四
抜け道を求めて森を歩く。
雨上がりを感じさせる雫をまとった花々は、宝石で着飾っているように煌めいている。
個性豊かな色たちが退屈をさせない。
タンサの首は抜け道を探すだけではないほどに辺りを見ていた。
その目は花に負けないほどに光を宿している。
「ん? なんだろうこれ」
木々を眺めていると気になるものを見つけた。
大きな幹に爪痕が付いている。
その爪の大きさから本体も相当な大きさだということが想像できた。
さらに見回すと幹が折れている木もある。
それらに気を取られていると───
突如、タンサの小さな体に大きな影が覆いかぶさった。
「あぶなっ!」
影に向かって手をかざすと体を丸く囲うように、ドーム状の半透明な膜が現れた。
その膜は突然の衝撃に対して、波紋状の電気を発し、その力を全て受け流した。
襲い来る超重量級の影。タンサの足元には小さなクレーターが出来上がる。
「さすが姉さんの作ったシールド。この大きさなら数百キロはあるのにビクともしないや」
それは受けた衝撃エネルギーを電力に変換することで痛手を避けるバリア。さらに変換した電力は自らの電源に蓄えることのできるとてもエコな一面もある。
正式名称は『守護シレイ』。守護霊ではない。
いきなり現れた影は全身毛むくじゃらの獣で全長三メートルほどはあり、四足歩行で体の所々から木の枝が生えていた。
すかさず電撃銃を取り出しその獣に向けて放つ。
電撃は獣を目掛けて一直線に走り、胴体に突き刺さった。
「どうだ!」
電撃を受けた獣は確かに怯んだが、それも刹那の間だけだった。
「やっぱり大きいとダメみたい」
次の手を打つために電撃銃をしまう。
反撃された獣は怒り、一層激しく襲いかかった。
タンサはそれを軽やかにいなして、獣の体から生えている枝を両手で掴んだ。
「えいっ」
そして、空箱でも放るような雰囲気で、軽々と投げ飛ばした。
そこにあるのは種と仕掛けで、シレイはない。
その小さな体が手品よりも不思議に、姉の力なしに、巨大な獣を宙へといざなったのだ。
ツクョエにおいて、人は生まれながらに人にあらず。
人は必ず使命を持って生まれてくる。
使命のために人を生む。
生まれた意味を果たすためには、生まれたままの姿では許されない場合がある。
特に『惑星探索』のような過酷な肉体労働が予見される使命を持っている場合は規模が大きくなる。
まず生まれて五年目にして肉体の改造を行う。
骨はより強靭に、筋肉はより強力に。
生まれ持ったそれらを人工的に作り上げた代替品と置き換える。
少しずつ作り変えていく。
それにより惑星探索型人間は通常の筋力をはるかに上回り、その体躯にふさわしくないほどの力を発揮する。
体に拒絶反応が起き、泣いても収まらない激痛で、夜も眠れない日が続く。
馴染んで来たら次の箇所を。そしてまた絶えず続く痛みと眠気に耐える。
これが最初の工程で、筋骨の改造が安定してきたら次の段階に入る。
臓器の交換だ。
例えば灼熱、水中はたまた宇宙。
有毒も真空も活動範囲対象である。
呼吸の許されない環境でも長時間活動ができるような人工肺にしたり、体内へ酸素をより大量、高速に行き渡らせるための人工心臓など。小さな体には作り物が満ち溢れている。
さらにそれらを制御できるように、脳にはマイクロチップを埋め込まれている。
これには様々な役割があるがその中のひとつが肉体制御である。
その埋め込まれた人工的な脳が体中の人工物を正確に機能させるのだ。
ただし、それを入れたからといって体の制御がその日からできるようになるわけではない。
精神とうまく調和させる必要がある。
そのため正しく使いこなすための調整が始まる。
そこは何もない白い箱のような部屋。
生まれて七年目のそれは、その中にいる。
まるで水没しているように冷たい水で満たされた部屋で、酸素を求めてもがき苦しむ。
部屋の隅から隅まで移動したり、どこかに空気がないか探す。
しかし、それも長くはもたない。
次第に動きが鈍くなり、口から空気が漏れ出さないようにと手で押さえる。
だが、その隙間からは気泡が無慈悲に浮き上がっていく。
小さな体は水中で力なく固まった。
ゆっくり、ゆっくり、音もなく沈む。
〈心停止を確認しました。排水します〉
性別も感情も無い作り物の声が鳴り、部屋からは水が一気になくなっていく。
