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空挺作戦

結果から言えば、与那国へのヘリボーンは、ほぼ成功した。

超低空で飛行した彼等は、直前に行われた爆撃と先行していた無人機が、迎撃の殆どを引き付けた形となったからだ。


F35Bは母艦に帰投していた。さらには中射程の地対空ミサイルは全弾射耗。

中国側のヘリ部隊は超低空を、与那国が陰になるように匍匐飛行したため、イージス艦とE2Dでも探知出来なかったのだ。

それでも無人機の迎撃を終えた、93式、アベンジャー、スティンガー、MADIS、91式、87式、APKWSの迎撃は、降着時を狙って熾烈に行われた。

短射程の地対空ミサイルの残弾は、まだあったのだ。

さらに温存されていたMRICが投入される。


この結果、8機のZ20が撃墜されたが、与那国空港に500名の増援と弾薬、それに医薬品が到着した。

南側にも100名の増援と弾薬が渡った。

南北の部隊共に補給が途絶し、小火器の弾薬も欠乏している状況だったから、上陸部隊は息を吹き返す。


さらに残存する約40機は、島から引き揚げた負傷者を載せて、上海に向けて帰投中の揚陸艦に着艦。

水陸両用用車両やホバークラフトが壊滅したため、艦内に留まっている上陸部隊を搭乗させて、夜間にヘリボーンを行うことを目論んだ。

海上民兵の船舶も加われば、今からでも与那国にさらに1000名を上陸させることが出来るのだ。


一方、石垣と宮古への増援はそこまでうまく行かなかった。

与那国と違って、中射程の対空ミサイルがまだ残存していたからだ。


このため、沖縄からの戦闘機による迎撃が間に合わなかったにもかかわらず、空挺部隊は大損害を出した。


盾の役割を果たすつもりのドローンの投入が、日本側を警戒させたこともあった。

早くも、日米は中国側の作戦パターンを、ある程度把握していたのだ。


米軍のMRICを含めた中射程のミサイルは、残弾が少なくはなっていたが、MADIS等の短射程の対空ミサイルと機銃の警戒を呼び起こす。これは与那国でも同様だった。


この結果、石垣に向かったヘリコプター30機は、Z20を中心に20機が撃墜される。

Z20は米中関係が良好だった頃に、輸出されたUH60の民生バージョンをデッドコピーした機体だった。中国空挺部隊にとっては喉から手が出る程欲しかった、高性能な中型ヘリだったがオリジナル程被弾に強くない。

それでも100名と弾薬を降下させ、生き残った10機は沖合の075級に着艦して燃料補給の後、本土に帰投した。


宮古島への空挺降下は島の直前で高度を上げたとたんに、対空ミサイルの迎撃を受け、輸送機の半数が撃墜された。

被弾した輸送機からは、空挺兵が降下(事実上の緊急脱出)を敢行し、絶望的な海上への着水を試みたが、その殆どは行方不明となる運命にある。

それでも強運を装備した兵士が宮古島周辺へと新たに接近しつつあった、海上民兵の武装漁船に救助された例もあった。


回避運動を繰り返し、バラバラになった輸送機は、それでも半数が宮古島に辿りつくと空挺降下を行った。

結果として、降下中にさらに数機の輸送機が撃墜されたが、日米の戦線後方に対して広範囲に空挺戦車4両と400名の空挺兵が降下し遊撃戦を開始する。


この空挺作戦は控えめに言っても無茶だった。

空挺降下を行うのに適した、障害物の無い、開けた地形が選定されたわけではなかったからだ。

ただ、日米守備隊の後方へ、という意図しかない。

おかげで守備隊の意表を付くことは出来た。

だが引き換えに、家屋や樹木に突っ込んで死傷する空挺兵が続出する結果となった。


分散しすぎて小隊ごとの集結も連携もままならない彼等は、その場に留まって、できるだけ日米守備隊を混乱させようとする小隊や、ともかく味方の戦線に合流しようとする分隊が、日米側が急遽投入した予備隊との遭遇戦をあちこちで演じた。

宮古島の戦況は突如として、混沌とした状況に陥いりつつある。


2025年4月3日 15:40 宮古島


宮古島には平良地区を中心に、未だに2万人を超える民間人が留まっている。

彼等は様々な事情が重なり、九州や沖縄本島への避難が間に合わなかったのだ。

沖縄県知事や、沖縄の地方紙を含む一部マスコミが、政府の方針と真逆の「戦争にはならない」という言説を繰り返していたため、それを信じて避難を決断できなかった人も多かった。


だが現実には、戦端は開かれている。弾道弾と巡航ミサイルが撃ち込まれ、爆撃が行われ、あまつさえ地上部隊が着上陸して地上戦が行われていた。


自衛隊は厳しい状況設定の図上演習で、市民が戦場に取り残されているケースを演練したこともあった。

だが、住民の避難に責任を負っている宮古島市は、全島避難の図上演習をしたことがあるだけだ。

中国の軍事的脅威が高まっても、宮古島が戦場になる可能性など、「考えること自体が罪」というのが沖縄県知事や地元マスコミの考え方だったことも、大きく影響している。


この結果、宮古島市はこの事態に対して、有効な事前計画を準備できないまま有事を迎えた。

知事をアテにせず、自ら自衛隊に協力を求めるなどの努力はしたが、充分とは言えなかったのだ。

彼等は市長を含め、主要な職員は市庁舎に留まっている。

庁舎には、自衛隊、警察、消防の連絡幹部が派遣され、情報を集約し、市民防災無線を通じて避難情報を発信していた。それ以外に出来ることが見当たらない。


地元の土建業者は、彼等の機材を使って応急の壕や、シェルターを作ることを市に申し出たり、あるいは無許可で行っていた。

屋外を移動中に攻撃が始まった時、ともかく飛び込んで身を隠せる塹壕の一つでもあれば、生存確率がまるで違うからだ。一部の業者はそのノウハウを、紛争地帯の住民にSNSを通じて求めることまでしていた。

個人や家庭単位で自宅の庭先に慣れぬ手つきで、スコップや鍬で蛸壺を掘る者もいた。


彼等の多くは、知事や地元マスコミが歪んだ情報を流したり、誤った判断や決断を繰り返したことによって、自分達を危険に陥れたこということに気付き始めている。


市側はJアラートの情報と併せ、防災無線で海岸線や、空港、港、自衛隊や米軍の展開地域に近寄らないように呼び掛けた。

空襲が始まってからは、数少ないシェルターや、家屋に避難するようにアナウンスを繰り返している。

だが、下地島空港と、宮古空港目掛けて、中国の地上部隊が着上陸を仕掛けてきた時、彼等は追い詰められた。


これ以上、市民にどこに逃げろと言うのか?


それでも、戦場がまだしも二つの空港の周辺に留まっている内はまだ良かった。

沿岸部や空港周辺から、民間人を非難させれば良い。

だが今度は、島のあちこちに空挺部隊が降下したのだ。

島中のあちこちに、突然中国軍が出現し、同時多発的に戦闘が発生する事態となり、彼等の判断力は飽和しつつある。

市役所ではとある若い職員が、「こんなの無理ゲーだ!どうすればいいって言うんだ!もう住民を守れない!!」と泣き叫んだ。


そんな彼に、宮古戦闘団から派遣された連絡幹部が励ます。

「落ち着きなさい。自分の声で自分をパニックに追い込みますよ。状況を良く見て、やれることをやるんです。」

彼自身、自らに言い聞かせていた。



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