年明け -OSINT-
2025年1月1日 10:15 那覇
運命の2025年が明けた。
南西方面に配属されていた自衛官達の一部は、今年が今までとは違う年になりそうなことを肌感覚で感じている。
その空気の中にあって、204飛行隊は年末に304飛行隊とアラート任務を交代して、常時6機のF15JSIを即応体制で待機させていた。
日本の領空に接近する国籍不明機に対して緊急発進を行い、必要に応じて対領空侵犯措置を行うことは、航空自衛隊の主要な任務だったが、中国との最前線である那覇においては特に頻度が多い。
必然、アラートに就くパイロットや整備員の負担は大きくなり、那覇での勤務は過酷なものだった。
橋本はパイロットの待機場所であるアラートパッドの外で、タバコを吸っていた。
10時間程前に日付が変わるとほぼ同時に、中国からの新年の挨拶とばかりに不明機が接近。スクランブルがかかった。
対領空侵犯措置を無事完了し、ナイトフライトから帰投した橋本は機体の点検と報告、ローテの調整、トイレ、ウェザーブリーフィング、食事、再びアラート待機、諸々を済ませてようやく一服している所だった。
今回のアラート任務で割り当てられた、F15の機付長の吉良2曹が一緒だ。ちなみに航空自衛隊にはパイロットの「愛機」という概念は無い。
整備員の機付長は担当の機体を持っているので、整備員にとっては「愛機」が存在する。
吉良が橋本に話かける「ハッチさん。なんか去年の夏くらいから、段々とキナ臭くなっているって思いません?中国さん、新年早々気合入りすぎじゃないですか?」
彼は元から多い那覇基地における、対中国機のスクランブルが急増していることを言っていた。
「ハッチ」は橋本のTACだった。飛行中の無線交信で、お互いを呼びやすいように、パイロットはTACネーム(要はあだ名)を持っている。
普段からTACネームで呼び合う習慣になっているため、パイロット同士だと、お互いの本名が直ぐに出てこないことも良くある話だった。
「そうかもな。なんか聞いてるか?」
タバコを吹かしながら、お互いに最近見聞きした情報を交換する。
このところ、航空自衛隊のRC2電波収集機が頻繁に那覇へ飛来していた。
嘉手納にも情勢がキナ臭くなると現れる、米軍のRC135やRC12が飛来しているらしい。両方とも米軍の電波収集機だった。
電波収集機の活動は機密だから、彼等が何を探っているのかは二人には分からない。
だが、同じ那覇基地に居る海上自衛隊第5航空群のP1クルーの話だと、これまで見かけなかった中国漁船をあちこちで見かけるようになったとのことだった。
彼等によれば漁船は、中国の海上民兵の可能性があるので、電波収集機はこれらと中国海洋警察、海軍との交信内容を傍受しようとしているのでは?と話していた。
隣の那覇駐屯地の陸自の隊員が、市内で陸上自衛隊特殊作戦群や、米軍の特殊部隊DELTAやSEALSが報道の格好をして市内をうろついてるのを見かけた、という噂もあった。
(特殊部隊の動きがこんなに簡単に露見するわけはないから、これは眉唾ものだと橋本は思った。)
上空から見える那覇駐屯地の物資は徐々に増え、最近ではさらに先島諸島に移送されているらしい。
那覇で収まらない物資は、嘉手納基地に間借りしてまで集積してるらしかった。
吉良が軽く愚痴る。
「中国さん、何だかじわじわこっちの機材と人員に負担かけてきてません?