〈直ちに心臓マッサージ、および電気ショックを実施します〉
壁から伸びてきた、機械仕掛けの腕が動かなくなった体に触れると、勢いよく体が飛び跳ねた。
「っ! ゴホッゴホッ」
息を吹き返し、せき込む。口からは飲み込んでしまった水が吐き出される。
〈心肺機能の再起動を確認しました。五分後に水中での活動機能の調整を再開します〉
しばらくした後、現状を把握して湧き上がる感情を抑えきれずに、それの目から涙がこぼれてくる。
「も、もう嫌だよぅ……なんでこんなことしなきゃいけないの。誰か助けて……」
しかし、それに応えるものはいない。
泣き崩れる対象のことなど、気にも留めずに部屋には再び水が満たされていく。
〈次の目標時間は一時間です。惑星探索型人間としての最低条件は八時間です。調整を繰り返しこの程度も意識を維持できるようにならないと判断した場合、廃棄の対象となります〉
「いやだ! 嫌だ! 誰か、誰か助けて‼」
その叫びは誰の耳にも届かない。
部屋に満たされる冷たい水、それだけが返事だ。
〈調整は全て、使命を果たすために必要な事項です〉
───溺れる寸前まで水の中に閉じ込められることもある。
〈現在の標高は六千メートルです〉
「はぁ……はぁ……」
息を切らしてひたすらに上り坂を歩き続ける。
自らの肉体のみで。
「寒い、体が凍っちゃう……痛い……頭も、体も……」
防寒具などの装備は一切なしだ。
許されているのは日常的な最低限の服装と特別でもなんでもない運動用の靴。
いついかなる状況でもこの程度は耐えられなければ惑星探索は任せられない。
立ち尽くし、口から吐瀉物が散らばる。
「……疲れた……もう……だめ、眠い」
何時間と歩き続けて体力は限界である。
垂直にも感じられるほどの急勾配。岸壁を何度も這い上がった。その指には血が滲み、爪が割れて、剥がれかけている。
岩に腰を下ろし、目を閉じる。
急速にまどろみが押し寄せてくる。
まるで何かに呼ばれているようで、「おいで、おいで」と誘われているようで。
少しずつ痛みが遠ざかっていくような気分で。
そのまま深く、深くに意識を手放そうとしたとき、
───電流による激痛が全身を襲った。
「ぅあああああっ!」
〈睡眠モードに入ることは許されません。今眠ると再起動は不可能であると推測されます〉
「……もう、なんなのさ」
目からは涙が零れ落ちそうになる。
それを乱暴に拭って歩みを再開した。
〈調整は全て、使命を果たすために必要な事項です〉
───標高一万メートルを超える人工山を登らされることもある。
〈どのような惑星の気温でも活動できなければ惑星探索型人間としては不良品となります〉
(もう、喋る気力もない……体の全部が汗として流れ落ちてるみたいに。視界が霞む……歪む、もう立ってられない)
息を吸えば肺が内側から焼かれるようだった。
ふらりとバランスを崩し、体を支えるために床に手を着く。
「っ‼︎ くぅ……!」
熱された鉄板に着いた素手は刹那で焼ける。鼻には瞬間的に焦げた臭いがこびりつく。
「暑い……熱い……痛い……」
しかし、泣き言に意味はない。聞き入れられることはないのだから。
今、許されるのはただこの調整をこなすことだけである。
〈調整は全て、使命を果たすために必要な事項です〉
───鉄板で作られた部屋で数百度に熱されることもある。
〈本日より、戦闘能力の調整をいたします。まずは一体から始めます〉
その獣は鋭い牙と爪を振り回し、飢えた食欲の化身のようだった。
理性などなく、知性などなく、ただ眼の前の獲物を食い散らかそうとする獣。
それが瞬く間に至近距離まで駆け寄って来る。
「ひぃっ!」
思わず眼前を両手で塞ぐ。獣はその腕を噛みついた。
「っ‼︎」
腕は痛みと熱とを同時に発した。剣山の付いた万力で挟まれたように鋭く重い痛みだ。
歯を食いしばっても誤魔化すことのできない、皮膚表面の痛み。
獣は腕を引き千切ろうと力任せに首を振り回す。
「うぐ……あ、あぁぁああああ! 痛い痛い痛い!」
しかし、そう簡単には千切れない。そのように肉体が改造してあるからだ。
皮膚に食い込みはするがそれより奥は決して傷ついていない。それだけ強靭な物に作り変えているから。
だからこそいつまでも牙が刺さり続ける。
痛みから逃れようと腕を振って暴れる。
その腕が偶然にも、獣の頭に直撃した。
