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次回予告3 前編

作者: 山崎 あきら





   次回予告

 あたしにかまわず逃げて!

 次回「ブラックホールの情報パラドックス」できないわよ、そんなこと!





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     ブラックホールの情報パラドックス


『日経サイエンス』2021年06号の特集は「ブラックホールの情報パラドックス」だった。「ブラックホールは最後には蒸発して消える。ブラックホールに入った物質は二度と外に出られないことを考えると物質が持つ情報はブラックホールの蒸発とともに失われることになるが、これはいかなる場合でも情報は失われないという物理学の基本原理と矛盾する。ブラックホールの情報パラドックス、情報喪失問題(情報問題)と呼ばれるこの問題は、時空の枠組みを説明する一般相対性理論と物質の振る舞いを説明する量子力学を統合する量子重力理論が完成していないことから生じている。近年、ブラックホールの観測と、量子力学における情報を扱う理論研究が進展し、難問題に新たな糸口が見えてきた。(編集部)」と書かれている。

 これを読んだ作者はあわててしまった。この問題は2004年にスティーヴン・ホーキング博士が「事象の地平線の量子摂動がブラックホールから情報を逃がす」という仮説を発表して、ブラックホールが蒸発しても情報は保存されるということで決着したと思っていたのだ。

 ブラックホール内に落ち込んだ物の情報が保存されないとなると、以前書いてしまった「ブラックホールをメモリーとして使う」というスーパーテクノロジーが使えなくなってしまう。そこでもう一度ウィキペディアを開いてみると、「今日では、多くの物理学者がホログラフィック原理がホーキングの誤りを示し、情報は実際は保存されると信じている」と書かれていた。ホログラフィック原理とは「空間の体積の記述はある領域の境界、特に見かけの地平面のような光的境界の上に符号化されていると見なすことができるという量子重力および弦理論の性質である」のだそうだ。よくわからないのだが、その結果、「ブラックホールに落ち込んだすべての物体が持つ情報は事象の地平面の表面の変動に完全に含まれることが推測される」ということになるのらしい。考えてみれば、ブラックホールの影が撮影された、つまり、その存在が確認されたのはつい最近のことだし、その中の情報が保存されることが実験的に証明されたわけでもなかったのだな。

 個人的にはブラックホールに落下した物質の情報が保存されるかされないかということが生き物の生き死にに影響するとも思えないからどうでもいいのだが、もう少し話を進めてみよう。まずはブラックホールについてのおさらいから。

 今、三次元空間を二次元化してトランポリンのようなものだと考えてみよう。その上に光子の代わりのピンポン球を一定の速度(これが光速に相当する)で転がしてみる。この場合、トランポリンの表面のでこぼこや摩擦をないものとすれば、ピンポン球は真っ直ぐ転がっていくはずだ。

 次にトランポリンの上に砲丸投げ用の鉄球を載せてみる(軽すぎるようならカーリングのストーンでもいい)。この鉄球がブラックホールである。

 トランポリンの表面にできたへこみをかすめるようにピンポン球を転がすとピンポン球の軌道が曲がる。これがいわゆる重力レンズ効果だ。ピンポン球の軌道を鉄球に近づけていくと、軌道の曲がりがきつくなっていって、ある距離から内側ではへこみから脱出できなくなる。これが事象の地平線である(三次元なら地平面)。ここで事象の地平線の内側に入り込んでしまったピンポン球は最終的には鉄球に吸い込まれてしまうものとする(ブラックホールだからね)。

 問題はこの先で、ピンポン球をいくつか吸い込んだ鉄球を静かに観察し続けていると、事象の地平線付近から突然ピンポン球が現れ、トランポリンのへこみから転がり出すのだ。「そんなバカな!」と言いたいところだが、このホーキング放射は量子論で説明できる。トランポリンが持っていた真空のエネルギーのゆらぎによって正のエネルギーを持ったピンポン球と負のエネルギーを持ったピンポン球が対生成し、負のエネルギーを持ったピンポン球が鉄球に吸い込まれる代わりに正のエネルギーを持ったピンポン球は事象の地平線の外へ脱出できるのだ。

「あたしにかまわず逃げて!」

「できないわよ、そんなこと!」

「いいから早く! ブラックホール内の情報を持ち出せるのはあなたしかいないのよ!」

 というような話である。〔……ドラマチックではあるな〕

 しかし、事象の地平線付近で対生成するピンポン球は鉄球と直接接してはいない。それが鉄球内の情報を持っているのはおかしいだろうということになるわけだ。これがブラックホールの情報パラドックスである……と思う。この特集ではそういう情報パラドックスを回避するアイデアもいくつか紹介されている。つまり、この問題はまだ解決していなかったのだな。

(1)「古典的なブラックホール」事象の地平面を持つブラックホールの場合、そこに吸い込まれた情報はブラックホールが蒸発すると消滅してしまう。これでは困るのでなんとかしたいというわけだ。

(2)「ソフトヘア」情報はブラックホールに完全には吸い込まれず、事象の地平面のすぐ外側に痕跡を残す。多くの専門家はこのアイデアの説得力を認めていないらしい。〔当たり前だ。殺されたはずの被害者が生きていたというような話じゃないか〕

(3)「ファズボール(毛玉)」超ひも理論を利用して事象の地平面を曖昧でふわふわしたものにしてしまう。〔曖昧にすればごまかせるということなのか?〕

(4)「ファイアウォール」ブラックホールは形成されず、事象の地平面の位置に高エネルギー粒子でできた壁が生じる。この壁は衝突するあらゆるものをエネルギーに変換してしまう。これはバリアーだな。〔最近だとATフィールドだ〕

(5)「量子ハロー」量子ブラックホールが時空の小さなゆらぎなどを介して周囲と相互作用し、情報が外に運び出される。

「ハロー。量子です。本日のブラックホール内の情報をお届けします」とか? 

(3)から(5)までは「情報を含むすべてのものが光速を超えて伝わることはないという局所性の原理を修正する必要がある」のだそうだ。

 もう見当が付くと思うのだが、作者にはこの問題に対して何かを言えるほどの知識は……ちょっと待てよ。磁力は重力の影響を受けるのか? 磁力が重力に曲げられることがないのならブラックホール内の情報が磁場のゆらぎのような形でブラックホールの外へ脱出できるんじゃないのか? ただし、これで持ち出せるのは磁性体の情報だけのような気もするのだが……。

※2022年4月には、仮想的な素粒子である「重力子」が存在すれば、ブラックホール内の情報がわずかに周囲の空間に漏れ出てくるという論文が発表されたそうだ。



   次回予告

 徳のない坊さんは淘汰される時代がやってきた。

 次回「生老病死」合掌。




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     生老病死


 ちょっと気になったので「生老病死」について検索してみたら仏教系のサイトにたどり着いた。便利な時代になったものだ。

 そのサイトには「仏教では、一切皆苦(いっさいかいく)とも言いますが、この世の全ては苦しみなのだという考え方からスタートします。仏教では生きること自体が苦しみだというのです」と書かれていた。〔苦しみから逃れるのには死ぬしかないというわけか?〕

 あくまでも個人的な印象だが、もともとの仏教は修行によって自分自身をよりよいものにしていくことを目指すものだったような気がする。その時代においては衆生を救うことも修行の一部だったのだろう。ただ、それでは修行者以外は覚りを得るための踏み台でしかない。となると、出家していない衆生が苦しみから逃れるためには死ぬしかないのかもしれない。また、日本の戦国時代には仏法のために死ねば極楽往生できるという仏教も貧しい民衆に支持されたらしいことまで考えると、今の日本にはそこまで貧しい民衆は多くないということが問題なのかもしれない。

 このサイトでは「四苦八苦」についても説明されていて「四苦八苦の四苦が、「生老病死」となりますが、それ以外に仏教では4つの苦を入れて、全部で8つの避けられない苦を挙げます」として(1)愛別離苦(あいべつりく。愛する人と離れることの苦しみ)。(2)怨憎会苦(おんぞうえく。憎い人、腹が立つ人と会うことの苦しみ)。(3)求不得苦|(ぐふとくく。求めたものを手に入れることができないことの苦しみ)。(4)五蘊盛苦ごうんじょうく。これは人の体と心を構成している5つの要素から生まれる苦しみのことだそうだ。①すべての物質をいう「色」、②感覚をいう「受」、③心の中に浮かぶ像をいう「想」、④欲求をいう「行」、⑤意識をいう「識」の5つだそうだ。つまり、生きていることそのものから、感じること、考えること、判断することまですべて「苦」だということらしい。

 なんだかなあ……。愛する人と離れることや会いたくない人と会うことが苦しみであるのなら、人里を離れて一人で生きていけばいい(アラスカの原野にはそういう人もいるらしい)。求めたものが手に入らないのなら諦めてしまえばいいではないか。五蘊盛苦に至っては生きることに伴って必ず生じる苦しみなのだから、それが嫌なら死ぬしかあるまい。要するに「死ねば楽になれますよ」というのが仏教の神髄なのか?〔……否定はできないな〕

