国家安全保障会議
2024年4月5日 14:00 東京
国会期間でもあり、臨時での開催であったため会議は日曜日に行われた。
国家安全保障会議の開催は久しぶりだ。表向きは北朝鮮の弾道弾発射事案を受けての開催とされている。
会議のメンバーは、前回の開催から総務大臣が入れ替わっていた。
総務省は有事の際に、自治体と連携して国民保護に大きな責任を負うことになる。
消防庁も、通信も、緊急事態を国民に告げるJアラートも総務省の管轄だった。
おまけに有事となれば、大規模災害と異なり自衛隊は戦闘そのものに追われて、直接的な国民保護活動に携わることは期待できない。
つまり有事の場合、国民保護活動の重責は総務省にかかっている。
今回の会議には常任メンバーに加え、法務大臣も加わっていた。
早急に有事法制の詰めを行う必要があるため、現状の議論を共有するため臨時で出席することになったのだ。
そのため会議の常任メンバーには常識の話も、これが初参加になる法務大臣と総務大臣に対しては、改めてイチからの説明が行われがちとなる。
だが、これまでの議論の過程を共有するためには、どうしても必要なことだった。
過去の会議での議論の経過は、各大臣の引継ぎ資料に含まれているのだが、膨大な資料に埋もれているかもしれない。
つまるところ、二人がどこまで過去の議論を理解しているかは不明であり、いわば理解度確認テストも兼ねて、これまでの議論の流れの要点が説明された。
その役目はオブザーバーとして参加している防衛研究所の防衛政策研究室長が担当した。
彼はこれまでも国家安全保障会議や有識者会議に呼ばれて概略の説明を行うことがあった。ちなみ彼は政治学の博士でもある。
自衛隊トップの統幕長も参加しているが、会議への参加してきた経歴の長さだと室長の方がより長く、これまでの議論の流れを熟知しており、説明にはより適任だった。
その後で、今回の契機となった情報についての説明が外務大臣から行われた。
「今回の米側からの情報につきましては、彼等自身も確信を持っているわけではありません。念のために万が一に備えておけ、というレベル以上のものではありません。今まで同様に杞憂に終わる可能性もあります。」
法務大臣が疑問を口にする。
「この忙しいのに、それでも会議を開いたということは、今までとは違う何かがあるということかね?」
今度は室長が答える。
「はい、中国にとって政治的、戦略的な条件は今の時点がピークで、これ以降は悪化の一途と言えるからです。
かつて我が国が、常識的には勝利の見込みの無い対米戦に突入したのは、1941年の冬に開戦しなければ、それ以降ではより不利になってしまうという判断がありました。
中国が同じ思考をしないとは限りません。」
「とはいうものの、中国はロシアほど野蛮ではないぞ。もっと利口で老獪だ。
ロシアも米国もここ数十年の間、幾度も安易な軍事行動を繰り返しては軍事力と国力を棄損してきた。だが、中国はかなり昔のベトナム侵攻や、朝鮮戦争への介入のような例外を除けば実力行使には慎重だ。やるとしても米国の介入の心配が無いような、チベット、ウイグルに限られて来た。
彼等の今までのやり方なら、新たな係争地やグレーゾーンを設定して、段階的に米国が諦めるように仕向けるのではないかね?かつて尖閣を係争地化して、白樺ガス田を我が国に諦めさせたように。
今回も台湾や沖縄を係争地にして、尖閣あたりを諦めさせるのが狙いでは?いきなり米国や我が国と戦争をするものだろうか?
それに、台湾有事ともなれば我が国の海上交通は大混乱。
中国の在留邦人は抑留されて人質にされかねないし、企業の資産も差し押さえられるだろう。
しかし、それは中国にとっても同じことだ。
特に海上交通の混乱は中国経済にとっても致命的だ。国際的な立場も悪くなる。
相互経済安全保障を崩壊させてまで、中国は賭けに出るとは考えにくい。私にはね。」
法務大臣と総務大臣は、保守政党とされる与党内でもリベラルとされる人物でもあった。
2人はどちらかと言えば、防衛に賭ける努力と予算を、医療、介護、福祉、それに教育に振り向けるべきだと考えている。
保守政党でありながら、党内にリベラルな人間が存在するのが「キャッチ・オール・パーティ」と外国の研究者から呼ばれる、現与党の特徴だった。
「仰ることは分かります。中国はこれまで南シナ海で現状を変えようとする場合でも、海洋警察や民兵組織を使い、米軍と正面衝突するような事態は慎重に避けて来ました。
ですが、中国は事実上の独裁国家です。我々の常識は通用しません。
それまで合理的、狡猾に立ち回っていた国の指導者が、非合理極まりない大規模な軍事行動を起こした現実を、我々は直近のロシアに見ています。
それに戦場で2年勝てていなくてもロシアの政権は揺らぐことなく、むしろ戦争を理由に国内の統制と独裁を強化しています。支持率に至っては、むしろ上昇しています。