それと同時に獣は、腕から口を離し、電源が切れたように動かなくなった。
「……た、助かった……?」
安堵したのも束の間、全身に電流が流された。
「あああっ!」
〈この調整は現地の人類との戦闘を想定しています。惑星探索型人間には殺人の権利は付与されていません。ペナルティが発生します〉
「そんな……それじゃあ僕が死んじゃうよ!」
〈許可されていません。本番時に命を奪った場合はマイクロチップの強制シャットダウンを実行します〉
許されるのは護身のみ、惑星探索において命を奪うことは不要な機能だからだ。
〈調整は全て───〉
「使命を果たすために必要な事項です……バカ……もういいよ」
───殺意に対して護身のみが許された超ハンデ戦を強制されることもある。
これらの調整を繰り返す。
まるで学校で授業を受けるように周期的に。
この始まりから数年経過、それも生まれて十年目になる。
水中では九時間ほど意識を保つことに成功し、標高一万メートルの山をハイキングのように登れるようになり、灼熱の鉄板の上でも立ちながら居眠りができるようになった。
戦闘能力の調整では三十ほどの獣を相手に同時にやり過ごすようになっていた。
しかし未だ生傷は耐えない。複数を相手取るとなると視界の外から襲い来る攻撃に対処できないのだ。
そんなある日の戦闘前。壁からひとつのイヤホンが出てきた。
「なにこれ?」
〈惑星探索補佐型人間の調整が完了しました。そのため本日より、戦闘能力の調整ではそちらの装備が必要になります〉
「ワクセイタンサクホサガタニンゲン……? それは一体何?」
ため息を吐きながらも抵抗に意味がないことを知っているので、言われたとおりに身に着けた。
〈調整を始めます〉
「今度はこの無機質な声を耳元で聞くことになるのかな」
檻が開き、獣たちが次から次へと姿を現す。
殺気立った獣、許されているのは素手による護身のみ。
眼の前に警戒を向けていたところ、
〈後ろへ避けて!〉
「え⁉︎」
唐突に耳元に響く声、思わず言われたとおりに体が動く。
すると、それが立っていた場所に右から来ていた獣が噛みつく素振りをしていた。
「……今の声は?」
イヤホンから聞こえてきた声は今までの無機質なものとは違って、血が通っていた。
その後もその声に従って体を動かすと、今までにないくらいに安全に戦うことができた。
その翌年。
〈左!〉
声に従い左からの攻撃を避ける。それと同時に獣を掴み放り投げた。
〈次が来るよ油断しないで!〉
「わかってるよ」
眼の前から襲い来る獣をしゃがんで躱す。
声が聞こえてからの戦闘能力の調整は順調であった。
そして……。
〈最終調整が完了しました。本日よりTANSA(α)に惑星探索型人間権限を付与します〉
スピーカーから声が響く。
眼の前には百頭に及ぶ獣たちが気絶して倒れている。
白い独房だった部屋の壁が、TANSA(α)が通れるくらいの大きさに開く。
その道を辿った先に人影が立っていた。
「初めまして」
「……その声は! ……あ、初めまして。僕は惑星探索型人間─TANSA(α)」
TANSA(α)よりもやや大きく、年齢はそれほど差がない。
それは名乗った。
「私は惑星探索補佐型人間─SHIREI(α)、シレイって呼んで。立場上はあなたの姉ってことになるから。これからよろしくね。タンサ」
それから一年間、本格稼働に向けて姉弟は親睦を深め合った。
こうして作られたのが『タンサ』だ。
宙を舞った獣は地面に背中から落ちると、大太鼓を叩いたような、体の内側に響くような音を立てるとともに、地面を大きく揺さぶった。タンサの小さな体が飛び跳ねるほどに。
さらにその衝撃で地面に咲いている花々から緑色に輝かく粉が舞った。
獣は慌てて立ち上がり、そそくさと背中を向けて逃げていった。
「ゴメンね。痛かったよね」
惑星探索型人間にとっては、突進してくるだけの獣など赤子のようなものである。
遠ざかる背中に謝罪し、抜け道を探し始めようとしたとき、
「うわぁ何なに⁉」
タンサの目に驚きの光景が映る。
森の植物から細長いツルが伸び、一斉に暴れ始めたのだ。
まるでムチのように風を切り、そして───
爪痕の付いた幹を薙ぎ倒した。
慌ててシールドを張り、収まるまでその中で縮こまる。
やがてその暴走が過ぎ去ったのを確認した後、再び歩き始めた。




