直接手段
2024年4月1日 08:05 東京
花を沖縄に送り出した真紀子は、10年以上ぶりに一人暮らしをしている。
何かと理由をつけて花に電話をしたり、チャットでメッセージを送るが、たちまち鬱陶しがられてしまった。
寂しくはあったが、いつかは来ることだと自分に言い聞かせ、前向きに考えるようにする。
花が生まれて以来、真紀子は自分のためには殆ど金を使わずに来た。しかし花が卒業して就職してくれれば、多少は自分のために使える金も出てくるはずだ。
そうなったら人並に旅行やイベントに出かけることもできるだろうし、ペットを飼うのも良いかもしれない。
おそらく、花の奨学金は肩代わりすることになるだろうけど。
花のためにと、ずっと頑張ってきた。その花が側にいないことを真紀子は頭では理解しつつも、気持ちの面でまだ受け入れられないのだ。
いたたまれなくなった彼女はテレビをつける。
朝のニュース番組が事故の、いやひき逃げ事件のニュースを流していた。
被害にあったのは男性2名で、即死。
逃げた車は見つかっていないらしい。
被害者の一人は、ウクライナ戦争が始まって以来、テレビで見かけるようになった軍事専門家だった。
柔らかい物腰で難しい情勢を独特のユーモアを織り交ぜることで、真紀子でも分かり易く説明してくれるため、彼女はその顔と名前を憶えていた。
もう一人は、一般人の軍事マニアだった。
マニアとしては有名らしく、有名なアカウント名でSNSに軍事関連の投稿をしていた。この手のアカウントとしては最もフォロワーが多かったらしいが、真紀子は興味が無いので知らなかった。
二人は昔からの友人で、昨夜都内で酒を飲んだ帰りに被害にあったらしい。
二人共に最近SNSで殺害予告をされていたこともあり、確信犯による犯行説まで出ているらしかった。
いきなりひき逃げのニュースで気が滅入る。しかもしばらく引っ張りそうだ。
もう少し気楽に見れる番組は無いかとチャンネルを変えるが、これといった番組も無い。若い頃は興味のあった芸能関連のニュースも、他人のキラキラした人生を見せつけられるようで苦痛だった。
結局彼女はつけたばかりのTVを直ぐに消してしまった。
少し早いが出勤してしまおうと決心する。隣の席に座る上司の施設長は会社や他人の批判ばかりしてるような人間で、正直苦手だ。だが、子育てに苦労していると愚痴を言ってみせれば機嫌は良くなるはずだった。
そんな人間の相手など普通は面倒しか感じない。しかしそれでも、今の真紀子にとっては花のいない自宅で過ごすよりはマシなのだ。
支度を終えた真紀子はスマホを取り出して待ち受け画面を眺める。花と彼女が並んで映っていた。
先月沖縄に花の引っ越しを手伝いに行った時、花の下宿に泊まり込んで1日だけ母娘で沖縄旅行をしてみたのだ。
その時の記念写真だった。
彼女は、これが花との最後の思い出になるとは思っていない。
2024年4月1日 10:05 北京
「例の計画は成功しました。」
張少将は部下からの報告を受けていた。
「現地の実行班は日本の著名な軍事アナリスト一名と、SNSアカウントの運営者一名の殺害に成功しました。実行班は無事、国内に帰還しつつあります。
引き続き今回の件を受けサイバー戦部隊が殺害予告と絡めて、リアクションを起こすことで日本の言論空間を、我が国寄りの言説優位に持ち込むことが期待できます。」
「うん。上出来だぞ。よくやった。」
二人が話していたのは、日本の世論を混乱させるための工作、その一環だった。
中国軍はハイブリッド戦や、武力衝突に至る前段階での工作活動を重視していた。
日本の言論界やネット空間に中国寄りの言説や、沖縄独立論を浸透させる工作もその中に含まれている。これによって日本の世論における、中国の行動に対しての警戒感や抵抗が無意識に弱まることを狙っていた。
台湾に対しては同様の工作が長年行われていたが、日本に対する工作はここ数年で本格化したばかりだ。
だが進攻まで1年以内となれば、時間をかけた工作を行う余裕は無い。即効性のある工作が必要とされた。
