第3話 力の解放
僕の知る日本とはどこか異なる日本に転生して、数ヶ月が経った。
ここは僕の知る日本とは異なる歴史を歩んだそうだ。
「昔、昔、埼玉がまだ武蔵と呼ばれていた頃、西には山しかありませんでした。ですが、日本の偉い人が将軍様から帝様に変わろうとした時、大きな光の柱が武蔵の大地を貫きました」
僕は千歳さん……お母様の膝の上で、絵本を読み聞かせてもらっていた。
それはこの日本において、いわゆるダンジョンが誕生した時のことだ。
ちょうど幕末と明治の境目。
それを機に、女子の新生児は不思議な力を授かるようになったとか。
ダンジョンから採れる霊子鉱と呼ばれる鉱石によって、日本は独自のエネルギー革命を遂げ、世界有数の資源国となった。
今はそれから300年近くが経っているらしい。
「どうかしら? 勉強になった?」
「はい! ありがとうございましゅ、お母さま!」
「ふふ、本当に分かってるのかしら? でも、そうならこの子は天才ね」
お母さまが朗らかな笑顔で、僕の頭を撫でる。
「はは、姉さんと義兄さんの子だからな! 何が出来ても不思議ではあるまい」
そう言って睦さん……お父さまが大笑いする。
直接、血が繋がっている訳ではないけど、それでも二人はこの数ヶ月、実の子のように接してくれた。
おかげで僕は、安心できる日々を送れていた。
「とはいえ、引き取ってすぐに言葉を話し始めたときは驚いたぞ」
「赤ちゃんってこんなに言葉を覚えるのが早いものなのかしら?」
「いやいや、伊織が特別なのだ。おまけに勉強熱心ときた。将来が楽しみではないか」
続けてお父さまが僕の頭をわしゃっと撫でる。
優しく包み込むような撫で方のお母さまと違って、少し乱暴だが、こうされるのは嫌いではない。
「うっ……」
その時、お母さまが苦悶の声を漏らした。
「まさか……」
「痛……お腹が……」
まるでお腹を支えるように痛みを訴えている。
僕はすぐさま膝から降りると、睦さんの裾を引っ張った。
「お父さま!」
「ああ、お前も気付いたんだな。俺は医師を呼んでくる。俺は出産には立ち会えない。だからお前が代わりに千歳を励ましてくれ」
お父さまの表情は決意に満ちていた。
「お願い、あなた……この子を……」
「分かっている。お前も天音も伊織も、死なせはせん」
この世界において、男性は呪力を授からない。
だが、その代わりとして、呪力で動く兵器――呪力兵装が数多く生み出された。
父はそれらを操る代祓士と呼ばれる人間だ。
その中でも極めて強力な力を持っており、国内で彼に並ぶ代祓士はいないというほどだ。
「それじゃ、言ってくる」
この日は正念場となる。
お母さまが天音を産んだ瞬間、彼女の呪力はゼロとなる。
それは無抵抗の上質なエサが現れることと同義だ。
この日を狙って、数多くの禍ツが襲ってくるであろうことが予想された。
「睦、あまり気負うな。私を始め、手の空いている禍ツ祓いを集めた」
ベージュの髪の女性が入ってきた。
天帝……お婆さまだ。
「九曜家の後継者が生まれるとき、日本中で禍ツが異常発生する……人手を割くのにも限界はあるが、それでも私と天照がある限り、誰も死なせはしない」
「いえ、陛下は最後の守りとして、ここに控えていてください」
「ど、どうして!? 私がおばさんだからですか!?」
「い、いえ……天照は消耗が激しい。それ故、力を温存していただきたいのです」
「なるほど。一理ある……か。では、私はここの守りを引き受けよう」
それから、長い戦いが始まった。
禍ツは必ず夜に現れる、それ故、昼に産むのがベストであるが、タイミングを自由に選べるわけではない。
お父さま達は、屋敷を囲う庭の中で禍ツたちとの戦いを繰り広げる。
その数はまさに無数。
百鬼夜行と言われる大規模な軍勢だ。
「伊織ちゃん、心配はいりませんからね」
僕はお婆さまに抱えられながら、出産を見守っている。
「この屋敷の防備は万全。伍級以下なら、大半が結界に触れるだけでイチコロです」
病院ではなく屋敷で出産することとなったのは、こちらの方が対禍ツの防護策が徹底されている。
並みの禍ツなら容易に寄せ付けないのだ。
「でも、お婆さ……」
「伊織ちゃん、私のことは千景さんって呼んでもらってもよろしい? なんて」
一瞬、ピリッとした呪力を感じた。
顔は笑顔なのに、ちょっとこわい……
「というかこの子、もう喋れるのですか……!? 天才だわ……」
「ええ、そうなんです。とても賢いんです」
「さすが、私の孫ですね」