 とは言っても、誰かを愛さずにはいられないという人もいるだろうし、気に入らないやつがいるからといって学校や会社を辞めてしまうわけにも……いかなくはないだろうが、そこで積み上げてきたものを全て捨ててしまうというのも勇気がいるかもしれない。おそらく最もベターな選択は「逃げる」という選択肢があることを忘れずに現状維持というところだろう。そういう人たちにとっては宗教という逃げ場も必要なのかもしれない。

 苦しいのは嫌だけど宗教にも頼りたくないということなら麻薬でラリってしまうという手もある。「宗教はアヘンだ」という言葉があるくらいだから麻薬は十分宗教の代わりになるはずだ。〔……よい子は信じないでね〕

 ああっと、人間が川に流す程度のごく微量の麻薬が溶け込んでいる水で育ったウナギはハイになってしまって活発に動きまわるので産卵場所へ向かうのに必要な脂肪を蓄え難くなるようだという研究結果もあったな。人間だけならともかく、水生生物にまで影響が及ぶとなると、やっぱり麻薬はよくない。苦しみから逃げるためにラリってしまいたい人は座禅をするべきだ。作者も仏教系の新興宗教に半年ほど入信していたからわかるのだが、人間は座禅や読経のような単純作業を長時間続けることによってラリってしまえるのだ。

 結局のところ、集団内で強いストレスを感じながら生活している人間には宗教かアヘンが必要なのだろう。作者の場合はアヘンが欲しいとも思わなかったし、そもそも人間としてではなく、1個体の地球型生物であるという意識で生きていきたいと思っているから人間のための宗教など必要としないのだがね。

 その後、鵜飼秀徳先生の『寺院崩壊』も読んだ。その流れで坊さんを主人公にしたマンガを読み返してみたら、坊さんの結婚式の話を聞いた中国の人が「実家がお寺?」「お父さんがお坊さん?」「お兄さんの結婚式?」「ありえない……」と呆然とするシーンが出てきた。いまさらだが、仏教僧が妻帯を許されていたり、住職を世襲したりするのは日本だけなのだなあ(イスラム教の導師などは妻帯を禁じられていないそうだ。僧ではないからだろう)。

 僧の妻帯は江戸期の浄土真宗から始まったらしい。開祖である親鸞も妻帯していたということになっているらしいのだが、確かな証拠はないようだ。ということは、女なしではいられない坊さんが開祖をダシにして妻帯を正当化した可能性があるわけだ。まさに死人に口なしだな。まあ、今の日本ではどの宗派も妻帯オーケーなのだし、本気で覚りを目指して修行しようという坊さんは寺院や檀家なんかに執着しないで修行に励むだろうからどうでもいいことではある。

 檀家制度が生まれたのも江戸期なんだそうだ。坊さんは読み書きができるということで寺院を幕府の出先機関にしたのらしい。なるほど、寺院に居さえすれば食べていけるとなったら堕落しない坊さんはいないわなあ。

『寺院崩壊』によれば、「寺が専業で食べていくためには、少なくとも檀家数は200件なければ難しい」ということらしい。原価がほとんどゼロの読経1回で数万円から数十万円のギャラを稼げるのだから利益率は高いのだろうが、そのシステムは檀家が減ったら崩壊するしかないのである。

 では、これからの坊さんはどうやって食べていけばいいのだろうか? 

 寺院を観光地化して観客から拝観料を取るというのも一つの方法だろうが、小さな地方寺院には無理だろう。この問題に対する一つの解決策として『寺院崩壊』には「ハワイの寺院では20年ほど前から「檀家」という関わり合いではなく、全くの個人の関係になっています」と書かれていた。つまり宗派や寺にではなく、住職個人に帰依するということらしい。しかも、住職が信者との信頼関係を築けなかった場合は、すぐに他の寺院に移籍されてしまうのだそうだ。住職の人格に対して代金を払うという健全なシステムである。

 これでは人間的な魅力のない坊さんは生き残っていけないだろうな。収入源を失った坊さんは自分自身のために最後の読経をすることになるんだろう。合掌。



   次回予告

 事象の地平面の内側では脱出速度が光速を超える。

 次回「続・ブラックホールの情報パラドックス」ならば超光速だ。




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     続・ブラックホールの情報パラドックス


 ブラックホールの情報パラドックスの続編である。前回から少々間が開いてしまったのだが、今回、村山斉(むらやまひとし)先生の『宇宙は何でできているのか』という本を入手したので、やっと続きが書けるようになったのだ。なお、何度も言うようだが、作者が量子論をちゃんと理解できているわけはないので、ここに書かれていることが正しいという保証はない。鵜呑みにしないで楽しんでもらいたい。

 さて、まずは2個以上の陽子を含む原子核について考えてみよう。陽子はプラス1の電荷を持っているのだから陽子と陽子の間には電気的な反発力が働いているはずだ。それなのに原子核がバラバラになってしまわないのはなぜなんだろうか。この問題に対して湯川秀樹先生が理論的に予言したのが陽子と陽子を結びつける核力を媒介する粒子、中間子である。湯川理論では陽子と陽子は中間子をやり取りすることで結びついていると考えるのだそうだ。擬人化するならば、反発しあっている陽子ちゃん二人の間で中間子ちゃんが「二人とも仲良くしようよ」と説得しながら行き来しているので、陽子ちゃんたちは中間子ちゃんの行動範囲から出ることができないでいる、というところだ。ちなみに中間子ちゃんはこのように気苦労が多いので長くは生きられないらしい。最も寿命が長いおっぱいプラス中間子……。〔π+中間子だ!〕

 もとい、π+中間子でも10のマイナス8乗秒台だそうだ。少なくとも10の34乗年よりは長いという陽子の寿命と比べればほとんどゼロという短さである。なお、念のために訂正しておくと、中間子の寿命が短いのはクォークと同数の反クォークでできているために(π+中間子ならアップクォークと反ダウンクォーク)、安定した粒子になれないからだとされているそうだ。

 さてさて、クォークと反クォークでできている中間子が不安定なのに対して、3つのクォークの陽子と中性子は安定している。陽子はプラス3分の2の電荷を持つアップクォーク2個とマイナス3分の1のダウンクォーク1個で電荷を合計するとプラス1になる。中性子ならアップ1個とダウン2個で電荷ゼロだ。ここでもアップクォーク同士、ダウンクォーク同士を結びつけておく力が必要になる。これが素粒子の間に働く4つの力の1つである「強い力」で、2つのクォークはグルーオンという粒子のやり取りで結びついているのらしい。

 そして、電磁気力は強い力よりも目安で2桁ほど弱いのだそうだ。だから強い力はプラス3分の2の電荷を持つアップクォーク2個を陽子の中に閉じ込めておくようなこともできるのだろう。なお、中性子のベータ崩壊に関わる「弱い力」は電磁気力よりも数桁弱いらしいのだが、今回の話には絡んできそうもないので考えないことにする。正直言って作者は弱い力がどういうものなのかよくわかっていないのだ。

 電磁気力よりもさらに数十桁弱いのが「重力」であるのらしい。おお、これなら磁場はブラックホールの重力を振り切って脱出できるぞ……と思ったのだが、電磁気力の伝達粒子は光子なのだそうだ。ブラックホールからは光ですら脱出できないと言われているから、残念ながらここでアウトである。

 しかし、作者は諦めない。抜け道を探しているうちに地球の磁場は妙な性質を持っていることに気が付いた。

 ウィキペディアによると「地球の磁場は、主に地球(電離層等を含む)に流れる電流に起因する。地磁気の発生原因は、今でも完全には解明されていない」「ガウスは地磁気のデータから、地球の磁場の成因の99パーセントは地球内部にあることを証明し、80パーセントは双極子(棒磁石)で説明できることを明らかにした」などと書かれている。というわけで地球の磁場の発生原因はよくわかっていないらしいのだが、少なくともその磁場はマントルや地殻を通り抜け、さらに大気圏を抜けて宇宙空間にまで広がっていることになる。

 しかし、これはおかしくないか? 例えば地磁気を生み出しているのが外核の溶融した鉄・ニッケル合金の対流だったとして、そこで生じた磁場はマントルや地殻を通り抜けている。ということは『天空の城 ラピュタ』のワンシーンのように岩が光を放っていなくてはならないだろう……と思ったのだが、実は電磁気力を媒介しているのは「仮想光子」なのだそうだ。仮想光子は光子と同じように電子と陽電子に変化することができるし、電子と陽電子が出会えば仮想光子に変化する。この変化の連続の中の電子と陽電子の段階で磁場が生じているというような話なんじゃないかと思う。