無人機と有人機が代わる代わるやって来て。年末からこうもスクランブルが続いたら、ウチら整備も予備部品が心配です。
通常国会はどうせ空転するし、こんな時に本当に戦争にでもなったら防衛出動命令も出せないってことになって、手も足も出ないんじゃないですか?」
「俺たちは上がどうだろうと、ドンパチになったら敵を墜すだけだよ。」
その時警報が鳴り響き、二人はアラートパッド内のF15に駆け寄った。
コクピットに飛び乗った橋本は、体に染みついた動作でエンジンやシステムを作動させ、チェックを済ませていく。
最後に吉良と敬礼を交わすと橋本は、搭乗してからわずか3分で離陸を開始。僚機も出遅れることなく続いてきた。
タキシーアウトしながら橋本は空を見つめる。早朝のウェザーブリーフィング通り、上空1000メートル付近から厚い層雲が垂れ込めている。
地上から情報が入る。上海南の岱山基地を発進した無人機が先島諸島に接近中だった。
橋本達は薄暗い雲の中へと突っ込んで行く。
2025年1月16日 12:30 東京 防衛省
中国の怪しい動きが少しずつ目立ってきおり、本当なら総理も出席しての国家安全保障会議を開きたい状況だった。
だが、内閣のスキャンダルの火消しに総理が追われているため、中々時間が取れないでいたのだ。
このため、せめて制服組だけでも情勢検討会議を開いて、情勢を分析することになった。
会議には防衛大臣も出席していた。彼女自身、芸能界時代の醜聞を捏造されてマスコミに叩かれており、精神的に疲弊していたが(若い頃の親友でもあり、ライバルでもあったアイドルが自殺した件を巡り、その原因が彼女にあるとまことしやかに吹聴された)。
リモートで沖縄から参加している南西防衛集団司令の有坂陸将が報告した。
「那覇でのスクランブルの回数が急増しています。対象はほぼ中国機です。向こうはドローンの割合を増やして、こちらのスクランブル態勢に負荷をかけているように見受けられます。
また、沖縄周辺にこれまで確認していなかった、中国漁船を多数確認しています。」
海上自衛隊のスタッフが後を受ける。
「米軍のデータベースとも照合すると、これらの漁船の正体は殆どが海上民兵です。
しかもこれまで南沙諸島周辺で活動していた連中です。」
海幕長が発言する。
「米軍の「航行の自由作」戦実施が近い。これへの牽制かな?」
南シナ海で定期的に行われている、米海軍の示威行動のことだ。
情報本部長が答える。
「かもしれませんが、いよいよ侵攻作戦の準備に入った可能性も。」
「何か他に新しい情報があるのか?」
「民間でOSINT活動をしているアカウントをモニターしている班が、中国の奇妙な動向を報告してきています。
例えばかの国のSNSで以下のような投稿があった後、直ぐに削除されたとか。
彼等はそれらを削除前にスクリーンショットで保存し、SNSに投稿しています。」
OSINTとは 「オープンソースインテリジェンス」の略で、一般に入手可能な情報を利用した情報収集活動のことだ。
インターネットに流通する情報の激増に伴い、専門の情報機関ではない、民間ボランティアでもOSINT活動が可能になっている。ただし、その精度は玉石混交だ。
日本の有力なOSINT活動家は独自に危機感を強め、中国側の活動を監視しては発信しており、統幕はその情報を注視していた。
情報本部長はそれらの投稿内容モニターに出す。
・上海市内で防災訓練があり、自分は大規模救護所設置訓練に参加した。本物のモルヒネと輸血用血液が大量にあつめられていた。あんなに大量に見たのは初めてだ。(医療関係者)
・フェリーの予約が急に取り消された。高速フェリーが軒並み故障なんて信じられない。次の便の予約も出来ないらしい。春節前なのに。(上海で働くビジネスマン)
・インド国境に近い和田基地から最新鋭のJ20戦闘機が居なくなり残念。代わりに旧式のJ7戦闘機がやってきた(インド国境地帯で暮らす軍事マニア)
「上から順に解説しますと、救護所の件は、事実上の大規模野戦病院の開設準備に入った可能性があります。
言うまでもありませんが、モルヒネと輸血用血液の準備は開戦直前の重要なシグナルです。
フェリーの件は中国海軍が上陸戦用艦艇の不足を補うために、民間船を徴用した可能性があります。
インド国境からの投稿は、インド正面から1線級の機体を引き上げて、その穴を2線級の機体で穴埋めしたのかもしれません。引き抜かれた機体の行き先は、おそらく東部戦区です。」
それまで発言していなかった防衛大臣が口を開く。
「その・・・。SNSの投稿者達が語尾にいちいち「なのだ」「だお」「ござる」「だぬ」「ラジ」と付けているのは何なんです?
