防空制圧と戦果誤認
2025年4月2日 04:35 沖縄本当上空
対艦攻撃任務で大きな戦果を挙げた一方で、約30機まで減らされた沖縄爆撃隊は、苦戦している。
沖縄の日米対空ミサイル群は、J20を追い回している間は盛んに発振していたレーダーを、爆撃隊が接近するといったん切ってしまった。
対レーダーミサイルを警戒しているらしい。
あるいはミサイルの残弾は作戦通り、巡航ミサイルの迎撃で使い果たしているかもしれない。
爆撃隊のパイロット達が希望的観測を思い浮かべ、沖縄本島まで50キロに迫った時、沈黙していた敵の対空レーダーが一斉に発振を再開した。
ちなみに1基の対空ミサイルは、捜索レーダー車、照準レーダー車、指揮車、それに複数のランチャーで構成される。
SEAD任務では、まず対レーダーミサイルで捜索レーダー車、照準レーダー車を潰すことになる。
その後のDEAD=敵防空網破壊では、各種爆弾を用いてレーダーだけでなく、ランチャーを含めた構成車両を破壊し、対空ミサイルを完全に沈黙させることを狙う。
爆撃隊は混乱していた。電子戦部隊はSEAD任務を実行していたが、妨害と対レーダーミサイルの発射が間に合わず、殆ど対空ミサイルと相打ちのような状態に陥っている。
なんとか発射された対レーダーミサイルも、日米の電子戦システムが発する欺瞞電波に引っかかって、外れるものもが続出していた。
沖縄本島の対空ミサイルは、巡航ミサイル迎撃後の再装填は間に合わなかったが、30機程度の攻撃を妨害するには、未だ十分な即応弾が残っている状態だったのだ。
なおかつ、まだ大量の93式、81式やアベンジャーが待機していた。
これらの近距離対空ミサイル=VSHORADは、巡航ミサイルの迎撃ではあまり出番に恵まれず、結果的に充分な即応弾を残している。
対空ミサイルランチャー攻撃任務を割り当てられた、とあるJ16のパイロットのペアは焦っていた。
作戦の説明だと、現地協力者や特殊部隊が目標に地上からレーザーを照射している。
だから彼等は、目標のミサイルランチャーを、自分達で探し出す必要は無いはずだった。
だが、それらしい反応が、まるで無いのだ。
彼らは照準装置の故障を疑った。ディスプレイ上だと、レーザー誘導爆弾の誘導装置は正常に作動しているはずなのに。
彼らは、工作部隊が日米の特殊部隊と警察によって、一斉に排除されているとは夢にも思わなかったのだ。
このままだと僚機と共に、沖縄上空で目標を探す手順を踏んでから、爆撃を行う必要があった。
沖縄上空での滞空時間が長引けば、再装填を終えた対空ミサイルによる、反撃のリスクが高まってしまう。敵戦闘機の心配が無いのだけが救いだった。
知念付近まで飛行した時、ようやく地上からのレーザーを発見したかれらは、LT2レーザー誘導爆弾による爆撃を行った。
後席員は着弾をモニター上で確認し、歓声を上げた。
だが、その誘導はダミーのランチャーに対するもので、故に当面無害なものとして放置されていた工作員グループによるものだった。
さらに1基のダミーを爆撃。
今度は味方の特殊部隊から、米軍の特殊部隊DELTAがレーザーを奪取し、操作されていたもので、わざとダミーに対して照射されていた。
彼等は、その後ようやく本物のランチャーを発見。
僚機がレーザー照射を行い、LT2を2発投下すると、航空自衛隊のPAC2とPAC3MSEのランチャーを、それぞれ1基破壊することに成功した。
だが、そこでいちはやく再装填を終えた11式の迎撃が始まり、僚機は撃墜されてしまった。
再装填を次々時終えた、日米の対空ミサイルの射撃が本格化する頃には、LT2も、少数を装備していた画像誘導式のKh29ミサイルも使い果たした爆撃隊は、上海に向かって離脱していた。
ある程度は中国側の目論見通り、巡行ミサイルが盾になった形となったのだった。
結局、爆撃隊のJ16は、残存31機中、17機をさらに失った。
特に犠牲を覚悟で対空ミサイルとの撃ち合いに臨んだJ16D型部隊は、F22からの損害も併せて、隊長機も含めて殆どが撃墜。壊滅していた。
引き換えに爆撃隊は、嘉手納、普天間、那覇の各飛行場にそれぞれ10発以上のレーザー誘導爆弾の直撃に成功。嘉手納ではまだ無傷だった、2本目の滑走路にレーザー誘導爆弾を命中させ、日米の各種対空ミサイルのレーダー、3基を破壊。同じくランチャーを7基破壊することに成功していた。
さらに那覇基地では、上空退避が間に合わなかったP1哨戒機多数を、地上撃破することにも成功している。
第9航空団のハンガーは完全に破壊し、格納されていた在場予備機は壊滅させた。
加えて那覇港では、LCUとLVP、それに掃海艇を見つけ出し、数隻を撃沈していた。
だが、生き残ったJ16のパイロットの何人かは、離脱する時に目にした那覇と嘉手納の状態に違和感を持った。
(滑走路がもっと破壊されていると思ったが、割ときれいだったな)
激減した攻撃隊は、直掩部隊と合流すると上海に向かって帰投した。
F22の長距離攻撃と、無尽蔵にも思える日米の対空ミサイルの迎撃により、中国空軍の攻撃隊第1波は思わぬ大損害を出した。
制空隊と直掩の戦闘機には直接の損害は無かったものの、攻撃任務のJ16は100機中約60機を失い、虎の子のJ20は燃料切れで50機が海没してしまった。
だが、胡中将を初めとする中国空軍上層部も、柳少佐と同じような希望的観測をしてしまった。
彼等は航天軍の情報収集能力が低下したからといって、他の軍より低い戦果を報告することで、戦後の立場が弱くなることの方を恐れていた。大損害が出ているから、なおさらだった。
さらに旧海軍航空隊部隊の方が「ひゅうが撃沈確実」という、目立つ戦果を挙げたことも事態をややこしくしていた。
空軍生え抜きの部隊が、旧海軍部隊より劣る戦果を出すわけにはいかなかったのだ。
この結果、慎重な戦果判定の作業を経ることなく、希望的観測を大いに含んだ戦果報告が空軍から行われることになる。
翌日には上陸作戦が予定されていたから急いで情報を上げなければならない、という事情はあったにせよ、中国側に情勢判断の誤りが生じつつあった。
ようするに、過去、殆どの軍隊が逃れることの出来なかった、戦果誤認と希望的観測という罠からは、逃げるのが極めて困難なのだ。
著しい近代化を果たし、米軍に勝つための研究を尽くしたはずの人民解放軍もまた、例外ではなかったということだった。
これこそまさに「歴史は繰り返す」ということなのかもしれない。