「戦争」というものを徹底的に忌避する教育を受けてきた、戦後生まれの我々日本人には理解しがたいことですが。
しかし、中国の中枢に居る人間にとっては安心できる『実績』です。」
「それは分かった。だが、アメリカからの情報以外で具体的な兆候はあるのかね?」
「今のところはまだ。私の友人でもある軍事評論家が暗殺された可能性がある以外は。」
それまで黙っていた総務大臣が疑問を口にした。
「軍人や政治家ではなく、民間人を暗殺ですって?何故ですか?」
総務大臣は前総務大臣が汚職疑惑で辞任した後、総理の抜擢で入閣した人物だ。
若い頃は女性アイドルグループで活動しており、室長もテレビで良く目にしていた。
彼女は結婚し、子供が出来てからも芸能界を引退していない。夫のお笑い芸人が、今でこそ売れているが、当時は全く売れていなかったからだ。子持ちの元アイドルの方が、まだ需要があった(彼女の異例なまでの人気のおかげでもあった)。
その後、夫が売れ出すと引退している。
芸能界での働きながらの子育てに苦労した経験から、若い世代への子育て支援拡充を訴えて、比例代表の与党アイドル枠で出馬し初当選。以来順調に、いや、意外な程出世していた。
ただ、総理の人事そのものは、露骨な人気取りとして評価されていない。
「中国軍はハイブリッド戦を重視しております。その一環と考えられます。」
「不勉強で済みませんが、私はハイブリッド戦の定義が良く分かっていないのです。この場でご説明頂くことは可能でしょうか?」
「もちろんです。そうですね。乱暴な要約になりますが、ご説明しても?」
「お願いします。どのみち我々には、全てを正確に理解するだけの時間は無いのです。大筋が理解できれば良いと思います。
総理に至っては、極端な話、私も含めた全ての大臣の仕事内容を理解される必要がありますが、その全てに専門性を持つなど到底不可能です。
防衛は極めて重要な問題です。しかし、数ある国家の難題の一つにすぎません。そのために、あなたのような専門家を呼んでもいるのです。」
「ありがとうございます。では、我が国の戦国時代を思い浮かべて下さい。
有力な戦国武将は、配下に忍者、忍び、乱波と呼ばれる集団を活用し、可能な限り相手を混乱させてから本格侵攻に移っています。
当時の彼等の任務は戦場におけるもの以外にも、敵国へ進入しての情報収集や破壊活動、暗殺や有力武将の寝返りの誘発というものがありました。
これらは現代の特殊部隊やスパイ活動として行われている部分でもあります。
これに加えて流言飛語を流して、敵の領内の民心を混乱させたり、敵の領主に疑心暗鬼をおこさせて有力武将を無実の罪で殺害させる、等の行為があります。
現代のハイブリッド戦とは、この種の作戦が情報通信技術の発展によりインターネットを始めとした、サイバー空間に舞台が広がったもの、とお考え下さい。」
「なるほど、例えば中国が自国に有利なフェイクニュースを流す、という行為もハイブリッド戦だということですね?」
「仰る通りです。我が国において中国とは戦争にならない、戦っても勝てない、中国の戦争には正当性があるから抵抗してはいけない。あるいは、アメリカは台湾有事に本気で介入などしない。アメリカの戦争に巻き込まれないよう、日本はアジアのスイスを目指すべき。はたまた、中国の強権的な独裁体制を単に「多様な価値観」と言い切ったり。
このように、中国に都合の良い言説をインターネットで広く流布させることで、中国に有利な状況を作り出しておいて、理想を言えば戦わずして台湾と沖縄あたりを手に入れる。ということになります。我々のような人間には直ぐに看破できるような代物でも、困ったことに、本気で信じてしまう人々は意外に多いものです。
まあ、簡単に言ってしまえば「世論工作」ですね。
あちらは民主主義を「世論工作」の影響を受けやすい、脆弱な政治体制としか思ってないのではないでしょうか?」
「それは分かりましたが、今回の件とのつながりは?」
「総理には先日ご説明がされておりますが、暗殺された2名は、インターネットの界隈で中国寄りの言説を丁寧に否定しては、正確な情報を流していました。
彼等が暗殺されたことがきっかけとなり、インターネットの言論は委縮し、中国寄りの言説が否定されることもなく、放置される事態になりつつあります。
そして、これが本当に暗殺だった場合、あきらかに一線を越えたと言えるでしょう。何かの期限が迫っているため、手段を選んでいられなくなったかのような。」
今度は法務大臣が口を挟む。
「それが本当だとして、他の兆候は見つかっているのかね?台湾に中国が侵攻するとしても、その兆候は米軍が偵察衛星とかで掴むのだろう?だいいち台湾進攻があるとして、『我が国が巻き込まれる』とは限らんじゃないか?」
(そこからかよ・・・・。今まで何聞いてやがった?)