そう言って、千景さんが僕をぎゅっと抱き寄せる。
褒められるのは嬉しいが、前世の知識で少しだけ言葉が早く話せるだけなので、なんだか騙してるような気分になってきた。
「ち、千景さん、参級以上が出てきたら、どうするの?」
「大丈夫。私が祓ってあげますから」
「でも、お父さまは……」
「あの子は神降をして、一時的に呪力を授かっている。それに、実力は代祓士の中でも一流。だからきっと、あなた達を守ってくれます」
今は信じて待つしか無いか……
もどかしいな。
僕はこの世界では呪力を持たない男だ。
お父さまのように呪力兵装が操れるわけじゃないし、そもそもが小さな身体だ。
この危機的な状況に対して、僕はただ周りのみんなに頼ることしか出来ない。
*
一方の屋敷の外。
「そらそらそらそら!」
灰色の機械兵が禍ツの群れを一掃していた。
大剣を振り回すだけで、人型の禍ツ達が両断されていく。
その機体は人機という。
呪力を持たない代祓士が扱える最上級の兵器で、搭乗者の腕次第では、低位の禍ツであれば難なく祓うことができる。
禍ツには七つの等級がある。
最上位が壱級、最下位が漆級で、今相手にしているのは伍級以下の、低位の禍ツだ。
「凄い……ただの人機であれだけの力を発揮するなんて」
「よそ見している場合じゃないわ」
上空から、大量の鳥型の禍ツが襲いかかる。
漆級ではあるが、縦横無尽に空を飛ぶため、その対処は難しい。
手を止めていた少女達は、背中のウィングを展開すると、目にも留まらぬ速さで、禍ツを切り捨てていく。
彼女達は禍ツ祓い。
その身に霊装と呼ばれるパワードスーツを纏った戦闘員たちだ。
その力と機動力は圧倒的で、全国規模で発生する禍ツから日本が守られているのも、彼女達のおかげだ。
今の二人を始め、屋敷の外には数人の禍ツ祓いが展開している。
現状、禍ツの数は多いものの、結界に阻まれその多くが消滅、すり抜けた個体も難なく討伐されていた。
「睦さん、逃げて!」
直後、巨大な鬼が現れた。
全長3m程の巨人型……それは肆級の個体であった。
「ガアアアアアアアア!!!!」
結界を突破した鬼が鉈を振るって睦に襲いかかる。
「させん!」
機兵が大剣でそれを受け止める。
「睦さん、ここは私たちが」
「代祓士では肆級は無理です……」
通常、人機で対処できるのは肆級までだ。
ただし、それは人機使いが複数いての話だ。
単独で対処できる相手ではない。
「いや、問題ない」
だが、睦は臆することなく、鬼の鉈を弾いた。
「ハァアアアアアア!!!!」
裂帛の気合いを込めると、機兵の大剣に呪力が迸る。
睦が取り込んだ遺物によるものだ。
「くたばれえええええええ!!!!」
一刀両断。
その一太刀で、鬼はあっさりと祓われるのであった。
「嘘……」
「男の人が肆級を……?」
「あそこにいるのは、俺の愛する家族達だ。この程度で退くわけにはいかん」
それから数時間に及ぶ戦いが続く。
徐々に夜明けが近付いていき、順調に禍ツも減っていた。
「ハァ……ハァ……」
あと少し……あと少しの辛抱だ。
休みなく戦い続けた睦の体力は限界に達していた。
今はただ気力だけで戦っている状態だ。
「数十体の肆級を相手に、まだ戦ってるなんて……」
「あれが子を持つ父親の力……」
二人の禍ツ祓いはその戦いぶりに見とれていた。
そしてその直後……
「グオオオオオオオオオ!!!!」
体高10m程の巨大な獣が次々と出現したのだ。
狼、大蛇、虎、それらの動物が次々と屋敷に押し寄せてくる。
いずれも凄まじい瘴気を孕んでおり、近付けば普通の人間ならものの数秒で生気を吸い上げられてしまうだろう。
これらは参級の禍ツで禍霊とも呼ばれる。
「馬鹿な!? 参級の化け物!?」
「それもこの数は……」
普段、日本に現れる禍ツのほとんどは肆級以下だ。
参級以上など滅多に現れるものではない。
だが、今日生まれるのは、この国の頂点たる九曜家の後継者だ。
それに呼応してか、通常ではお目に掛かることのない個体が次々と姿を現していた。
「こんなの私たちだけじゃ……」
「臆するな!」
禍ツ祓いたちの気が呑まれそうになった瞬間。
光の矢が次々と禍霊を貫いた。その光は一瞬にして禍霊達を蒸発させてしまう。
「母上……!」
「今こそ、私の出番であろう。千歳は今も懸命に戦っておる。まさか、逃げ帰ることにはなっておらんな?」
「当然です。夜明けまで、俺が歩みを止めることはない」
*
外から凄まじい光が流れ込んでくる。
あれは千景さんの……?