 間違っていたらごめんなさいだが、物理学者の皆さんが必要としたのは質量ゼロ、電荷もゼロで磁気を伝達できる粒子であって、たまたま質量と電荷の条件に合致するのが光子だったから、光子のようなものという意味で「仮想光子」ということにしたんじゃないかと思う。それなら、この仮想光子と同じような性質を持っていて、しかもブラックホールの重力に負けない速度を持った粒子の存在を仮定してもいいだろう。そういう粒子が存在すれば、磁場のゆらぎのような形でブラックホール内の情報が事象の地平面の外へ漏れ出てくることが可能になるはずだ。〔言い切ったな〕

「そんなものが存在できるのか?」という問いに対しては、「特殊相対性理論に反しない仮想的な超光速粒子であるタキオンがある」と応じよう。ウィキペディアによると「タキオンはエネルギー-運動量グラフの空間的な領域に制限され、光速以下の速度で運動することができない」「タキオンはエネルギーを失うほど加速していく」「タキオンのエネルギーと運動量は測定可能な物理量なので実数であることが期待されるが、上の性質を持つならば、その静止質量および固有時は虚数となる」のだそうだ。こういう説明は何回読み返しても理解できたような気がしないのだが、とりあえず理解するのは後回しにして、仮想光子のようなタキオン、つまり電磁気力を媒介できる質量ゼロ・電荷ゼロの超光速粒子が存在すると仮定すれば、ブラックホール内で生じた磁場が事象の地平面の外側まで広がることができるのではないか、そしてその磁場にはブラックホール内の情報が含まれているのではないか、と作者は思う。つまり、電磁場の暗黒面に墜ちてしまった光子ちゃんが輝くことを忘れて仮想光子になり、仮想光子がさらに虚数面に墜ちることによって無限大の速度を獲得してしまったのが仮想光子タキオンなのだと言えよう。

「こうなってはもう、誰にも止められないんじゃ」〔こらこら〕

 なお、タキオンが存在すると光速を超えて信号を送れる事になって、因果律が破れてしまうことになるわけだが、これはファインマン・ダイアグラムで電子の反粒子である陽電子が時間に逆行するような向きに矢印が付けられているように、反タキオンが時間に順行すると考えれば回避できるという話もある。こうなると作者の理解力が追いつけないのだが……。



   次回予告

 宇宙の果てまで瞬間移動。

 次回「タキオンを捕まえろ」因果律までぶっちぎり。




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     タキオンを捕まえろ


 紙の本はいい。ウィキペディアを初めとするウェブサイトでは簡単にまとめられている問題を深く深く解説してあったりする。

 今回古書店で見つけたのは本間三郎先生の『超光速粒子タキオン』である。1982年初版発行ということになっているからかなり古い本なのだが、タキオンの存在はいまだに未解決の問題だったのだな。

 この本の説明は、特殊相対性理論の基本的な原理である「光の速度は、動いている物体から放出された場合であっても、止まっている物体から放出された場合であっても、また動いている人から見ても、止まっている人から見ても、常に一定である」という光速度不変の原理から始まる。例えば、電子を加速する実験をした場合、エネルギーをつぎ込めば電子を加速することができるものの、光速に近づくにつれて加速するために必要なエネルギーが大きくなっていって、どれだけエネルギーをつぎ込んでも光速に達することはない。では、このつぎ込んだエネルギーはどこへ行ってしまったのかというと、「質量に変化したのだ」と特殊相対論では考えるのらしい。どこかのサイトに「非常に長い棒を力いっぱい振り回したら、その先端は光速を超えられるんじゃないか」という思考実験が載っていたような記憶があるのだが、この場合、棒の先端が光速に近づいていくと、その部分の質量がどんどん大きくなっていくということになるはずだ。ということは、光速に近づいた棒の先端はブラックホールになってしまって光速に達することはないのだろうと思う。興味がある人は実際に振り回してみるといい。〔できるかあ!〕

『超光速粒子タキオン』には「粒子の速度とエネルギーの関係」というグラフも載っていて、これを見ると直感的に理解しやすいので、作者の説明ではわからんという人はそれを見て欲しい。

 その先には「第Ⅰ種、第Ⅱ種、第Ⅲ種の粒子の速度とエネルギーの関係」というグラフもある。第Ⅰ種の粒子はいくら加速しても光速に到達できない粒子(電子や陽子など)、第Ⅱ種の粒子は常に光速で走り続けている粒子(光子など)、そして第Ⅲ種の粒子が常に超光速で走り続け、エネルギーを与えると減速するが、決して光速より遅くなることができない粒子、タキオンだ。作者自身、むちゃくちゃな話のような気がするのだが、ウィキペディアによれば、「タキオンは空間的な四元運動量および虚数の固有時を持つ粒子である」ということだから、第Ⅰ種の粒子を実像とすると第Ⅲ種のタキオンはそれが鏡に映った虚像のようなものだと考えると理解しやすいんじゃないかと思う。ただし、この「虚数の固有時」という用語は『超光速粒子タキオン』には出て来ないのだが、それでは作者が困るので、ここでは「タキオンは虚数の固有時を持つ」ということにさせていただく。

 この鏡の中の虚像のような粒子の存在は特殊相対論では否定することができない。要するにタキオンというのは虚数という理論物理学にとってはとても便利な道具が生み出してしまった超光速の魔物なのだ。

 こういう魔物が存在すると、過去へ情報を送ることが可能になって因果律の破れも起こってしまう。『超光速粒子タキオン』には「相対論が、光速を超えて走る粒子の存在を否定しているのはまさにこのゆえであるということができよう」と書かれているのだが、これはむしろ「否定できないから厄介だ」と言うべきなんじゃないかと思う。

「困ったわ。何とかならないかしら……」〔出たな!〕

「お困りですね。そんなあなたにお勧めしたいのが、この虚数の固有時です。私たちの時間、つまり実時間は過去・現在・未来へと連続しています。ですが、タキオンの固有時が虚数であるならば、その時間軸は私たちの時間軸とは別の方向へ伸びているんです。つまりこの二本の時間軸はグラフ上では一点のみで公差することになります。因果律の破れは最小限ということになるんですよ、奥さん」

「まあ、これは便利ね」

 というわけで、作者個人としては因果律の破れ対策はこちらを採用したい。前回は反タキオンを使って対策したわけだが、作者はああいうわけのわからないものは嫌いなのだ。

『超光速粒子タキオン』には、もしも存在が確認されたら特殊相対論を書き換えなくてはならなくなるような粒子をあえて観測しようという実験を行った研究者たちも出てくる。〔うまくいけばノーベル賞だものな〕

 1968年、スウェーデンのアルベーガーらはコバルトの同位元素から出てくるガンマ線を使ってタキオンと反タキオンを作ることを試みた。これは鉛の容器の中にガンマ線源を置いて、ガンマ線のエネルギーが鉛の中で電荷を持つタキオン対に変化すれば、それを真空容器に導いてチェレンコフ光を観測することができるというものだったらしい。「その結果はタキオンの存在に対して否定的なものであった」ということで、電荷を持つタキオンは存在しないようだということになるのらしい。

 1974年、アメリカのクレイらは地球の大気に突入した高エネルギー陽子が大気中の分子の原子核に衝突して生じる電子やガンマ線を地上に設置したシンチレーションカウンターで検出し、それらより先に地上に届くはずの超光速粒子を検出しようという実験を行った。結果から言えば、この実験でもタキオンは検出できなかったのだそうだ。まあ、このやり方ではノイズも多いだろうしな。

 さらに1970年、アメリカのバルタイらは泡箱を使って電気的に中性のタキオンを検出しようという実験を行ったが、もちろんこれもうまくいかなかった。これはタキオンの固有質量が虚数であるという点を利用する実験だそうだ。液体水素を入れた容器(泡箱)に圧力をかけておいて、そこに高エネルギーの荷電π中間子を入射させると、π中間子の軌跡が泡の列となって観測できるのらしい。「泡箱を使用する実験においては、反応前後の粒子のエネルギーと運動量の総和に差があった場合、その差から測定にかからなかった粒子の質量の2乗を計算することができる」のだそうだ。つまり、測定にかからなかった中性粒子の質量の2乗がマイナスだったならば、それこそが中性のタキオンが存在する証拠になるということらしい。よくわからんのだけど。

 ここまで引っ張って、やっと仮想光子タキオンを持ち出す準備ができた。

 もしも、質量も電荷もゼロで磁場を媒介することができる仮想光子タキオンが存在するとしたら、その速度は無限大になる。ブラックホールからの脱出速度が無限大でない限りは、仮想光子タキオンが媒介する磁場が事象の地平面を越えることも可能になるはず……だと思うんだけど、どうなんだろうかなあ……。

 


