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この本能には抗えない ガノルド視点



 ここはシンベルノ帝国 首都── ラヴガル。


 この帝国、もといこの世界を支配するのはシンベルノ帝国 皇帝── ガノルド・ラフマトスホユール、この俺だ。父上の死後、即位して僅か2年で世界を征服した、一部を除いてだがな。


『逆らう者には容赦しない、残虐無慈悲で冷血な世界王』そう謳われ、恐れられているこの俺が死の淵を彷徨うとは無様で滑稽そのもの。


 父上は『いずれ分かり合える時が来るはずだ』などと戯言を言っていたが、分かり合う時など来るはずがない。今や些細なことで争いが起こる時代だ。互いを憎み、殺し合うのが狼人族(ウェアウルフ)人族(ヒューマン)の宿命。一度始めてしまった負の連鎖は未来永劫続く、どちらかが降伏するか残滅するまで止まることなどできやしない。


 ── 徐々に近づいて来るこの気配は人族だが、もう体を動かすことはできない。目を開けることすらできない俺はこのまま人族に殺されるだろう。この俺が人族に殺されたとなればラフマトスホユールの名が廃るがまあいい、世継ぎもいないことだ。ラフマトスホユールの名は俺で終わる、後はユノが何とかするだろう。


「めちゃくちゃ怪我してるじゃん、このオオカミ」


 俺に近寄って来た人族からは殺意というものをまるで感じない。気だるそうに怪我を負った俺を哀れんでいるような声にも聞こえる。不思議とこの女の声は心地良い、この声を聴いていたいとすら思う。


「ていうか、むやみやたらに使うなって言われてもなぁ」 


 こいつ、甘い香りがするな。今まで嗅いだことのない、嗅覚を刺激してくるような清香で甘い香りに体の芯から疼いて、俺の本能が求めているこの感覚── こんなことは未だかつてない。


「ったく、私に可愛らしいヒロイン的なの求められても困るっての」


 可愛らしいヒロインとは何だ? まあ、声から察するに俗に言う可愛らしさというものとは無縁そうだな、この人族の女は。女というのは嬌声が基本だ。甘えるよう媚を売って、甲高く胸やけするような猫なで声、これが女というもの。だが、こいつの声は違う。女にしては少し低い、はっきりとして透き通った声をしている。女の声は耳障りなのが多いが、この女の声は別だ。


「悪いけど、私は私の為にあんたを助ける」


 この女、俺を助ける気なのか? 人族め、何を考えている。俺を助ける理由(メリット)がお前には無いだろ。むしろ殺す理由しかないはずだ、俺の死は狼人族の敗北を意味する。こんな絶好の機会を逃す馬鹿はいない。


 殺せばいい、殺す覚悟も殺される覚悟も疾うにできている。


 ── 俺に逆らう者は容赦なく殺してきた、理由など要らん。俺に逆らう者の存在自体が罪だ、慈悲など無用。この女も人族、例外ではない── そのはずだが、死の淵を彷徨っているというのに俺の本能はこの女を強く求め、欲している。


 この本能には抗えない。


「お願い、力を貸して」


 そう言って俺の体にそっと優しく触れた女の手は、少し冷えていて心地良い。女が触れたのと同時に全身が何かに覆われ包み込まれた。これが何なのかは分からないが、この女の優しさに触れているような、温もりに包まれているような、そんな感覚と共に全身の痛みが徐々に引いていく。


 すると、睡魔が襲ってきた。


「……っ。ああ、しんどっ……」


 迫り来る睡魔の中で女の苦しむ声が微かに聞こえる。この女はなぜ狼人族である俺を助けようとする……? 何が目的だ、皇帝であるこの俺を仕留める絶好の機会(チャンス)だというのに。


 愚かな人族の女よ──。


「──様。ガノルド様……おい、ガノルド」


 俺のことをガノルドと呼び捨てするのは、母上と幼馴染でラフマトスホユール家に代々仕えてきたオーケリエルム家のユノしかいない。


「何度も呼ぶな、聞こえている」


 目を開けると心配そうに俺を覗き込んでいたユノと目が合う。ベッドから起き上がると、やれやれと言わんばかりに深いため息を漏らしたユノ。


「はぁ、心配させんなよ」

「悪い。民衆は無事か?」

「ああ、お前のおかげでな。全員無事だよ」

「そうか」

「人族の残党は殲滅した」


 俺が生きているということは、あの人族の女が俺を助けたということ。『人族の残党は殲滅した』となると、俺を助けた女はもうこの世にはいない。普段なら人族を殺す、死んだ、そんなこと気にも留めない。だが、名も姿も何も知らないというのに、あの女の死はどうしても惜しいと思ってしまう。


 俺を助けようなどと思わなければ……いや、どちらにしろ死んでいたか。


「ガノルド、一体何があった」

「なんのことだ」

「深傷を負っていたはずだ、おかしいだろ」


 痛みは少しあるものの、傷口は完全に塞がり何なら完治している状態に近い。


「さぁな、俺にも分からん」


 あの女が治したのか……? いや、その線は薄い。人族にそんな能力などあるはずがない。だが、元々文明の発展が目まぐるしい人族が住まう国 ヌナハン王国。近年その進化は凄まじい── 何を開発しているか、底が知れないのが現状でもある。現に今回の戦で使用していたのは元来の武器ではなかった。あれはおそらく対狼人族用に開発された武器だろう。でなければこの俺が瀕死状態になるはずがない。