彼等の情報は本当に信じていい代物なのですか?」
「ええ。一種の照れ隠しみたいなものです。
彼等は深刻な話題に触れる際、わざと茶化した言い回しを好むのです。
それとアメリカの衛星情報ですが、東部戦区管内の空軍、旧海軍航空隊基地、さらには民間空港にまで拡張工事が行われているようです。」
「中国全土から集めた最新鋭の軍用機。その置き場所を作っているということですか?」
「ご明察の通りです。我々はそう判断しています。
それとこの動画をご覧下さい。中国軍の大連軍港のドックの衛星写真。そのコマ撮り動画です。
両方とも、同じ052D型駆逐艦のドック整備の様子を撮っています。
最初の動画は去年入っていた艦。次は現在入っている艦。違いが分かりますか?」
「何だか、今年の動画は去年の物に比べて、動きというものが少ないように見えますね。」
「その通りです。おそらくドック入りは米軍偵察衛星の目をごまかすための偽装で、実際には定期整備をせずに、直ぐに出航出来る体制にしていると思われます。
他の例も見てみましょう。ちなみにこの動画も民間アカウントです。」
「以前の会議で防衛研究所の室長が仰っていた、艦艇のうち3分の1をドック入りさせるローテーション。あれをいよいよ崩して、全ての船を使えるようにしてきたということですね?」
「その通りです。また、AIS(船舶自動識別装置)の情報を去年と比較すると、中国に向かうタンカーが倍増しています。
海上交通路が長期に渡って戦場になる場合に備え、石油の備蓄を始めた可能性があります。
中国がここまで偽装に努力するのは、やはり奇襲によって米軍が本格的に介入する前に、台湾を攻略したいからでしょう。」
「あなた方の分析通りですと、情勢は深刻なものになりつつあるようです。
ということは、米軍が航行の自由作戦を実施するのは危険ではないですか?」
今度は統幕長が大臣に答える。
「そうなのですが、アメリカはアメリカで現在所謂「チャイナゲート事件」の対応に追われています。
政府が混乱していることも多少関係あるかもしれませんが、軍は予定通りです。
空母「ジョージ・ワシントン」は横須賀で例年通りドックに入りました。
我々の掴んだ情報すら、じつは行動の自由作戦を中止させて、米軍を後退させるための偽情報の可能性もあります。
同様の事情は尖閣諸島にも言えます。あそこに張り付いている、海保や海自の船を安易に退避させれば、中国の公船に尖閣を抑えられかねません。」
「そうですか。ギリギリまで厳しい判断の連続ということになりそうですね。怪しいと思っているのに、私達は気づいていない振りを続けるなんて・・・。」
「全く。仰る通りです。それと、中国の上陸用艦艇の集まり具合を見ると、上海にかなりの数が集結しつつあります。
北から台湾北部に向かうつもりかもしれませんが・・。」
「行き先は台湾でなく、その手前。尖閣諸島どころではなく、沖縄かもしれない。そういうことですね?」
会議は、日米の集めた情報を収集した結果、台湾、沖縄への侵攻の可能性が高まっていると結論していた。
しかし、その時期がいつになるか、侵攻の規模がどの程度か、そもそも本当に侵攻があるのかまでは、はっきりと結論出来なかった。
それでも念のため、海自艦艇のドック入り整備、及び空自戦闘機の重整備であるIRAN整備の前倒しと、春の人事異動を最小限にすることを決めることは出来た。
あからさまに過ぎる警戒は、相手に先制予防攻撃の口実を与えかねないという問題もある。
このため、侵攻の可能性がいよいよ現実となった場合に備え、諸条件を勘案した上での南西方面への緊急展開計画の策定が、統幕運用部長に指示された。
計画そのものは以前から存在している。だが、情勢の変化を受けた上で細部を再検討し、より実践的な計画に煮詰める必要があるのだ。
同じ頃、同じ東京の真紀子の自宅では、彼女が悲壮な決意を固めていた。親子喧嘩覚悟で花にSONを辞めるように説得するため、意を決して、電話をかけようとしている。