序章
「宵闇様、現在番紅花様は葵様の命で乞ふ四季殿に行かれております」
「四季殿に? 番紅花様は四季殿に入ることができないはずですが」
草の実さんは私に話をする。
私達が住む世界は人間たちが『天上人が住む世界』と言われているところだ。天上界は四つの国に別れていて、各国の帝、春の国を治める蒼帝。炎帝が治める夏の国。白帝が治める秋の国。玄帝が治める冬の国がある。
その四つの国の真ん中にある浮き島の中に『乞ふ四季殿』と呼ばれる茅葺屋根の小さな社がある。
「はい。詳しい話は何も聞いていないのですが、番紅花様がここを離れる時に『白帝様の様子を見に行く』と言われたんです」
「乞ふ四季殿に何かあったのですか?」
「それが……私達にも全く分からないのです。突然国を守る結界が現れたと思えば情報が一切入ってこないのです。本殿から神へお伺いを立てようとしても何の返答もない。
連絡が途絶えている状態です。現在、衛門府から国中の武官が警戒に当たるように指示が出ています」
「そうなのですね。分かりました。もしかしたら天上界に悪しきものが来る可能性があるのかもしれないのですね……」
私は先ほどからとても嫌な予感がしている。
四季殿に何が起こっているのだろうか。
神祇官の長である私の仕事は乞う四季殿で白帝様が風読みを聞き取り、神祇官へ持ち帰る。その後、各所へ伝達を行ったり、各国の本殿にある神への報告や祈りをささげたりしている。
「では、私は乞ふ四季殿へ向かいます。結界の影響で連絡が取れないと思いますが、早めに戻ってきますから心配しないで下さい」
「はい! 宵闇様、お気をつけて向って下さい」
私は草の実さんに見送られながら乞ふ四季殿がある浮島のに向かった。
どういうことだろう……。
私は不安と恐怖で苦しくなる。
浮島全体がどす黒い瘴気で覆われている。
まさか、悪しきものが四季殿に入った?
でも、木札を持った限られた者しか四季殿に入れない。
悪しきものはそれを越えたの?
橋の袂には番紅花様も待機しているはずだ。
きっと、二人なら大丈夫。逃げたくなる気持ちをそう言い聞かせ、ゆっくりと浮島に掛かる橋に向かった。
浮島の近くまで飛んでくると最も恐れていた事が目の前で起こっていた。
浮島を繋ぐ橋の袂で誰かが倒れているのが目に入ったのだ。
「番紅花様!」
私は番紅花様をよく見ると、辛うじて息をしているが至る所から血を流し、傷口から瘴気が滲みだしている。悪しきものに堕ちるのも時間の問題だ。
私は白帝様が心配になった。
今すぐ白帝様を助けにいかないと。白帝様でも一人でこの瘴気は払えない。
でも、ここに番紅花様をそのままにしておくのは難しい。このまま放置すれば番紅花様は悪しきものに変化してしまう可能性がある。
今、ここで私は選択しなければならない。
白帝様を選べば、番紅花様はもう戻れないかもしれない。
でも、あの人がこの状況を見たら——間違いなく、私を叱るだろう。
私は涙を腕で拭い、番紅花様を抱えて秋の国の癒し池に向かった。今はこうするしかない。
私は秋の国に一旦戻り、番紅花様を巡回していた武官達に渡し、乞ふ四季殿へと戻った。
……間に合ってほしい。白帝様、死なないで下さい。
必死で浮島の橋まで辿り着くと、瘴気は更に広がり、悪しきものの形を取ろうとしている。
私は薙刀を振りながら叫び橋を渡っていく。
「白帝様っ!!」
「宵闇、来るな!」
黒く大きな悪しきものが社を取り囲んでいる。
私は薙刀で切り裂き、なりふり構わず白帝の元に駆けつけた。
「馬鹿者、なぜ来たのです」
「私は、白帝様を、お守りするとあの時から決めているんです」
春の日に柔らかく吹く風があの時のことを思い出し、私は薙刀を握りなおす。
「宵闇……」
虚空と呼ばれる間で立つことが許されていない白帝様は敵からの攻撃で血まみれになりながらも手錫杖を刀に変えて必死に戦っていた。
なんとかしないと。
血まみれになっている白帝様を見て泣きたくなる思いと彼を守らねばという気持ちが私を突き動かす。
自分では歯が立たないのではないかと怯え、逃げてしまいたくなる恐怖を押さえつける。
私は愛用の薙刀を振るい、右手で瘴気を吸いながら白帝様を庇うように敵の前に立った。
「オ、マエ、ラ、コロ、ス、……くは……たい、だ…」
ぬらりと人型を取っている悪しきものは声を発するまでに成長している。
そして今にも全てを飲み込んでしまいそうなほどの濃い瘴気を纏っている。
黒く濃い霧のような瘴気は私達を取り囲むようにじわりと迫ってくる。
時折り、その瘴気は凝縮し形を変え、細く鋭い形となり、矢のように飛んできては私達を貫こうとする。
私も応戦するため瘴気に右手を翳し、より多くの瘴気を取り込みはじめる。
「宵闇、止めなさい。それ以上取り込むと動けなくなりますよ」
「例え私が倒れても、白帝様を守れるのであれば構いません」
私は必死になって白帝様の盾になりながら瘴気を取り込むが、瘴気はあまりに濃く、気を抜くと浸食してくる闇に心を持っていかれそうだ。
悪しきものは瘴気を取り込む私に苛立ったようで、纏っている瘴気を棘に変え、私を攻撃し始めた。
瘴気の棘《とげ》は私の羽根を傷つけ、顔や身体を切り裂いていく。
必死に瘴気を吸い封印の玉を作っていくが、悪しきものから漏れ出る量を吸いきれない。
が、やるしかない。
ころり、またころりと封印の玉が床へと転がっていく。
「宵闇、よく聞きなさい。私は今から道を作ります。お前は外へ向かい、他の国に知らせなさい。悪しきものを迎え入れた者がいる、と」
私は白帝様の言葉を必死に拒否する。
「嫌です! 白帝様を置いてはいけません。私も最後まで白帝様の側で戦います」
「……今から道を開けます。宵闇しかいないのです。頼みました」
白帝様はそう言うと、聖なる力を乗せた言の葉を口ずさみ、悪しきものに向かって浄化の一閃を放った。
すると、悪しきものは避けたが、一閃を放ったところの濃い瘴気は霧散し、一筋の道が作られた。
「行きなさい。宵闇、頼みましたよ」
白帝様は嫌がる私の背中を風で強く押した。
「嫌です! 白帝さまぁぁぁ」
抵抗するも虚しく私は風の勢いに乗せられたまま社殿を追い出される。
悪しきものの後ろに見えた影……。
私が社から出た後すぐに四季殿は光と共に轟音が鳴り響いた。
……ああ、私は無力だ。
白帝様をお守りすることができなかった。涙が世界を霞ませる。
どうして、どうして……?
私を飛ばしていた風がふっと消え、私の身体は下へと向かう。
羽根を開こうにも先ほど負った怪我で上手く動かせず、私はそのまま人間界に落ちていった。
——そして、すべての始まりへと物語は遡る。