 人族は武器のみならず“治癒魔法”まで手に入れたのか? 治癒魔法は妖精族のみが扱える魔法だという話だ。あの場に妖精族がいたというのか? いや、それはないだろう。そんなリスクを負ってまで俺を助けるメリットが妖精族にはない。治癒魔法とやらを悪用されぬよう逃げまとう一族だ。父上や母上達ですらその姿を拝んだことはないと言っていた。


 俺を助けたであろう人族の女の正体は、一体何だったというのか。


「──ド。おいガノルド、本当に大丈夫か?」

「ああ、問題ない」


 ユノにわざわざ言う必要はないか。亡き女のことだ、話す必要もないだろう。


「起きたところ早々に悪いが重要案件だ」

「どうした」

「人族の女を生け捕りにしてある」

「なに?」

「お前の隣で寄り添うように眠っていた女を捕らえた。拷問するなり何なりして人族の情報を少しでもっ」

「その女は何処にいる」

「地下牢だ」


 地下牢か、あの女が生きているかもしれない。確認する必要がある、俺の本能が再びあの人族の女を求めるのかを──。


「ユノ、お前に言っておきたいことがある」

「どうした?」

「その人族の女は、おそらく俺を助けた女だ」

「は? いや、何の冗談だよ。人族だぞ?」

「ああ、人族だが俺を助けたのはその女だと思ってもいいだろう」

「……そ、そうか。だからといって生かしておくほどお前は甘い奴でもないだろ?」


 ── 俺に情なんてものはない。だが、これは情だの何だの、そんな問題ではない。


「その人族の女は、俺のものにする」

「おいガノルド、何を言ってるんだ? 自分が何を言ってるのかちゃんと分かってるか? 俺の“もの”にするって、一体どういう意味だよ。ペットにでもするつもりか? 悪い冗談はよせよ」


 唖然としているユノを横目に立ち上がり部屋から出ると、慌ててユノが追って来て俺の肩を強く掴んだ。振り向くと、真剣な眼差しで俺の瞳をしっかり捉えているユノがいた。


「本気なのか?」


 俺が冗談でこんなことを言うはずがないと誰よりも理解しているのはユノだろ。


「ああ。だが、もう一度その女に会う必要がある。俺の本能がその女を再び求めるのか、確かめる」


 狼人族が“本能”で“求める”ということがどういうことか、狼人族の者なら馬鹿でも分かるはず。本能で求め、強く繋がりたいの望む本能に抗える者などいない──。


「本当に人族だったのか? それ」

「間違えない、あれは人族だった。あの匂いも声も覚えている、会えば全てがはっきりするだろう」


 ── 女が留置されている地下牢へ向かうと、いるはずの見張りがいないことに違和感を覚えた。近づくにつれ微かに聞こえてくる声、この俺があの声を聞き間違うはずなどない。


 あの人族の女が、ここにいる。


「殺して……っ、誰かっ」


 俺の視界に入ったのは、見張りに襲われている人族の女だった。その姿を瞳に捉えた瞬間、ドクンッドクンッと全身が脈を打ち、燃え上がるような激しい怒りが波のように押し寄せ、殺意が湧き上がる。


「貴様、何をしている」

「陛下っ!!」


 気づけば腰に手を回し、鞘から剣を抜いて衛兵の首を飛ばしていた。女の上に跨がっていた衛兵の首はスパンッと切れ、血飛沫があげながら頭部が地面に落ち、転がっていく。胴体と切り離されても尚、呼吸をしようと苦痛に歪む衛兵の顔を横目に女を見た。


「おい」


 未だ女の上に跨がり、穢れた血で女を汚していく衛兵の死体すらも気に入らず蹴り飛ばし、女を見下ろした。すると、女は起き上がって尻を地面に擦りながら牢屋の片隅に移動した。怯えているようにも見えるが、この女からはブレない強さみたいなものを感じる。おそらくこの俺にすら反抗するだろう。


「っ、私は何もしてない! こんなの理不尽すぎるでしょ、こっちに来ないで!」


 この甘い香りも心地良い声もしっかり覚えている、忘れてなどいない。俺が欲しているのは間違えなくこの女だ。体の芯が疼くようなこの感覚、やはり俺の本能は強く求めている、この女を。


 人族にしては容貌も悪くない、というよりかなり良いだろう。何より澄んだ綺麗な瞳に目を奪われる。体は貧相だが、人族の女の容姿は大抵こういうものだ。


 この俺がこんなにも何かを欲したことはあったか? 俺を拒絶、否定するようなその態度と顔つき、悪くはないな。


「あ、あのっ」


 マントを脱ぎ、何か言いかけた女に被せて背を向けた。


「ユノ、この女に湯浴みをさせてやれ。身なりを整え次第、謁見の間へ連れて来い」

「お言葉ですがガノルド様、やはりこの女はっ」

「何度も同じことを言わせるな」


 例外など無いはずだ、そのはずだった。だが、どうしても求めてしまう。人族の女だろうがなんだろうが、この際どうだっていい。 『欲しい』そう強く求めるこの本能には抗えない。


 抗うことなど、できやしない。

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