中露首脳会談
2024年8月17日 14:00 東京
夏休みになっても花は実家に帰省しなかった。
真紀子は寂しかったが、サークル活動を頑張っているとのことだから、花のしたいようにさせている。
あれほど言ったのに、花は真紀子に相談せずにサークルとNPO活動を始めてしまった。
今年の盆は真紀子一人で両親の墓参りを済ませている。去年までは花もついて来たのに。
その頃、花は「サークル活動」としてSONのメンバーと共に沖縄本島、宮古島、与那国、石垣島、それに奄美大島を巡っていた。
環境保護活動と称して清掃活動を適当に行った後は、ドローンまで使って自衛隊や米軍の活動を撮影しては、SNSにアップする活動を繰り返す。
花の投稿内容は写真に加え、活動を紹介し、自衛隊や米軍を批判するものだった。それに対しては高評価と肯定的な書き込みが相次ぎ、彼女の承認欲求を大いに満たした。
だが、それらのSNS上の反応は中国軍情報支援部隊のサイバー戦要員や、ボットが機械的に行ったものに過ぎない。
花のSNSアカウントの盛り上がりをサークルの人間は褒め、お互いに競い合った。
彼女はこうして活動にのめり込んでいく。
ちなみに大学前期の成績は熱心に取り組んだ中国語のみがA評価で、他の教科は落第ギリギリだった。
真紀子には「大学の勉強もテストも難しい」と言い訳をしていたが、花は久米の「日本もアメリカもユーロも落ち目。これからは中国の時代。
だから、中国語だけ勉強しておけば良い。日本の大学の勉強なんて無駄。日本の企業に就職するのも無駄。
中国の企業に就職するか、ウチにそのまま就職した方が将来性は遥かにある」
などという言葉を本気で信じてしまっていたのだ。
サークル関係者以外の人間が聞いたら、極端な考え方に反論しただろう。
だが、花の交友関係は既に偏りすぎており、まっとうな考えに触れるチャンスがそもそもなく、もしそのような意見に触れたとしても活動にのめりこみつつあった彼女は、耳を貸さなかったかもしれなかった。
真紀子は娘の変化に気付いていない。
貴重な連休を墓参りに使い、東京に帰った真紀子は、両親も花も居ない夏に言いようの無い孤独を感じた。
この寂しさには両親を失った時と同じく「日にち薬」が効くのを待つしか無いようだ。
ため息をついた真紀子は、どうせすぐに消すと思いつつ、テレビをつける。
中国国家主席のロシア、北朝鮮歴訪のニュースが流れていた。
2024年8月21日 11:00 モスクワ
中国は「長征計画」の一環として、友好国からできるだけ協力を取り付けることを計画している。主に経済援助を見返りに、侵攻開始後に西側に同調しないことや、侵攻前に西側を引き付ける陽動を行うことを期待していた。
中でも、ロシアと北朝鮮に対しては軍事的オプションの行使を望んでいた。
これには事が事だけに、トップ同士の直接会談が必要だった。
表向き経済協力を深めることが諸国歴訪の目的だったが、真意を多数の国々に打ち明けるわけにもいかない。
よって長征計画発動半年前の外交としては、実質的にロシアと北朝鮮のみが対象となった。
この2か国ならば、米国に交渉内容の機密部分を漏らす心配は無いはずだった。
国家主席とその一行は、最初の歴訪先としてロシアを選んだ。
西側はその様子を緊張して観察していた。ウクライナとの和平を促すか?逆にとうとうロシアへの公然たる軍事援助を解禁するのか?