そこで、参謀本部2部と3部の活動双方に精通する張が指揮して、2部主導で今回の暗殺を実行し、3部担当の世論工作を支援したのだ。
暗殺された二人はインターネットの言論空間において、中国寄りの言説やフェイクニュースを論理的に否定しては潰して回っており、3部にとっては割と目障りな存在だった。
この2名を殺害予告から実際に暗殺してみせることにより、中国寄りの言説を否定する動きそのものを委縮させることが狙いだった。
それでもあきらめない者には改めて殺害予告でも出せば、今までとは受け止め方が異なり、身を守るために口を封じることが期待できる。
脅迫を行う「こちら」のアカウントには偽装工作もしてあるから、日本の裁判所が開示請求等を行っても問題無い。
そして今回のひき逃げ事件が、中国側の工作と判明する頃には、事態は次の段階に推移しているはずだった。
張は部下に別の件で質問する。
「沖縄独立の工作はどうなっている?」
「ちょうど大学入学の時期です。新入生からリストアップした者を我々の組織に勧誘し、規模を拡大します。こちらがリストです。」
部下からリストを受け取った張は、パラパラとめくる。ざっと50人分はあった。
東京の教育関係者から不正に流出させた高校卒業生の個人情報。その中からピックアップされたものだった。
「残り一年を切っている。うまくいくのか?」
「ここ数年で実績はあります。我が国の若者にも多くが言えることですが、挫折を抱えながら、プライドも高く、思慮の不足気味な若者はむやみやたらと承認欲求に飢えています。
この手の若者は少しおだててやるだけで、容易く我々のことを信じるようになりますよ。」
「そんなものかね。まあその手法で実績は出てるしな。だが肝心なのは、作戦時に実力を伴う行動を躊躇しないレベルまで、我々の末端組織を信じ込ますことだ。数だけ増やせば良いわけでは無いぞ。」
「仰る通りです。閣下が3部時代の部下と共に開発されたAI、あれが助かっております。候補者の選定はおかげで円滑に進みました。」
「私に追従は要らんぞ。」
苦笑しながら張がめくるリストの中に「八木花」の名前があった。顔写真には2重の赤丸がつけられている。
2024年4月1日 11:00 那覇市
花は大学の体育館で行われた入学式を終え、キャンパス内を歩いている。
あちこちでサークルや部活が新入生を熱心に勧誘していた。
東京から進学してきた彼女は、まだ知り合いもいなかったので当然ながら一人で歩いている。
地元沖縄からの進学組は数人で集まって行動しているようだった。
その姿を見て、自分が友人を殆ど失ったことを思い出しそうになり頭を振る。
(友達に絶交されたんじゃない。私は間違ってない。私のほうから、あの子達を切ってやったんだから。)
楽しそうな他人の様子を見てイライラしてしまうくらいなら、今日はもう下宿に引き上げようかと思う。
足早に校門に向かうと、ひときわ賑やかに勧誘活動をしている集団に出くわした。
近くで勧誘している他のグループよりもブースが豪華に見え人数も多い。
足を止めて数秒だけ様子を眺めてから立ち去ろうとすると、勧誘していた青年から話しかけられる。
「環境保護サークル、SONでーす。このあと近場で歓迎会やりまーす。」
(あ。いい声。イケボだ。身長高っ。うわっ、サーフィンとかやってそうなイケメンだー。)
ついチラシを受け取る。
「ありがとう。ちょっとだけいい?うちらは環境保護活動をするサークルなんだけどさ、毎年新入生歓迎コンパを入学式の日に主催してるんだ。
新入生同士の交流の場をセットする目的でね。ウチの大学は色んな所から新入生が来るからね。留学生も多いし。君出身は?東京?僕も東京なんだ。なら、まだこっちで友達いなくない?ちょうどイイから時間空いてるなら参加しなよ。立食パーティだけど、新入生は参加費無料だし。」
花はイケメンに釣られるようで、ちょっとだけ悔しくはあったが友達が出来るかもしれないという期待と、参加費無料に惹かれて参加を決めた。