今、幸せですの。離婚なんて致しません。二度と、馬鹿な事をおっしゃらないで。
「ああ、本当に退屈だな。疲れる」
いきなりレドレスが不機嫌に言い捨てて、アフェルシアは青くなる。
婚約者同士が交流を深める茶会。
ブルド公爵家に毎週、馬車で2時間かけて、アフェルシア・ルイド公爵令嬢は出向く。
婚約者レドレス・ブルド公爵令息とは父親同士が親友で互いに子が産まれたら、結婚させようと、若い頃に約束していて、その約束を果たす為に一年前に結ばれた婚約だ。
レドレスとアフェルシアは共に17歳。
レドレスは金の髪に青い瞳のとても美しい男性で。
アフェルシアは茶の髪に茶の目の地味な令嬢で、自分なんかがレドレスみたいな美しい男性と婚約者になってよいのだろうか、引け目を感じていた。
そして、レドレスには母親代わりに、育ててくれた歳の離れた姉がいて、レドレスはその姉の事をとても慕っていた。
今日もブルド公爵家のテラスで、2人でお茶を飲んでいたのだが、いきなりレドレスが退屈だと言い出したのだ。
世間の話をしていた最中に。
「そうだ。姉上も呼んで来よう」
立ち上がって、姉、イレーヌを呼びに行くレドレス。
10歳年上の27歳のイレーヌも、派手な金の髪に青い瞳の女性で。にこやかにやってくるとレドレスが椅子を引けば彼の隣の席に腰かけて、
「本当に、レドレスったら可哀想。お父様同士の約束とはいえ、貴方のような冴えない令嬢と婚約して。貴方に公爵夫人は務まるかしら。勿論、わたくしが教えてあげるけれども。公爵夫人としての心得を。でも、貴方、ボンヤリしていそうじゃない?本当に心配だわ」
アフェルシアは頭を下げて、
「至らなくて申し訳ございません」
イレーヌは扇を手に、オホホホと笑って、
「いえいえ、いいのよ。わたくしが至らない点はちゃんと、指導してあげるから。可愛いレドレスの為なのですもの」
レドレスはイレーヌの隣に腰かけて嬉しそうに、
「姉上が傍にいてくれるから、私は頑張る事が出来るのです。姉上は私の誇りです」
いまだに、結婚していないイレーヌ。
イレーヌはにこやかに、
「わたくしの結婚を申し込んでくる相手は沢山おりますのよ。でも、レドレスが心配で。わたくし、結婚しないでレドレスの傍にずうううっといる事に致しましたの。母を早く亡くしたので、わたくしとレドレスは本当に手に手を取り合って生きてきたのですわ。父もわたくしがレドレスの傍にいる事を賛成してくれておりますの。ですから、レドレスの結婚相手の貴方にしっかりと指導をしなくてはならないのですわ」
アフェルシアは頭が痛くなった。
そしていつもイレーヌはアフェルシアの至らない点を指摘してくるのだ。
「なんでこう貴方は地味なのでしょう。レドレスが可哀そう。ああ、そうだわ。貴方達に子供が出来たらわたくしが育てるわ。公爵夫人としての社交もわたくしがしっかりとやってあげます」
レドレスは頷いて、
「君は私との子を産んでくれればそれだけでいい。後は姉上が全てやってくれるから。ああ、将来が楽しみだよ」
アフェルシアは、いつもお茶の席で、このような話をされて、レドレスはいかに自分の姉が素晴らしいかを自慢するのだ。
「姉上は本当にドレスのセンスも素晴らしくて。私も17歳になったから、夜会で姉上をエスコートするのが誇らしくて。ね?君もそう思うだろう?私の姉上は最高だろう」
「そうですわね。イレーヌ様は最高の女性ですわね」
だから、毎週、馬車での2時間の距離が、本当に辛くて。
会いに来たくない。でも、会わなければ、文句を言われるかもしれない。
父親同士が親友で結ばれた婚約なのだ。
父ルイド公爵はこの婚約をとても喜んでいた。
婚約を解消したいと言ったら、それこそ反対されるだろう。
「私とブルド公爵は若い頃、ともに戦に出て死線をくぐってきた仲だ。無事に帰って来て、子が産まれたら結婚させようと、思っていたのに。お前の我儘で婚約を解消させるわけにはいかない」
生憎、母は亡くなっていて、後妻である義母と父との間に生まれた弟がいる。
父も義母も弟ばかり可愛がっていて、自分には愛情を注いでなんてくれない。
「わたくしが嫌がっているのに、なんで?この婚約を続けなければならないの?どんなに、親友同士だとしても、わたくしには関係ないでしょう?」
ある夜、そう言ったら父に頬を叩かれた。