彼は天を仰ぎたくなるのを我慢した。
「失礼。少し整理するのに時間を頂きます。」
「かまわんよ。」
少し時間をもらって説明の手順を考え、ノートパソコンを取り出して過去に使用したプレゼン資料のファイルを探す。
一連の会話の流れで室長は総務大臣への認識を改めていた。
彼女は噂でも聞く通り、決してタレント出身議員という偏見だけで、判断して良い人物ではなさそうだった。丁寧な説明をする価値はあるだろう。
彼女は若い時は1日に4時間しか眠らずに活動していたというから、馬力は今でも大したものだった。
競争の激烈な芸能界を生き残ってきただけあり、同じく激烈な政界での生き残り方を肌感覚で理解している所もある。
地頭も良い。
その一方で芸能界時代の経験が応用できる場合と、そうでない場合の区別はきちんと出来る。
上の人間から可愛がられる方法については言うまでも無く知り尽くしていた。
それだけなら人気取りが上手いだけの日和見主義者になりかねないが、彼女には芯をぶらさない所があり、アイドル時代から目先の利益に捕らわれて人を裏切るようなことはしない。
芸能界時代も現場スタッフの評判が良かったから、同じように官僚達も雑に扱わず、丁寧に接している。
中年になっても華やかな空気をまとっていることもあり、総務省部内では既に大変な人気で、前任者と比べても省内の空気が見違える程良くなったらしい。
省内では「ママ」「母さん」とまで呼ばれているらしかった。
特に女性官僚達との信頼関係を瞬く間に作り上げてしまったらしい。
室長は思った。
(案外、彼女だったら、自分のような知識が無くても防衛大臣が出来るかもな。)
2024年4月5日 14:20 那覇郊外
朝9時集合で10時からはじまった浜辺の清掃作業は、昼を挟んで午後2時に終了していた。
花は正直、拍子抜けしている。
もっと大変な作業を想像していたからだ。
(え?これで一万五千円?
5時間拘束だから、時給3千円ってこと?すごっ。)
最後に集めたゴミ袋をまとめて、リースしたトラック数台に積み込んで終了だった。
参加者全員に、スポーツドリンクと謝礼金1万5千円が手渡される。
澤崎が話しかけてきた。
「八木さんお疲れ様。ずいぶん頑張ってたけど、疲れてない?」
「いえ!大丈夫!へっちゃらです!私、行動力と体力には割と自信があるんです!」
「それは頼もしいね。実はこの後、主催者のNPO団体の事務所で打ち上げ会やるんだけど、どう?八木さんはメンバーじゃなくて、一般参加だけど、頑張ってくれたからおいでよ!もちろん僕らのオゴリさ!」
「え、いいんですか?」
「もちろん!」
そこまではにこやかにしていた澤崎だったが、近くの看板の張り紙を見ると、表情が急に硬くなった。
「どうしたんですか?」
「いや、なんでもないよ。ちょっと汗かきすぎてから車に乗ってエアコンかけたから、冷えたかな・・。」
「あー。やっぱり沖縄は暑いですよね。」
花は澤崎が見ていたものに、なんとなく視線を向ける。
ありふれた地域の広報が張り出された看板だった。
彼女には特に気になるようなものはなかった。
だが、澤崎にはあった。
看板の張り紙、その中の1枚。
数年前に行方不明になった認知症高齢者の捜索願いがあった。
澤崎は彼がどうなったかを誰よりも知っていた。生きて見つかることは決してないのだ。
他ならぬ澤崎が深夜に飲酒運転をしていた時に、彼を轢き殺していたからだった。
全ては李の前任者が配下と共に行ったことだった。
中国側に目をつけられていた澤崎は、4年前のある日、仲良くなった中国人留学生数人と夜遅くまで酒を飲み、言葉巧みに女子留学生を下宿まで送ってくれと、飲酒運転をするように挑発された。
そして、近所の老人施設から拉致された老人を轢いたのだった。
彼は認知症とは関係なく、気絶した状態で路上に放置されていた。
酒を飲んでいた澤崎は路上に横たわる物体に気付いたが、避けることは出来なかった。
激しい衝撃に車を止めた澤崎は車から降りた。
その時、助手席の女が「大変!あなた人轢いたわよ!」と叫んだ。
そんな馬鹿なと思って駆け付けるが、本当に人だった。しかも一目で手遅れと分かる。
119番か110番通報をしようとしたが、自分が飲酒運転であることを思い出し、スマホを取り出す手が震えたまま止まる。
その場で凍り付いたように澤崎が立っていると、店で別れたはずの留学生の友人がどこからともなく知らない人間を数人伴って現れた。一人はわざとらしく現場の動画撮影をしている。
カタコトの日本語をしゃべる頼り無い中国人留学生のはずの彼は、別人のように冷徹な態度と、完璧な日本語を操っていた。
「澤崎君、大変なことをしちゃったね?このままだと、君とお母さんの人生はお先真っ暗だ。気の毒に。母子家庭で一生懸命生きてきたのに。でも人殺しちゃったから仕方ないかな?私は君と一緒に酒飲んでる動画撮ってるし、危険運転致死罪は確定だよね。」
酒と恐怖で澤崎はまともな判断が出来る状態ではなかった。