   次回予告

 このままではヒンドゥー教に滅ぼされる。

 次回「仏教の進化」変わらねば。




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     仏教の進化


『寺院崩壊』に続いて中村元先生の『ブッダ伝 生涯と思想』を読み終えた。それで思い出したのだが、出家する前のゴータマ・シッダールタは王族の太子だったのだなあ(「ブッダ」(目覚めた者)と呼ばれるようになるのはシッダールタ太子が覚りを得てから)。

 シッダールタ太子の時代においては修行者に布施をすることが一般的だったようだ。もちろん、それは「布施をするに値する修行者である」と評価されることが前提だっただろう。で、『ブッダ伝』を読むとわかるのだが、ブッダに食事や説法をする場所を提供したり、教団を保護したりしたのは大商人や王族などの裕福な人たちばかりのようなのだ。直接教えを受けた弟子たちもバラモンや王族の出身者が多い。個人的には、仏教というものはもともと裕福な支配階級のための教えだったんじゃないかと思う。

 それは現在のインドやネパールにおいて仏教がヒンドゥー教に圧倒されているのを見ても明らかだろう。なにしろヒンドゥー教にはガネーシャ神やシヴァ神がいる。「信仰なんかでは食われへん。世の中銭や」という人たちは富と繁栄、智慧と学問を司るガネーシャ神に祈るのだろうし、「こんな世界なんか崩壊してしまえ!」と叫ぶ人々は破壊と再生の神シヴァに帰依するのだろう。つまりヒンドゥー教は仏教よりも庶民にウケる宗教だったのだ。これでは信者の数で負けてしまうだろう。その上ヒンドゥー教にはもれなくカースト制度が付いていて、支配階級の地位が保証されている。進化論的な表現をすれば、仏教が衰退しない理由はなかったのである。

 さて、ここからは作者が勝手に想像したことなので鵜呑みにしないで欲しいのだが、ブッダというカリスマが入滅した後、ブッダ不在という環境に適応することに成功した仏教のひとつがタイやミャンマー、スリランカなどの上座部仏教なのだろうと思う。これは一般庶民に「仏教僧に布施をすれば徳を積むことができる」という思想を浸透させることに成功した例だ。つまり上座部仏教はヒンドゥー教と同じように一般庶民に支持されるという方向に進化した仏教だと言える。

 もうひとつが大乗仏教。これは本来「いくら修行したって覚りなんか開けやしないんだよ。だったら、その一段階下の菩薩の位でいいじゃん」というゆる~い仏教だったのだが、どういうわけか中国あたりで支配階級の支持を受けてしまったのらしい。その代表が「鎮護国家」、つまり「仏教には国家を守護・安定化させる力があるんです。私たちを保護してくれたら、お礼に国家を守ってあげますよ」と当時の支配階級に売り込んだのでろう密教である。おそらく、この時代の密教僧の修行は覚りを目指すものではなく、国家を守る呪術軍団としての訓練になっていたはずだ。

 この時代にきらびやかな袈裟が生み出されたのも当時の支配階級に坊さんの上下関係を明確にすることを求められたために階級章が必要になったからだろう。これでは下っ端の坊さんは覚りではなく、より上の階級になることを目指してしまうんじゃないかとも思うのだが、軍団であるのならそれが正しいのかもしれない。〔よい子は本気にしないでね〕

 中国から日本に大乗仏教が入ってきたのは飛鳥時代である。この時、「仏教、いいね」派の蘇我馬子と「イエス神道、ノー仏教」派の物部守屋が対立することになった。この争いは守屋有利で進行していたのだが、ここで馬子側に強力な助っ人が現れる。言うまでもなく聖徳太子である。おそらくそれは勝ち目の薄い危険なギャンブルだったはずだが、太子は「私たちを勝たせてくれたら仏塔をつくり、仏法を広めましょう」と大乗仏教に魂を売り渡して馬子側に勝利をもたらしたのだった。〔よい子は信じないでね〕

 こうして神道は大乗仏教に敗れたわけだが、それでも平安時代以降、両者は和解していき、明治維新まで神仏習合の時代が続くことになるわけだ。

 個人的な印象を言わせてもらえば、原始仏教(ブッダの教え)と大乗仏教には類人猿とヒトほどの差があると思う。もちろん退化もまた進化なのだから、直立二足歩行になろうが、土着宗教と融合しようが、生き残ることができたのならそれが正解なのである。なお、禅宗だけは大乗仏教でありながら上座部仏教的な性格を持っていたので基本的に支配階級の役には立たないのだが、そのストイックさによって武士には支持されたらしい。相手の急所を狙うための集中力を養ったり、合戦を前にして死を覚悟したりするのには座禅も有効だったのだろう。

 このように大乗仏教はもともと少数の支配階級を守るためのものだったのだが、貧しい一般庶民であっっても十分な数の信者を集めることができれば生業とすることができる。このことに気が付いたのが法然で「阿弥陀仏に祈れば浄土に連れて行ってもらえる」という実に簡略化された教義で一般庶民の支持を受けることに成功する。作者も半年ほど仏教の経典を使う新興宗教に入信していたからわかるのだが、人間は単純作業を続けているとラリってしまって幸せな気分になれるのだ。要するに、法然は支配階級の呪術的用心棒から一般庶民にアヘンを売りさばく売人に転職した最初の坊さんだったのである。〔よい子は信じてはいけません〕

 しかし、アヘン中毒者が増えすぎると暴走して、「武士を追い出してこの世に浄土を建設してしまおう」ということになる。その代表が一向一揆だ。当然これは当時の支配階級である武士によって鎮圧されるわけだが、仏教徒を野放しにしておいたのでは第二、第三の一向一揆が発生するのは明白である。そこで江戸期の誰かが考え出したのが檀家制度なのだろうと作者は思う。この制度があれば仏教徒が大きな集団を作ることを防ぐことができる。小さな集団なら各個撃破もしやすいわけだ。

 だが、檀家制度にも盲点があった。キリスト教である。檀家制度に縛られていないキリスト教徒ならば島原の乱を起こせるほどの大集団を形成するすることも可能だったのだ。〔ほんとに信じちゃダメだよ〕

 このように宗教で結ばれた一般庶民の集団はしばしば支配階級でも手を焼くような大きな力を発揮することができる。作者もサイクリング中に「じゃまだ、どけぇ!」とか「バッカ野郎!」などと毒づくことがよくあるのだが、人間はおそらく心の中に黒い魔物を飼っているのだろうと思う。そして人間が集団を作ると、その魔物の牙は集団の外へ向けられるのだ。しかも、この集団は外からの圧力を受けるとより強く団結してしまうという厄介な性質を持っているのである。

 この強力な魔物の牙を自らの教団を育てることに利用したのが鎌倉時代の日蓮だ。この坊さんは日蓮宗の開祖なのだから魅力的な人物だったのだろうが、もともとは漁師の子だから相当に気が荒かったのだろう。しかし、そのやたら攻撃的な教えを好む人間は今でも多いらしい。まったく人間というやつは……。



   次回予告

 仏教の弱点を研究し続けていたヒンドゥー教がついに立ち上がった。

 次回「仏教対ヒンドゥー教」四天王を勧請せよ。シヴァ神を迎え撃つのだ。




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     仏教対ヒンドゥー教


 ビッグニュースだ。『ハフポスト日本版』の2020年12月21日、18時12分号(という表記でいいのか?)に「人類はかつて、冬眠していたかもしれない。30万年以上前の骨を調べた研究者が発表」という記事が載ったのだ。

 スペイン北部にあるアタプエルカ遺跡の洞窟「シマ・デ・ウエソス」で発掘された30万年~60万年前のネアンデルタール人、もしくは彼らの祖先のものらしい人骨に冬眠する動物と同じ傷やダメージが見られたのらしい。さらに「初期人類の骨の成長が毎年数ヶ月間中断していたことも研究で明らかになった」のだそうだ。これらのことから「初期人類が冬眠することで冬を乗り越えた可能性がある」ということらしい。

 個人的にはヒトのような大型哺乳類が冬眠するのは小型動物に比べて体温が下がりにくいという点で難しいだろうと思うし、熱帯の森で暮らしていた、つまり冬眠する必要はなかったであろう類人猿から進化したヒトに冬眠するための遺伝子が残っていたのかという点にも疑問がある。もちろん、ごくまれに体温低下による仮死状態から蘇生したという例もある。約二ヶ月間食料なしで雪に埋もれていた車の中に居た男性が救出されたとか、極度の低体温の状態で23日後に発見された男性が蘇生したとかだ。しかし、これらは医師の手当てを受けての蘇生であって、自力で体温を上げたということではないと思う。ああっと、確か星野之宣先生のマンガにあったと思うのだが、自らの寿命を縮めることと引き替えに覚醒したまま越冬する専任の蘇生係がいれば、仮死状態での冬眠も不可能ではないかもしれない。

 他の可能性としてはツキノワグマのように「体温を数度だけ下げて眠る」という形の冬眠もある。この場合は排尿せずに水分をリサイクルする機能さえあれば可能かもしれない。ただし、シカやイノシシのように冬眠しない大型動物もいるのだから冬の間は食料がまったく得られないということはなかったんじゃないかとも思う。

