の男のかた全般なのかしら?」
義心は詰まった。確かにそうとも言えるし、そうでないとも言える。自分はそこまで縛り付けてという考えではない…とここで言っていいのだろうか。
「別に…先に我に聞いてくれればよいだけであるのよ。」と、遠慮がちな声が上からした。「我は…自由を奪おうとか、そんな心持ちでは全くなくて…。」
三人は驚いて上を見上げた。そこには、維心が浮いていた。涼がはっきりと自分のことをうるさいとか言っていたので、声を掛けるタイミングを失っていたらしい。維月は少し気落ちしてるように見える維心を不憫に思って、手を差し出した。
「まあ維心様!こちらへ。」維心はすいっと維月に寄って着地した。「お気になさらないで。同じ宮の中であったので、言わずとも良いかと思ったのですわ。次は必ず申してから参ります。この度は私が悪うございましたわ。申し訳ございませぬ。」
維心はホッとしたように維月を見て手を取った。
「良い。悪気はなかったのであるから。」と義心を見た。「ここの訓練はどうであったか?」
義心は膝を付いて頭を下げていたが、言った。
「ただ今終わったところでございます。」と、闘技場真ん中の方を指した。「士官学校生達です。」
維心はそちらを見た。
こちら側では、急に現れた龍王に、皆が座り込んでいたにも関わらず立ち上がって慌てて整列していた。義心と何やら話している。そして、こちらを見たかと思うと、妃の手を取ったまま、こちらへ歩いて来た。明人は極度に緊張した…やはり物凄い気を感じる。抑え込んでいるようだが、それでも溢れているあの気。人だと思っていたあの時には気付かなかった。見ているだけで冷や汗が流れて来るような気がする。
近付いて来ると、李関は膝を付いた。李関は龍の宮から月の宮へ、乞われて移ったのだと聞いている。おそらく、今は自分の王でなくても、以前の王であったので自然とそうなるのであろう。
「王、お久しぶりでございます。」
相手は頷いた。
「変わらず精進しておるようで安堵したぞ、李関。蒼の助けになってやってくれておるとか。主は頼りになるの。」
李関は恐縮して深々と頭を下げた。
「もったいないお言葉でございまする。」
維心は、明人達生徒を見た。皆が身を縮めるのかわかる。維心はじっと一人一人を見ていたが、ふと言った。
「…なんと。知った顔が多いの。そうか、もう子がこのように育つか。」
維月が横から言った。
「まあ維心様、我が子達もあのように育ちましてございまする。皆の子達も、あのように。」
維心は頷いた。
「先が楽しみであるの。我が宮の方へも来てくれる者も居るかもしれぬ。主らもよう精進せよ。」
維心はそう言うと、維月の手を引いて、その場から去って行った。




