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エトール王国の王都の城壁の外。街道を外れた森の中に四人の男女がいた。
そのうちの一人、アリスは息子エディの手を握った。
「本当にそっちで暮らすのね? ウィルのところはいろいろ面倒なのよ?」
「わかってるよ」
「今までどうしてたのかとか、血筋は確かなのかとか、探られるし。いちゃもん付けられたり、命の危険もあるかもしれないのよ?」
「そんなのは冒険者だって変わらないだろ」
「本当にいいのね?」
「大丈夫大丈夫」
エディはここに来るまでに何度も聞いた母親の言葉を笑っていなす。そして、「それよりも」と表情を改めた。
「俺は母さんのほうが心配だよ」
「なんで? あたしが強いのは知ってるでしょ?」
「そっちじゃなくてさ」
エディはため息をつくと、
「いい? 夜十時以降に甘いものや肉を食べたらダメだからね? 依頼がないからって夜更かしや寝坊はしないように。同じところに長く住むなら掃除もやりなよ?」
「わかってるわよ」
息子と同じことを言いながら、アリスは、この口うるささは誰に似たのかしら、と考える。
三十すぎて産んだエディは十二歳になった。もう背丈はアリスとほとんど変わらない。
「ウィルの跡を継ぐって決めたんなら、しっかりやんなさいよ!」
「もちろん」
アリスはエディと拳をぶつけあう。
それから、アリスはエディの父親のウィルに目を向けた。会うのは五年ぶりだろうか。
(ウィルももう三十七歳だっけ?)
出会ったころから変わらないキラキラした容貌には、年を取って渋さが加わっている。
「ウィル、エディのこと頼んだわよ」
「うん、任せて」
笑顔で請け負ったあと、ウィルは表情を崩す。情けなく眉尻を下げて、
「アリスは本当にもう行ってしまうの? アリスもエディと一緒に来てくれないの?」
「いやよ、面倒くさい。貴族社会にはもううんざりなの」
「アリスー、そんなこと言わないで」
「いいおっさんが甘えんな!」
すがってくるウィルの頭を押し返すアリスに、エディが、
「まあまあ、父さん。俺もできるだけ早く代替わりできるようにがんばるから、そしたら母さんのところに行きなよ」
「エディ! さすが私の息子!」
「母さんもうれしいでしょ。ソロパーティはつまんないって言ってたじゃん」
「まぁねぇ……」
否定も肯定もしづらく、アリスは言葉を濁す。
(エディが生まれる前はソロだったけれど、生まれてからはずっと一緒だったからなぁ)
これから久しぶりに一人だと思うと、確かに気が沈む。
(でも、四六時中ウィルにまとわりつかれるのもうざいのよ)
アリスは複雑な表情でウィルを睨む。
「あたしのところに来たときに鍛えてなかったら、ウィルは街で留守番だからね」
「絶対に鍛えておくよ!」
そこで、ずっと黙って見ていた最年長の男が口を開いた。
「アリス、そろそろ時間だ」
声をかけられたアリスははっとして、男に向き直る。
「お兄様、お久しぶりです……! いろいろとお世話になりました」
異母兄のクリストファーに、アリスは丁寧に頭を下げた。連絡は取りあっていたけれど、顔を合わせるのは本当に久しぶりだった。
(家を出たときだから……三十年くらい経つ?)
当時はまだ若かった兄も、今はもう貫禄たっぷりだ。
「いや、アリスのおかげでこちらも助かっているよ」
そこでクリストファーはくすりと笑った。
「あの男もあの女たちもできなかったことを、アリスが成し遂げるなんてな」
「わたくしがウィルと結婚できて、そのうえエディがウィルの跡継ぎになれたのは、お兄様の手腕ですよ。ふふふ、お父様はもちろん、お姉様とお義母様にもざまあみろですわね」
クリストファーに相対すると、自然とアリスの口調は貴族だった子ども時代のものに戻る。
(ま、貴族夫人は「ざまあみろ」とは言わないだろうけどね)
「エディのこと、よろしくお願いいたします」
「ああ」
大きくうなずいてくれたクリストファーに礼をして、アリスは一歩下がる。
エディはアリスから一歩離れて、ウィルの隣に並んだ。
(こうやって並ぶとよく似てるわね)
アリスは笑って片手を上げる。
「それじゃ、またね!」
「母さん、気を付けて!」
「アリスー!!」
こうして、アリスはエディたちと別れたのだった。
一人になったアリスは黙々と森の中を歩いた。
初めてクリストファーやウィルに会ったときのこと。家を出て冒険者になったときのこと。ウィルとの再会、エディが生まれるまでと生まれてから。母子二人で旅をした五年間。――いろいろな思い出がよみがえる。
「今日から一人か……」
そうつぶやいて、なんとなく見上げると木漏れ日が眩しい。この森は王都が近いため、人を見たら逃げていくような小物の魔物しかいない。
そうは言っても森は森。アリスは薄い防御壁を身にまとわせて先を進んだ。
目的地は南の国境の街ファーラドだ。
隣国との間に無国籍の『リリンの森』が広がり、ダンジョンも多い。そんなファーラドは冒険者の街だ。アリスは、冒険者になってからエディと旅を始めるまで、ずっとファーラドを拠点にしていた。
アリスは懐かしい街に戻ることに決めたのだった。
小一時間も歩くと街道に出る。
それから少しも行かない間に、アリスは柄の悪い男二人に絡まれた。
(こういう奴らはいつまで経ってもいなくならないのね……)
アリスは小さくため息をついてから、身構えた。
アリスの正面に立ちふさがった二人組は、さっそく剣をちらつかせる。
「おい、ババア!」
「怪我したくなけりゃ、荷物を全部置いていきっ、ぶっ!」
相手が全部を言う前に、アリスは小石状の防御壁を魔法で出して飛ばす。硬度を高めてあるため、実際に石礫を当てるくらいの威力がある。
顔に攻撃を受けた男は、持っていた剣を振りかぶった。
「このババア!」
アリスは無言で、姿勢を低くし、前に出ながら男の足を払う。押し倒した男を軸に、くるりと身をひるがえしてもう一人の男の背後に立つと、至近距離から手首に防御壁を飛ばす。
「なっ!」
男が取り落とした剣を取り上げて、アリスは背中を蹴り飛ばした。
倒れた二人組の顔の真ん中の地面に、アリスは剣を突き刺す。
「ババアですって?」
「「ひぃっ!」」
震えあがる二人組に向かって、アリスは高らかに宣言した。
「おばさんとお呼び!」
――アリス・カルスは『完全防御の魔女』という二つ名を持つA級冒険者であった。