 骨の成長が中断した理由については見当も付かないが、ネアンデルタール人が冬眠する必要はないんじゃないかなあ。


 さて、本題に入ろう。作者はこのところ仏教が気になっているので。佐々木閑(ささきしずか)先生の『大乗仏教』も読んでみた。これは青年と講師が会話するという形式で進められる解説書なのでとても読みやすかった。

 これを読むと、ブッダの入滅後、坊さんたちが仏教を滅ぼさないために経典を書き足してきた(ブッダならこう言ったはずだという話をねつ造してきた)ことがよくわかる。その結果、ブッダの教えをサーキット専用のレーシングカーだとすれば、大乗仏教は誰でも買えるファミリーセダン程度にまで変化してしまったのだ。その他にも輪廻転生思想はブッダ以前から存在していたバラモン教から受け継いだものだとか、ヒンドゥー教はそのバラモン教から進化したものだということもわかった。

 そして何よりも重要なことは初期の日本の仏教には僧団に属する出家修行者が守らなければならない規則である「律」が欠けていたということだ。なるほど、「妻帯してはいけません」という律がなければ、真の覚りを目指す坊さん以外は妻帯するだろう。人殺しはともかく、「他人の物を盗んではいけません」という法律がなければこの世は泥棒だらけになってしまうのと同じである。〔例えが悪いぞ〕

 その結果、自分で勝手に出家を宣言して修行者を名乗ってしまう者が増えてきたのを憂慮した奈良時代の聖武天皇は伝戒師制度、つまり坊さんの免許制度のようなものが必要だと考えた。そこで選ばれたのが唐で律宗と天台宗を学んだ鑑真で、鑑真は五回の失敗の後に日本へ渡ることに成功する……のだが、結局、日本ではちゃんとした律はほとんど定着しなかったので、現在のような肉食妻帯オーケーの在家信者が毛を剃ったような坊さんばかりになってしまったのらしい。

『大乗仏教』には「要するに、釈迦の時代には完全にヒンドゥー教とは別の教えだった仏教が、大乗仏教が成立して以降、次第にヒンドゥー教の教えに近づいて行ったことがインド仏教衰退の最大の原因だということです。ほぼ同じ教えを説いた宗教が2つあっても意味がありませんから、いつのまにか仏教はまわりのヒンドゥー教に吸収されてしまったのです」とも書かれている。つまり、佐々木先生はヒンドゥー教の方が仏教よりも強かったと考えておられるわけだ。作者もほんの数時間だけカトマンドゥのヒンドゥー教徒たちを観察したことがあるのだが、ヒンドゥー教は日本の道祖神信仰のように庶民の心に寄り添っていると感じたものだった。現在の日本の仏教のように「金よこせ金よこせ」としつこく要求したりはしないのである。

 ああっと、いいアイデアが浮かんだぞ。日本を除く東アジア全域がヒンドゥー教に支配されてしまった世界を設定するのだ(実際、ヒンドゥー教は一時期カンボジア辺りまで進出している。有名なアンコールワットもヒンドゥー教の遺跡だ)。

 世界制覇のじゃまになる日本の仏教を滅ぼすために召喚された破壊神シヴァを初めとするヒンドゥー神の軍団が日本海を越えて押し寄せてくる。日本危うし。

 しかし、密教僧たちの命がけの勧請に応えて顕現した大乗仏教の守護神である持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王が配下の八部衆と共にヒンドゥー神の軍団の前に立ちはだかるのだった。〔うわぁ……〕

 同時に、密かにヒンドゥー教圏に侵入していた工作員が低カーストの民衆や同じく地位の低い女性たちに働きかけ、内部からの揺さぶりをかける。さらに好機到来と見たキリスト教とイスラム教の守護天使軍団もヒンドゥー教圏に西側から侵攻していくのだった。〔……ハルマゲドン……〕

 冗談はそれくらいにしておくが、『大乗仏教』には「本来、仏教というものは、すべての人を1人残らず幸せにするために存在しています。誰かを幸せにする代わりに、他の誰かを不幸にしてしまうものは仏教と呼べません」という記述もある。しかし……例えばパスカルの『パンセ』には「絶えず幸福になろうとしている状態にあるかぎり、われわれは決して幸福になることがない」と書かれているらしい。つまり、パスカル先生は幸福になりたいという欲望そのものが不幸の正体だと考えたわけだ。実にわかりやすい。では作者のように「幸福になりたい」という欲を捨ててしまうとどうなるかというと、これでは不幸にならない代わりに幸福になる権利も失うことになるのだ。

 結局のところ、人間は宗教でラリって幸福になれたような気分になっているくらいがちょうどいいということなんだろう。〔いやいや、だめだろ、それは〕



   次回予告

 大変だ! タンパク質起源説のアドバンテージがなくなってしまう。

 次回「RNA起源説の逆襲」大日本帝国が太平洋戦争に勝利するようなものだが。




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     RNA起源説の逆襲


 困ったことになった。『別冊日経サイエンス 生命の起源」その核心に迫る』というムックを入手してしまったのだ。これはタイトルの通り、生命の起源についての特別編集版なのだが、その6ページめからいきなり「分子から生命体へ」という見出しでRNAの4種の基本単位、アデニン(A)・グアニン(G)・シトシン(C)・ウラシル(U)のうち、CとUのリボヌクレオチドを生命誕生以前の地球のような環境下で合成することに成功したという記事があったのだ。さあ大変だ。タンパク質起源説がRNA起源説に対して持っていたアドバンテージがなくなってしまう……と思ったら大間違いだった、というのが今回のお話である。

『次回予告1』では、地球における生命誕生を陸上競技の100メートル走に例えて、増殖するタンパク質が生成する過程と自己複製ができるRNAが生じる過程を比較している。タンパク質の原料であるアミノ酸は少なくともその一部が隕石などにも含まれている宇宙ではありふれた物質であるのに対して、核酸塩基とリン酸とリボース(糖の一種)でできているリボヌクレオチドの場合は、せいぜいリボースと核酸塩基しか見つかっていない。リン酸基は地殻から供給されるにしても、この3種類を地球上で、しかも正しい位置で結合させないとリボヌクレオチドは生成しない。つまりRNAはアミノ酸の待っているスタートラインにたどり着くまでに何十キロか何百キロか余計に走らなければならないはずだったのだ。長距離走でへろへろになったRNAなどアミノ酸の敵ではないと思っていたのに……。

 このムックによると、2009年春にマンチェスター大学のサザーランドらが「ヌクレオチドが自然に生成しうる方法を見つけたと発表した」のだそうだ。「彼らの方法は非常に説得力がある上、リボースの不安定性という問題も回避できる」「彼らの方法ではシアン化物、アセチレン、ホルムアルデヒドの誘導体など、以前に使われていたのと同じ材料から出発している。ただ、別々に作った塩基とリボースを後から結合させるのではなく、出発材料をリン酸と一緒に混ぜ合わせた」「複雑に絡み合った反応のいくつかの段階でリン酸が重要な触媒として作用し、2-アミノオキサゾールという小さな分子ができた。この分子は糖の断片が塩基の一部に結合したものと考えることができる」のらしい。

 この2-アミノオキサゾールというのは、オキサゾール(水素原子1個が結合した炭素原子3個と酸素原子と窒素原子1個ずつでできた環状の分子)の酸素を1番として、2番の炭素に結合している水素をアミノ基(-NH₂)に置き換えた分子である。ちなみに、3番は窒素、4番と5番は水素が結合した炭素で、5番の炭素が1番の酸素に結合しているという構造になっている。この説明ではわからないという人はウィキペディアの「オキサゾール」のページに掲載されている構造式を参考にして欲しい。

 話を戻すと、この2-アミノオキサゾールという分子は安定している上に非常に蒸発しやすいという特徴があって、いったん蒸発してからまた液化することによって不純物(デタラメな構造のがらくた分子群)から分離することができるということらしい。で、さらにリン酸基の存在下で反応が進むと「完全な形の糖と塩基が互いに結合したものができあがった」のだそうだ。その上に、この連鎖反応の重要な特徴として、初期に作られた副産物の一部が次の段階の変化を促進し、また、原始地球の浅瀬に降り注いでいた太陽からの強烈な紫外線が同時に生成した糖と塩基が正しくない位置で結合した分子を破壊してしまうので、不純物が混じることなく塩基のCとUが生成するとしている。つまり今までとはまったく異なる巧妙な反応経路で2種のリボヌクレオチドを高純度で合成することができたというわけだ。これは隕石由来の核酸塩基やリボースを必要としないという点で画期的である。

 しかし、このRNA起源説派にとっては非常に有益であるはずの情報がウィキペディアの「生命の起源」のページには採用されていないのだ。これはいったいどういうわけなんだろう?

