第三章 第六十一話
……。
ここはどこだろう。
目が覚めると私は草原の中に一人佇んでいた。
「ねえ、カラヒノタチ。今度は何をして遊ぶ?」
後ろの方で声がし、振り向くとそこには子供の姿をしたカラヒノタチと呼ばれる人とタイマノケハヤ様が立っていた。
ここは神界なのだろうか?
カラヒノタチと呼ばれる人を私は知らない。それに二人とも私の事が見えていないのかこちらを向かない。
「あのっ。ここはどこですか?」
声を掛けてみるけれど、私のことは目にも入っていないみたい。
「僕、そろそろ人間界に行かなきゃいけないんだ。僕を待っている人達がいる」
「人間達が祠を立ててくれたんだっけ?いいよね。私も祀られたい」
「小さな祠だけど、村の人達が願ってくれたんだ。そろそろ僕、行くよ」
「今度、いつ会える?またここに戻って来るんでしょう?」
タイマノケハヤ様は笑顔でカラヒノタチ様に聞いている。
「そうだね。落ち着いたらまたここに戻ってくるからその時にまた遊ぼう」
「絶対だよ!約束だからね!」
「もちろんだよ。僕が約束を破ったことなんてないだろう?」
「そうだったね。待っているから」
「じゃあ、行ってくるね」
カラヒノタチ様はそう言って神界を飛び出して人間界へと向かった。私は引き摺られるように神界からの風景画が変わる。
もしかしてこれはカラヒノタチ様の記憶……?
小さな祠に住み始めたカラヒノタチ様は人間達の願いを叶えるために土地に涌く瘴気を治めている。
この地域は何か呪いなどが掛けられているのだろうか? 祠の周りの空気は澄んでいるけれど、村人達の争いは絶えないように見える。
「せっかく祠を作って神様を迎えたのにちぃとも土地の穢れは治まりゃせん」
「んだんだ。役立たずな神だな」
人間達は好き勝手に祠の前で話をしている。こんなにもカラヒノタチ様は力を使っているのになぜ分からないの?
私は見ていて悲しくなった。声を上げようにも人間達にもカラヒノタチ様にも届かない。
ただ見ているだけの存在だ。
人間達は祠のことを忘れ、時間だけが過ぎていく。土地の穢れは治まることがないようでカラヒノタチ様はずっとずっと力を使い続けている。
「……戻りたいなぁ」
そう言葉を漏らし悲しい表情を浮かべている。神界に戻ることも出来ずに一人力を使い続ける日々が続いていたそんなある日。
久々に人間が祠に来たかと思ったのにどうやら目的は別にあるようだった。若い男達が一人の女を抱えて祠の前で乱暴しようとしている。地面に押し倒された。
「やめてっ」
女は必死で抵抗し、たまたま手に当たった石を男の額に打ち付けた。女に馬乗りになっていた男が額から血を流し倒れ込む。
「いてぇよ! この女!」
カラヒノタチ様は一生懸命人間達を止めようと力を使うけれど、怪我をした男は我を忘れたように別の石を持ち女の頭を殴り始めた。
「おい、止めろ。死んだんじゃないか?」
周りにいた男達が声を上げ、男を止めた。
「逃げるぞ」
「このままにしていていいのか?」
「こんな血を流して生きているわけないだろ」
「俺達がやったとバレる前に逃げるぞ」
男達は逃げるようにしてその場を立ち去っていく。
残された女はというと、血を流し思うように動くことができないようだ。
「……ぃ。許さない。許さない。あの男達を殺す。殺してやりたい。死にたくない。あぁ、口惜しい」
女はそう口にしている。そして死に際に祠に手を掛けて願った。
「神よ、あの村の男達を殺してほしい。口惜しい。ああ、出来ることならこの手で、自分で殺してやるのに。恨めしい」
その途端、カラヒノタチ様の身体から赤黒い靄に包まれた。女の怨念が纏わり付いている。
「助けて! タイマノケハヤ! 嫌だ。嫌だ。人間なんて殺したくない。邪神になんて堕ちたくない!助けて」
悲鳴にも似た声をあげながらカラヒノタチ様はどす黒く変化していく。
なんということだろう。
女に願われ、纏わり付かれて邪神になってしまった。
私は怖くなり目を背けたくなったけれど、どうすることも敵わない。ただ傍観するだけだ。流れ出る涙を止めることもできなかった。
邪神になったカラヒノタチ様はゆっくりと村の方へ向かっていく。そうして女を殺した男達を一人、また一人と魂を奪い殺している。
きっと人間を殺してしまったカラヒノタチ様は神界へ戻ることはもう叶わない。
それが分かっているのか邪神は荒ぶる力で村人達を殺し始めた。
……何人殺したのだろう。
村にある神社の神主が邪神に気づき経を唱え始めた。
カラヒノタチ様は怯み、村人達から逃げるように祠へと戻っていく。
人間達は追い込むように榊と酒を持ち、祠へと向かった。
「おい、祠の前で女が死んでいるぞ」
「この女子ははなさんじゃないか?」
「もしかして、祠に逃げ入った邪神はここを守る神様だったのではないのか?」
「はなさんが襲われて神に助けを求めたのか……」
村人達は神主とここで起こった状況を理解したように話をしている。
『タスケテ。タスケテ。ボクハカエリタイ』
そう邪神になったカラヒノタチ様は叫ぶけれど人間達には何も聞こえていない。
「だが、邪神になられた神はもう元に戻らん。……この銅鏡に封じるしかない」
神主が難しい表情をしながら村人達にそう告げる。
そうして人間達は祠に祀られている銅鏡にカラヒノタチ様を封じることにしたのだ。
封じられて幾年も経ち、祠はまた人々に忘れられて朽ちていこうとしている。
ある嵐の日、祠の中に突風が吹いて銅鏡が倒れ一部ひび割れが起き、欠片が祠の外へと出てしまった。
封じられたカラヒノタチ様は銅鏡から出ようともがくけれど、身体から出てくる瘴気だけが外に出るだけでカラヒノタチ様は出ることが出来ないらしかった。
だが闇に囚われてもやはり神のため銅鏡から漏れ出る瘴気はとても強い。悪しきものが今にも涌きそうだ。
瘴気に気づいた天上人が祠の前に立っている。
どうやら冬の国の武官だろうか。
一人は茶色の羽根の生えた大太刀を持った武官でもう一人は大柄で髭を蓄え、太刀を持っている。




