上海統合作戦司令部
2025年3月10日 15:20 上海
フィンランド国境では、ロシア軍が約束通り持てる戦力をかき集めて演習を繰り返していた。だが、米軍どころかNATOも、北欧諸国もフィンランドに増援を送る気配が無かった。
また一つ中国首脳の目論見は外れていたのだ。
長征作戦発動準備に伴い、上海には統合作戦司令部が設置されていた。
設置以来、張中将は北京の家族と離れ、単身で司令部生活を送っている。
しかしこの日、張中将は中央軍事委員会の呼び出しを食らって、久しぶりに北京に戻っていた。そして、国家主席から直々に叱責を受けた。
理由は、長征作戦にともなう大規模な人民解放軍の移動、その秘匿が上手く行っていないことにあった。
部隊の展開、物資の移動そのものは予定通りに進捗していたが。
半年前から、人民解放軍の活動をインターネットにアップする行為は、以前にも増して厳禁とされていた。
だが、投稿者が関係無い写真のつもりで撮影したものに、たまたま移動する部隊が写り込んでいたり、そもそも西側の衛星画像は規制しようがなかった。
サイバー戦部隊はAIと人海戦術でネット上の写真という写真をチェックして、都合の悪いものを片っ端から削除していった。
だが、西側の情報機関や民間OSINT活動家は目ざとく、解放軍の動向を確認していた。
西部戦区、北部戦区の空軍基地に配置された、大量の戦闘機を模したバルーンダミー(そう。ダミーだとバレている)。
東部戦区内の空軍基地や民間空港に増設され、民間施設に偽装した軍用機用のシェルター。これらは、民間の衛星写真サービスによって看破されている。
北部戦区から東部戦区に移動していく、ロケット軍の車両。彼等は北朝鮮が攻撃を肩代わりするため、日本本土の攻撃任務から外されていた。
そして、台湾への攻撃を強化するために、配置を変更して移動中に偶然撮影されてSNSに投稿されていたのだ。
同様に、長期修理を偽装していた空母遼寧は、偽装を解いて出航した途端に、海岸で記念撮影していた新婚夫婦のスマホに映り込んでいた。
中国側の衛星偵察の結果、日米は物資の移動と集積を始めていることが分かっている。
張は思った。
(隠し通せるわけがない。)
だが、国家主席は共産党と軍の人民に対する情報管理能力を過信しており、作戦発動直前まで世界に対して意図を隠し通せると信じ込んでいた。
サイバー戦部隊は日米台の緊張に対して、陰謀論や親中論をネットにばら撒いたが、欧米の有力なシンクタンクが相次いで台湾海峡の緊張の高まりに警鐘を鳴らした。
ついで、米軍の高官が台湾海峡や、東部戦区での人民解放軍の動きに懸念を表明。
これに対して中国の報道官は事実無根と完全否定した。
だが、さらに台湾が、とうとう予備役の動員準備命令を発する。
さらにこれに対して中国は、逆に台湾を強く非難して、部隊の集結の理由付けに使おうとした。
要は中央軍事委員会と国家主席の目論見は、再び外れて奇襲が成立する要素は薄まりつつあったのだ。
衛星偵察画像やオープンソースを使ったOSINTまでが活発化した現代では、大規模な奇襲を隠し通すのは不可能に近いのかもしれなかった。
だが、中国の首脳部は現実を認めない。
張は中途半端に叱責するくらいなら、いっそ作戦を今からでも中止するか、劉上将に続いて解任して欲しかった。
だが、そうはならなかった。
面子の問題で今更作戦中止はあり得ないのだ。
解任も無かった。
劉の後任が張になったのは、各軍とのしがらみが無いからだ。
政治指導部の思惑が外れたことで、台湾の封鎖を主体とする作戦から、電撃的な作戦への切り替えが行われていた。
国際社会が慌てふためいている間に、台湾と先島諸島の占領を既成事実化するため、各軍には損害を度外視した作戦の強行が求められていたのだ。
一応、前任者の作戦が保守的なため、AIを駆使した先進的な作戦指揮を期待するというのが、張が選ばれた理由だった。
本音は張ならば、損害を無視した無理な作戦を、陸、海、空軍に対して遠慮無く、冷徹に実施できると期待されていてのことだ。
各軍は甚大な犠牲が生じても、相手が張なら遠慮無く恨むことも出来る。軍部の怨嗟は政治指導部には向かないはずだった。各軍が作戦終了後にしこりを残す心配も最小限だ。
