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エトール王国の南の国境の街ファーラド。
国境の関所の外には、無国籍地帯『リリンの森』が広がっている。深い森には魔物が多く生息し、ダンジョンも多い。そのためファーラドには、高レベルの魔物を討伐して名を上げたい者から、未踏破ダンジョンで宝を得て一攫千金を狙う者まで、様々な冒険者が集まっていた。さらに冒険者を客とする商人や職人、素材を買い取る商人などもいるため、大きな街になっている。
そんな冒険者の街ファーラドの冒険者ギルドは毎日大賑わいだ。それでも、昼の今の時間は受付の客も途切れる。
ギルド職員リーナ・オルトは、自分のカウンターの前に誰も並んでいないのを見てから、大きく伸びをした。
「うーん……!」
さすがにずっと座っていると肩が凝る。
今日のリーナは昼当番なので、通常組が戻ってから少し遅い昼休憩が待っている。
あともうちょっと、と気合を入れなおしたところで、目の前に四十代くらいの女が立った。
「こんにちは。ご用件をうかがいます」
「この無所属のギルドカードを、ファーラド所属に変更したいの」
「はい、承知いたしました」
リーナは手渡されたカードを見て目を見開く。
(え、A級!?)
ギルドカードにはギルドの紋章が刻まれているが、レベルに応じてその色が違うのだ。彼女のカードの紋章は紫色、つまりA級だ。
冒険者は登録するとまずE級になる。それから依頼完遂や討伐魔物の内容と数によって評価され、D、Cと上がっていき、A級の上はS級だけ。S級は本当に審査が厳しく、一人で七字名の超高レベル魔物を倒せるくらいでないと上がれないため、実質A級が最上級のようなものだった。
リーナは手元のカードとその持ち主を見比べる。
ぽっちゃり体型の中年の女だ。顔立ちは整っているけれど、どこにでもいそうな「おばさん」だった。――A級冒険者には見えない。
(昔取った杵柄ってことでしょうか? 討伐や依頼完遂の実績が途切れるとランクが下がるから、この人、きっとA級から落ちるんでしょうねぇ)
失礼なことを考えながら、リーナはカードを読み取り機に差し込む。
「本人確認のためにこちらの水晶に手を乗せてください」
「はいはい」
「ええと、アリス・カリスさん、でよろしいでしょうか?」
「ええ、間違いないわ」
アリスに手を放してもらって、リーナはカードの読み取りを進める。
端末には前回の読み取り時から今までに討伐した魔物の記録が出るのだが、それを見たリーナはまた目を見開いた。
(え? 白金月光狼? 黒首長山狐? 五字名の魔物がこんなに……! しかも群れって! バリバリ現役じゃないですか?!)
口をぱくぱくさせるリーナに、アリスは「何か問題あった?」と首を傾げた。
「あ、あの、これ、アリスさんが一人で討伐されたんですか?」
「もちろんよ。あ、そうだ。忘れてたわ。あとで素材も買い取ってもらわないと」
「は、はい。この討伐記録、すごいですね……」
「まあねー」
ふふっと笑ったアリスの横からE級パーティが現れた。冒険者になったばかりの少年三人組だ。
「あれ? もしかして、エディの母ちゃん?」
「うわ、ほんとだ! エディの母ちゃんじゃん!」
「エディ、帰ってきたんだ?」
彼らを振り返ったアリスは腰に両手を宛てる。
「こら、あんたたち! エディの母ちゃんじゃなくて、アリスおばさんって呼びなさい!」
「はーい」
所属変更作業をしながらそれを聞いていたリーナは「おばさん呼びはいいんですね……」と小声でつぶやく。
「それにしても、大きくなったわね! 冒険者になったの?」
「まだE級だけどねー」
「アリスおばさん、エディは?」
「ごめんなさいね、エディは父親のところに行ったのよ」
「あー、やっぱそうなんだ。冒険者にはならないってあいつ言ってたからさ」
「そうなの?」
「おばさん、知らなかったの? 父親の跡を継ぐための修行の旅だって言ってたぜ」
「まあ……、あのころから決めていたのね……」
所属登録を済ませたリーナは、アリスとE級パーティの会話が途切れるのを待っていたけれど、それより先にまた別の声がかかる。
「アリスじゃねぇか!」
びりびりと空気が震えるような野太い大声は、リーナの背後から響いた。振り返らなくてもわかる。ギルドマスターだ。
「あら、ドム! 久しぶりね!」
「いつ帰って来たんだ?」
「昨日よ、昨日」
「エディは……」
E級パーティと同様にドムはアリスの周囲を見回した。
「ウィルのところに行ったわ」
横で聞いていたリーナが察するに、アリスの息子エディは父親ウィルの元に引き取られ、アリスは一人でファーラドに帰ってきた、ということだろう。
肩をすくめたアリスに、ドムは気まずそうに頭をかいた。
「ああー。まぁ、詳しいことは後でってことで、中上がれや」
「え、中って? そういえばあなたなんで、カウンターの中にいるの?」
「ギルドマスターなんだよ」
「えー! うわ、大出世ね」
「S級になっちまったから仕方ねぇんだよ」
ドムに促されたアリスが受付から離れそうになり、リーナは慌てて立ち上がる。
「アリスさん! ギルドカード! 所属登録が終わりました!」
「あ! ありがとう!」
カードを渡して座りなおしたリーナに、ドムが声をかけた。
「リーナ、悪いが、応接室に茶持ってきてくれ」
「はい!」
ギルドで客にお茶を出すことは稀だ。
(アリスさんはギルドマスターと仲がいいみたいだし、昔一緒にパーティでも組んでたんでしょうか?)