 作者はプロの研究者ではないので理由を推測することまでしかできないのだが、これはRNAに使われている4種類の塩基(A・G・C・U)の半分だけができても意味がないということなんじゃないかと思う。考えてみて欲しい。前の2輪だけ、あるいは後ろの2輪だけしか付いていない4輪車があったとして、それは何かの役に立つだろうか? RNA起源説派の人たちも、例え多数のがらくた分子の中から選び出すことになったとしても4種のリボヌクレオチドが同時に生じなければ使い物にならないと考えているのだろう。原始地球のどこかで残り2種が生成していたとしても、それらと出会うまでCとUのリボヌクレオチドが無事でいられるという保証もないだろうしな。だからこそ、この実験結果は無視されているのだろう。

 この記事の後半部分には粘土の表面に吸着された状態であれば、単体のリボヌクレオチドが次々に重合していけるだろうとも書かれているのだが、これはアミノ酸が重合する時にも使える話だし、どこか他の場所で生成したAとGのリボヌクレオチドも粘土に吸着されてしまったら4種が揃う確率はほぼゼロにまで低下してしまうはずだ。これでは生命誕生の謎の解明に繋がる実験結果ではないと判断されてもしかたないだろう。

 ああっと、2種類の核酸塩基だけでできた遺伝子を持つ生物というのも面白いかもしれないな。地球の生物が使っている3塩基のコドンの代わりに5塩基で1つのアミノ酸を指定するということにすれば、20種類のアミノ酸を問題なく指定できるはずだ。これだとDNAもRNAも1.7倍くらいの長さになってしまうからDNAのコピーミスやmRNAへの転写ミスが増えてしまうだろうが、そうなれば進化も加速されるはずだ。それはそれで面白いことになるだろう。

 このムックでは「銀河系のハビタブルゾーン」についても論じられている。

 太陽系のハビタブルゾーンは「惑星表面に液体の水が存在できる領域」というような意味になるが、銀河系にも重元素の存在量、恒星の軌道の安定性、彗星の衝突確率、超新星爆発の確率などによるハビタブルゾーンが存在していて、それは太陽系を含むドーナツ状の領域になるだろうというのがこの記事の論点のようだ。「銀河の中心に近い部分では軌道の不安定性、放射線バーストと彗星の脅威などに苦しめられる。外側の部分は比較的安全だが、金属量が少なくなるために地球型惑星は小さいものしかできない」ということらしい。軌道の不安定性というテーマは劉慈欣先生の『三体』で使われてしまったが、放射線バーストや不定期に襲来する彗星などの災厄を乗り越えるお話とか、恒星系から放り出されてしまったものの、豊富な放射性元素による地熱のエネルギーを利用して文明を維持している放浪惑星とかのSFならまだまだ書けるぞ。



   次回予告

 映画『エイリアン』の怪物は節足動物だ。

 次回「寄生バチの進化」あの口はウツボのそれなんですけど。




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     寄生バチの進化


 スコット・リチャード・ショー先生の『昆虫は最強の生物である』を読み終えた。この本は「命名された種だけでも1万5000種以上」だというコマユバチ科の寄生蜂が専門だという著者らしく、主に昆虫について語られているのだが、作者にとっては特に第一章の三葉虫の脱皮についての情報が収穫だった。作者は三葉虫の外骨格も昆虫や甲殻類のそれと同じようなものだと思っていたのだが、この炭酸カルシウムでできた最初期の外骨格はアノマロカリスの缶詰のパイナップル形の歯に匹敵するような致命的欠点を抱えていたらしい(この本に書いてあることが正しいのならば、だが)。

 脱皮の途中で死んだ未成熟の三葉虫の化石を調べた研究者によると、三葉虫の脱皮の仕方はきわめて不規則で効率が悪かったのだそうだ。現代の昆虫の外骨格は人間が背中のジッパーを引き下ろすように脱げるし、その下に柔らかいまま用意してあった次の外骨格は硬化するまで数時間しかかからない。ところが、三葉虫の場合は「古い骨格を破って脱ぎ捨てる過程は一定せず、1つの種であっても脱皮の方法はいくつもあって、途中で死んでしまうことも多かった」「古い骨格を効率的に再利用する仕組みがなく、毎回、脱皮したあとに硬い外骨格を再生しなければならなかった。新しい外骨格が固まるまでに数日から数週間かかっていたとみられる」のだそうだ。

 昆虫などの外骨格はクチクラでできている。これはキチン質とタンパク質、つまり有機物なのに対して、三葉虫の殻は無機物である炭酸カルシウムでできていた。同じ素材の殻を使っている貝類が貝殻を成長させるのには時間がかかるし、継ぎ足しながら成長していけるのだということを見落としていた作者のミスである。昆虫や甲殻類などの外骨格をモーターサイクル乗りの着るレザースーツのようなものだとしたら、三葉虫のそれは中世の騎士が着ていた金属製の甲冑だろう。完成すれば防御力は高いのだろうが、長い時間をかけて着替えを終えるまでは裸同然だったのだ。

 作者は以前、「三葉虫の殻のような硬組織を噛み砕くには、アノマロカリス・カナデンシスの口器は圧倒的に力不足だったことが示された」という研究結果を引用したことがあるのだが、三葉虫の殻が固まるまでにこれだけ時間がかかるとなると、まだ殻が固まっていない三葉虫だけを選んで食べるというやり方も現実的になってくるかもしれない。とは言っても、より高性能な口器や有機物でできた外骨格を持つ動物たちが現れれば衰退するしかなかっただろうが。

 そして、第四章のカマキリが歩くときには「後ろの4本脚を使っている」という記述には驚いてしまった。作者はカマキリが四足歩行しているところを見たことがなかったのだ。念のために動画サイトでもチェックしてみたのだが、やはり鎌状の前脚まで使って6本脚で歩いていた。ショー先生はカマキリは四足歩行だと思い込んでいるようだ。この人は寄生蜂の標本、つまり死骸を観察するのが専門らしいのでカマキリが歩いているところを見たことがないのかもしれない。まあ、作者も三葉虫と昆虫の外骨格を同じようなものだと思い込んでいたのだからおあいこである。ただ、もしかしたらアメリカにはいち早く四足歩行に進化したカマキリがいる可能性もないとは言えない。機会があったら四足歩行のカマキリを探しに行ってみたいものだな。

 第四章では映画『エイリアン』に登場する地球外生命体を「硬い外骨格、体節に別れた体、関節のある付属肢、脱皮を繰り返して変態する発達過程、ヤゴのように伸びる口器など節足動物の主要な特徴を、エイリアンはすべて備えているのだ」と言い切ってしまっている。これも思い込みによる間違いで、ショー先生はエイリアンの口に歯が生えていることと、その口が上下に開くことを見落としている。これらはいずれも脊椎動物の特徴である。口の中にもう一つ歯の生えた口があるというのもウツボの特徴だ。初歩的なミスだが、この辺りは専門外なのだろうからしょうがない。

 古生代の節足動物で独立した歯を持っていたのはアノマロカリスの仲間くらいで、現在生きている節足動物でも歯を持つものはいないと思う。クワガタムシの大顎にあるのは一体成形の突起であって「歯」ではないし、スズメバチも獲物を肉団子にできるほどの強力な大顎を持っているが、独立した歯は生えていない。それに現生の節足動物の大顎は付属肢、つまり脚由来なので左右方向に開閉するのだ(脊椎動物の顎はえらを支えていた骨由来なので上下に動く)。ただし、エイリアンの顎をクワガタムシやスズメバチのようなものにしてしまうと昆虫らしさが大幅にアップしてしまう。バッタの大顎だったりすると激痩せした仮面ライダーにしか見えなくなってしまいそうだ。H・R・ギーガーはそれを防ぐために口器だけをウツボにしたんだろう。

 第八章になるとショー先生の専門である寄生蜂が登場する。それによると、菌類食から肉食に転向したキバチ(木蜂?)の幼虫が現れたのはジュラ紀前期らしい。昆虫の体には昆虫が必要とするすべての栄養素が含まれているのだから、これは合理的な進化だ。しかし、腐りかけの木の内部には危険な相手もいる。大型で強力な顎を持ち、うかつに手を出せば大暴れするであろう甲虫の幼虫だ。キバチの幼虫にとって甲虫の幼虫はライオンに対するゾウのようなものだろう。そこで雌ライオン、もとい、キバチのお母さんは考えた。「獲物を麻痺させてしまえば安全じゃない?」と。こうして獲物を麻痺させる毒を獲得したキバチは動けないが腐敗することもない獲物を幼虫が食べて成長するという外部寄生を完成させたのだ。

 さらに進化したのが、ちゃんと活動できる獲物の体内で成長するという内部寄生だ。これができれば宿主が危険を避けてくれるというようにメリットは多いものの、越えなくてはならないハードルがいくつかあったらしい。

 第一に宿主の免疫反応を回避する必要がある。このためにはウイルスの助けを借りたのだそうだ。人間のエイズのように宿主の免疫システムをまともに働かないようにするウイルスがいるんだろう。

 第二にライバルを排除する必要がある。卵から孵った内部寄生の蜂の幼虫は鎌のような強力な顎と尾のような付属肢を使って同じ宿主の体内にいるライバルたちと殺し合いをするのだそうだ。この生存競争に勝ち残った幼虫は顎も付属肢も失い、白いウジ虫になって体の表面から栄養を摂取する生活に移行する。

 第三に排泄しない。周囲はすべて食べ物なのだから、そこに排泄するのはごちそうが盛られたお皿にウン〇するようなものだ。ではどうするかというと、消化管の末端を閉じたままにして排泄物を体内に溜めておいて、宿主の体から出て繭を作る時が来てから消化管を完成させるのだそうだ。人間に例えるなら、生まれてから成人するまで排泄しないというようなものだろう。成人式の会場のトイレが大変なことになってしまいそうだな。〔やめんか!〕



   次回予告

 諸君らが愛してくれた狩猟採集民族は奴隷にされてしまった。何故だ!

