ずっと真面目にやってきたのは、わたくしだから
王都郷土資料館は、無料で国民に開放されている。
貧しい民たちにも、王都地方の歴史を学んでもらえる場所だ。
館内は、太陽光では展示品が傷むため、貴重な発光石によって明るく照らされている。
わたくしにとっては、とても素晴らしい場所。子供の頃から大好きだったのだけれど、どうも国民たちにとっては退屈な場所らしく人気はない……。
元から人の少ないこの場所から、さらに人が減る昼下がり。
その男性は、いつも一人でやって来ていた。
金髪は灰で汚れてくすんでいる。時代遅れの長髪を、革紐で雑に一つ結びにしていた。
身につけているのは、ダボダボの古ぼけたシャツと、サイズの合わないトラウザーズ。安っぽい木靴。
猫背で、人目を避けるみたいに顔を伏せていた。
同僚で男爵家の三女のカトリーヌは、その男性のことを、いつも『くたびれた平民』なんて呼んでいた。
「この木の板だが……」
その男性に声をかけられたことがある。発音が綺麗で、貴族の邸に勤めているのではないかと思った。
「ゲーム盤だったんですよ」
わたくしはその男性に自分で作った資料を渡した。
その時、その男性と手が触れてしまった。
わたくしが少し慌てて顔を上げると、男性と目が合った。
青く澄んだ、とても美しい目をした方だった。
◇
「第三王子殿下、こちらがラザール王時代に流行ったゲーム盤ですわ」
カトリーヌの声が展示室に響く。
カトリーヌは美人だ。ピンクがかった金髪はふわりと巻かれて、小さな顔のまわりを美しく彩っている。お化粧も上手で、目はぱっちり、頬は薔薇色、唇はツヤツヤ。スタイルの良い身体を、露出度高めのドレスに包んでいた。
「こんな、ただの升目のついた板がか?」
第三王子であるアルノー殿下が、カトリーヌに問いかけた。
王太子の同腹の弟であるアルノー殿下は、王家を代表して王都郷土資料館を視察に来てくださったのだ。
そのお姿は、伝統的な王族スタイル。金髪を襟足から三つ編みにして背中に垂らし、黒いシルクのリボンで結んでいる。騎士服が元になったという、金の飾り紐が華やかな王族服は青。瞳の青と色を合わせられたのだろう。
「ええ、ゲーム盤で、この白い小石と黒い小石を戦わせて……。ちょっと、シャルロット」
カトリーヌが、わたくしに目配せした。
わたくしはアルノー殿下に近寄り、いつも民に配っている資料をそっとお渡しした。
「相手の小石を自分の小石で囲むのか?」
アルノー殿下は資料を読み、なぜかカトリーヌに笑いかけた。
「はい! そうなんです!」
カトリーヌはうれしそうにうなずいていた。
第三王子殿下の案内役はカトリーヌが適任だと、館長や副館長、三人いる男性の学芸員のみんなが言った。
わたくしは子爵家の四女で、平凡な茶色の髪と瞳。家は貧しくて、四女まで嫁に出せる金はない。だから、この王都郷土資料館で文官として働いている。今日も文官の制服であるベージュのジャケットとパンツを身につけて、髪は首元で一つに結んでいた。こんなわたくしでは、華やかさに欠けるらしい。
「なるほど」
アルノー殿下はうなずいた。
「続いて、こちらは……」
カトリーヌが説明を続けるけれど、すぐに言葉に詰まる。
そのたびに、わたくしはカトリーヌをフォローして、説明を追加したり、資料を渡したり……。
「展示ケースのガラスも、展示品も、綺麗になっているな」
アルノー殿下が褒めてくださった。
わたくしが一人でガラスを拭き、展示品の埃を払ってきた。
館長と副館長や男性学芸員たちは、自分の専門の研究をするばかり。ここは研究所ではないのに……。
カトリーヌだって、お化粧したり、お菓子を食べたり、爪を磨いたり……。
わたくし以外の誰も、平民のための展示になんて、興味を持っていなかった。
だから、わたくしは邪魔にならない髪型と、動きやすい文官の制服で、すべてを一人でやってきたのよ。
「わたくしが一人で全部、掃除したりさせられているんです。わたくしが一番の下っ端だから……」
カトリーヌが悲しそうにアルノー殿下に言った。
わたくしには、違うと訴えることはできなかった。王都郷土資料館の今後のことを考えると、王族の前で揉め事を起こすなんて、できなかったのよ。
急に王族が視察に来るなんて、王都郷土資料館の閉鎖もあり得ると、館長たちが話していたのですもの。
ここが閉鎖になったら、展示品はどうなるの……?