「でも、君次第で、この事故。無かったことに出来るよ?代わりに我々に少しだけ協力してくれるだけでいいんだ。どうする?悪い話じゃないだろ?急いで決めないと、他の目撃者できちゃうかもよ?」
「本当に助けてくれるのか!頼む!助けてくれ!」
澤崎は思わず、彼にすがりついていた。
「いいだろう。だが、忘れるな。助けてやるのは、君が我々に協力を続ける限りだ。それができなければ我々は警察に通報するだけのことだ。」
そして遺体は隠蔽され、高齢者の施設脱走からの行方不明騒ぎは大したニュースにもならなかった。
以来、澤崎は中国の手先となって大学内にサークルを立ち上げ、わざと留年を続けて活動を続けていた。
サークルは環境保護活動を謳っていたが、本当の目的は、中国の息がかかった沖縄県内のNGOや一般社団法人に、学生をリクルートして無自覚な工作員に仕立てあげ、将来の沖縄独立運動工作の準備に協力することだった。
以来、実家とは殆ど音信不通になっている。
勿論、澤崎を罠にはめた留学生は中国戦略支援部隊の人間だった。彼等は既に交替で帰国しており、今の主な担当者が李だった。
不幸だったのは、訳の分からないまま就寝中に施設から拉致されて殺された男性高齢者と、その妻だった。
彼女には厳重に離設防止がされていたはずの施設から、防犯カメラにも映らずに、夫が行方不明になるなど信じられなかった。いくら施設にクレームを入れても施設にもどうすることも出来なかった。
彼等には施設の防犯カメラが中国の諜報組織にハッキングされていたなど、とても想像できるような話ではなかったのだ。
警察の捜査でも夫は見つからず、何故か殆どニュースにもならなかった。
途方にくれた彼女に出来ることは、自治会に頼んで捜索願いを張り出すのを続けることくらいしかなかった。夫婦には子も、親戚も殆どおらず、取れる行動は限られていたのだ。無論、中国側はそこまで考慮してターゲットを選定していた。
2024年4月5日 14:35 東京
説明が再開されていた。
「そもそも、中国が台湾に侵攻する場合、アメリカは決してこれを容認しません。
軍事介入はハッキリと明言はしていないように見えるかもしれませんが、アメリカは中国が力による現状変更を行い、成功例を作ることを認めないでしょう。
それだけでなく中国の台湾侵攻が成功することは、アメリカが主導してきた国際秩序が決定的に崩壊することを意味します。
つまり、中国が侵攻を決断した段階で、米中の軍事衝突は避けられません。
そして、米軍との対決を中国が決断したということは、中国はさらに我が国までも攻撃することに躊躇いは無いでしょう。」
外務大臣が何度も頷いているのを横目で見ながら、室長は続けた。
「そこで何故、我が国が巻き込まれねばならないのか?
ひとつには、日本が米軍の拠点になっているからです。
そして純粋な中国側の都合です。
すなわち、沖縄県の与那国島、石垣島、宮古島で構成される先島諸島の位置が、台湾包囲を図る中国側にとって非常に魅力的だからです。
まず、前者から説明します。
台湾を支援する米軍の軍事的資産の大半は日本に存在します。そしてこれを自衛隊が防御する形となっており、中国は自衛隊もろとも在日米軍とその施設を叩き潰さないことには、台湾侵攻を成功させることが出来ないのです。
後者の説明には侵攻の具体例を示しながら説明します。
侵攻の形には様々なケースが想定されますが、シンプルに中国にとっての、いわゆる勝利の方程式とでも言うべきパターンをご説明します。
まず具体的な作戦の前段階として、国際政治の環境を出来るだけ中国に有利になるようにします。同時に認知戦を行い、人々の認知を歪めることにより、我が国内外の世論も中国支持になるように努力します。
そこから演習名目で人民解放軍を大規模に動員します。
本格的な武力攻撃の前に、中国側はおそらくサイバー戦と共に、電波妨害や、我が方の衛星を含めた通信ネットワークの破壊をしかけてくるでしょう。
衛星による情報収集、通信、GPSの使用が日本全土で不可能か、困難になると予想されます。民間に大規模な混乱が予想されますが、同時に自衛隊と米軍の状況把握にも致命的な混乱を招きかねない状態です。
なにしろ、突然目が見えなくなり、耳が聞こえなくなった状態で殴りかかられるのに等しいのです。
ここから武力行使の第一段階です。中国軍は2千発以上の弾道弾、巡航ミサイルによって先制攻撃を行います。目標は台湾と日本に存在する、航空基地が主となります。
現代の戦いにおいては、軍用機を自勢力は自由に使えるのに、相手は全く使えないという状況が理想的です。
この状況を「航空優勢」と呼びます。
こうなると、その後の戦いは一方的なものになります。序盤で決着がついたも同然です。あとは消化試合と言えるほどです。
航空優勢の獲得にはそれだけの価値があり、過去の戦争で米軍が圧勝を続けることが出来たのは、常に航空優勢を確保してきたからです。
当然、中国も航空優勢を何が何でも獲得しようとします。
