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沖縄・台湾侵攻2025 Easy Mode  作者: しののめ八雲
先島諸島・九州沖航空戦
59/99

再編成

上海の胡中将と、その空軍司令部は悩んでいた。


沖縄の日米空軍基地を叩き潰し、先島諸島の日本軍陣地に猛爆撃を加えたものの、正確な戦果が不明なのだ。

その最大の原因は、航天軍が衛星写真を回してこなくなったからだった。

偵察ドローンを相当数送りこんでみたが、あっさり撃墜されてしまったらしく、最新の情報が得られない。


現地の工作員の情報すら途絶えてしまっている。

連絡がつく者も存在したが、基地への接近は困難だった。

工作員の放つドローンは、遠慮なくミサイルやレーザー、機関砲、それに妨害電波で撃墜されているらしい。


帰投した攻撃機のFCSの記録を個別に解析、パイロット達の報告から敵の損害を推定するには、かなりの時間が必要だ。

それに加えて想定外の損害が出ている。

投入した、J16とJ10は実に半数近くが未帰還となったのだ。損害は覚悟の上だったが、胡の内心の許容範囲を超えている。

修理が必要な機体も多数あり、次回の攻撃に投入できるのは、このままだと100機も無い。

これでは、次回の攻撃力が不足するため、一部のJ11を爆撃任務に充てることを検討したが、それでもまだ足りない。


それだけでなく、南沙諸島に一時的に引き抜かれたJ20部隊は、苦戦中の南部戦区に取られてしまっている。

もともと「アメリカ」グループを開戦と同時に撃滅するために差し出した部隊だった。

だが、中国側の期待を裏切って韓国同様に、フィリピンからも米軍機が出撃してきた。

南部戦区はこの抑えのために、唯一のJ20旅団をあれこれと理由を付けて、手放そうとしないのだ。


別の段取りとして、中部戦区に予備として拘置されているJ10の旅団を、増援として回してもらえるように手配を始めていた。

だがこれも、中部戦区側にとってはこれほど早く増援を要請されることが、想定外の事態で時間がかかっていた。


このように各戦区と長征作戦司令部は、お互いに戦力を融通することが早々と難しくなっていた。

お互いに一度貸した戦力を、返して貰えないのではないかと、疑心暗鬼に陥ったのだ。


胡中将はその上で、次の攻撃計画を決める必要があった。

彼の司令部は今回の攻撃で、これほどの被害が発生した原因の一つは、韓国を聖域として攻撃してきた米軍のF22のためだったと判断していた。

ある程度予想してはいた。そのために中国戦闘機で最高の索敵能力と戦闘能力を持つJ20を優先的に配備していたのだ。

だが、J20のIRSTも、試作品の光学センサーも、もちろんレーダーも、米軍のステルス機の探知に失敗したと言って良い結果だった。


こちらも米軍と同じ戦法を取って、敵のAWACSや給油機に報復攻撃しようにも、J20は超音速巡航を実現できていないし、後方のステルス性能に弱点があるため、敵艦隊と地上レーダーを沈黙させた後でなければ、敵の空域奥深くに切り込むことは危険だった。