カウンターに『受付休止』の札を立てて席を立つと、会いたくない二人組が入口の方からやってくるのが見え、リーナは急いで身をひるがえした。
(ギルドマスターはあの二人に気づいて、私を受付から離してくれたのかもしれませんね)
「いい加減、私に絡むのやめてくれたらいいのですけど……」
ため息をつきながら、リーナは給湯室に入って行ったのだった。
リーナが応接室に入ると、アリスとドムの会話は盛り上がっているところだった。
「それじゃ、アリスはファーラドを拠点にするってことか?」
「ええ。さっき、所属を変えてもらったわ」
ね? とアリスに話を振られて、リーナはお茶を並べながら「はい」とうなずく。
「ちょうど良かった。最近、採取に長けたパーティが立て続けに三組も引退しちまって、ちょっと困ってたんだわ。お前、そっち系の依頼を片づけてくれんか?」
「いいわよ。ダンジョンでも森の深部でもどこでもいくわ」
「お前なぁ……。一人になったからって無茶すんなよ」
「しないわよ」
ドムは腕を組んでから、退出しようとしたリーナを振り返った。
「リーナ。ちょっと待て」
「はい」
リーナを手招きしたドムは、アリスに、
「採取の依頼にはこいつを連れてってくれ」
「え?」
驚いたのはリーナだけで、アリスは「別にいいわよ」とあっさりうなずく。
「リーナは魔物や植物の最新の分布をアリスに解説してやってくれ。こいつは五年もファーラドを離れてたからな」
「よろしくねー」
「でも、私、冒険者としてはD級で、足手まといになると思うんですが……」
「それは心配すんな。アリスにくっついてれば危ないことは何もない。こいつの防御魔法はS級だぞ」
「え、でも……」
リーナは冒険者登録をして何度か依頼を受けたことがあるが、低レベルの小物しか倒したことがなかった。体力も筋力もあまりないため、冒険者は早々にあきらめてギルド職員になったのだ。
「アリスさんはA級ですよね? 絶対に迷惑をかけちゃいます」
「いいから、お前はアリスにくっついておけ。ついでに魔法の特訓もしてこい。お前はアリスの弟子だ、弟子!」
「ええー、余計に話が大きくなっていますよ……」
情けない声をあげるリーナに構わず、ドムはアリスに向き直る。
「リーナは水属性の魔法が使えるんだ。ちょっと鍛えてやってくれんか?」
「いいわよ」
ドムにうなずいたアリスは、リーナに親しげに笑った。
「リーナって言ったかしら? あなた、C級にあがれる程度の魔力があるんじゃない? ちょっと演習場で試してみる?」
「お前な、せっかく出してくれたんだから茶くらい飲んでいけよ」
「え、待ってください! 本当に決定なんですか?」
ドムとアリスで話がまとまってしまい、リーナは慌てた。
すると、ドムが眉間にしわを寄せて、
「リーナ。お前はしばらく受付業務から離れてたほうがいい」
「あ……。はい。すみません。迷惑をおかけしてますよね……」
リーナは肩を落とす。
「迷惑なんて思っちゃいねぇよ。お前が謝んな。迷惑なのはあいつらなんだからな」
ドムはアリスにあごをしゃくって、
「こいつはいろんな意味で強いから、なんかあったら絶対アリスに相談しろよ」
「でも……」
煮え切らないリーナに、アリスが首を傾げた。
「なあに? 男に付きまとわれてるとか?」
「そりゃ昔のお前だろ。ま、でも遠からずってか。俺から説明するのもあれだから、リーナから聞いてくれ」
「わかったわ」
アリスはリーナに「あとで教えてね」と目配せした。
「え、待ってください。私がアリスさんにつくのは決定なんですか?」
リーナが再度声をあげたところで、扉が叩かれた。ドムが返事をするとすぐに開き、サブマスターのジャスパーが顔を出した。
ジャスパーはヒラ職員から叩き上げの五十代の男だ。
「マスター、すみません。大物を見たって話が出て……」
「あら、ジャスパーさん! お久しぶり!」
「え?」
アリスに声をかけられたジャスパーは目を丸くした。
「アリス・カルスじゃないですか! 久しぶりですね。帰ってたんですか?」
「ええ。今日からまたよろしくお願いしますね」
「……あなた一人ですか?」