最近はウクライナの戦況で苦境に陥ったロシア側が、中国へ出向く形が多かっただけに、中国側の方から出向くことになったのは諸国歴訪の一環とはいえ珍しくはあった。それだけに西側の注意を喚起するには十分だったのだ。
2022年2月24日にロシアが行ったウクライナ侵略は、当初ロシアの圧倒的優勢で推移し、欧米が何か手を打つ暇も無く首都キーウを占領、ウクライナを一挙に崩壊させるかに思われた。
だが、ウクライナの伝説的な抵抗と、遅ればせながら始まった西側諸国の軍事援助により戦局は逆転。さらにウクライナの奮闘に触発された各国が援助を拡大したことで、ロシア不利のまま推移している。
そんな情勢を受けて、中国国家主席はロシアとの会談を楽しむようになっていた。
会談の席につくロシア大統領を始めとしたロシア首脳は、相変わらず傲岸不遜な態度を装ってはいるが、それが虚勢に過ぎないことが国家主席には分かっている。
今や偉大なロシアの力の源泉たる軍事力は、ウクライナの大地を巨大な墓場としつつあった。
ロシアの威信は地に落ち、周辺国は見限り、国内ですら分離独立の動きがある。
長年、共産主義の教師、反欧米勢力のリーダーを気取り、中国を散々格下扱いしてきたソ連・ロシアがいまやこの有様だ。国家主席は努力して笑いを堪える。
戦局が不利になるたびロシアは代表を派遣し、時には大統領自ら出向いて中国側に交渉を求めてきた。
ロシア側の要求の最たるものはJ20ステルス戦闘機を始めとした、中国製最新兵器や弾薬の提供だ。
かつて恩着せがましくSU27・35戦闘機の輸出を中国への輸出を許可し、中国がSU27戦闘機の違法コピーである、J11B戦闘機を作りあげた時には激怒していたロシアが、今や中国製戦闘機を求めているのだ。いまや両国の力関係は完全に逆転し、中国優位となった証だった。
その一点だけでも国家主席に愉悦をもたらした。
まだアメリカとの関係を悪化させるわけにはいかなかった時期は、鹵獲の恐れもありJ20の輸出は論外だった。
他の中国製兵器、弾薬、電子部品その他も同様だ。
毎回、会談にやってくる大統領以下のロシア側が、内心焦りに焦っていることが国家主席には手に取るように分かっている。
お互いにこやかに会談を進めながら、国家主席はロシアをやんわりと弄って楽しんでいた。
やりすぎない程度にしておき、ロシアが求めるものはほぼ与えず、国連でのロシア関連の議決で反対や棄権に回るだけで、見返りに莫大な量のロシア産天然資源を買い叩いてきたのだ。
だが、それも前回までだ。今回はお互いに協力しなければならなかった。
今、ロシアにウクライナで完全敗北されるわけにはいかない。
ロシアにはプライド相応に米軍を引き付けてもらう必要があるのだ。
それにロシアはウクライナで国家主席に貴重な教訓をいくつかもたらしていた。
要約するなら、それは以下の項目となる。
・人民は数万の戦死者が出たとしても、党への忠誠を維持するだろう。
・出来の悪いプロパガンダやフェイクニュースでも、開戦理由としては国内への説明に十分である。
・反対派は弾圧と言論統制で封じ込めることが出来る。台湾を奪回し、日米に鉄槌を下して沖縄の島々を占領できれば、人民は犠牲を忘れて熱狂するだろう。
・国連は安全保障理事会の常任理事国である我が国に、ほぼ何も出来ない。
・国際社会は核を持つ我が国には、西側による経済制裁以上のことはしてこない。我が国は耐え抜くことが出来る。
・国際社会は西側に同調する国々ばかりではない。
・上記により、最悪戦場で敗北したとしても政権の維持は難しくない。
つまり、ロシア大統領は勝利できないにもかかわらず、戦争を口実に確実に権力を強化し、大統領の座に居座り続けることに成功していた。
この点が国家主席にとっては、何よりも重要な教訓となっている。
だが、同時に余計なことをしてくれたとも思う。
