契約書は最後まで読まないと後悔の嵐が吹き荒れる
「はぁー」
「そんな露骨に嫌がらなくても~」
「どうすんの? 朝起きたらガノルド様の下敷きになっててペラッペラの一反木綿みたいになってたら」
「いったんもめん……? なにそれ~」
「あ、ああ……いや、まあ……絨毯みたいな?」
「はいはい、もうつべこべ言ってないでいってらっしゃ~い」
ジェシーに見送られ、重い足取りでガノルドの主寝室へ向かっていると、どこからともなく現れたケヤンに驚いて叫びそうになりつつ作画崩壊した顔面を一瞬で戻して、しらこい顔をしながら何事もなかったかのように振る舞う。もちろんケヤンは鼻で笑って私を小馬鹿にしてるけど。
「あのさ、いきなりヌンッと現れるのやめてくれない? 心臓に悪い」
「ビビりかよ。あ、あとこれ。ユノ様がお前にって」
「え? ユノさんが? って……」
渡されたちょっとした箱には“避妊具10コ入”と書かれていた。
『へえ~、ちゃんとコンドームなんてあるだ~! しかも狼人族用のやつ~、すごぉい!』……じゃないっつーの! あんの眼鏡野郎、こんなのケヤンに渡すとか頭イカれてんのかな!? 馬鹿じゃないの? 馬鹿すぎるでしょ!
勢い余って箱を床に叩きつけそうになったけど、何とか止まった私を盛大に誉めてほしい。
「『望まない妊娠は避けるべきでは? まあ、その行為自体ができれば……の話ですが』だってよ」
「……ぶん殴ってやろうかな、あのクソ眼鏡」
「いや、感謝すべきだろ」
「は? なんでよ」
「オマエは狼人族の女とは違う。俺を助ける為に陛下との結婚決めただろ、他のことなんて何も考えずにな」
視線をケヤンのほうへ向けてみると、少しうつ向いて歩いていた。感じなくてもいい責任みたいなの感じちゃってるのかな。たしかに私はケヤンを助けたくてガノルドの条件を呑んだ。でもそれは、私が勝手にしたことでケヤンのせいでも何でない。ただのエゴよ、これは私自身が選んだ道。
「ケヤン、責任を感じる必要なんて一切ないからね」
「あ? 別に感じてねぇよ、1ミリも」
『なに言ってんだ? こいつ』みたいな冷めた顔をして私を見てるケヤンに、こめかみの青筋がバッキバキに浮かび上がる。
「おい、クソガキ。1発殴らせろ、それでチャラにしてやる」
「ったく。こんな女が妃殿下なんて柄じゃねぇだろ」
「おい、クソガキ。2発殴らせろ、それでチャラしてやる」
足を止めて震える拳を振り上げると、それを適当にあしらって先へ進むケヤンを追う私。
「ちょっと、待ちなさいっ」
「感謝はしてる」
「……え?」
「オマエには感謝してる」
ピタリと足を止めて、こっちを見ることもなく前を向いてそう言うケヤン。
「どこへ行っても弟を入院させてもらえなかった。なのに入院できたってことは、オマエが頼んでくれたんだろ?」
「あ、ああ、まぁそれは私の護衛にケヤンが付きっきりになるから、弟をひとりにするわけにはいかないってなるのは必然じゃない?」
「……オマエさ、そんなんでよく生きてこれたな。この先大丈夫かよ、そんなんで」
「はあ? なによ、生意気なっ」
「俺はオマエを殺そうとしたんだぞ」
そう言いながら私のほうへ振り向いたケヤンの表情は、過ちと後悔に苛まれて今にも押し潰されそうになっていた。ケヤンは弟思いで優しい子、だから私のことなんて負い目に感じて生きてってほしくない。
「生きてるじゃん、私」
「は?」
「だから、生きてるじゃん。私死んでないし」
「そんなの結果論でしかないだろ」
「別に結果論でよくな~い? ケヤン大袈裟すぎ~」
「……おちゃらけてんなよ、よくねぇから言ってんだろが!!!!」
いきなり怒鳴ったケヤンに驚く私と、怒鳴った張本人もなぜか驚いているという謎の絵面が完成。
「な、なによ急に。なんで怒ってんの? 責めてほしいわけ?」
「……甘ぇんだよ、オマエは。もっと非道になってくれ」
「はあ? なにそれ」
「俺が……俺がもしオマエを守りきれなかったらどうすんだよ。オマエみたいなお人好しの馬鹿は真っ先に死ぬって相場は決まってんだ。だからもっとっ」
「勘違いしないで」
「あ?」
「命懸けで私を守ろうとかやめてくれる? そういうのまじで無理。ケヤンには大切な弟がいるでしょ、ケヤンが死んだら弟はどうなるの? その辺ちゃんと考えなさいよ。私はケヤンに死んでまで守ってほしいだなんて微塵も思ってないし、そんなこと望んでない。勝手なことしないでよね」
「皇族の護衛なんてそんなもんだ、オマエが気にすることじゃない」
「だから迷惑だって言ってんのよ、そういうのが」
互いに一歩も譲らず睨み合ってるけど、そもそもなんでケヤンと喧嘩になってんの? って、全部ユノのせいだわ。コンドーム、ケヤンに渡すから。望まない結婚をして、望まない行為をしなきゃいけないかもしれない私を哀れに思っちゃったんでしょ? ケヤンは。そんなの、ケヤンが気にすることじゃないのに。子供が一丁前に心配してんじゃないわよ、ほんっと。