カトリーヌは展示品のことを、『ただの流行りの過ぎた古臭い道具』なんて言うけれど……。
ギザギザの洗濯板が流行る前に使われていた、洗濯用石も。
カラクリ時計が売り出されるまで使われていた、水滴時計も。
色付き影絵が出てくる前まで使われていた、影絵用の厚紙人形も……。
みんな、みんな、後世に残していくべき品物よ。
わたくしは歯を食いしばり、悔しさを飲み下した。
「なるほどな」
と、アルノー殿下はうなずかれた。
小さな展示室の視察はすぐに終わって、館長と副館長、男性学芸員たちが、椅子と机の並べられた発表室で研究発表をした。館長と副館長は、古文書研究の成果を発表していた。男性学芸員たちは、古代の出土品。彼らは自分の興味ある研究がしたくて、この王都郷土資料館の学芸員になったようだった。
どの研究も素晴らしいものではあったけれど、この王都郷土資料館とはまるで関係がない。彼らの研究している古文書も、出土品も、王都地方で発見された品ではないのですもの……。この王都郷土資料館に展示されることは決してないわ。
わたくしには発表できることなんてなかった。わたくしの研究内容は、王都郷土資料館の展示物について調べて、興味を持ってくれた民たちにとってわかりやすい資料を作ること。改めて発表するようなことは、もう一つも残っていない。
「この王都郷土資料館は閉鎖する。必要な人員以外は解雇だ」
アルノー殿下は発表会の後で、そう宣言された。
館長、副館長、三人の男性学芸員、カトリーヌの名前が呼ばれた。
当然だわ……。わたくしは、なんのアピールもできなかったのですもの……。
「王都郷土資料館は、民の楽しみと歴史学習の場として作られた。民に尽くすことが目的である」
アルノー殿下は、名を呼んだ職員たちを見まわした。
誰一人として、民に尽くしたりしていないのに。
わたくしなら、彼らをこそ解雇するわ!
そう思っていたら……。
「先ほど名を呼んだ六名は、王都郷土資料館や、民のために働いていなかった」
アルノー殿下は厳しいお顔をして六人を見た。
「なんでなの!? わたくしが一人で掃除だってなんだってしてたのに!」
カトリーヌが強い口調で言った。相手は王族なのに……。
「嘘を吐くな! 私はカトリーヌ嬢がガラスを磨いている姿など、一度だって見なかったぞ!」
アルノー殿下は言い返してから、わたくしを見た。
「君、名乗りなさい」
アルノー殿下の護衛騎士が、小声で教えてくれた。
「アルス子爵家の四女、シャルロットと申します」
わたくしは文官の礼である、左手を胸に当てて軽く頭を下げるポーズをした。
アルノー殿下は、すぐに「楽にせよ」と言ってくれた。
「私がお忍びでここに来た時、応対してくれたのはシャルロット嬢だけだった。見た限り、私以外の家族連れなどに対しても同じだった。掃除をしていたのもシャルロット嬢だ」
わたくしの脳裏に、一人の男性の姿が浮かんだ。カトリーヌが『くたびれた平民』などと呼んでいた、あの男性の姿が……。
「なんですと!? お忍びなんて、そんな数回のことで……!」
今度は館長が叫んだ。伯爵だからといって、王族に対して許される言葉遣いではないわ……。
「私は歴史に興味があり、子供の頃からこの王都郷土資料館が好きだった。シャルロット嬢が勤め始める前、ここは埃っぽく、ガラスは汚れ、薄暗くて陰気な場所だった。そうだろう?」