そのために中国軍は日米台の強力な航空戦力を弾道ミサイルの集中攻撃によって、自軍の航空戦力を温存したまま、基地もろとも壊滅させることを狙います。
航空機による爆撃も出来ますが、最初から行う場合は日米台の強力な防空組織で大損害を出します。
そこで、迎撃されにくいミサイル攻撃を最初に行うというわけです。
特に嘉手納、那覇にある日米の基地は直接中国側の行動を妨害できるため、集中攻撃を受けて徹底的に破壊されるでしょう。」
そこへ法務大臣が口を挟んできた。
「待ってくれ。弾道ミサイルに対しては、イージス艦とかパトリオットとか、弾道ミサイルを迎撃する仕組みがあるんじゃなかったのか?かなりの予算を使ってきたのに防げないのかね?」
宇宙空間を超高速で飛んでくる弾道ミサイルを迎撃するのには、極めて高い技術と予算が必要とされる。
イージス艦とはアメリカが開発した「イージス武器システム」と呼ばれる、高度に自動化された戦闘システムを持つ軍艦のことだ。
並みの軍艦の倍近いコストがかかる。
パトリオットも地対空ミサイルの中では最高級品だ。
双方とも、高いポテンシャル故に弾道弾迎撃機能を追加されていた。
日本は長年に渡って莫大な予算をかけ、コツコツと手持ちのイージス艦8隻と、パトリオットのユニット24基に弾道ミサイル防衛(BMD)機能を追加している。
元から大変高価なこれらの装備に、さらなる「追い予算」をかけてきたのだ。法務大臣はこのことを言っていた。
「仰る通りです。しかし、我が国の弾道ミサイル防衛は、北朝鮮による弾道ミサイル攻撃を想定した仕組みなのです。
中国の弾道ミサイルは北より遥かに数が多く、残念ながら防ぎきれないと予想されます。
さらに迎撃ミサイルは予算不足で、実は定数不足の状態です。おまけに迎撃困難な極超音速ミサイルまで中国は保有しています。
続いて第2段階です。
ここからは所謂空襲です。中国軍は可能な限りの航空機を投入し、弾道弾攻撃をかけた航空基地に追い打ちをかけ、生き残った戦力を潰しにかかります。
同時に、我が方の対空ミサイル、対艦ミサイルを破壊することにより、爆撃をより円滑なものにし、我が方の反撃する力を奪います。
さらに、指揮通信、輸送能力にも爆撃を加え、軍事的なインフラを破壊します。
次の段階で、中国軍は、海軍と空軍を用い、台湾を包囲して海上封鎖します。
これにより、台湾の経済を崩壊に追い込みます。同時に米軍の反撃を阻止すると共に、台湾の東海岸に退避した台湾軍残存戦力を叩きます。
問題はここです。ここから、本題である後者の説明に入ります。
台湾を包囲する場合、沖縄の先島諸島を占領することが出来れば、中国軍は台湾の背後に包囲の地上拠点が出来て非常に助かります。
例えば対空ミサイルと対艦ミサイル部隊を配置するだけでも、日本を起点とする米軍の作戦を効果的に妨害できます。
仮に宮古島の下地島空港を占領することができれば、中国側の航空機の有力な拠点として機能するので、さらに効果的になるでしょう。
先ほども述べたように極端な話、先島諸島が中国に狙われる理由は「そこにあるから」なのです。
逆に先島諸島を占領しなければ、台湾の封鎖に穴が出来かねず、中国は安心できません。
彼等から見れば台湾を包囲した艦隊が、先島諸島の自衛隊や米軍からの対艦ミサイル攻撃を受けたり、状況を常に偵察されるというリスクをずっと背負うことになりますから。
さらに、先島諸島を戦場にしてしまえば日米はこちらに戦力を割かざるを得ず、台湾の支援が効果的に行えなくなります。
中国としては台湾侵攻に手出しされなければ、必ずしも先島諸島占領に拘る必要はありません。
ですが、そのためには先島諸島を確実に「戦場」にしてしまうことが必要になります。
上陸作戦が行われるのは最終段階です。事態がここまで推移すると、日米台にはもはや打つ手はありません。台湾の占領は時間の問題となります。
台湾占領後は、今度は台湾を確保する目的で周辺地域が次の戦場になります。
それが、沖縄になるか、フィリピンになるかは分かりません
ですが、台湾占領で話が終わることは無く、中国の目論見を阻止できなければ、遅かれ早かれ沖縄は深刻な脅威にさらされることになります。
この場合、中国としては最低でも与那国島を確保し、島そのものを南沙諸島で行ったように丸ごと中国軍の基地にしてしまうことで、台湾防衛と沖縄本島攻略の重要拠点とすることが出来ます。
それ故に、台湾と同時に先島諸島を占領できるのなら、中国としては当然、そこを狙ってくるわけです。
ああ、もう一つ大事な理由を忘れていました。
現在も続いているウクライナ戦争で有名になった兵器の一つに、米軍の高機動ロケット砲システム「ハイマース」があります。
こちらはニュースでご存知かと思います。
このハイマースのロケット弾ですが、ポピュラーな弾頭の射程は90キロです。発射後に翼を展開させて、グライダーのように滑空させるタイプの場合は130キロに延びます。
