5
「大変です! アリスおばさんとアーサー様が消えちゃいました!」
慌てるリーナの腕をディアが引く。
「落ち着いて、リーナ。おそらく転移魔法ですわ」
(やっぱり勝つのは間違いだったんでしょうか?)
それを口にするのはディアを責めることになりそうで、リーナは黙った。
「アリス様の防御壁が消えていないので、きっと近くにいらっしゃいますわよ」
「そうですよね」
ディアの微笑みに、リーナは少し落ち着く。
「アリスおばさんですもの、大丈夫ですよね」
すると、ディアは目を瞬いて、
「アリス様の心配をしているのですか? 自分の心配でなくて?」
「え、あ、はい。私たちも不安ですけど、転移させられたのはアリスおばさんとアーサー様ですから。転移先に何があるかわからないじゃないですか」
「アリス様なら何があっても大丈夫だとは思わない?」
「思います! 思いますけど! 心配しないのとは別ですよ」
リーナがそう言うと、ディアは「ふふっ、そうね」と笑って、リーナの頭を撫でた。
「え? あの、私はどうしてディア様に撫でられているのでしょうか?」
「リーナがいい子だからですよ」
「えーと、ありがとうございます?」
「ふふっ」
実際より若く見えるディアだけれど、こうされると彼女が三児の母だというのも納得がいく。
リーナが戸惑い半分、ほっこり半分でいたとき、不穏な羽音が聞こえてきた。虫型の魔物が転移してきたようだ。
「うわぁ、気持ち悪いですー!」
「松笠蜻蛉ね」
「また四字名ですか……。アリスおばさんの防御壁がありますけど、このままってわけにはいかないですよね。私の魔法でどうにかなるでしょうか……」
リーナの魔法の腕はディアにも披露済みだ。
「それじゃあ、私が攻撃しますわね」
「え? ディア様が?」
リーナは驚いてディアを見る。彼女はふんわり微笑んで、防御壁の外に風魔法を展開した。
「うわっ! すごいです!」
風の刃が蜻蛉を切り刻む。
防御壁に落ちた蜻蛉は跳ね返ってまた風魔法の餌食になるため、どんどん細かくなっていく。
(ディア様が戦うのは初めて見ましたけど、すごく強いじゃないですか!?)
ギルドマスターが依頼主は二人とも戦えると言っていたのを、リーナは今さら思い出した。
数分も経つと、蜻蛉は全て床に落ちていた。
「ディア様、すごくお強いんですね!」
「ありがとう。……でも、アリス様の防御壁が汚れてしまいましたわね」
ディアは上を見上げて悲しそうな顔をした。
細かくなった羽などは危険物扱いされないのか、飛ばされずに防御壁にくっついている。
「私が洗い流しますよ!」
リーナは大きな水球を防御壁の上に出して、ざばっと水を落とした。
リーナの予想では、水が防御壁のゴミを洗い流してくれるはずだった。しかし……。
「ええっ! ああ! おばさんの防御壁は私の魔法を通すんでした!!」
リーナの出した水は防御壁を通り抜けて、リーナとディアに降ってきたのだ。
「ディア様ー! 申し訳ありませんー! どうしたら? こんなにずぶ濡れでどうしましょう。えっと、そうだ、タオル! タオル持ってました!」
「リーナ、落ち着いて。大丈夫よ」
ディアは微笑んで、風魔法を使った。
リーナの髪から滴り落ちていた水が吹き飛ぶ。それでもまだ乾いてはいなかったのだけれど、ディアがマジックバッグから浄化の魔道具を出してくれた。
「ほら、綺麗になったわよ」
「ディア様! ありがとうございます!! ご迷惑をおかけしてすみません!」
「いいのよ。冒険でずぶ濡れや泥だらけになることはよくあるものね」
「そうなんですね! 私は初めてでした」
「あら、そうなのね。私とアーサーは、沼に落ちたり川に落ちたり魔物の体液を被ったりして、よくアリス様に怒られたのですよ。浄化の魔道具を持ってくるようにと厳命されましたわ」
微笑ましい思い出のようにディアは語るけれど、リーナは顔を引き攣らせて「そうなんですねー」とうなずいておいた。
(アリスおばさんに怒られた話を夢見るような顔でされるなんて、ディア様は強いですね……)
そのとき、ピコンと高い音が鳴った。何かの魔道具だろう。
案の定、ディアがポケットから板状の魔道具を取り出した。
「アーサーから連絡だわ」
「え?」
魔道具を持ってたならすぐに連絡してくだされば良かったのに、とは言えないリーナだ。静かにディアとアーサーの話が終わるのを待つ。
「もう一度ですか? ……はい。こちらは松笠蜻蛉が出ましたけれど、討伐いたしましたわ。……そうなのですね。……ええ。ではそのようにいたしますわ」
魔道具を顔から離したディアは、リーナに向き直る。
「二人が転移した部屋には何もないそうです。こちらの仕掛けをもう一度発動させたら、私たちも転移できるかもしない、ということでした」
「はい」
小卓と壁を見ると、いつのまにか布が小卓に戻っている。
転移魔法を発動させるためにアリスの防御壁は一度消されるそうだが、ディアの連絡魔道具を通じて、何かあれば張り直してくれるという。
「リーナ、手を繋ぎましょう」
「はい」
小卓を前に、ディアが口を開いた。
「勝つ選択は間違いだったかもしれないですわね」
「え?」
今まで言及しなかったからディアは気にしていないと思っていた。
ディアは微笑んで、聞いた。
「どうしますか? 今度は、あいこや負けを選びますか?」
「いいえ、勝ちます!」
リーナが宣言すると、ディアはうなずく。
二人で布を手にして、壁の石に乗せた。
――そして、シュンっと魔法の音がした。




