1:封鎖線の内側で
夜風が頬をなでる。僕はこの風が嫌いだ。
血と硝煙の混ざったにおいが鼻にこびりついて離れてくれない。この風が吹くたび、あの日の悪夢を思い出す。
パンッパンッ、ダダダッ――。
だいぶ近いところで撃ち合いが始まったみたいだ。僕は隠れていたがれきの山から顔だけ出し、ゆっくりと周りを見渡した。割れたガラス、ひっくり返ったロシア製の軍用トラック、中国語とキリル文字が入り混じった剥がれかけの看板。見える範囲に、動く人影はない。
「……よし、人はいないみたいだ」
自分に言い聞かせ、呼吸を整える。用心して進まなきゃ。今の僕は軍人でもなければ、どこかの民間軍事会社(PMC)のオペレーターというわけでもない。ただの民間人だ。
高額な防具や高性能な銃なんて持っていない。持っているのは、使い古した包帯と工事用のヘルメット、そして……トレーダーから受け取った一丁のベレッタM9だけだ。
暗がりのなか、僕はベレッタのグリップを握り直した。
表面の仕上げは剥げ、随所に錆が浮いている。かつてはエリートたちの腰を飾ったであろう優美な銃身も、今や泥と火薬の匂いにまみれた、ただの「延命装置」だ。
指先で残弾を確認する。9mmパラベラム弾が、マガジンの中で鈍く光っている。もし、この封鎖区域の資源を狙うPMCや、ならず者たちに見つかれば、僕に勝ち目はないだろう。
必ず、生きて依頼を達成しなくてはならない。戦火で家を失った家族のために。
視線の先には、巨大な影が立ちはだかっていた。
『友愛国際ショッピングモール』。かつてこの都市の繁栄の象徴だった4階建てのデパートは、今や巨大なコンクリートの墓標と化している。目的のモノは、この地下にある。
……どうして、世界はこうなってしまったんだろう。
時は2042年にさかのぼる。
その年、ロシアと中国の国境付近で、ある鉱物が発見された。
青く半透明で、宝石のように美しいその鉱物は、単なる装飾品ではなかった。それは、次世代のエネルギー源としてのとんでもない可能性を秘めていたのだ。
その鉱物は、水に触れると青白い光を放ち、純水と高熱を出しながら自らをエネルギーへと変換し、跡形もなく消滅してゆく。
この『魔法の石』の利権を巡り、二国間の緊張は瞬く間に爆発した。翌2043年には国境紛争が勃発。世界経済を揺るがす危機に、欧米諸国やヨーロッパ連合が介入する事態となった。
その妥協点として生まれたのが、この「アムール資源採掘特区」だった。
主権を凍結されたこの地には世界中の企業が雪崩れ込み、最新技術が集まる先進都市が築かれた。僕が手にしているベレッタM9のような西側の装備がこの地に流れ込んだのも、治安維持のために国際部隊が駐留していた、この「黄金時代」の遺物だ。
しかし、平和は長くは続かなかった。
2048年。歴史は、ある「撹乱テロ」によって決定的にへし折られた。
犯行はいまだ謎に包まれている。ロシア系の過激派組織とも、利権独占を狙う中国系企業の自作自演とも囁かれているが、真実は爆炎の中に消えた。
テロリストたちが狙ったのは、特区の中心に位置する「戦略備蓄タンク」だった。
彼らはタンク内の本来なら数年かけて使うはずの『魔法の石』に大量の水を一気に全量投入したのだ。
それは、爆発という言葉では生ぬるい現象だった。
莫大な量の『魔法の石』が一瞬で水と反応し、数千、数万トンという超高温の水蒸気が街を飲み込んだ。空が青白く輝いたかと思うと、次の瞬間には視界のすべてが熱熱の白い霧に包まれ、あらゆる通信機器が電磁波干渉で沈黙した。
濃霧の中で、互いに疑心暗鬼に陥っていたロシアと中国の守備隊は、これを「相手国による未知の兵器を使った奇襲」だと誤認した。
「敵襲だ! 反撃しろ!」
視界ゼロの霧の中で、誰が先に引き金を引いたのかはわからない。
味方の声すら聞こえない沈黙と霧のなかで、銃声だけが街を埋め尽くした。国際部隊は制御不能となった戦場から命からがら撤退し、残されたのは、泥沼の市街戦と、高濃度のエネルギー残留物によって「電子の壁」で覆われた死の街だけだった。
両国は最終的に、この汚染された街を物理的に封鎖することで合意した。
……こうして、かつての先進都市は、地図から消された地獄となった。
思考を現在に引き戻す。
湿ったコンクリートの匂いと、冷たい夜風。
目の前には、かつて大勢の家族連れで賑わったであろう『友愛国際ショッピングモール』の巨大なシルエットがそびえ立っている。
正面入り口には、粉々に砕けた回転扉と、それを塞ぐように積まれた土嚢、そして錆びついたバリケードが見えた。
……あんなところから入れるわけがない。
あそこは、狙撃手に「僕を撃ってください」と言っているようなものだ。
僕はベレッタを握りしめたまま、モールの外壁に沿って、影に溶け込むように移動を始めた。
廃棄された搬入用トラックや、積み上げられたゴミの山を遮蔽物にして、一歩ずつ、慎重に。
たどり着いたのは、建物西側の隅にある、従業員用の小さな搬入口だった。
重い鉄扉はわずかに歪み、隙間からは冷たい地下の空気が漏れ出している。
僕はベレッタのハンマーを起こし、親指でセーフティを解除した。
カチリ、という小さな金属音が、やけに大きく響く。
「……ここからなら、誰にも見つからずに済むはずだ」
自分に言い聞かせ、震える手で扉の隙間に指をかける。
家族に届けるための薬と食料を手に入れるには、この暗闇の底へ、誰にも気づかれずに潜り込まなければならない。
僕は一歩、光の届かないデパートの深淵へと足を踏み入れた。
次回は、主人公がこの封鎖区域に入る直前にフォーカスを当ててみたいと思います。
家族との別れやトレーダーとの出会いなど…
お楽しみに