ウクライナ軍がクリミア大橋の完全破壊に使用した、ATACMSと呼ばれる長距離版になりますと、300キロ。来年配備予定の新型弾頭PRSMですと500キロまで射程が伸びます。
これを先島諸島に配置した場合、台湾の主要部分がその射程に収まります。
つまり、中国としてはせっかく日本国内の航空基地と米艦隊を奇襲攻撃で撃破したとしても、米軍が先島諸島にハイマースを配置していれば空襲を受けるのと変わりなく、台湾に上陸した部隊の拠点や戦線後方を叩かれることになります。
先島諸島はウクライナと違って狭いですから、ハイマースを見つけ出して空爆によって破壊することも可能でしょうが、安心して作戦を継続するためには、ハイマースが展開しそうな先島諸島を占領してしまうのが一番です。
PRSMやATACMSを使った打撃はフィリピンからでも可能ですが、台北に近いのは与那国や石垣なので、中国としてはこちらの方が優先度が高いと考えられます。
以上により大変に理不尽な話ではありますが、台湾進攻にあたり我が国、特に沖縄が巻き込まれる事態は避けられないと、我々のような軍事屋と防衛関係者の大多数は考えております。
このような事態に備えての法制度の整備は、2年前の安保3文書改訂を始め進捗をしておりますが、まだまだ不十分と言えます。
ぱっと思いつくだけでも台湾からの難民の受け入れ、同じく基地を撃破された台湾軍の軍用機、艦艇が我が国に逃げ込んで来た場合、それらを受け入れるのか?受け入れるにしても武装解除等の手順はどうするのか?
ウクライナで問題になったように、戦闘地域から離れたがらない民間人の扱いをどうするのか?自己責任に留まることを認めるのか?本人の意思を無視して強制的に非難させるのか?SNSへ自衛隊や在日米軍の位置等を撮影・投稿することを禁止することは可能か?
武装民兵が漁船を使って奇襲してくることも考えられますが、それは現行法の範囲内で海上保安庁、自衛隊で対処可能か?
国内にゲリラ戦や破壊工作を仕掛けられた場合、大規模な治安維持活動が必要にもなります。
そして沖縄から本州への住民非難はどうするのか?
自衛隊の輸送機と艦船だけでは手が足りませんし、彼等はまず自衛隊の部隊と物資の輸送を優先しないといけません。
民間の船舶、飛行機をチャーターし、本州地域に住居と生活物資を手配する必要がありますが、そのための計画も無いに等しい状態です。
インターネットや通信に対する妨害に対しては、国家レベルでの介入が必要かもしれません。
海上交通の混乱は避けられませんから、輸入が停滞して物不足が生じます。生活物資の統制の可能も。」
自分の仕事と責任が、大きなものになりそうなことを理解しつつある法務大臣が、冷や汗をかいて言った。
「沖縄が戦場になる理屈はだいたい分かった。
だが、中国の狙いが台湾で、米軍の介入を阻止したいのであれば、我々が米軍の基地使用をさせない、国内からの作戦を許可しないと中国に確約することで、日本が巻き添えになることは避けられるのでは?」
室長は多少イライラして答える。
「それは台湾を見捨てるということです。
確かに、台湾をめぐる戦いで日本は無傷で済むかもしれませんが、その後どうするんです?
日米関係は完全に崩壊しますよ。それだけで済みません。G7どころか、国際社会の大半の中で日本は孤立する事態となります。
台湾の次に日本が狙われる事態となった時、助けてくれる国が無くなります。
孤立した日本は、中国に隷属するより他に生きていく道は無くなります。
それだけではありません。
我が国が、法務大臣の仰る様な対応をした場合、それは中国にとって思う壺です。
中国が武力による現状変更をこれだけの規模で成功させてしまったら、世界に与える悪影響は計り知れません。間違いなく追随して現状変更を企む国が増えることになります。」
「まだ中国が本気だと確信できたわけではあるまい?考えすぎではないのか?我々が対応することで逆に中国を刺激したり、国会で野党に批判材料を与えることにもなりかねない。
あなたのお話だと、まるで明日にでも戦争になりそうだが。」
法務大臣の言い草に血圧が上がる。
「たしかに仰るとおり、現状ではアメリカですら中国の意図に確信を持っているわけではありません。
2年前にアメリカの高官が、ウクライナ戦争を契機に警戒を強めるように言ってきて以来、実際にはこれまで大規模な演習等はあっても、何事も起きていないのも事実です。
しかし、いつ起こるか分からない自然災害と異なり、武力攻撃事態は正しく情報を集め、対策を練っておくことは可能です。
それに失敗した時、良くて犠牲と損害の拡大、悪ければ間違いなく日本は戦後最悪の窮地に立たされます。
そうなった時、どなたがどのように、そのような事態を招いた責任を取ることになるのでしょうか?
日本史は皆さんに対する評価を、どのようなものとして記述するのでしょうか?ここに出席された段階で既に責任からは逃れられませんよ。」
総理が間に入った。
「先生。ありがとうございます。少々落ち着かれては?