アルノー殿下はまっすぐに館長を見ていた。
「その通りです……」
館長は冷や汗をかきながら、小さくうなずいた。
「発光石の設置の要請も、シャルロット嬢がしたのだったな」
アルノー殿下に見つめられ、わたくしは「はい」と答えた。
「私にとっても、この王都郷土資料館の閉鎖は残念であるが……。このまま放置するわけにもいかない」
国だって、使命を果たさない文官を養い続けられないものね……。
「それでは、解雇となる方々は荷物をまとめてください」
先ほどの護衛騎士が、館長たちに促した。館長たちは護衛騎士に連れられて、発表室を出ていった。
「シャルロット嬢には、王宮に異動してもらう。王都郷土資料館も移設だ」
アルノー殿下が、申し訳なさそうに言った。
わたくしが異動するのは仕方ない。文官は異動することだってあるもの。
だけど……。
「王都郷土資料館も王宮に移設なのですか……?」
「素晴らしい展示品を、このままにしておけないだろう?」
「はい」
それは、そうだなのだけれど……。
「王都郷土資料館には、元から来館者が少なかった。王宮内に移設して、年に数回の開放日を設けることにする」
「はい」
現状を考えると、そのやり方がベストなのかもしれない。
「シャルロット嬢には……」
アルノー殿下は、わたくしの前でひざまずいた。
「え……?」
文官の部署の異動というのは、王族がひざまずくようなこと……?
「私と結婚してもらいたい。シャルロット嬢とは趣味が合う。文書作成などの実務能力も充分にある。今後は私と共に生き、共に王太子殿下をお支えしていってもらいたいのだ」
それは、おそらく他の人が聞いたら、まるでロマンチックでもなんでもない求婚だっただろう。
だけど、わたくしは心からうれしかった。
わたくしの仕事ぶりを認めてもらえたのだから――。
「あの升目の並んだ板がゲーム盤だったのも驚きだが、石の形と大小で役割が違ったのにはさらに驚いたな。ずっと囲んで取って遊ぶのだろうと思っていたが……」
「驚きますよね。王や騎士などで……。今のままではわかりにくいので、石を王冠や馬の形に変えたら、あのゲーム盤もまた流行るのではないかと……」
わたくしは求婚の返事そっちのけで、アルノー殿下と語ってしまった。
「それで、どうだろうか? 同好の士である賢きロッティ嬢は、私と結婚してくれるのかな?」
アルノー殿下は自信ありげに笑った。その笑顔は、わたくしが幼い頃、薄汚れた展示ケースの前で語り合ったアルという男の子のものだった。
あの子が、こんな美形の王子様になっているなんて……!
「子爵家の四女でもよいのですか?」
「そんなこと、どうにでもなるさ」
即答したアルノー殿下の爽やかな笑顔が眩しい。
「それでは……、ぜひ……」
わたくしが右手を差し出すと、アルノー殿下はその手をとり、指先に口づけをくださった。
アルノー殿下が立ち上がり、わたくしに腕を差し出した。わたくしはアルノー殿下の腕にそっとつかまる。
「この王都郷土資料館をなくすことになり、本当にすまない……。私も非常に残念だよ」
アルノー殿下が詫びてくださった。
「いいえ、移設していただけるだけ幸いです」
わたくしはアルノー殿下と語り合いながら、展示品を見てまわった。
わたくしも、展示品も、アルノー殿下と共に新しい場所で再出発だ。
わたくしは王宮でも、きっとこれまで通り、真面目に働いていくだろう――。