J20Aは超音速巡航を実現させていたが、やはり後方のステルス性に不安があることに変わりは無い。

第一、F35が護衛についていれば、そのEO-DASやEOTSといった光学・赤外線センサーで、先に探知されてしまう可能性が高い。

EOTSにしても、同じ赤外線センサーだが、こちらのIRSTより性能が高いようだった。


さらに攻撃機の損害だけでなく、宝石よりも貴重な空中給油機がほぼ全滅していた。

このため東シナ海上空に空中給油ステーションを設定して、J20を長時間滞空させることで制空権を確立する計画が、根本的に狂ってしまっていた。

これも、在韓米軍の仕業だった。


胡中将と彼の司令部は事態の打開のために、張中将に沖縄だけでなく、韓国の2カ所の在韓米軍基地に対する弾道弾攻撃を要請したが、激しく却下された。

それならばと、斉州島上空のAWACSを含めた米軍機を、J20A装備の最精鋭2個旅団を韓国領空に投入。

秘密裏に殲滅する作戦を具申したが、これも即座に却下された。


胡中将はあきらめず、個人的なパイプを利用して張の頭越しに中央軍事委員会に働きかけを行ったが、結果は同じだった。


彼は気づいていなかったが、中央軍事委員会の上海に対する心象が、この件で一気に悪くなっていた。

胡の感覚としては許可が降りるかは、ダメで元々程度だった。

だが、まがりなりにも韓国に攻撃を行うとなれば、高度な政治判断が必要な事項であり、政治指導部の熟慮が必要とされる領域だった。


中央軍事委員会としては、政治の領域に属することを、たかが一方面の空軍司令部が軽々しく要請するということは、あってはならないことだったのだ。

第一、張が司令部を統制しきれていないという不満を中央軍事委員会にもたらした。

このため、以後、長征作戦統合司令部から中央軍事委員会への要請は、通り難いものになっていく。


中央軍事委員会が長征作戦統合司令部に不満を持ったことは、段々と中国側の作戦運用に響くことになる。

それはともかく、韓国への弾道弾攻撃が不可能な以上、次回の攻撃でも斉州島を起点とする、米軍のステルス機の妨害を覚悟しなければいけない。何か対策が必要だった。


そこで彼らは、残る150機のJ20を防空に専念させることにした。

これを2分して、1グループはローテーションを組んで、斉州島前面に警戒線を張り、在韓米軍のステルス機の侵入阻止を狙う。

もう1グループはやはりローテーションで、上陸船団の上空を援護するエアカバー任務にあてるのだ。

150機もJ20が有るのに、ローテーションを維持しようとすると、4~6個大隊を滞空させるのがやっとで、攻撃隊の直掩が付けられない。

全ては空中給油機がやられた影響だった。


そうなると、まだJ11を中心に300機あるとはいえ、沖縄への攻撃は第4世代機のみで行うことになる。

だが、沖縄の敵空軍基地を沈黙させ、日本本土の空軍基地も北朝鮮の弾道弾で損害を与えている。今なら斉州等からの攻撃さえ押さえることができれば、攻撃自体は成功するはずだった。


他戦区からの増援は間に合わない。

米軍が中国本土を爆撃するのでないか、という不確実な情報が出回っていた。

このため、各戦区の空軍司令部は万一、米軍が中国本土に対する攻撃を解禁した場合を恐れ、その責任に直面していたのだった。

長征作戦の重要性は理解しているが、中央軍事委員会からの直接命令でも無ければ、彼らの立場ではそう簡単に、これ以上の戦力を長征作戦に割くわけにはいかないのだ。

もっとはっきり言えば、最初に本土への爆撃を許した空軍司令部になるのはまっぴら御免、というわけだった。


胡とその司令部が、各戦区との戦力融通の調整、その結果を待っての戦力再編。さらには給油機の壊滅を受けた作戦変更を終えて、本格的な航空作戦を再開したのは、3日の早朝。

あまりに時間をかけすぎていた。

この間、沖縄に対して行われたのは、H6爆撃機とロケット軍による散発的なドローンと巡航ミサイル攻撃でしかない。


張は台湾の作戦に集中しており、どちらかと言えば助攻扱いの沖縄の航空作戦は、胡に委任する部分が大きかった。

だが、想定外の損害が生じたとはいえ、「損害にかまわず攻撃を反復」という作戦方針が守られていないので、張は胡に攻撃の続行を促している(明確な命令としてではない)。


「航空戦には私は素人だが、どの道湾岸戦争の米軍のように勝てるわけはないのだから、とっとと攻撃を再開した方が得策じゃないか?台湾ではそうしてる。なぜ沖縄でもそうしない?損害に構うな。」


