手紙
季節は冬になった。
現実に脅威が存在することが明らかになったことで、日本国内の議論と予算の使い方には明確に1本の芯が通り、健全化が図られつつある。
澤崎が指摘した通り、福祉・環境・人権・男女共同参画系予算の使い方の腐敗ぶりが、段階的に明らかになりつつあり、その予算は大幅に見直されつつあったのだ。
その影響は政府だけでなく、地方自治体の予算にも大きく波及していた。
今の日本には、いや、本来は以前からも、バカげた予算の使い方を許す余裕は無いのだ。
この結果、この仕組みを推進してきた旧野党勢力は、更なる窮地に立たされただけでなく、与党内のリベラル勢力、そして与党そのものも長年この状況を放置した責任を問われ、思わぬ劣勢に立たされている。
だが、沖縄担当大臣の事務所で働きながらも、真紀子はそういったことに関心があまり無い。
しかた無いことかもしれなかった。花を失った悲しみと向き合いつつ、里奈を引き取り、仕事も新しく始め、目まぐるしい日々を送っていたからだ。
だが、そのおかげで悲しみと花の犯した罪について、ただ考えてどうしようも無く日々を過ごす、ということにはならずに済んでいた。
沖縄には最初の慰霊式典以来行っていない。
正確には、下地家の墓参りに盆の時期に、一度宮古島に訪れたが空港で引き返していた。
大臣他、事務所の人間に同行する形で宮古島を訪れた時、東京での暮らしにすっかり慣れて、落ち着いて生活していたはずの里奈の様子が不穏になったのだ。
空港の建物から出て、宮古島の空気に触れたとたん、里奈は大きな声で泣き出し、真紀子に抱き着いてその場から動こうとしなくなった。
真紀子は困惑した。
「これって・・?里奈ちゃん、どうしたの?どこか痛いの?」
私設秘書が里奈の様子を見て言った。
「信じられないけど、里奈ちゃんは、ここで起きた出来事を無意識に覚えているんじゃ・・・?トラウマになってて、何かが刺激されているってことなのかも?」
「そんな・・・。まさか・・・。お隣で生活していた時も、情緒が不安定だったことは無かったって、聞いていたのに・・。今になって?」
防衛大臣が即決する。
「いいわ。八木さん。あなた達は空港に戻って、そのまま東京に戻った方が良いみたい。その方が里奈ちゃんも落ち着くでしょう。」
「・・・でも。皆さんに迷惑が。」
墓参りだけでなく、里奈が最初に引き取ってもらっていた(お隣の)家族に、挨拶しに行く予定だったのだ。普段は下地家の墓まで見てくれている。
さらに石橋の案内で、花が亡くなった場所に訪れる予定だった。
「いいのいいの。里奈ちゃんが一番よ。こんなに怖がっているのに無理はできないわ。そうでしょう?皆さん、事情を説明すればきっと分かって頂けるわ。あとのことは、私達がやるから、八木さんは東京に先に戻ってゆっくりしていなさいな。」
それ以来、里奈が沖縄に訪れる機会は無かった。
ひときわ寒い冬のある日、事務所に教村が訪れると、2通の手紙を真紀子に渡した。
澤崎と中村から預かったものだった。
二人の手紙は、直筆で丁寧に書かれていた。
いずれも花を死なせて、自分は生き残った事実に対する謝罪だった。
中村は、データを消去される以前にプリントしてあった、花と一緒に写っていた写真のすべてを同封し、覚えている限りの花との思い出を書き添えてあった。
中村は特に、亡くなる直前に、花が母に言い過ぎたと後悔していた事、母子家庭で育ててくれた事に感謝している事、そのことを照れ臭くて、言えていないと言っていたと証言していた。
その事実は、真紀子の胸を詰まらせる。
澤崎は、意図的に花を自分達の活動にのめり込ませ、帰省さえさせず、徐々に真紀子と疎遠になるように仕向け、ついには永久に花を真紀子から奪い去ってしまったことについて、謝罪も償いのしようも無いと書いていた。
それでも、手紙を差し出していたのは、真紀子がもしかしたら、花の罪を今後は自分が背負って、贖罪の人生を歩もうとしているのではと、心配になったからだとあった。
(花を含めたSNOメンバーの大半は、外患援助罪を適用されていた。だが、花、小田、青池だけは、被疑者死亡のために不起訴となっている。
真紀子も中国との関係を疑われ、事情聴取を受けている。)
実際そうだったのだが、澤崎はそれは間違いだと指摘していた。
罪は自分や中村達が背負うべきものであって、真紀子は娘を奪われた被害者だ。
罪を意識する必要は無い。真紀子にはどうか、里奈と幸せになることだけを考えて欲しいとあった。
実は事務所の人間にも同じ意見を聞かされていたのだ。
あらためて、澤崎からも同じ意見を受け取ったことで、真紀子はようやく前向きな気持ちになりつつあった。
昼休み後に、事務所を預かっていた私設秘書から、真紀子は時間を与えられた。その時間を使って、真紀子は二人に、やはり手書きで返事を書いて、教村に託した。
手紙には、だからといって、完全に罪の意識が無くなったわけでも、澤崎達を今すぐ許す気持ちにもなれない。
それでもこうやって手紙をくれたことには感謝するし、いつか出所した時には、花に線香をあげに尋ねてやって欲しいと書いた。
終業後、真紀子は事務所の隣に併設されている保育所に、里奈を迎えに行った。
大臣はもともと芸能界を引退してからは、保育施設を複数経営しており、市街地にあるそれは、事務所の関係者や近隣の会社に勤める親達に好評だった。
短い間に環境が激変してしまった里奈だったが、比較的早く生活には慣れたものの、温かい宮古島から来た体には東京の冬は堪える。
真紀子は里奈に十分に温かい恰好をさせ、しっかりと手を引いて地下鉄に乗り込んでいった。
「里奈ちゃん寒くない?」
「ううん。ママだいじょうぶ。」
最初は戸惑っていた里奈だったが、一緒に生活するようになって半年が経過した今は、真紀子を母と呼ぶようになっていた。だが、それは簡単なことでは無かったのだ。
一緒に暮らし始めた当初は、里奈は「母親」を求めてグズった。
真紀子は真紀子で里奈を見て、かわいいざかりだった頃の花を思いだしてしまった。
今、二人が一緒に居るのは、辛い半年を乗り越えたからなのだ。
そして季節は巡っていく。
当然の話ではあったが、沖縄の防衛体制は飛躍的に強化される方針だった。
計画は、沖縄の復興計画と連携が不可欠であって、その意味でも前防衛大臣であった沖縄担当大臣の人選は適任だった。
航空自衛隊の戦闘機部隊の拡大により、翌年から航空学生の採用枠は増えることになった。
このおかげで高校に復学した新垣は、1年留年した末に、念願の航空学生にギリギリで合格することが出来、ファイターパイロットを目指して厳しい訓練に励んでいくことになる。