「我儘だ。お前は嫁に行く立場だ。ブルド公爵家は名門で、お前の嫁ぎ先として申し分ない。それを嫌だと?私は許さぬぞ。多少の事は我慢しろ。それが公爵令嬢の在り方だ」
父にそう言われた。
だから、我慢するしかないのだ。
憂鬱な茶会から、今日も帰宅の馬車に乗るアフェルシアの心は重くて。
わたくしはこれからずっと、あの人達の嫌な話を聞き続けなければならないのだわ。
結婚したらもっと酷くなる。
イレーヌはもっと口出しをしてくるだろう。
自分はイレーヌとレドレスの言いなりに、あのブルド公爵家で過ごすのだ。
まるで奴隷のように。
可愛い自分の子も育てる事も出来ずに、イレーヌに取られて。
涙が零れる。
翌日、親友のマリーア・キルド公爵令嬢に放課後、街のカフェで愚痴を聞いて貰う事にした。
マリーアとは気心の知れた仲である。
護衛2人に付き添われて、カフェの席に対面で座り、アフェルシアは愚痴をこぼした。
「わたくし、本当に辛くて。前にも言ったけれどもブルド公爵家はイレーヌ様が仕切っていて、レドレス様は言いなりなの。そんなところへ嫁いでいってもわたくしは奴隷のような扱いになりそうで。
本当に辛くて。毎回、お茶会にイレーヌ様が同席するの。そして、レドレス様はイレーヌ様の自慢話をするのよ」
「まぁ、相変わらずなのね」
「父にそのことを言っても、ブルド公爵家は名門だ。お前の我儘でこの婚約を解消するなんて許さないって言うの。わたくしは公爵家に嫁ぐしかないのだわ」
マリーアは頷いて、
「ごめんなさい。話を聞く事しか出来なくて」
「いえ、いいのよ。貴方に聞いて貰えるだけでわたくしの気が晴れるわ」
「でしたら、私の所へ嫁ぐなんていうのは如何でしょう」
背後から急に声をかけられた。
黒髪の美男は自己紹介をする。
「私はエルドレッド・ハウゼン辺境伯です」
「ハウゼン辺境伯様がわたくしに?」
「結婚を申し込みたいと。辺境伯領はなぁに。馬車で2時間あれば、来られます。ですから、是非。私と結婚してくれませんか?」
アフェルシアは驚いた。
「わたくしが誰だか知っているのですか?」
マリーアがにこやかに、
「アフェルシア・ルイド公爵令嬢。どうです?とても素敵な方でしょう?」
「マリーア。貴方なの?辺境伯様にわたくしの事を紹介したのは」
「ええ、貴方、いつも苦しんでいたじゃない?だから、辺境伯様に手紙を出したの。わたくし、辺境伯様とは知り合いで」
「兄様と呼んでおくれ。マリーア。マリーアは私の妹でね。私の母が公爵家に後妻に行って。派手な母だったから王都がいいと言って。だからマリーアとは手紙のやりとりをしていたんだ。君の事はよく聞いていた。素晴らしいお嬢さんだって、努力家で一生懸命勉強をして。でも、ブルド公爵家との関係で苦しんでいるって。放っておけないと思った。実際にこうして会ってみて、素敵なお嬢さんだと思ったよ。毎日会いに行く。君の父上も説得して見せる。だから前向きに考えてみてくれないか?」
「わたくしの父は反対致しますわ。ブルド公爵との友情を大切に思っておりますから」
「それでも、娘の不幸を願う父親なんていると思うか?私は頑張って説得してみるよ。毎日。毎日。通って必ず」
嬉しかった。自分に寄り添ってくれるエルドレッドが。親友マリーアが。
とてもとても嬉しかったのだ。
宣言通り、エルドレッドは毎日、辺境伯領から、王都のルイド公爵家に通ってくる。
ルイド公爵は現在、王都の屋敷に滞在していた。
「我が辺境伯領はド田舎ですけれども、自然豊かで、とても良い所です。ですから、どうかお嬢様を私に下さいませんか?」
「何を馬鹿な事を言っている。辺境伯だからと会ってみていたが、ブルド公爵家に娘は嫁ぐことになっている」
「貴方はしっかりとブルド公爵家の現状を知っているのですか?レドレス殿は姉のイレーヌのいいなりで。イレーヌが公爵家の事を仕切っているのですよ。そんなところにアフェルシアを嫁がせたら、苦労するに決まっているでしょう?」
「それでもだ。私はブルド公爵との友情を優先したいのだ。私達は先の大戦で、生き抜いた同士だ。生きて帰ったら、互いの子を結婚させようと約束した。その約束を果たしたい」
「それで、アフェルシアが不幸になっても良いと?貴方はそれでも親ですか?私だったら、アフェルシアを不幸になんてしない。辺境伯領は田舎ですけれども、父も母も弟妹達も皆、アフェルシアを喜んで迎えてくれるでしょう。私はアフェルシアを貰いたい、どうか許可すると言って下さい」