「そんなことは分かっている。

貴官が今言った通り、航空作戦は私の専門だ。任せておいてもらいたいな。

沖縄は台湾とは戦況が異なる。今攻撃を無理に行えば、明日以降の作戦継続に影響が出るレベルの損害が出るのは必至だ。


増援を得て、再編成を行った後で攻撃再開した方が、攻撃力を持続できる。

その程度のことも分からないのなら、空軍の作戦には自分で言った通りに口を出すな。」


お世辞にも両者の関係は良好とは言えなかった。


沖縄に対する作戦は、海上民兵によるものも今の所、上手く行っていない。



一方、尖閣諸島では、海上保安庁の尖閣専従部隊が決死の覚悟で任務を果たしていた。

彼等は自分達が最も危険な立場にいることを痛感しており、ギリギリのタイミングで尖閣周辺から退避した。


尖閣には海上民兵が上陸し、占領を宣言する。


まがりなりにも中国は日本固有の領土を、開戦後数時間で奪取することに成功していたのだ。


中国にとっての本命の台湾への作戦は、損害に構わず継続されていた。


一方、宮古島に退避した台湾空軍機は、米軍が搬入していた燃料と武装を補給してから、応急修理が出来た台湾に飛行場に一部が復帰。反撃を継続したものの、数的に不利な状況は相変わらずで、こちらの損害は増も続けている。


台湾本島は中国海軍に包囲されつつあり、西岸では台湾側の対艦ミサイルと、中国艦艇の巡航ミサイルの撃ち合いが続いていた。

中国海軍主力は、台湾とフィリピンの間に広がるバシー海峡を突破して、南から台湾東岸に進出しようとしている。


金門島、馬祖島、澎湖島は絶え間ない砲爆撃に叩かれている。


台湾の三つの離島への上陸作戦の指揮官は、西部戦区から派遣された石陸軍中将だ。


西部戦区勤務は中国陸軍では、出世コースとされていた。ちなみに張は公言こそしないが、西部戦区がエリートコースという陸軍の現実について、心底侮蔑している。

彼にしてみれば、父の古巣は少数民族を虐めているだけのことが、評価され、出世できる不可解な組織というわけなのだった。


だが、その非情さが今は役に立っているとも思っている。

敵にも味方にも、無論、少数民族にも冷酷な石中将は、期待通りに強引な上陸作戦を成功させつつあった。

台湾守備隊の必死の防御射撃にもかかわらず、ヘリや舟艇、ホバークラフトが往復して歩兵大隊を次々と送り込んで行く。損害は大きかったが、2日12時までには、3つの島に、それぞれ5千から1万の上陸部隊が取りつくことに成功していた。


一方の自衛隊側の空襲後の動きは、やや混乱している。

本州に対する北朝鮮からの弾道ミサイル攻撃は止まったが、巡航ミサイルの攻撃は散発的に続いており、ロシアも威嚇を本格的に開始していた。


これに対応するため、特に航空自衛隊は、やや過剰な戦力を対応させていた。

日本には北朝鮮側の思惑は相変わらず伝わってはいなかったから、やむを得ない部分もあったが。

このため、那覇基地が大損害を受けたという事情はあるものの、戦闘飛行隊の南西方面への増援が遅れている。


日本海からは、イージス艦「あしがら」他、護衛の「たかなみ」型護衛艦2隻が、BMD対処任務を解かれ沖縄に向かっている。

同じく、米軍も太平洋側に配置していたBMD任務のイージス艦の一部を沖縄に向けた。


航空自衛隊は、2日の夜には三沢の第3航空団と、新田原の第5航空団の配置を入れ替え、虎の子のF35A装備の第3航空団を新田原に前進させた。

千歳の第2航空団からは、201飛行隊が築城に移動。百里の第7航空団は、オーストラリアに退避していたが、やはり築城に移動しつつある。


第7航空団の移動は、リスキーと言えた。築城にF2の稼働機の殆どが集結したからだ。

もし弾道弾や、巡航ミサイル攻撃で地上撃破されるようなことがあれば、航空自衛隊の対艦攻撃力は、大幅に低下することになるだろう。


耐爆シェルターが1個飛行隊分完備された三沢基地に対し、新田原、築城の両基地はようやく去年になって、分散パッドが整備されただけだ。だからF35の展開にも同様のリスクが当てはまった。


