悪意の生成と継承
同時刻 沖縄県内某所
セーフハウスでCNNの放送を一人で眺めていた前田は、ほくそ笑んでいた。
画面に映っていたのは、悲劇としか呼びようが無いものだったが、彼はこれが見たかったのだ。
彼は幼少期から挫折と不幸を味わい続けてきた。
特異だったのは、その過程で内心にひがみと被害者意識を、尋常では無い量で貯め込んで行ったことだった。
彼は何一つ思い通りにならない人生を、周囲と日本とアメリカのせいにして生きてきた。
自分の夢も希望も叶わないのなら、この日本という国に住む人間を、一人でも多く自分よりも不幸にしてやるのが望みという人生だ。
彼には郷土愛や隣人愛と呼べるものすら無い。
破綻した性格の彼には、深い付き合いの人間も、家族も友人も居ない。せいぜい上辺の関係でしかない、政治活動仲間が居るだけだった。
口先では政治活動を行う仲間と共に「平和」「平和」と口にしていたが、自分が幸せでない平和になど価値は無いと思っている。
まがりなりにも大学教授になれるほどの頭脳を持ちながら、とんでもない被害妄想を持ち合わせ、それでいて、表面的には温厚な平和主義者のように立ち振る舞う彼は、控えめに言っても異常者だった。
当然「教え子」である、田渕や久米、澤崎達、若者の人生が、どうなろうと知ったことでは無い。
彼の望み通り、1人でも多くの日本人を不幸にするには、彼自身の手で組織犯罪を企てても、テロ行ってもまだ足りない。
神ならぬ身には自然災害を起こすこともままならない。
かつて反対運動や環境保護活動を装って、原子力災害を引き起こすことも考えたことがあったが、警備が厳重すぎた。
前田が最終的に選択したのは、日本を戦場にしてしまい、できるだけ多くの土地を他国の占領下においてしまうことだった。
それが実現したなら、万単位の人間を殺すことが出来る。
さらに、占領下の住民の人生を捻じ曲げることで、大地震級の不幸と悲劇を人為的に作り出すことも可能だ。
残念ながら民間人の犠牲者は、今のところ期待した程では無い。
だが、先島諸島の住民は全島避難に近い措置がとられていたが、中途半端だ。
おかげで逃げ遅れた住民が戦闘に巻き込まれており、どうやら地上戦の発生も確実なようだった。犠牲が増えるのはこれからだと、前田は期待をかける。
無論自分は脇役に過ぎないことは弁えている。だが、TVに映っている悲劇は、間違いないく自分が加担したことで引き起こされたものだった。
警察か公安か、あるいは特殊部隊からは逃げきれないだろうが、それまでに思う存分他人の不幸を楽しんでおくつもりだった。
前田にとっては、今この瞬間が人生の絶頂だ。
(さあ、日本人も中国人もアメリカ人も台湾人も、好きなだけ殺しあうがいい。沖縄を戦場にしろ。蹂躙してくれ。)
残念だったのは、中国の諜報機関と協力して作り上げた、沖縄県内の親中派ネットワークは壊滅したらしいことだった。久米とは連絡が取れなくなったし、澤崎に至っては今更になって裏切っている。
彼等と作り上げてきたNPOや学生組織を主軸とするネットワークは、この戦争のあとで壊滅させられるだろう。
だが、彼らの人生が破滅することすら、前田にとっては楽しみの一つだった。
彼らの大半は、最後まで自分達の行動が平和に資するものと信じていた。
ここまで現実を見せつけられていながら、なお中国に利用されていたことを認めることができない田渕のような者も多く、前田に救いを求めてくるものも多かった。
そんな連中に、前田はバカな連中だと思いながら、「あなた方は決して間違っていない」と、メールを返し続けている。
田渕らの思考が、前田には手に取るように分かる。彼等には、自分のしでかした過ちを今になって認める勇気は無い。死ぬまで自分は間違っていないと信じるしかないのだ。
(そういう意味で、前田にとって中国を裏切った澤崎や、彼の説得に応じた学生は不愉快な例外だった。)
それはともかく、前田自身が逮捕され、投獄されてしまえば獄中で得られる情報は限られ、活動も不可能だ。
そうなる前に自分が生成した悪意の種を、誰かに継承しておきたかった。
今、彼が見つけた継承先の候補は、善意の皮を被って宮古島に居る。