ジャスパーは探るような視線をアリスに向ける。
「ええ。エディはウィルのとこに行ったわ」
「そうですか、ではウィルさんも来ていないんですね?」
「今はいないけど、代替わりしたら来るみたい」
「絶対に追い返してください」
事務方のトップ、影のギルマスと呼ばれるジャスパーが顔を青くするなんて、リーナは初めて見た。
(ウィルさんってどんな人なんでしょうか……)
「ああ、そうじゃなくて……。マスター、一緒に来てください」
「わかった。悪いな、アリス」
ドムが立ち上がると、アリスもならう。
「あたしはリーナと演習場に行くから大丈夫よ」
(もう決定なんですね……)
と、リーナは力なくうなずいた。
そこでジャスパーが足を止めた。
「リーナと演習場?」
「ああ、アリスに採取系の依頼をこなしてもらうんだが、リーナを補佐につけようと思う。受付のシフトの変更を頼めるか?」
「わかりました。でも、今日の調整は難しいので、明日からにしてください」
ジャスパーも何の疑問も挟まずに受け入れた。
(やっぱり決定なんですね……)
「リーナはこのまま昼休憩に入ってくださいね。午後はまた受付に立ってもらわないとならないんで、演習場も明日からですよ」
「あら、休憩だったの? 引き留めてごめんなさい」
ギルドの食堂で食べるのなら一緒に行きましょう、とリーナはアリスに腕を取られて、断る隙もなかった。
食堂に入ると、会いたくない顔を見つけてしまった。
(コリンとノーラ……)
まばらに席が埋まった食堂の、真ん中あたりのテーブルについている男女だ。
あちらもリーナに気づいたようで、にやりと笑う。
「辛気臭いやつが来たぜ。あの顔見てると飯がまずくなるんだよ」
コリンがわざとらしく大きな声で言い、ノーラがくすくすと笑う。
周りの客が顔を上げて、コリンたちとリーナを見比べた。またか、という顔をする者も多い。
入口で立ち止まってしまったリーナに、アリスが「どうしたの?」と聞いた。
「いえ、私、今日は外で食べようかなと……」
「それなら、あたしも付き合うわよ」
アリスははっきりとコリンたちに目を向けて、
「ああいうの見てると食事がまずくなるのよね」
と、言い切った。
コリンががたんと音を立てて立ち上がる。
「おい、ババア! 今なんつった?」
コリンはC級冒険者で大柄な男だ。ずんずんと大股に近づいてくるコリンに、リーナはアリスの前に出ようとしたけれど、アリスがそれを阻止した。
リーナの肩に両手を乗せて、「大丈夫よ」とささやき、するりと一歩前に出た。
「ババアじゃなくておばさんと呼びなさい! あたしは、食事がまずくなるからさっさと出て行ってくれないかしら、って言ったのよ。聞こえなかったの?」
「んだと、こら!」
怒鳴ったコリンはアリスに手を伸ばした。
しかし、悲鳴を上げたのはコリンだった。
「うわぁ!」
がしゃんと食器の落ちる音が響く。リーナが恐る恐る見ると、コリンが少し先の床に倒れていた。
「え、何が起こったんですか?」
「防御魔法よ」
コリンはがばりと起き上がる。
「何をした、ババア!」
「そっちが勝手に転んだんじゃないの?」
コリンは拳を振り上げ、アリスに飛び掛かった。
「この野郎!」
殴りかかったコリンはアリスの手前で見えない何かに跳ね飛ばされた。再びテーブルにぶつかり、床に転がる。
「ババアか野郎か、どっちかにしなさいよ」
アリスがため息をついたとき、厨房のほうから怒鳴り声が聞こえてきた。
「暴れているのはどこのどいつ?! ギルドの備品を壊したら罰金だってわかってるでしょうね!」
食堂の料理長のミラが両手にフライパンとお玉を持って現れたのだ。
彼女を見たアリスは「ミラ! 久しぶり!」と手を振る。
「えっ! アリス? アリスなの?」
怒りの表情だったミラはぽかんと口を開けた。
二人の意識が逸れている間に、ノーラがコリンに駆け寄り、「やばいよ、今のうちに逃げよう」と助け起こす。
リーナはコリンたちがこそこそ出ていくのに気づいたけれど、アリスの陰に隠れてやりすごした。
アリスはいろんな意味で強い、とドムが言っていたのがリーナにはやっと実感できたのだった。




