午後0時45分・2年2組教室 《兄》
ホームルームが終わり、教室がざわめき始める。
今日の帰りの予定を話しあう女子あり、連れ立って帰る男子あり。いつもどおりと言えばいつもどおりの光景だが、半日授業という特別さだけでなく、明日のイベントを控えて浮き足立っているようにも感じる。
クラスメイトたちの賑やかさには流されず、カバンを持って立ち上がる。椅子から手を離して歩き出そうとしたところで、背中を盛大にはたかれた。
「よっ! なに気取ってんだよシスコン!」
衝撃で前に二、三歩踏み出してから、ゆっくりと後ろを振り返る。
「リョースケぇ、人聞きの悪いこと言うなよな」
クラスメイトたちの視線を感じながら犯人を睨むが、丸顔の悪友は歯を見せて笑ったままだ。
「悪いも何もその通りだろうが」
「バカ野郎、俺はフツーに兄として妹を愛してるだけだ!」
「普通の兄ならそういうことを真顔で言わねーよ。なぁカド」
「まったくだ。イズミの神経は理解できん!」
話を振られた友人が、離れた席で首を横に振る。
「門倉には同情するが、小さい頃は可愛かったってオマエもこの前こぼしてただろうが」
「そりゃ小さい頃はな。中学を卒業したら言わ……」
「うちの妹は高校生になっても可愛いんだよ」
言葉を被せると、門倉の笑顔がひきつった。
「……うちの沙希の天使の笑顔見て惚れんなよ?」
「ほう。うちの明菜が世界一だって教えてやるよ」
「……やめんかシスコンども。生徒手帳に妹の写真入れてる時点で二人ともキモイわ」
勢いに乗ったところで今度は頭を小突かれた。
冷静に教室内に視線を走らせれば、クラスメイトたちが呆れた顔を向けている。門倉と顔を見合わせ、どちらからともなく胸ポケットに伸ばしていた手をひっこめた。
「ちっ、今日のところは引き分けにしておいてやる」
門倉が舌打ちとともにきびすを返す。
「ああ。明日のチョコの大きさで勝負だ」
「! 舌かんで死んでしまえっ!」
追い討ちをかけると鬼のような形相で睨まれた。門倉妹は中学に入って兄を避けるようになったそうで、奴はここ何年もチョコを貰っていないのだ。
「……いい加減ひくって」
門倉が教室をでていった後で、良介がつぶやいた。
「それで、何の用だよ」
振り向いて尋ねると、呆れ顔の良介は表情をくるりと変え、視線を泳がせ始める。
「ああ、えーと……今日ツッキーは?」
「部活に出るって言ってた。……っていうかなんだツッキーって」
初めて聞いた呼び方に思わず眉をひそめる。それに、呼ばれた本人も『ツッキー』という柄ではない。
「いやだって、ツキシロって呼びにくくてさ。『正信』って名前で呼ぶほど仲良く無いし」
「小学校から一緒なのにな」
「同じクラスの時もあったけど、一緒に遊んだことは無いんだよ実は」
目尻を下げて困ったように笑う。
「まあ、基本的に人見知りだからなアイツは」
両者とも付き合いは長く深いが、性格は正反対だ。
兄弟のように育った親友の月代正信は、小さい頃に両親を事故で亡くしている。最近になって人並みに表情を変えるようになったが、中学二年くらいまでは静かというより暗い印象の強い少年だった。
「それで正信に用事か?」
すぐに首を横に振って否定される。
「いや、用があるのはお前にだけだ。……たまには部活に出ろよってお誘い」
そういえば前に顔を出したのは二学期の期末テスト前だった。二年生になってから数えても片手に満たない。
「回りくどいな。その本心は?」
「……ちょっと話したいことがある」
柄にも無く神妙な顔でそんなことを言う。悩みとは縁の無さそうなお調子者だから、かえってこれは一大事かもしれない。何を迷うことも無かった。
「わかった。……と、部活? 帰りどっか寄るんじゃダメなのか?」
「部のキャビネットの鍵、俺が預かってんだよ。一年生は来るだろうから、休むわけにもいかないだろ。……げっ、もうこんな時間か」
教室の前方を見て渋い顔になる。つられるように黒板の上を見ると、備え付けの時計はまもなく一時を差そうとしていた。
「了解。購買で昼メシ二人分買ってから行くよ。パンでいいよな?」
「サンキュー、予算は三百円でよろしく。……じゃあ先行ってるから」
言うが早いか、良介は慌てて教室を出て行った。
《登場人物メモ》
泉 武明・・・・明菜の兄。妹の写真を生徒手帳に入れている。
菊地 良介・・・武明の悪友。