もちろん我々は責任を回避するつもりも、国民の生命財産と領土を徒に失った無能な政治家として、歴史に名を残すために人生を賭してきたわけではありません。その点はご理解頂きたい。」
「失礼致しました。」
彼は素直に法務大臣に陳謝する。
「いやこちらこそ。しかし、あなたの先ほどの話だと中国の勝利の方程式というものには、対抗する術はあるのか?どうも話を聞いていると、私などには付け入るスキが無いようにも思えるが?」
「もちろん、こちらにも様々な対抗策はありますが、軍事的な専門領域に話が偏りますので。十分に対抗手段はあるとだけ申し上げます。
いえ、少しだけ説明申し上げますと、米軍は既に一部の部隊をミサイル攻撃下でも生き残り、効果的に反撃が出来る編成に変更しています。
「海兵沿岸連隊」「マルチ・ドメイン・タスク・フォース」などと呼称されるものです。
先ほども申し上げましがたが、中国の侵攻パターンの予想だけでも膨大です。
全てを解説すれば本が何冊も書けるのですが。例えば、直接的な対抗手段としましては、米軍は中国に対抗して極超音速ミサイルを開発して配備を進めており、巡航ミサイルも増強を進めています。
我が国も、事実上の巡航ミサイルと極超音速ミサイルの開発と配備を、敵ミサイル基地と上陸部隊への攻撃名目で進めています。
ここまでお話すればお分かり頂けると思いますが、本当の目的はお互いの航空基地をミサイルで叩き合う状況で撃ち負けないためです。
ですが、こちらのミサイルは大半がまだまだ開発途上で、開発が先行しているものの配備が始まったばかりです。全てが出そろうのは10年先の話ですね。
そこで外交面の努力としまして米国は近年、有事の際に韓国およびフィリピンの基地から出撃が可能になるように、両国と交渉を進めています。
上手くいけば、弾道ミサイルや極超音速ミサイルを長年の努力により整備し、これを以って在日米軍基地やグアムを叩こうという中国側の目論見は、無意味なものになります。
同じく我が国は近年、オーストラリアに航空自衛隊機を頻繁に派遣しております。
これは、正直に言えば有事の際に航空自衛隊の主要な反撃手段である、F35、F2両戦闘機を中国の弾道弾攻撃から避難させるための処置、その準備です。」
今度は総務大臣が質問をする。
「初歩的な質問で申し訳ないのですが、日本の防衛力はアジアではトップクラスでは?日米安保もあります。それに加えて去年の予算から防衛費を大幅に増大したではないですか。それでも抑止力にはならないのですか?」
「90年代までは。そうでした。
当時は大臣の仰る通り、日米の戦力は中国に対して盤石なものがありました。
ですが、中国は第3次台湾海峡危機をきっかけに、軍事力の大幅な強化を図ってきました。
毎年5パーセントは下らない国防費の伸び率を30年継続しています。」
「30年もですか?」
「その通りです。既に台湾に対しては圧倒的優位と言えます。
我が国はこの間、経済の低成長が続き、相対的な防衛力の強化が十分ではありませんでした。
特に、航空、海上戦力については既に、追い越されたと言って良い状況です。
アメリカにつきましても、長きに渡った対テロ戦争により、大国間の衝突を想定した軍備への努力は優先度が下がっていました。
中露との経済的な結びつきが深まっていたことも影響しています。
結果として中国はこのスキを突いた形で、アジアでの軍事バランスを逆転させることに成功したと言えます。
その結果、日米の相対的な優位はこの30年で少しずつ崩れていき、今や抑止力が十分では無くなってしまったということです。(この憂慮すべき事態の大きな一因ですね。)
我が国はウクライナ戦争を契機に、遅ればせながら台湾危機の可能性への認識をあらため(我々のような軍事屋はずっと言って来ましたが)、新たな計画を策定(各種ミサイルの開発と配備もこの一環です)し、予算を増大させました。
しかし何度も申し上げるようですが、この効果が表れるには10年は必要です。
例えば、航空機や艦艇は予算成立から、配備までのタイムラグが5年あります。」
「そんなにかかるものなのですか?」
「ざっくり設計に1年、製造に2年半、その後のテストと試運転に1年半かかるのです。合計で5年です。」
「なるほど、そういうものなのですね。」
「そういう事情もありますので、即効性のある装備として、スタンドオフミサイルの取得に努力が払われた経緯があります。
23年度予算ではトマホークミサイルの調達が行われましたが、これですら配備までのタイムラグは前倒しの努力を行っても、2年かかり配備は来年度になります。
つまり、ただちに台湾進攻が現実になった場合、やはり間に合わないのです。
米軍については、相変わらず強大ですが戦力の大部分は世界中に散らばっています。
いざという時には世界中から集結できる仕組みは整っていますが、それには早くて数週間、遅くて数か月の時間が必要です。
初期段階で日本国内のインフラが損害を受けた場合、さらに遅れが生じます。
当然中国は米軍の体制が整うまでに既成事実を作り上げようとするでしょう。
