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午前7時05分・玄関 《兄》


「ちょっと待っててくれ」

 インターフォンごしに正信に伝えてから冷蔵庫のチョコを取って明菜に渡し、玄関で深呼吸を一つ。

「……よし」

 意を決してドアを開けると、そこには見てわかるほどに落ち着きの無い親友の顔があった。

「泉さんは大丈夫なのか?」

「……なあ、正信」

 昨日良介に色々言われてしまったが、二人の気持ちなどよくわかっていた。二人が何に遠慮しているのかも。

 明菜は前に進もうとしているが、正信の背中は押してやる必要があるだろう。きっと、それは自分の役目だ。

「何だ?」

 怪訝そうな表情の友を中に招きいれながら、「ずっと気になってたんだけどさ」と言葉を続ける。

「お前さ、いつから明菜のこと『泉さん』って他人行儀に呼ぶようになった?」

「!」

 顔は見ていないが、息を呑んだのはわかった。まったくわかりやすい奴だ。

「正信」

 さて、なんと言うべきだろうか。

言葉を選び、できるだけ簡潔に。

「もし俺に何か遠慮したり、気負ったりしてるんだったら、それはいらない気遣いってもんだからな」

 明菜の部屋のドアに手をかけ、振り返る。

 突然の言葉にか、正信は表情を沈ませて悩んでいるようだった。ついですがるような視線を向けられるが、それには答えない。明菜を好きなことは明白なのだから、自分の気持ちに正直になってさえくれればいいのだ。

「ほれ、ちょっと試しに呼んでみろ」

 体を少し横にずらして、ドアの前をあけてやる。

 身近な人間としては正直むかつくくらいに端正な顔を少し赤く染めて、正信が口をぱくぱくと動かす。

「い、あ……明菜、さん」

 ドア越しどころか真横でも聞こえづらいほどの小さな声に、思わず噴き出してしまった。

「今更さん付けはないだろ」

「そ、そうは言ってもな」

 正信がうろたえている姿なんてなかなか見られるものでもない。

 昔と比べて随分と表情が豊かになったのは、みんな明菜のおかげだと思う。もちろん自分を始め友人たちが長い時間一緒に過ごしてきたが、正信の心のよりどころは、やはり守るべき妹である明菜だったはずだ。

 正信は恥ずかしいのか何も言えずに顔に手をあてている。見ているのも楽しいが、これ以上茶化すのもよくないだろう。

「まあなんだ、本人に聞いてこい」

 ドアを勢い良く開け放つと、ベッドの上で体を起こしていた明菜もまた、赤い顔でこちらを見ていた。

「あ、ええと、つき、じゃなくて、えっと……」

先に口を開いたのは明菜だ。女の子は強い。

 廊下で棒立ちしたままの正信の背中を強引に部屋に押し込み、すぐにドアを閉める。

「学校、先に行ってるぞ!」

 返事を待たずに外へ。お邪魔虫は消えるに限る。

 少し駆け足でマンションから出ていくと、そこには川崎さんが立っていた。いつものように明菜と一緒に行くつもりで来たのだろう。

「やあおはよう」

「お、おはようございます」

 急に飛び出したせいか、驚いた顔で答える。

「明菜なら今日は休みだよ。風邪ひいて」

「そ、そうですか」

「会ってく? ……って言っても、今たぶん告白の真っ最中だろうけど」

 その言葉を聞いて、川崎さんの表情が少し緩んだ。

「やめておきます。ようやくですから」

 そう言ってくるりと体の向きを変える。並んで駅へと歩きながら、もしかしてと疑問が沸いた。

「……明菜の背中を押してくれたのは、川崎さん?」

「はい。いい加減じれったかったので」

 こちらを見上げてにっこりと笑う。なかなかどうして、はっきりと言う子だ。明菜の一番の親友だから、きっと自分と同じような気持ちを持っていたのかもしれない。

「正信ってさ」

 彼女になら聞いて貰えるだろう。なんとなく言いたくなって、考えていたことを口にする。

「自分も明菜の兄だって意識、持ってるんだよな」

「ああー、それはなんとなくわかります。明菜も、近すぎて自分の気持ちが見えなくなっていたみたいですし」

「そうか」

「悩む時点で答えなんて出ているんですけどね」

「なるほど、そりゃそうだ」

 冷静な分析につい笑ってしまう。

 視界が開け、海を一望できる場所に来た。今日も空気が澄んでいて、遠くまでよく見える。

「正信のやつ、中学に入った頃から明菜を『泉さん』って呼ぶようになったろ?」

「わざとらしかったですよね」

 同意見でいてくれて嬉しい。

「あいつはきっと、自分が明菜を好きだと気がついた時に、なんとか距離をとろうとしたんだと思う」

「私もそう思います」

「でもさ、正信の心の中にはもう一つ、うちに世話になったって気持ちが強かったと思うんだよな」

 正信の両親が亡くなった時、ただ友達と離れたく無い一心でかなえて貰った願い。あれはただの自分のワガママだったが、正信の心に深く影響しているのは間違いなかった。

「だから正信が自分から動かなかったのは、俺のせいでもあるかもしれないよなぁ」

 駅へと下る階段の上で立ち止まり、ため息とともにつぶやく。

 義理堅い正信のことだ。その遠慮が、成長するにつけて無視できない大きさに育っていったことは容易に想像がつく。その気持ちがある以上、明菜と付き合うなんて無理だろう。

「置いてきたはいいけど、うまくいくんだろうか」

 両想いで断るというのも想像しにくいが、正信のマジメさを考えると不安でしょうがない。

「それなら、大丈夫だと思いますよ」

 先に階段を下り始めていた川崎さんが、明るく笑って振り返った。

「どうして?」

「好きな人に好きって言われて、嬉しくない人はいませんから」

「そんなもんかなぁ……」

「そんなもんですって」

 川崎さんは自信満々といった顔で笑っている。

 その笑顔を見て、大人だなぁとなんとなく思う。

 いくら考えを巡らせても、気を揉んでも、その時の心境なんて到底想像できなかった。何しろ自分は告白された経験も、した経験もない。散々シスコンだのなんだの言われてきたのだから仕方が無いが、小説や漫画を読むたびに、自分は大切な青春期に何をやっているんだとは思う。

「二人が付き合ったら、学校行く時どうします?」

「そうだなぁ……あんまり邪魔したく無いよなぁ」

 今まで正信に朝練がある時でも一緒に学校に行っていたし、正信が休みの時なんかは明菜と川崎さんとの三人で登校していたから、急に一人になるというのも寂しい気もする。

「提案なんですけど先輩」

 ゆっくりと階段を降りていくと、川崎さんが前を遮るように手を挙げた。

「私も一人になってしまうので、……一緒に行きませんか?」

 知らない仲でも無いし、嬉しい申し出だった。

「ん、いいよ」

「やった」

 飛び跳ねるような声と満面の笑み。

 いつものキリっとした表情との違いに驚く。見つめてしまっていたからか、川崎さんがはにかむ。

 その笑顔が、ちょっとかわいいなと思った。










 おわり


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