 次回「農耕民によるヨーロッパ侵略」平和主義者だからさ。




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     農耕民によるヨーロッパ侵略


 1月下旬に直径三〇ミリほどの棘の短いウニに茎が付いているような物を見つけた。どうも近くの街路樹から落ちたものらしい。クリの実からの連想でこの中に種子があるのだろうと思ってバラしてみたのだが、リンゴの実で言えば果肉から芯に相当する部分まで繊維質の構造があるだけで種子らしいものは見当たらなかった。

 帰宅してから調べてみると、これはモミジバスズカケノキの実で、毛の生えた種子がすべて抜け落ちて、木質の骨格だけが残ったものらしい。種子に毛が生えているということは風に乗って生息域を広げるタイプで、鳥を呼び寄せるための甘い果肉などは必要ないのだろう。果実の画像を見ても棘だらけで、いかにも「食べるんじゃないよ」と言いたげな形である。

 このモミジバスズカケノキというのはヨーロッパ南東部からアジア西部を原産地とするスズカケノキと北アメリカ原産のアメリカスズカケノキの交配種で、イギリスで作られ、明治時代に日本に渡来したのらしい。成長が早いという点で街路樹や庭園樹に向いている樹木で、一般的に「プラタナス」と呼ばれているのがこれだそうだ。人間に例えるなら、幼い頃に生き別れになって、それぞれヨーロッパと北アメリカで育った兄と妹がイギリスで出会ってできた子どもたちというところだな。〔近親交配はよくないぞ〕

 例えが悪かったか。コーカソイドとモンゴロイドくらいにするべきだったな。


 さて本題に入ろう。『日経サイエンス』2021年3月号に「DNA解析が明かす先史ヨーロッパ農耕民による狩猟採集民の征服」という記事が載っていた。その要点は以下の通りである。

(1)およそ9000年前、農耕民が中東からヨーロッパに侵入した。

(2)この農耕民の集団は黒海の北と南を回り込んでパリ盆地で合流し、深い森に住んでいた狩猟採集民と遭遇した。

(3)初期には農耕民と狩猟採集民との間に交易や交配があった。しかし、5000年前にはヨーロッパでは農耕民が優勢になった。

(4)農耕民は階層社会を形成していたが、狩猟採集民の血を濃く受け継いだ人々は下級民として扱われていたらしい。

 ちょっと気になったので調べてみると、およそ一万1500万年前にはチグリス川、ユーフラテス川周辺でヒツジやヤギの飼育とコムギ、エンドウマメ、レンズマメの栽培が始められているのに、イランのガンジ・ダレ遺跡から発見された西アジア最古の土器はイノシシ形だったらしい。これはどう見ても煮るための調理器具ではない。麦や豆のような硬い物をどうやって調理していたんだろう……と思ったのだが、これは簡単なことだった。パンである。硬い穀物は粉にしてから水を混ぜ、成形して焼けばよかったのだ。

 初期の縄文土器では「煮る」ためのものが目立つのだが、中東からヨーロッパにおいては皿や壺のように器として使われたものが多いようだ。その頃のユーラシア大陸西部の農耕民の主食がパンのようなものだったのなら煮ることを必要としなかったのも理解できる。

 また、農耕民は階層社会を形成しやすいのに対して狩猟採集民はそうなりにくいような感じもしたのだが、これは会社組織を考えるとわかりやすかった。従業員が数人しかいない町工場なら社長も含めて全員ほぼ対等な職人集団でもいいのだが、大きな会社になって人数が増えてしまうと、社長の下に部長、課長、係長、平社員という階層を形成しないと組織的な活動に支障が出るのだろう。

 そして特に驚いたのは、もともとヨーロッパに住んでいた狩猟採集民について「彼らの多くが黒い髪と青い目をしていたと考えられる」「身長はかなり高く、筋肉質だったようだ」という記述まであったことだ。体格は出土した骨を見ればわかるんだろうが、それから抽出したDNAなどから髪や目の色までわかってしまうということらしい。

 さらにその先には「農耕民はヨーロッパ大陸の大部分に広がっていた狩猟採集民よりも背が低かったことが示されている。また髪は同じように黒かったが、目は黒く、おそらく色白だった」とも書かれているのだが、ここで疑問が生じる。

 シカやオーロックス(ウシの祖先種)などを狩っていた狩猟採集民なら大地を耕してきた小柄な農耕民よりも戦闘力で上回っていただろう。具体的な体格差までは書かれていないから、思い切って大人と子どもほどの差があったとしてみよう。大人と子どもが戦ったとしたら、武器の使用・不使用にかかわらず大人が勝つだろう。しかし、彼らは農耕民によって排斥されたり、農耕民社会の最下層に組み込まれたりしてしまうのだ。

「諸君らが愛してくれた狩猟採集民は奴隷にされてしまった。なぜだ!」〔こらこら〕

 第一に数で圧倒されたという可能性があると思う。同じ土地面積で比較すれば、狩猟採集よりも農耕の方が養える人間の数は多くなる。大人と子どもであっても大人1人に対して子ども10人なら圧倒できるだろう。

 第二に戦おうとしなかったという可能性もある。森を切り開いて耕作地に変えていった農耕民は大地も動物も植物も支配し、好きなように作り変えることに慣れていただろうから「侵略している」という意識はなかったはずだ。それに対して狩猟採集民の側はというと、彼らにとって環境は従うしかないものだったのではあるまいか。農耕民の侵入も森が切り開かれていくことも環境の変化であって、それに逆らおうという気持ちになれなかった可能性があると思う。森がなくなったら他の森に移動すれば済むことだっただろうし、例え農耕民を追い出しても切り開かれてしまった森がよみがえるのには少なくとも数十年はかかる。それを待っている間に次の農耕民集団がやってきてしまうこともあったはずだ。森といっしょに獲物を奪われた狩猟採集民の中には下層民に組み込まれることと引き替えに安定的に食料を得られる道を選んだ者たちもいたのだろう。不適切な例えなのを承知の上で言わせてもらえば、彼らはイヌやネコのような立場になることで生き延びたのだ。

 もしも将来を見通せるリーダーがいたら、狩猟採集民を統率して農耕民の侵入を阻止できたかもしれない。そうすれば文明の発展、つまり自然破壊の進行を5000年や1万年は遅らせることも……いやいや、その場合はおそらくインドや中国で産業革命が起こってしまうんだろうなあ。

 今や農耕民族は地球表面を支配するだけではあきたらず、月や火星まで耕してしまおうとしている。このままだと、農耕民族が宇宙全体に広がってしまうのも時間の問題だろう。〔それまで滅びなければ、だがな〕



   次回予告

 若い読者に贈る。

 次回「問題図書」やめてください。迷惑です。




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     問題図書


 さすがにタイトルを出すわけにはいかないが、分子古生物学者のS氏が書いた本を読み終えた。カバーには「若い読者に贈る」とあるから、偉い偉い先生様に「~だ」「~である」と断言されると、それを鵜呑みにしてしまうような素直な読者向けの本なんだろう。作者のように本の内容を疑ってかかる年寄りが読んではいけないものなんだろうな。

 内容はというと、第一章や第二章はともかく、第三章で以下のような生物の定義が出てくる。

(1)外界と膜で仕切られている。

(2)代謝(物質の出し入れやエネルギーの利用)を行う。

(3)自分の複製を作る。

 何度も言うようだが、(1)と(3)は「地球の生物の定義」である。ここで「地球の」を抜いたために後で矛盾が生じる。それが第六章の「もしかしたら、この宇宙のどこかには、自然選択と無関係な生物が、いや複製さえ作らない生物が、生きているかもしれないのである」という記述だ。〔読点が多いな〕