世界は国家間の総力戦が過去のものではないことを痛感した。そして日米台、西側諸国の中国に対する警戒感を明らかに呼び起こしたからだ。
特に日本は冷戦終結以降、低く維持していた軍事費の拡大へと転じ、戦略そのものを転換した。それまでの日本とは別の国になったかのようだ。
西側は、ロシアのウクライナ侵攻が成功した場合、我が国が台湾の奪還を行うのではないかという懸念を一気に深め、台湾の警戒も一層強まった。
欧州も中国との関係強化を再考しだした。ドイツのように、前のめりに経済を中国に依存し過ぎた国もあるので、その動きの程度に幅はあるが。
それでもロシアと関係が深いというだけで、世界規模の経済活動に影響が生じ、悲願であった一路一帯の大きな阻害材料となってしまった。
だが、大きな問題では無い。欧州や米国、日本を嫌う国、恨んでいる国は世界中に存在する。
彼等との関係を構築すれば良いだけのことだ。
中国の偉大な未来が約束されたものであることに変わりは無い。
ロシア大統領は前回会った時よりも老け込み、生気が無いように見受けられた。
型通りの挨拶のあと、国家主席は開口一番に彼に特大の嫌味を言い放った。
「大統領、ウクライナの戦況はいかがですか?」
ウクライナの戦況は、ロシアにとって苦戦どころの話では無いのは会議の出席者全員が知っている。
大統領は無表情に受け流して答える。
「わが軍の将兵はウクライナのナチスと、手助けする西側の陰謀により犠牲を出し続けていますが、我々の正義にはいささかの揺らぎもありません。」
大統領の返事を聞いてから、国家主席は頷いて言葉を続ける。
「お察しします。貴国の国民は長く続く特別軍事作戦の犠牲に、心を乱されているご様子。しかし・・・。」
「犠牲が大きければ大きい程、勝利は偉大な歴史となるものです。無論、その時々には人民、国民の間に大きな悲しみを生むでしょう。
しかし、100年もたてば悲しみは消え去ります。
後には勝利と、それをもたらした偉大な指導者の記憶とが民族に残され、刻まれます。
これは悲劇なのでは無く、財産です。貴国の大祖国解放戦争が良い例でしょう。
あの戦争では2600万もの犠牲が出ましたが、今そのことを悲しむ者はおらず、偉大な勝利として記憶されるのみです。
大統領。あなたはそれを理解しておられます。
だから犠牲を嘆く声に惑わされることなく、断固として勝利を追求することが出来るのではありませんか?」
「そこまでご理解頂いていたとは、光栄ですな。」
「私も同じように理解しているつもりです。軟弱な西側の政治体制であれば兵士の犠牲を理由に、いとも簡単に政権が倒れますが、我々はそうではありません。
我々に課された歴史的使命を果たすためなら、いかなる犠牲もためらいません。
西側の人間はそこに脅威を感じています。
だから事ある毎に「人道問題」とやらを持ち出しては、我々に西側と同質の弱点を持たせようと企むのです。
自分達が過去に我が国や貴国にしてきた仕打ちを、無かったことのようにしてです。
そもそも我々は彼等に過去の歴史において、奪われた物を取り返しているにすぎません。それがどうして非難の対象とされるのでしょうか?」
「まったくです。主席閣下。全く同感です。」
信じがたいことに、現在侵略を行い、これから行おうとしている二人は、あくまで自分達は「被害者」であると信じていた。
国家主席と大統領は視線を合わす。国家主席は大統領の目に、かつてのような冷たい光が戻っているのを確認した。
「これから話すことは、他言無用に願います。」
大統領は相変わらず表情を変えない。
「我々は、あなた方の勇気。西側の誤った価値観に毒されたウクライナの同胞を救うという歴史的使命感に倣おうと、遅ればせながら決意しました。」
「それでは?」
「我々は、数か月以内に台湾と日本に武力侵攻を行います。