「アフェルシアは我が公爵家の娘だ。私の言う事を聞いていればいい。帰って貰おうか」
父の言葉をエルドレッドの傍で聞いていたアフェルシア。
「お父様はわたくしの幸せなんて一つも考えて下さらないのですね」
涙が零れる。
エルドレッドは立ち上がって、
「また、明日来ます」
エルドレッドはそれから、毎日、毎日、ルイド公爵家に通って来た。
馬車で辺境伯領から片道、2時間かけて、毎日毎日、ルイド公爵が会わなくても、門の前まで通って来た。
そんなエルドレッドに門の前まで会いに行くアフェルシア。
「ああ、わたくしをさらって行って下さいませんか。父は反対しております。貴方との結婚を。わたくしは、もう、耐えられない」
こうして毎日、父を説得しに来て下さるエルドレッド様が好き。
本当に愛しくて愛しくて。
だから、申し訳なくて。
「わたくしをさらって行って。どうか、お願いだから」
「解った。誠意は尽くした。一緒に来てくれるね」
エルドレッドの手をアフェルシアは取った。
門の外へ出るアフェルシア。父ルイド公爵が、使用人達と共に屋敷の外へ出てきて、
「アフェルシア、何を血迷って。戻って来るがいい」
「お父様。わたくしはブルド公爵家には嫁ぎません。エルドレット様と共に行きます」
「許さぬ。許さぬぞ」
アフェルシアはがしっとエルドレッドにお姫様抱っこされて、止めてあった馬に乗せられた。
公爵家から使用人が飛び出して来た。
「馬で逃げたぞ。追えっ。追うんだ」
エルドレッドの背にしっかりとしがみついて、アフェルシアは思った。
後悔しない。エルドレッド様について行って後悔しないわ。
王都は海に接している。
港に行けば、何だか恐ろしい筋肉隆々の馬が2頭引いている馬車が停まっていた。
思わず、エルドレッドに聞いてみる。
「あの、この馬車は?」
「ああ、海を走る馬車だ。魔馬が引いている。ちょっと煩い馬車だが、我慢しておくれ」
馬車に乗せられたら、海の上を鐘を鳴らしながら走り出した。
それも凄いスピードで。
ルイド公爵家から追手が出ていたであろうが、あっという間に港から姿を消した不気味な馬車に諦めた事だろう。
2時間、海の上を鐘を鳴らしながら凄いスピードで走り、辺境伯領に着いた馬車。
海の近くで、山も近くて、本当にのどかな所で。
魔馬の馬車から、普通の馬車に乗り換えて、エルドレッドの住む屋敷に連れていかれれば、家族全員から歓迎された。
「エルドレッドが嫁を連れてきた」
「私が前辺境伯のドルクだ」
「わたくしが前辺境伯夫人マルガリータですわ」
「僕は弟のマルド」
「私は妹のエレーヌ」
「僕も自己紹介したいっ」
10人程の弟妹の自己紹介を受けて、アフェルシアは驚いた。
「沢山、弟さんと妹さんがおりますのね」
「血は繋がっていないんだ。優秀な孤児を養子に迎えてね。皆、可愛い弟妹だ」
食事も賑やかで。とても温かくて。
本当に幸せで。
食事が終わると、エルドレッドと2人、2階のテラスで月を見ながら、食後のお茶を楽しむ。
エルドレッドがすまなそうに。
「さらってきてしまって申し訳ない。できれば、君のご家族の許可を貰いたかった」
「いえ、いいのです。わたくしの幸せなんて考えてくれない父や義母。わたくしは今、とても幸せですわ」
エルドレッドが傍に来て、抱き締めてくれた。
本当に幸せで。ずっとこの幸せを味わっていたい。そう、思えた。
2週間後に教会で皆に祝福されながら結婚式を挙げて、すっかり落ち着いた頃、父ルイド公爵が護衛を数人連れて馬車で訪ねてきた。
客間で出迎えたエルドレッドとアフェルシア。
「ブルド公爵が怒っていてな。慰謝料を請求された。なんせ、駆け落ちをしたのだから。結婚なんてしおって。お前とは縁を切る。それを言いに来た」
「お父様はわたくしの幸せなんて考えもしないで、わたくしはここで、とても幸せを感じておりますの。どうか、わたくしの事は忘れて下さいませ。縁を切って頂いてよろしいですわ」
「お前と言う奴は……」
そうため息をつくと父ルイド公爵は、
「お前の母親とそっくりだな。そのきつい意志が……私と関係ない所で、二度と、関係ない所で過ごすがいい」
エルドレッドが声をかける。
「お義父上。大事なお嬢さんをさらってしまって、結婚して申し訳ございません。私からお嬢さんの近況はお知らせしますので」
ルイド公爵は、
「必要ない。失礼する」