付け加えますと、特に艦艇や航空機の場合、全てが有事に投入できるわけではないのです。実際には3分の1です」
「3分の1!?どういうことなのです?」
「艦艇や航空機の場合、定期的な整備と点検が必要ということです。
特に艦艇の場合、3分の1は港で長期間の整備、ドック入りという作業を行っています。残り3分の1は、ドックから出た後の慣熟訓練を行っています。
最後の3分の1だけが、即応体制にあるのです。
通常はこのローテーションで運用されています。高価な航空機や艦艇を長持ちさせながら運用するためには、どうしても必要なことなのです。
この点も中国側に有利です。あちらは侵攻を決意したなら、一時的にこのローテーションを停止して、全力を投入することが可能です。」
総務大臣は、話の大部分が腑に落ちた様子だった。
「先生、ありがとうございます。曖昧に認識していた防衛に関する問題点が、良く分かりました。」
政治家は表向き理解を示しておきながら、腹の底では逆のことを考えているのは良くあることだが、彼女の場合は心配ないだろう。
「中国が侵攻を本当に始めるとして、兆候は必ず出てくるはずです。その前提で情報収集を強化し、米国、台湾とも連携・共有します。
事前に何の兆候もつかめず所謂奇襲攻撃を許せば、成す術が無い、ということにもなりかねません。
しかし、情報を得ることが出来ればやりようはいくらでもあります。」
統幕長が室長の後を受けて発言する。
「台湾前面の中国軍部隊の中でも、弾道弾、砲兵部隊は高度な臨戦態勢にあります。
ですが、海軍、空軍、陸軍の上陸部隊と物資を集結させる動きが必ずあるはずです。
自衛隊としましては、九州と沖縄に有事の際に必要になるかもしれない、燃料、弾薬その他の物資を優先的に輸送し、備蓄しております。
一部の部隊は北海道等から配置を変更しております。
万一有事になった際に現状の自衛隊の輸送能力では、本州からの物資輸送が間に合わない可能性がありますので。」
防衛大臣も発言する。
「自衛隊の輸送能力不足につきましては、前回の3文書改訂時に検討、決定されたもののうちPFI船の増強について前倒しで進めております。
コロナ禍で苦境に陥った国内の海運業者から、既に事実上の買い取りを希望されている高速フェリー4隻を、半年以内に特別目的会社の高速マリン・トランスポートに編入予定です。」
統幕長がさらに捕捉した
「南西諸島の防衛体制については、ここ10年で整備がされて来ました。
先島諸島や、奄美大島の駐屯地とそこに駐屯する警備隊は、対地、対艦ミサイルや警戒監視部隊を増強しています。
沖縄の15旅団は26年度に師団に格上げ予定ですが、ペースを速め、来年には事実上2個連隊体制となります。
これだけの手を打っても、本格的な侵攻となれば、その初動において南西諸島の部隊の頭数はまだまだ足りません。本州からの増援と物資の速やかな移動が必要です。
ですが、そのための輸送能力が現状では不足しているのです。
その対策として、民間フェリー会社との有事における優先使用の協定や、PFI船の増強を進めているということです。」
再び室長が発言する。
「大規模な侵攻となれば、準備には1か月や2か月では終わらないはずです。
そこをアメリカの情報収集能力から完全に秘匿することは極めて困難でしょう。加えて、近年ではオープンソースを用いた民間レベルの情報収取も盛んになっております。
これらの監視網を完全にくぐり抜けて、いわゆる奇襲攻撃を成功させるのは中国にとっても困難だと考えます。
ですが、我が国の法制度不備、国論不統一といった政治の準備不足からくる混乱が、中国の戦争準備速度についていけず奇襲同様の事態をもたらす危険もあります。
なにせあちらは、トップダウンで決まったことに反対はあり得ませんから。
意外に思われるかもしれませんが、法整備が十分でないと自衛隊はまともに動くことができません。
幹部自衛官は初級幹部としての教育段階で、法的根拠に基づいて部隊を行動させることについて徹底して教えこまれています。
自衛隊が超法規的行動を起こすのはフィクションの世界だけです。」
総務大臣が再び発言する。
「中国と国内左派を刺激しすぎない範囲で、有事法制の詰めを行いつつ、危険な兆候があらわれたらそれまでとは次元の異なる対応をすることになる、ということですね?」
「はい。結局は皆さんがこの会議も踏まえ、有事の際に状況を正しくご判断頂き、ご決断頂けなければ自衛隊は戦いようがありません。」
総理が話をまとめにかかる。
「現状では、その認識と対応で必要十分だと私も思うよ。
さて、いいかな?前提条件となる共通認識を二人と共有するまでが長くなったが、個別具体的な事項の検討に入ろう。
その前にいったん休憩をいれるとしようか。15分。それまでに皆戻ってきてくれ。」
総理はそういうと席を立って用足しに会議室を出た。
その様子を見て室長は思った。
(総理もお疲れだな。万一台湾有事となれば、我が国は間違いなく巻き込まれる。
多かれ少なかれ犠牲は出るだろう。
そうなれば内閣総辞職は避けられない。政治家人生の頂点でそんな貧乏くじを引くことは考えたくないだろう)