分散退避していた、航空自衛隊機が集結したところを狙っての、弾道・巡航ミサイルによる攻撃も、当然ながら想定される。

だが、開戦と同時に先島に向けて、全速で敵上陸船団が迫っている状況だ。

危険は承知の上で、反撃することを統合司令部は選択したのだった。


応急処置が進んだ那覇には、第9航空団が戻りつつあったものの、既にその保有機の3割を失っていた。整備・修理中の機体を含めるなら、現時点では半減に近い。

そのため、基地機能の復旧具合を見つつ、増援として小松の第6航空団から306飛行隊のF15改が那覇基地に投入される。


F35A装備の301、302、303各飛行隊のF35Aは、築城基地および新田原基地から空中給油を受けつつ沖縄上空に進出することになった。(小松で機種改編中の303飛行隊もまた、オーストラリアに退避していた)


海上輸送部隊の護衛グループは、本州まで輸送船団を送り届けたあと、対艦弾道ミサイル攻撃を警戒して海上を高速で遊弋していたが、いまや再集結しつあった。

まずは撃沈された「ひゅうが」の姉妹艦「いせ」を中核とするグループを形成すると、沖縄から退避してくる日米BMD任務部隊を援護するべく、沖縄に向かう。


BMDグループは、撃ち尽くしたミサイルの補給を終えてからでないと、戦列に復帰できない。

弾道弾攻撃が予想される中の港での補給には懸念があったが、やらないわけにはいかなかった。

このため、佐世保でのBMDグループの補給を援護するために、「あしがら」は佐世保沖に向かっている。


反撃態勢の構築には、どうしても相手に先制される上に、その後の敵の意図するところを推定するにも時間がかかる。それは分かっているが、先島への上陸を阻止出来ないでいる状況に、自衛隊の高級幹部は苛立っていた。


頼みの綱だった先島周辺の海上自衛隊の潜水艦は、どうやら沈められてしまい、先島諸島は敵潜水艦の包囲下にあると判断されている。

こうなっては、先島に対する増援と補給を、海上輸送で行うことは簡単ではない。

つまり、先島諸島は孤立一歩手前だったのだ。


自衛隊側は、那覇基地の復旧作業の進捗具合には安堵していたが、中国の反復攻撃が行われないことを不可解に思っていた。

彼らは、中国側は中国側で、大損害と戦果の過大評価によって、沖縄本島への反復攻撃を無理に行わない判断を下していたことを知る由も無かった。


中国側は、断片的な視覚情報しか得られていないにもかかわらず、ロケット軍、爆撃隊の攻撃で、那覇と嘉手納が48時間は使用不可能になったと、かなり楽観的に判断していた。

わずか8時間で那覇A滑走路が、嘉手納共々仮復旧しているなど考えもしなかったのだ。


よって彼らは、翌日の沖縄本島への攻撃はSEAD任務に留めることにしていた。

その構成は対レーダーミサイル装備のJ16DとJ16を20機、護衛のJ11が30機だ。

機数が少ないが、可能であれば第2波の攻撃も行う予定だった。

残りの250機の第4世代機は、船団護衛のJ11B、2個旅団約50機を除き、全て先島諸島への爆撃に投入される予定だった。


2025年4月3日 0:00 築城基地


中国の攻撃が開始されてから20時間が経過し、日付が変わった。

オーストラリアから築城に移動してきていた、303飛行隊のF35Aが4機、深夜にアフターバーナーによる光の尾を引いて、それぞれ異なる方向へ離陸していった。

任務は偵察。自衛隊の反撃開始だった


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