アフェルシアは、エルドレッドに、
「お父様に知らせる必要はありませんわ。娘の幸せなんてちっとも考えて下さらない」
「いや、きっと、後悔しているよ。何だかそんな気がするんだ。だから、私から君の近況は時々知らせる事にする。いいね?」
「ええ、エルドレッド様がそうおっしゃるなら」
心の底では納得はいかなかったけれども、エルドレッドの言葉に納得することにした。
それから、3年後、王都に用事があって、あの魔馬の引く馬車で、2時間でエルドレッドと共に王都へ行った。
王宮の夜会にドレスを着て出席すれば、そこで昔の婚約者だったレドレスに会った。
「アフェルシア。酷いなぁ。君は。何で婚約解消なんてして、辺境伯に嫁いだんだ?なぁ、今からでもいいから戻っておいでよ。仕方ないから我が公爵家で迎えてやるから」
「え?わたくしは結婚しているのですわ。何故、離婚して戻らなければならないんですの?」
「誰も、私と結婚したがらないんだ。姉上の悪い噂が社交界で広がってね。結婚もせずに公爵家に居座っていると。余計な口出しをしていると。貴族の令嬢としてあり得ないと。仕方ないから、出戻ってきた君と結婚してあげるよ。君は素直に私と姉上の茶会に付き合ってくれたじゃないか。父上同士も親友だったし。父上は怒っているけど、君が戻ってきたら怒りも溶けると思うし。ね?お願いだからアフェルシア」
「わたくしは、結婚して、今、幸せですの。子も産まれておりますのよ。可愛い男の子。2歳になりますの。ですから、離婚なんて致しません。二度と、馬鹿な事をおっしゃらないで」
エルドレッドがアフェルシアの腰を引き寄せてくれて、
「私の妻を誘惑するだなんて、おかしいのではないか?さぁ、行こう。アフェルシア」
「ええ、参りましょう」
行こうとしたら、イレーヌが近づいて来て、
「せっかく、レドレスが復縁を言ってくれたのに、お前ごときが、レドレスの誘いを断るだなんて」
扇で叩かれそうになったが、エルドレッドがイレーヌの手首を押さえつけて、
「我が妻に危害を加えるとは」
レドレスが慌てて走って来て、
「申し訳ございません。さあ、姉上っ」
騎士達が近づいて、イレーヌを拘束した。
イレーヌは騎士達に拘束されながら、叫び続けた。
「お前が悪いのよ。せっかくレドレスが貰ってやると言っているのに。お前が悪いっーーお前がっーーー」
アフェルシアは、エルドレットにすがりついて、
「本当に怖いわ。あの人は何を考えているのかしら」
エルドレッドも頷いて、
「早く辺境伯領に帰ろう。その前に」
マリーアの屋敷に預けてきた、息子を連れて、ルイド公爵家に寄った。
ルイド公爵家では父が客間で応対して、
「可愛い子だな。本当にすまなかった。アフェルシア。私が間違っていた。ああ、孫とはこんなに可愛いのか……私に抱かせてくれないか?」
孫のエリックを抱き上げて、嬉しそうにしているルイド公爵。
エルドレットと手紙のやりとりをしていたルイド公爵。
時々、王都の菓子を送ってくるようになって。
何か思う事があったのだろう。
だから、息子に会わせることにしたのだ。
アフェルシアは父ルイド公爵に向かって、
「わたくしは、今、幸せですわ。お父様」
「ああ、そうだな。すまなかった。私に言えることではないが、王都に来た時にはこうして顔を出してくれ」
アフェルシアは心につかえていた、氷が溶けるような気がした。
こうして、父との間を取り持ってくれたエルドレッドに感謝するのであった。
イレーヌは、辺境伯夫人に危害を加えようとしたということで牢に入れられた。
しばらくは出てこられないだろう。
レドレスはと言うと、
「我が情報部に情報を寄せてくれてありがとう」
「いいのよ。アフェルシアに対して馬鹿な事を言ったのですもの。どうか、そちらの騎士団へ連れて行って頂戴。それはもう美男なのだから」
とある女性が情報部に美男の情報を寄せたということで、美男が大好きな変…辺境騎士団がレドレスをさらっていった。
彼も今頃、他の人達同様、ムキムキ達に可愛がられている事だろう。
魔馬は海を走る。
鐘を鳴らしながら。
海岸沿いの人達は、
「あれはなんだ?」
「辺境伯様の馬車らしいぞ」
「へ?凄い速さで海を走っていったが」
「凄い馬車を持っているんだなぁ」
と、見かけるたびに驚いているとか。
そんな馬車で辺境伯領へ愛しい夫と息子と帰るアフェルシアの心はとても晴れ渡っていた。