それに、今から指揮官を張から交替しても、その人選でまたも時間を浪費しかねない。
上海にヘリで戻った張は軍用車で大手銀行の地下駐車場に入った。
そこには秘密裏に設置された、長征作戦地下指揮所が設置されている。
指揮所に入ると各軍の士官が次々と報告、連絡、相談に訪れた。
張は彼等からの受けが良かった。
各軍とのしがらみが殆ど無い張は、各軍からの要望事項を純粋に筋が通っているかどうかだけで、可否を判断していたからだ。
それは、当たり前のようでいて、人民解放軍式の統合運用の中では極めて異例のことだった。
方針が大変更になったとはいえ、基本的に短期決戦案は以前に計画済であり、作戦計画はそれなりに練りあがっていた。
そのため部隊運用の実際に疎い張が一から考える必要は無い。下から上がってくる選択肢を、合理的に判断して決めるだけで良いのだ。
それに張は部下に対して、知らないこと、分からないことは正直に言える質だった。
司令部勤務の中堅士官達は、張に対して「偉い人達からの悪評とは随分異なる、普通に物分かりのいい人」だと、張の認識を改めつつあった。
だが、その張をしても、
変更を許さない事項が二つあった。
一つは、3隻の空母「遼寧」「山東」「福建」の運用についてだ。
当初の計画だと、この3隻は台湾近海から離れず、上陸部隊の支援を行うことになっていた。
だが、現在は演習と訓練に見せかけてバラバラに出航している。
近日中に3隻は合流して、強力な空母機動部隊を編成。グアム島方面に向かうことになっていた。
作戦ではグアム島の米軍基地への攻撃は、やはり北朝鮮に任せられていた。
だが、北朝鮮の攻撃が失敗した場合に、グアムと米本土からの増援を海上で迎撃するため、特にハワイから飛来するであろう長距離爆撃機を迎撃する任務に変更された。
状況によっては、グアムを空襲すらすることになる。
だが海軍には中国本土から離れることで、機動部隊が支援を受けにくくなることへの懸念があった。
もう一つは、沖縄方面の上陸作戦だった。当初は与那国島と尖閣諸島に限られていたものが、石垣島、宮古島をも同時攻略する作戦に変更されたことだった。
どう考えても、戦力をいたずらに分散することになる。
だが、この二つに関しては、国家主席の意向で変更はあり得なかった。
一応、国家主席なりに、先島諸島での戦闘を拡大することで、米軍を拘束しやすくなること。空母は早期に米軍の戦力を撃破することで、米国内世論の動揺を狙うことが期待できる、という理由は付けてあった。
しかし実のところ、劉上将の強硬な反対意見を誘って、解任に追い込むための方便という側面もあった。
張はこれらの軍事的合理性から外れた、作戦変更の事情を推察できていた。
故に、この件に関しては、各軍から配されたスタッフの意見に対して首を縦に振らなかったのだ。
留守中の状況把握を終えた張は指令室をいったん出ると、私室で短い休息を摂った。
簡素な応接机に包みがおいてあった。
差し入れだ。父からだった。中に武夷山産の茶葉が入っていた。
(かつて破綻して父子関係だったが、今では修復している。)
従兵を呼んで、ありがたく茶を淹れさせる。
手紙が添えてあった。
「中将の任務は大変だろう。少しは茶でも飲んで自分を労われ。」
とだけあった。
実は、張は最初、統合任務司令官への着任を断ろうとしたのだ。
だが、中央軍事委員会は断った場合、張が無断で去年から最高機密の長征計画にアクセスしていたこと、張の父のかつての汚職に事案を追加して、二人を投獄することを匂わせた。
やはり、中央軍事委員会の面子を潰すことは許されないのだ。
張は「大抜擢人事」を「快諾」したことになっている。
父さん。あなたと同じ階級になったけど、上将の仕事をしているよ。
本当は望んでいないのに。高級指揮官なら一度は夢見る台湾を奪回し、米軍に一撃を与えるという、輝かしい作戦の総指揮官という立場なのに。
将官達に妬まれ、憎まれるのは構わない。
だけど、純粋に祖国を信じている末端の将兵達を、政治の事情で無駄に死なせたら?彼等と遺族に恨まれた時、自分は耐えることが出来るか分らないよ。