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「それじゃあ、この新聞記事は本物なのね?」
「ええ、そうよ」
ミラに確認され、アリスはうなずいた。
冒険者ギルドの食堂の料理長ミラ・キャリッジと、ギルドマスターであるドム・キャリッジは夫婦だ。
アリスは彼らに再会した夜、二人の家に泊まらせてもらうことになった。
ミラはアリスと同じ歳の四十三歳。ドムは二つ上の四十五歳。二人とも五年前と見た目にはあまり違いがない。
(役職はずいぶん上がったみたいだけど)
ミラの手製の料理が並ぶ食卓で、彼女が手に持っているのは一週間ほど前の日付の新聞だ。
大手の新聞社は物品用の転移魔法陣を社内に持っており、国内外の情報を素早く伝える。だから、南の国境でも、王都の最新情報が知れるのだ。
その新聞の一面は、立太子の式典の記事だった。
アリスもファーラドの前に寄った街で同じ新聞を買って、大事にとってある。
「ウィルフレッド王の唯一の王子エディアルド殿下が、王太子に決まった。アリスティーナ王妃はこの式典も体調不良で欠席、だとさ」
ドムが見出しを読み上げる。
「エディの晴れ舞台なんだから、式典に出てから出発してもよかったんじゃない?」
「ダメダメ。あの女も出席するのよ? あの女の顔を見たら、魔法をぶっ放さない自信がないわ」
あの女とは、アリスの異母姉フローレンスのことだ。
姉への恨みを何度も聞かされた二人は肩をすくめて、口をつぐんだ。
アリス・カルスは正式な名前をアリスティーナ・カルセンス・エトールという、正真正銘エトール王国の王妃だ。
アリスは当時のカルセンス公爵が見目のいい平民に産ませた子どもで、母に似なかったアリスは貴族の中では平均レベルの容姿だったけれど、公爵は公爵夫人との間にできた実子として届け出た。十歳になり王都の公爵邸に引き取られたが、十四歳のときに異母兄クリストファーの手引きで公爵邸から逃され、冒険者になったのだった。
――実際のところ、義母と異母姉のいじめにブチ切れ、屋敷を火の海にする寸前でクリストファーに説得されてあきらめ、交換条件で公爵家から解放されたのだけれど。
(完全に解放とはいかなかったのよね。お兄様はずっとアリスティーナの籍を残していたんだから。……まあ、エディのためには良かったってことにしておくわ)
十四歳からずっとファーラドで冒険者をやっていたアリスが王妃になっているのは、クリストファーとウィル――当時は第三王子だったウィルフレッドの暗躍の結果だ。
ちなみに、フローレンスが長子、嫡男のクリストファーは次子。横暴で話の通じないフローレンスにはクリストファーも被害を被っていたらしく、彼だけはアリスの味方だった。
第三王子ウィルフレッドとカルセンス公爵家の令嬢アリスティーナが結婚。その間に生まれたエディことエディアルド・エトールは、出生時から正しくエトール王家の王子となっている。――問題があるとしたら、全てが極秘だったことだけだ。アリス達はファーラドで結婚し、エディもこの街で生まれたのだ。
その後、第一と第二の両王子が失脚。第三王子のウィルフレッドが王位を継いだ。
王妃アリスティーナは産後に体調を崩したことになっており、エディアルド王子も母に付き添って離宮暮らし。ずっと表に顔を出さなかった王子だけれど、この度の立太子を機会に公務にも参加する――というのが公式発表だ。
「ああーっと、そうだ。『完全防御の魔女』が帰ってきたんだから、久しぶりに昔馴染みのやつらに声をかけて集まるか?」
気を取り直すように、ドムが提案した。
「いいわね。そうしましょ」
ミラも手を叩き、アリスも、あの人は? この人は? と知人の近況を尋ねた。
「そういえば、『完全防御の魔女』って呼ばれるのも懐かしいわ」
話の切れ間にふとアリスが言うと、ドムが首を傾げる。
「旅の間は二つ名で呼ばれなかったのか?」
「隣国まではさすがに広まってないもの」
アリスは家畜化された魔鳥である笹鳥のマスタード焼きを頬張る。じわりと肉汁が口の中に広がり、非常においしい。ファーラドでは毎食ギルドの食堂で食べようかしら、と思うくらいだ。
そんな料理を作ったミラは驚いた顔で、
「隣国? 旅ってどこまで行ってたの?」
「エトール王国をひとまわりしながら、北と東の隣国の王都と主要都市ってところかしら」
このエトール王国は、西は海に面している。南はファーラドの外にある無国籍地帯『リリンの森』があり、こちらはよほど実力のある冒険者でなければ通り抜けできないから、南との交易は海経由だ。北と東は友好関係にある隣国に接していて、人や物品の行き来も多い。
「王都に主要都市って、それは冒険者の旅じゃねぇだろ」
「そうよね。エディの希望に合わせてたんだけど、あたしもさすがに途中で気づいたわ」
五年前、ファーラドにウィルがやってきた。アリスとエディも王都で暮らさないか、エディに跡を継いでほしい。ウィルはそう言った。
アリスはエディの判断に任せると答え、エディは修行の旅に出たいとアリスに話した。
(だから、あたしはウィルから逃げるんだと思ってたんだけど、あの子ってばずっとウィルやお兄様と連絡を取り合ってたんだもの)
エディは隣国の王都であちこち歩きまわって、他国人でも入れる公共施設は全部回っていた。評判の領地があれば足を延ばし、農地から商業都市まで訪れた。エトール国内ではほとんど全部の領地を回った。合間にダンジョンに潜ったり、アリスから魔法や体術の訓練を受けていた。
やけに頻繁に遭遇する行商人だと思っていたのがクリストファーからの使者で、情報のやりとりのほかに座学の課題も出されていたらしい。
(王位を継ぐための修行ね……)
貴族社会から距離を置くと決めたのは自分だけれど、アリスは一人で取り残されたように感じる。
身軽になったけれど、寂しい。
エディを守って生きてきた十二年。これからしばらくは自分の身を守るだけ。
何でもできるし何でもやりたい前向きな気持ちと同時に、自分の役目は終わったのだという喪失感もある。
(燃え尽きた感じ、かしら?)
