十五
「何を……言ってるのです……?」
スピルの発言に、バーバラの瞳が揺れ動く。
スピルは決意を固めた目つきでバーバラの顔を直視しながら続けた。
「お願いします、どうかこのまま私に罰を与えてくださいませ」
「もうあなたは、あなたが嫌いなあなたではないのですよ……?」
「……はい。確かに嫌いな自分がひどついなくなりました。ですが……」
バーバラはスピルの言葉黙って待った。
「この醜い心。許されざる罪を犯したこれはどのような姿になっても消えることはありません」
「そんなことはありません。あなたの心は決して……」
「何故そう言い切れるのですか? 私はバーバラ様の美しさに嫉妬し、あろうことか手に掛けた魔女です」
「……」
こうべを垂らし、うなだれて黙り込むスピル。
たとえ姿が変わっても、長い間募らせた『醜い魔女』という心はその胸に深く刻まれ、自らさえもそのように評価してしまう。
それでも、ただひとり変わらずに友を思い続ける者がすぐそばにいる。
「私はあなたの心が醜いだなんて微塵も思いませんよ。それどころかあなたの心は美しいです。私よりも」
「……いいえ、慰めはよいのです。自分のことは自分でわかっておりますから」
「慰めなどではありません。本心から思っております」
「このような私に同情など……」
「同情でもありません」
「では、何故そのように仰るのですか」
バーバラは優しい声色で、スピルの傷んだ心をなでるように話し始めた。
「あなたは、あの花を使おうと思えばいつでも使えた。それでも最後まで使うことはなかった。何故ですか?」
「……それは」
「あなたも悩んでいたのでしょう? 私のことを思って」
「……ですが本当に美しいのなら手を染めるまでもありませんでした」
自らのことを否定し続けるスピル。
それでもバーバラはスピルという存在を肯定する。
「初めて出会った時のことを覚えておりますか?」
二人の出会い。
それはスピルがバーバラを突き飛ばしたことから始まった。
その問いかけにスピルは黙って頷いた。
「あなたは私を助けてくださいましたね」
「別に、特別なことではありません」
「そうでしょうか? あの時すでにあなたは自分の姿を見られたくはないと思っていたのでしょう?」
「そんなの、たまたま目に入ったからです。美しいと仰っていただけるほどのことではありません」
目の前で脅威に晒されている人を助けるという行い。そんなものは言ってしまえば普通だ。聖人でなければできないわけではない。
そしてバーバラという存在はスピルにとっては、親切の神が人間界に舞い降りたようなものである。
自分のような人間の善行など、その神にとっては呼吸をするように些細な行いであると思えてしまう。
だからこそどれだけ肯定されても受け入れることができなかった。
「いいえ。私は自らの姿が変わったとき、誰の目にも触れたくなくて洞窟にこもりました」
しかしバーバラは首を横に振った。
「誰にも会いたくなかったのです。それくらい、人に会うというのが怖いと思いました」
そして、自らの不親切、弱さをつらつらと語り始めた。
「あなたはその心を抱えながら私を助けたのです。私には……到底できそうにありません」
さらに友の親切、強さを称えた。
「バーバラ様も私を救うためにここまで来てくださったではありませんか」
「……いいえ、私はきっとあなたと初対面だったら、目に触れないことを選んだでしょう」
「……」
「あなたは過ちを認め、あなたに差し上げると言ったモノを返してくれて、そして謝ってくれた。そんなあなたのどこが醜いと言うのですか?」
「しかしバーバラ様。過ちは過ちでございます……謝れば済むというものではありません」
うつむき、目をそらし、目には涙をためる。
そんなスピルの背に手を当ててバーバラは言った。
「…………私は姿を変えられた時に思ったのです。ああ、なんて醜い姿だろう。このような姿を誰にも見られたくはない。……と。自分の嫌いな姿を誰かに見られることはこんなにも恐ろしいことだなんて、私は知りませんでした」
「……」
「あなたもそうだったのですね。それなのに私はあなたのことを多くの人前に連れ出して……どうかこの浅慮な者を許しては頂けないでしょうか……私は、私と共にいるあなたの姿を皆に見せれば、皆があなたにも優しくしてくれると思っていたのです……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「そんな! 何故バーバラ様が頭を下げる必要があるのです! すべては私が……私だけが悪いのです!」
「では私のことを許してくださるのですね……?」
「もちろんです!」
「ならばよろしいではないですか」
「えっ……?」
「私たちはお互いに傷つけあった。しかしこうして二人とも無事に戻り、そして許しあった。他に何が必要だというのです」
「ですが私の犯した罪は……罪には罰が必要です」
「スピル。私たちは親友ではありませんか。間違えたのなら『ごめんなさい』と言い、許しあえるならそれでよいではないですか」
「バーバラ様……こんな私をまだ親友だと……言ってくださるのですか……?」
「当たり前ではないですか。あなたは私の大切な親友ですよ。これまでも、そしてこれからも」
「……バーバラ様……申し訳ありません」
泣き崩れそうなふたりは抱き合いながら、お互いを支え合った。
「竜が現れたのはここか!」
城の方から鎧を身に纏った兵士たちが、ぞろぞろと駆けてきた。
「竜はいないぞ!」
「どこへ行った!」
「む、先ほどの侵入者だ!」
最も近いタンサを見つけて、兵士たちは剣や槍を構える。
「お待ちなさい!」
戦闘態勢になる兵士たちは、その声に一喝されて動きが止まる。
「バーバラ様!」
「姫様、ご無事でしたか!」
「む、魔女め……魔女……? 顔が違うような……いやそんなことはどうでもいい! 姫様から離れろ!」
バーバラのそばにいる存在に兵士たちは警戒を強めた。
「お黙りなさい!」
バーバラはスピルを庇うように、兵士たちの視線を遮った。
「……」
「……」
「……」
バーバラは一歩、また一歩と歩みを進める。
「私は戻ってまいりました。何を隠そう、タンサ様とスピルのお陰で。おふたりは私の大切な存在です。もしもこれから先、おふたりに何かする者があれば、それ相応の罰があると知っておきなさい!」
「……ば、バーバラ様……?」
「わかりましたね!」
「はっ!」
バーバラの言葉に兵士たちは背筋を伸ばし敬礼をする。
「わかったのなら他の者たち……この国全てに伝えるのです! 今すぐに!」
兵士たちは慌てて撤退していった。
「バーバラ様……私……私のせいだというのに」
自分のせいで姿を見せることのできなかった姫が、自分を庇うどころか、恩人として振る舞っている。
何をしたいのかは理解ができる。しかし納得はできなかった。
「私は何も嘘は吐いておりません。あなたのお陰でこうしていられるのですから」
バーバラは跪くスピルの肩を持ち、立ち上がらせた。
「さあ、背筋を伸ばし胸を張りなさい。あなたは姫を助けたのです。これからはもう誰もあなたを無碍にはできませんよ」
「う、うぅ…………ありがとう、ございます……!」
「やっと、その言葉が聞けましたね」
青空が姿を現し、日は二人を照らす。
涙で濡れた、二つの花が輝く。
その花たちの前では、待ちわびた青空さえも助演にすぎなかった。