2本の細い糸
2025年1月20日 那覇
李が「世話になっている」中華料理屋のバックヤードに李と澤崎が居た。
バックヤードは実質的な李達の活動拠点だった。通信機器や機密費、高性能ドローン、そして澤崎には見せていなかったが、反社の漁船を使って密輸した武器と爆薬を隠してあった。
「八木花は親子関係をほぼ切ったようだ。いい傾向だが、自分の判断で大学を辞めようとしている。勝手に辞めさせるな。可能な限り学生の身分を維持させろ。その方が動き易い場面も多い。」
「・・・わかった。」
「どうした澤崎君?自分の親子関係の細い糸を守るため、他人の親子関係を潰すのは心が痛むのかい?これが初めてじゃないだろう?」
李は薄笑いを浮かべながら澤崎の肩をポンポンと叩く。
「・・・。」
澤崎は無言で店を出て行った。
2025年2月1日 12:00 東京
真紀子は昼休みだった。職員休憩室には彼女しかいない。
多少立ち直ってはいたものの、落ち込んでいることに変わりは無い。
食欲が沸かないので、いつもは弁当を作っているのに、このところはコンビニのサンドイッチを一つだけという日が続いた。
他の職員には心配されたが、ダイエットだと適当な言い訳をしている。
親子関係の危機を安易に喋って陰口のネタにされるのはゴメンだ。
休憩室のテレビはワイドショーを流していた。相変わらず政治評論家が政権の批判を繰り返している。
思わずチャンネルをニュースに変える。
中国の首脳が各国を歴訪するらしい。ウクライナではロシアの攻勢が大失敗に終わり、ウクライナがドネツク州を奪回することが確実視されていた。
もしかしたら3年続いた戦争が停戦するかもしれないとのことだ。
海外では日本人選手がMLBで活躍を続けているらしい。
だが。どのニュースも真紀子の気分を明るくするようなものでは無かった。
(どうすれば良かったんだろう?)
去年のささやかな沖縄旅行時に撮った、母娘一緒の待ち受け写真を眺めながら、彼女は思い悩む。
花が小さい時、東京に出たことが間違いだっただろうか?
地元で両親と一緒に、のんびり花を育てた方が良かったのか?
両親が亡くなったあの火事だって、自分が側にいれば防げていたかもしれない。
自分の育て方が悪かったのだろうか?
それとも花が正しくて、自分が間違ってるいのだろうか?
これからの人生、花と生き別れになって、一人で生きていくのだろうか?
真紀子の施設に入居していた高齢者達にも家族と疎遠、あるいは身寄りが無く、一人寂しく亡くなって行った者が少なくない。
生活保護のギリギリの生活で、ただ生きているだけ、というケースも何度も見て来た。
自分もいずれそうなるのだろうか?
今まで花のためにと歯をくいしばって生きてきたつもりだったのに、それはいったい何だったんだろう?
「前いいですか?」
思い悩んだ真紀子が涙を流しそうになった時、勝部が休憩室に入ってきた。愛妻弁当を手にしている。彼は最近夜勤に入るようになり、日勤専従の真紀子とはしばらく昼休憩が重ならなかった。
我に返った彼女は、情報収集に骨を折ってくれた彼にだけは2週間前の顛末を伝えることにする。
「そうでしたか・・・。自分が余計なことをしてしまったみたいですね。すみませんでした。」
「ううん。勝部君のせいじゃないわ。おかげで娘の異変に早めに気付くことは出来たもの。
それでもあの子が私の話を受け入れなかったのは、私の育て方か、言い方が悪かったのよ。」
「そんなことはないでしょう。それにしても、納得いかないというか、ムカつきますね。何が環境保護だよ。やってることは親子関係を壊して子を洗脳する、タチの悪い新興宗教と同じじゃないですか。
ネットの噂通ですよ。くっそー、何かまだ出来ることがあると思うんですけど。」
「ありがとう。でも本当にもういいのよ。あとは私達親子の問題だから。」
「そうなのかなあ?それにしても、連絡のとりようがないのはつらいですね。」
「あとは手紙を送るくらいかしら?せめて元気にしていることだけでも分かればいいんだけど。」
「そうだ!それなら、彼等のSNSをあたってみます。彼等は個人スマホとは別の、組織から支給されたスマホも持ってるらしいです。」
「まるで会社ね。」
「娘さん、そのスマホでSNSを再開してるかもしれません。以前のことがあるから、お母さんには内緒で。」
「それはありそうね・・・。」
「僕だけでなく、会社員時代や学生の時の友達で、アカウントの特定が得意っぽい奴らにも手伝ってもらって、どれが娘さんのアカウントなのか調べてみます。」
「気持ちはうれしいけど、本当にいいのよ。そこまでしなくても。さっきも言ったけど私達の問題なの。」
「いえ、やらせて下さい。僕もこんな酷い話見て見ぬふりは出来ないです。
高齢者の虐待を見て見ぬふりをするのと同じです。
それに僕だって、ここでやっていけているのは八木さんのおかですし、恩返しさせて下さい!」
「そう・・・。ありがとう。なら、頼ってもいいかしら?」
「勿論!ただ、かなり時間はかかると思いますし、うまくいくとも限りませんけど。でも、やるだけやってみせますよ!」
勝部のおかげで、ほんの少しだけ希望が見えた気がした。
だが、彼にばかり頼っていられないと思う。
来月のシフトで希望休を固めて取って那覇の下宿へ行き、直接会って花と話そうと思う。
決定的に破局するかもしれないが、その時は元気な花の姿を精一杯見ておくことにする。
このまま何もせずに後悔するよりはいいと思った。
「至誠天に通ず。どうせ最後になるなら。」
本気でぶつかろうと思う。いままで嫌われまいと、花に遠慮しすぎたのが悪かったのかもしれない。
真紀子は信じた。花との関係は、きっとまだ細い糸で繋がっていると。
元気が出たとたんに急に空腹を感じた。
彼女は2か月後に、中国が沖縄と台湾への侵攻を開始しようとしているなどとは、夢にも思っていない。