採取依頼ならどこにでも行くと答えたときに、ドムが「無茶するな」と言った理由が少しわかる気がする。
その重しの役がリーナ・オルトなのだろう。アリスは無力なリーナを守らないとならない。
(さすがギルマスってところかしら? よく人を見ているわね)
そこまで思い至って、アリスは疑問を浮かべる。
「ねえ、リーナからだいたいのところは聞いたんだけど……」
「ああ」
「コリン・スポットだっけ? どうしてさっさとギルドカードを剥奪して街から追い出さないわけ?」
問題を起こした冒険者は罰を受ける決まりだ。
コリンはどう考えても処罰対象だろう。
それをドムが放置している理由がわからない。
「領主様に止められてるんだわ。もうちょっと泳がせろって」
「え? 領主案件なの? あんな小物が?」
コリンはリーナと同郷らしい。
冒険者になるというコリンに誘われて、幼馴染のリーナは一緒にファーラドにやってきたそうだ。一年前のことらしい。
現在、コリンは十八歳、リーナは十六歳。故郷の家族は二人が当然結婚するものだと思って、笑顔で送り出してくれたという。
冒険者登録をしてパーティを組んだけれど、リーナは冒険者に向かなかったためギルド職員になった。職場が別になっても仲良くしていた二人だったが……。
「三か月くらい前でしょうか。コリンが一人で護衛依頼を受けてファーラドから一月ほど離れていたんです。帰ってきたら、荒っぽくなっていて……」
前はあんなに嫌な感じじゃなかったんですよ、とリーナは昼食をとりながら話してくれた。
「一緒にいた女は?」
「ノーラ・ラグランです。彼女はファーラド出身の冒険者で、前からコリンに迫っていたんですけど……。十日ほど前、コリンは私を追い出して彼女と暮らし始めたんです」
「あなたから彼女に乗り換えたってこと?」
「はい……。それはまあ、仕方ないといいますか、私より彼女のほうがこう……胸とか顔とか……魅力的ですし。一緒にパーティを組めますし。……正直なところ、いつもイライラしているコリンと暮らすのはしんどかったんで、私も納得して別れたんです。だから、文句はないんですよ。それなのに、あちらがいちいち私に絡んでくるんです。ほっといてほしいんですよ、私は」
最後はリーナもちょっと早口になっていた。
さすがに腹に据えかねているのだろう。
アリスならコリンが荒れ始めた時点で鉄拳制裁している。これはアリスが特別なのではなく、冒険者の街ファーラドの女はだいたいそんな感じだ。リーナはずいぶん優しい。
案の定、ミラも、
「コリンを見るたびに何度フライパンで殴ってやろうと思ったか!」
と憤慨していた。
ドムは腕組みをして、「ここだけの話だが」と口を開く。
「コリンは、領地を超えて手配されている犯罪組織に関わっている可能性があるらしい。あいつを追放したせいで組織に深読みされて逃げられると困るんだと」
「それって、護衛依頼のときに関わりができたってこと?」
「いや、あの依頼は安全だ。依頼人の身元もはっきりしている。……その帰路で何かあったんじゃないかと思うんだがな。西方面なんだ。あっちは港があるからいつもざわついているだろ」
南のファーラドで一番多い問題は魔物だが、西の港湾都市では人が起こす問題が圧倒的なのだ。
「ふーん。それじゃあ、コリンをぶちのめすのはまずいってこと?」
「いや、さすがにこっちも面子があるし、リーナを悪意にさらし続けるつもりはない。コリンが先に手を出してアリスが返り討ちにしたって体なら、問題ないだろ」
「了解、了解。まあ、期待しててちょうだい」
「ほどほどにな」
アリスがひらひら手を振ると、ドムは苦笑した。
「犯罪組織の摘発は、領主様にがんばってもらわんとな」
「領主様ってあいつよね。代替わりしたんでしょ?」
ファーラドを含む南の国境の土地は、ソシレ伯爵家の領地だ。現ソシレ伯爵は身分を隠して冒険者をやっていたことがあり、アリスも面識があった。
「アリスが戻ってきたって連絡したら、会いに来るかもなぁ」
「ジャスパーさんがまた青くなるわよ。かわいそうよ」
アリスを追ってファーラドに来たウィルの素性に気づいたジャスパーは、アリスがウィルをぞんざいに扱うたびに顔色を悪くしていたものだ。
(キラキラ顔のウィルを、何も知らない他の冒険者たちが『王子』なんてあだ名で呼び始めたときは卒倒しそうだったわね……)
アリスは懐かしいあのころを思い出して、くすりと笑ったのだった。




