総理の仕事
2024年4月1日 15:00 東京
かつて日本はアメリカ以上に危機感が薄かった。
だが、ウクライナ戦争で認識を改めたアメリカが中国に対する評価を一変させると、その情報は日本にも伝わり、嫌でも日本近海における軍事衝突の可能性を現実味のある危険として認識せざるを得なくなっている。
ただ、法律を変更し防衛費を増やしてはいるが、アメリカ同様にその成果が表れるには時間が必要だった。
現在の総理大臣は決して無能な人物では無く、実務を淡々とこなせるタイプだった。しかし記者会見では、官僚が作成したペーパーに目を落としながら、淡々と話すものだから国民の受けはイマイチだ。
このところの総理は、生真面目に国民に不人気な政策を実行しすぎたせいで、支持率の低下に苦労していた。
覚悟の上ではあったが政策のマイナス面ばかりが報道され、減税などのプラスの実績がまるでマスコミに評価されないのだ。
同様に政策の必要性も丁寧に説明しているのだが、マスコミは半ば意図的に報道しないものだから、いくら説明しても「説明不足」「仕事が遅い」と叩かれる始末だった。
その上に彼は人気取り政策や、露骨なアピールというものを毛嫌いしている。
それでも総理は、中国やロシアの独裁を羨ましいとは欠片程も思わない。
大学時代から政治を研究している彼にとっては、民主主義国とはそうしたものだし、政治家など消耗品だと達観していた。
とは言うものの、彼もまた人間であるから岩盤支持層向けのパフォーマンスしかしない野党と、そんな野党にむやみに好意的なマスコミの相手は正直「面倒くさい」と思っており、それが顔と態度に出てしまっていたのだ。
これに比べれば、海外の一流の人物と渡り合う外交面の方が、余程仕事としてのやりがいがある。「総理は外交になると元気になる」と評される程だった。
要はこの時期の総理大臣は低い支持率に悩まされており、余力と呼べるものがまるで無かったのだ。
国会期間中でもあり他に多数の懸案を抱える総理にとって、アメリカから機密情報が流れてきたからといって、防衛関連の施策に特に注意を向ける余裕が無かったのはこれが理由だった。
それでも総理の多忙なスケジュールの合間を縫って、総理官邸で防衛大臣がねじ込んだ短い会議が行われた。
しかしながら、米軍が中国の台湾進攻計画の兆候らしきものを捉えた、という情報は総理にあまり響かなかった。確度が低い上に似たような情報がアメリカからもたらされたのは、これが初めてでは無かったからだ。いずれも大規模な演習に留まってきた。今までは。
「ただ今回は米側の情報に留まらず、こちらとしても気になる兆候を捉えております。」
国家公安委員長だった。
「沖縄を琉球民族の独立国家として日本から分離独立させよう、などと吹聴する団体が沖縄にはあるのですが、それがこのところ急速に活動を活発化させています。
本州でも中国側の情報活動や、認知戦の一環と思われる事例を確認しています。以前、総理レクにも出席した軍事評論家が、数日前にひき逃げに遭い死亡しました。犯人は未だ逮捕されていません。
ただのひき逃げ事件にしては、犯人の手がかりが異様に少なく、いわゆるプロの仕業ではないかと。」
「それが中国の仕業というのかね?」
「証拠が無さすぎるのが証拠と言えます。」
総理は顔をしかめた。このところ国会で野党に押され気味で、これ以上の厄介事はごめんだった。
「念のため、有識者会議を開くとしよう。日取りを決めてくれ。すまないが今日はここまでだ。」
防衛大臣に同行していた統幕長が、珍しく食い下がった。
「現状で出来る努力の一環としまして、自衛隊としましては目立たない範囲で物資と部隊の再配置を行います。」
防衛大臣も続く。
「仮に台湾有事となれば、基地を破壊された台湾軍機が沖縄方面の空港に着陸してくること、台湾からの難民の流入等、現行法では想定外の事態も多数予想されます。有事法制の詰めが必要になります。次回の会議には法務大臣のご出席もお願い致します。」
二人の態度に総理は違和感を感じた。
「今までとは違うのか?」
「中国も我が国と同じ困難、国力の衰退という問題に直面しつつあります。このままかつてのソ連のように過剰な軍事力が瓦解してくれれば良いのですが、そうなる前に賭けに出たとしても不思議はありません。個人的な感想ですが。
なんせあの国は、いざとなれば国民の支持率など気にする必要がそもそも無いのですから。」
疲れている所に自分の政権に支持率の低さを揶揄されたようで、総理は多少不機嫌になる。
「それはうらやましいことだな!分かったよ。有識者会議ではなく、国家安全保障会議だ。秘書官を呼んでくれ。リスケだ。自衛隊の動きは、すぐ元に戻せる範囲、マスコミと中国を刺激しない範囲に留めてくれ。まだ派手に動いてはだめだ。くれぐれも。いいな?」