これにより台湾を取り戻し、沖縄の独立を手助けします。
我々はいかなる犠牲を払ってもこれを断行し、邪魔だてする日米の軍事力に致命的な打撃を加えます。
これにより、アメリカの世界戦略は根本から崩壊するでしょう。」
国家主席は少し言葉を切る。
ロシア側出席者に驚愕と期待を含んだざわめきが広がっていた。
お互いに顔を見合わせる者達もいる。
大統領だけは国家主席をまっすぐに見つめていた。表情が変化している。面白くなってきたようだ。
「主席閣下。今、沖縄の独立とおっしゃいましたが、そのような動きがあるのですか?」
「もちろんです。我が国は米帝の暴虐に長年虐げられた沖縄の人々に、密かに真実を伝えております。
そして彼等は独立という当然の権利を行使しようとしています。
西側はウクライナの主権と領土の一体性とやらを口にしますが、同じように沖縄が独自の主権を主張し、独立を訴えた時同じ反応を示せるか、今から楽しみですな。
成功の暁には、アメリカは大打撃を受けて、ウクライナのナチスを見捨てるしか無くなるでしょう。
そして我々はその後で満を持して、貴国に大規模な軍事援助を行います。
いかがでしょう?この会議の後、直ちに我が国が戦闘機と戦車を提供するよりも、はるかに貴国をお助け出来ると考えますが?」
「素晴らしい。主席閣下の勇気あるご決断に敬意を表します。・・・。それで、我々にも何かお手伝いする必要があるのでは無いですか?」
「相変わらず、大統領閣下はご理解が早い。ここからは具体的な実務の話となるでしょう。お互いの軍事当局者を同席させてはいかがでしょうか?」
「同意します。」
両国の軍人達の出席を待つ間。両者は雑談を交わした。話が日本に及ぶと、ロシア側は嘲るような表情を示した。
彼等にしてみれば、過去の大戦で核兵器まで使用されながら、領土内に米軍の駐留を許している日本人は理解しがたいほどの腰抜けだった。
何故アメリカに対して復讐戦を挑まないのか、本当にロシア人には理解できない部分があるのだ。
現実にウクライナを西側から「奪い返そう」としているロシア人にとっては、日本もかならずや北方領土を奪い返しに来るのが当たり前だった。
それが無いのは、ロシア人から見れば、日本人が平和を欲しているのではなく単純に腰抜けだから、ということになるのだ。
だいたいロシア人からしたら、米軍の駐留を許している日本はまっとうな国ではない。
彼等の世界観によれば、核を含めた強大な軍事力を持ち、外国軍の駐留を許さない国だけが真の大国だ。
そして大国のやることに、そうでない国は逆らってはならない。
対等の立場での北方領土交渉など、あり得ないことだったのだ。
同様に、小国にすぎぬウクライナが大国に抵抗するなど、あってはならない。
この価値観故に、ウクライナ侵攻が大苦戦だというのに、ロシア国民は熱狂的に大統領を支持していた。
大多数の日本人には理解しにくい思考ではある。
両国の高級将校を交え、具体的な中露の連携の手順の打ち合わせが行われた。
決定項目は以下の通りだった。
・中国はこの会談後、直ちにロシアに北朝鮮を経由して弾薬を提供する。
・ロシアはウクライナで現状を死守し、中国の侵攻開始1か月前に無理にでも反撃を行い、西側の援助と注意を引き出す。
・その上でフィンランド国境とムルマンスクに兵力を集めて演習を行う。2022年に演習から侵攻に移行した前例から、西側はフィンランドへの侵攻を警戒せざるを得ない。勿論、実際には侵攻は行わない。上記と併せることによりできるだけ米軍の海軍と空軍の戦力を誘引する。
・中国の軍事行動が秒読みに入った段階で、極東ロシア軍も大規模に陽動を行い、日本軍を引き付ける。あまり早期に行うと、米軍の警戒と増援を呼ぶので実施時期はあくまで直前とする。
表向き中露首脳会談では、さほど目立った成果は上がらなかったことになった。