「奥様! 奥様! どうかしっかり! もうすぐ……もうすぐ産まれます」
千景さんが外の敵の対処に向かっている一方で、お母さまは出産直前といった状況だ。
痛みと苦しみに耐えながら、苦悶の表情を浮かべ、これから産まれる命を待っている。
そんな様子を見るだけで、僕は痛ましさと、母という存在の偉大さを感じる。
命とは、これほどの苦しみを伴って生まれいづるのだ。
そのために、世の母は全霊を掛けているのだと。
「フッ……ようやくあの女が消えたか」
「え……?」
突如室内に、仮面を付けた黒衣の男が目の前に現れた。
一体いつから、どうやってそこに……?
「何奴……!」
「ここは土足で踏み荒らして良い場所ではないぞ」
即座に反応した護衛の禍ツ祓い達が捕縛しようと襲いかかる。
「死ね」
だが、次の瞬間、禍ツ祓い達は全身を剣で突き刺され、物言わぬ骸と成り果てた。
「う……あ……」
何が起こっているんだ?
さっきまで僕たちを守ってくれていた人が死んで……
「お前に用はない。あるのはそこの……」
男の視線が千歳さんに注がれた。
「九曜家……この国の歪みの元凶。今ここで、その血を絶やしてやろう」
そう言うと男は禍々しい力と共に歪んだ剣を召喚した。
「生まれ得ぬ子を抱いて死んでいけ」
剣が振るわれる。
だが、それはお母さまの振るう薙刀によって止められる。
「舐められた……ものですね……呪力が無ければ、私を殺れるとでも……?」
苦しいはずなのに、千歳さんは一歩も退こうとはしない。
「ほう、抵抗するか。だが、これはどうだ?」
男が左手をあげると、壁を破り、獅子が現れた。
目を血走らせながら、千歳さんを睨み付けている。
あいつは……!?
間違いない。
その口にくわえた剣。
柄の両側に伸びる一対の刃。
僕の実の両親を殺した禍ツだ。
「姉は既に殺した。次は貴様の番だ」
「貴様が義姉さんを……」
どういうことだ……?
姉は……殺した?
今そう言ったのか?
「おまえ……」
僕はゆっくりと男の方へと向かう。
「言葉を発する赤子か……不気味なものだな。失せろ。子供の遊びに付き合う義理は無い」
こいつが……こいつが二人を……僕の家族を殺した。
そして今度は……
「ゆるさない……ぜったいに……」
その時、身体の中で、何かが渦巻くのを感じた。
それは僕の身体を食い破ろうかという勢いで溢れ出てくる。
なんだ? これは一体……
いや、今はそんなこと関係なかった。
確かなのは、これが僕の力だということだ。
そして僕は、恩人であるお母さまたちを守らなきゃいけないんだ。
僕は今掴んだ何かを制御しようと必死にその力を制御しようとする。
「むっ……なんだ? まさか、こいつは……」
掴んだ……!
「チッ……殺れ……!」
合図と共に獅子が襲いかかる。
「きえちゃえ……!!」
だけど僕は、そんなことも厭わず、目の前の獅子に向かって力を放出する。
それは、膨大で純粋な力として放たれ、目の前の獅子と男を呑み込むのであった。
「伊織……あなた、まさか……呪力が?」
目映い光が周囲を包む中、ぼそりと呟く千歳さんの声が響いた。
それは、この世界でただ一人、男が呪力を会得した瞬間であった。