「何をしている。怒鳴り声が聞こえたが」
廊下の先から声だけが聞こえて、月明かりに照らされながら姿を現したのはガノルドだった。
「あ、いや、ちょっと発声練習をっ」
「申し訳ございません」
謝罪をしながらガノルドに対して深々と頭を下げているケヤン。そんなケヤンを見て少し険しい顔をするガノルドをいち早く何とかしたほうがよさそうだな。
「いやぁ、弟ができたみたいで嬉しくって~、私がちょーっと調子に乗っちゃいました、ははっ! ただの姉弟喧嘩みたいなもんですよ~」
「護衛はもういい。下がれ」
「……承知しました」
私と目を合わすことなく去っていくケヤンの後ろ姿を見て、深いため息しか出てこない。あんな言い合いなんてするつもりなかったのにな……でも、ケヤンもケヤンじゃない? 私なんかよりも弟のこと考えるべきでしょ。私を命懸けで助けたとして、弟はどうなるのって話じゃん。残される弟が不憫すぎる、そんなの私は望んでない。
「何があった」
屈んで私の顔を覗き込んできたガノルド。距離感バグすぎて若干イラッとしつつも、気にかけてくれる優しさは正直嬉しかったりもする。
「近いです。距離感はかれないんですか?」
「綺麗な肌だな」
いや、会話が成立してないんですけど。ていうか、思ったことをなんでもかんでも口にするのはやめてもらっていい? 良くも悪くも心臓に悪いの。
「“肌”じゃなくて“私”が綺麗なんです」
「はあ、それはどうだろうな」
「おい」
ガノルドの顔面をガシッと掴んで押し返し、距離感バグ男を放置してガノルドの主寝室へ向かう。もちろんすぐ追いついてきたガノルドは私の隣へ来ると、歩くペースを落として私の歩幅に合わせて歩いてくれる。ちょっと意地悪をしたくなった私はわざと歩幅を狭めて歩くと、隣の大男がペンギンみたいなよちよち歩きになってて、色々と吹き出しそうになったのを必死に堪えた。
「意地の悪いことをするな、レディア」
「いてっ」
ベシッと後頭部を叩かれて『何すんのよ』って言おうとガノルドを見上げたら、少し呆れたように優しく微笑みながら私を見下ろしていた。
・・・えー、あの、その笑みはさすがに反則なのでは?
これでドキッとしない女はこの世に存在しないと思う。ほんっと顔がいい……容姿が良すぎる。
「……えっとぉ、あのこれ、要らないんでガノルド様が処分するなり誰かと使うなりしてくれます?」
コンドームが入った箱を渡すと物珍しそうに眺めているガノルド。
「これが避妊具か」
「ええ、そうですけど。なんですか、その初見的な反応は」
「いや、初めて見た」
「へえ……ん? 今なんと?」
「避妊具を使ったことなどない」
・・・なるほど、へえー。
「使ってみるか?」
「ん?」
「使うか?」
「ん?」
え、いや、あの、まず、なんでセックスする前提? 致しませんよ、そんなことは。
「レディア、契約書にちゃんと目を通してサインしただろ」
はて、うんーっと、なんて書いてあったっけ? 途中からめんどくなって適当にサインしちゃったしな。まぁ大したこと書いてなかったと思うし……いや、なんか嫌な予感しかしない。私、とんでもないこと見落としたりしてる……?
「原則、俺が求めた時はそれに応えなければならないと書いてあったろ」
「……さ、さあ?」
「嫌がることはしないが、理由もなく断る権利はないということだ」
── 砂になってサァーッと崩れ落ちる私。
砂から口と目と耳だけ出すと、さすがのガノルドも顔をしかめてドン引きしながら私を見下ろしてる。なーんて冗談はさておき、この流れ的にセックスしなきゃいけないパターンになってる……? 正当な理由があれば断っていいけど、なけりゃ股開け! みたいな?
契約書は最後まで読まないと後悔の嵐が吹き荒れる。
「あの、契約書の書き直しは可能でしょうか?」
「無理だ」
「そこをなんとかぁ……ね?」
「無理だ」
「皇帝なんでしょ!? 一番偉いんだよね!? なんとかなるでしょ、紙切れ1枚くらい……ね? ガ ノ ル ド 様 ♡」
「どうした、目が痛むのか?」
「ウインクだよ!!」
超絶怒涛の可愛さを誇る私のウインクを見て『どうした、目が痛むのか?』なんて真顔で聞いてくんのあんただけだよ! 信じらんないわ、この男!
「とにかく何度言われても書き直しは無理だ」
「随分と融通が利かないのね」
「そもそもしっかり書類に目を通さなかったレディアに落ち度があると思うが」
ごもっともすぎてぐうの音も出ませんよ、はい。
「分かってますよ、そんなことは」
「お前が嫌がることはしない。だからそう拒絶するな」
「……はあ。ていうか、こんな""貧相""な小娘で興奮します?」
目を細めて嫌みったらしくそう言った私を少し睨むように見て、また前を向いて無言で歩くガノルド。
「あの、無視ですか」
「する」
「え?」
「痛いほど勃つ」
・・・うん、聞くんじゃなかった。