 確かにソラリスの海のようなものは地球の生物の定義には収まらない。それはこの著者もわかっているらしくて、その後には「私は生物を定義することはできないと思うけれど、地球の生物を定義することはできると思う」とも書いている。それなら最初からそう言えばいいのにね。

 次に引っかかるのは第五章だ。キリンの首が長くなったということについて「首の長いキリンの方が首の短いキリンよりも、たくさんの木の葉を食べられたとする。つまり、首が長い方が生きるために有利だと仮定するわけだ」と書かれている。自分にとって都合のいい仮定を導入すると宣言したのだからこの先の展開は読まなくてもわかるだろう。

 作者は同じキリン科のオカピの存在を忘れてはいけないと思う。この首が長くないキリンの仲間は熱帯林の中で木の葉や下草を食べているらしい。このオカピの首が長くなっていったと仮定してみよう。少し長くなると下草が食べにくくなる。これは生存していく上で少々不利な形質だろう。さらに長くなって頭の位置が木の枝よりも高くなると枝がじゃまになって、捕食者を発見することも襲われた時に逃げることも難しくなる。キリンが生き残るためには森から出るしかなかったのだろうと作者は思う。

 そうして開けたサバンナに出てみると、ちょうど食べやすい高さにアカシアの葉があった。森を出る勇気とアカシアの存在という幸運がキリンを生存させたというのが作者の考えるシナリオだ。だいたい首が長い方が無条件に有利であるのならユーラシア大陸の森では首の長いウシが生まれなかったことを説明できまい。

 第一〇章はもうどうしようもない。「動物が動くのは、消化管の中に食物を入れるためだ。だから、進む方向に口がある。そして進む方向を前という。つまり口がある方が前なのだ」って……なんだかなあ。この人は化石屋さんだから実際に生きている生物を見た経験が不足しているのだろう。残念ながら生物の世界では例外が当たり前のように存在するものなのだ。

 ウニやヒトデ、古生物だとアノマロカリスやウミサソリの口は下向きに開口している。つまり、口の向きと進行方向は九〇度ずれているのである。一部のクラゲや三葉虫の口は実質的に後ろ向きだ。さらにプラナリアなどの口は細長い体の中心の下面にある。これは体の隅々まで伸びている消化管の枝を使って脊椎動物などの血管のように栄養を送り届けるためだ。少なくとも作者は口を前方に向けるために体を二つ折りにして泳いでいくプラナリアなど見たことはない。

 第一一章には「人類以外に直立二足歩行をする生物はいない」として、その欠点は四足歩行に比べて足が遅くなることだと書かれている。珍しく正論だ。

 しかし、次の第一二章では足が遅くなるのになぜ二足歩行を始めたのかについて、チンパンジーのような多夫多妻的な社会から一夫一妻的な社会に移行したためだろうとしている。「この場合は、ペアになったメスが産んだ子は、ほぼ自分の子と考えてよい。したがって、直立二足歩行によって食物を運んで生存率を高くしてあげた子は、たいてい自分の子だ。自分の子には直立二足歩行が遺伝する。だから、直立二足歩行をする個体は増えていく」のだそうだ。〔浮気はしないのか?〕

 これも繰り返しになるが、これで二足歩行(この段階では直立する必要はない)が必要になるのは配偶者がいる雄だけである。食物のある場所へ向かう時と雌や独身の雄には二足歩行する理由にならない。そして足が遅くなることによって補食されてしまいやすい遺伝子を持つ雄を選ぶような物好きな雌がどれだけいるのかという問題もある。

 おそらくS氏の論理の背景には「人間は万物の霊長である」という根拠のない思い込みがあるのだろう。しかし、作者はヒトもただの地球型生物であると思っている。ヒトは骨盤の形成不良によって股関節が直立型になってしまったので、嫌でも直立二足歩行にならざるを得なかったのだろう、と。

 とはいえ、あら探しばかりしていると心がささくれてくるので、一夫一婦的社会から雌雄ともに二足歩行に移行する可能性についても考えてみよう。

 この場合は家族単位で考えればいい。具体的には木の上にいるのは雌と乳飲み子だけにして、雄と授乳期を終えた子どもたちで食物を持ち帰るのだ。地上にいるのが2個体になれば補食される確率は2分の1、3個体になれば3分の1になるし、子どもたちも性別にかかわらず二足歩行をする理由になる(それでも直立までは必要ない)。男の研究者には無理なのかもしれないが、生物について考える時には雌にとって有利であるかどうかという視点からの検討も必要だろうと作者は思う。

 がんやら幹細胞やらは面倒だからスルーするーとして、第一三章ではシカやイノシシによる被害を低減するために海外からオオカミを導入する計画について「しかし、野生のオオカミがいたら、ヒトが襲われる危険性は非常に高い。それでもオオカミを日本に復活させるべきだろうか」だと。もしかして、この人の前世はヨーロッパの羊飼いなんだろうか。送り狼という言葉があるように、通常オオカミがヒトを襲うということはない。ヒツジは襲うだろうが、それは「ヒツジは羊飼いのもの」という概念がオオカミには通用しないからだ。ヒトがオオカミに咬まれる事故が発生するとしたら、とうに野生を失ってしまった人間どもが不用意に接近したような場合くらいだろう。それが起こる確率は交通事故のように人間から危害を加えられるのよりもはるかに低いらしいぞ。

 分子古生物学の専門家が生物を語るというのは、大工の棟梁が自動車を組み立てるようなものなんだろうな。



   次回予告

 ダイソンスフィアは大きすぎて構造的にも無理があります。

 次回「木星スフィア」時代は今、軽量コンパクト。




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     木星スフィア


 今回はダイソンスフィアのような巨大な建造物を建設するのは無理があるから、恒星の代わりに巨大ガス惑星を使ったらどうでしょうという話である。これはダイソンスフィアと小松左京先生の『さよならジュピター』から発展させたアイデアだから新鮮味がないし、もう小説にしてしまったものなのだが、切り口を変えて再利用させていただくことにする。あしからず。

 さて、ウィキペディアの「ダイソンスフィア(ダイソン球)」のページを開くと、最初に出てくるのが「恒星を卵の殻のように覆ってしまう仮説上の人工構造物。恒星の発生するエネルギーすべての利用を可能とする宇宙コロニーの究極の姿と言える。名前は高度に発展した宇宙空間の文明により実現していた可能性のあるものとしてアメリカの宇宙物理学者、フリーマン・ダイソンが提唱したことに由来する。ただし、ダイソンが考案していた元のアイデアでは恒星全てを覆ってしまうものではなかった」という説明である。1960年の初出論文では「その親星を完全に囲んだ人工生物圏」と書かれていて、その「生物圏」(バイオスフィア)を当時のSF作家たちが「球殻」(スフィア)と捉えてしまったのだそうだ。さらにその人工生物圏もオラフ・ステープルトン先生が1937年に発表したSF『スターメイカー』に登場する恒星の光を捕獲するための網に由来するとダイソン先生は述べておられたらしい。要するにこれは科学とSFがキャッチボールをすることによって成長していったアイデアなのだな。まあ、SFが「空想科学」と呼ばれていた頃の昔話でしかないのだが。

 しかし、恒星ひとつをまるごと覆う球殻を建造するとなると、とてつもなく大規模な工事が必要になる。恒星の重力や系内惑星の運動に寄って生じる潮汐力にも耐えられる構造にする必要があるからなおさらだ。 

 人工衛星の場合は十分な軌道速度さえあれば地表に落下することはない。重力は人工衛星を落下させる方向に働き続けているのだが、人工衛星は重力に対して横方向へ移動していくので、落下していく先には地球がないという状態にできるからだ。いわゆる「永久に落下し続ける」というやつである。ところが、ダイソンスフィアの場合は赤道上にあたる部分は「永久に落下し続ける」状態にできるものの、その回転軸にあたる両極上空の部分は恒星に対して静止していることになるから球殻そのものの構造で自重を支えなくてはならない。赤道と両極の間の部分となると、どういう方向にどれだけの力がかかるのかなど作者には想像するのも難しい。これでは、空気のように軽く、鉄のように強い素材を使っても不可能に近いんじゃないかという気がする。

「困ったわ。何とかならないかしら……」〔出たな!〕

「お困りですね。そんなあなたにお勧めしたいのがこちらのリングワールド方式です。これは野尻法介先生の『太陽の簒奪者』でも使われているアイデアですが、細い帯状の構造体であれば回転させることで重力を相殺できるんですよ、奥さん」

「でもこれってベルトでしょ。これを球殻にまで成長させるのは難しいって聞いたわよ」

 ラリイ・ニーヴン先生の『リングワールド』の直径は約3億キロ、幅160万キロだが、出版後まもなく力学的に不安定であることが指摘されてしまったらしい。10年後の続編ではこの問題に対する工学的な回答が示されたのだそうだ。これもまた科学とSFのキャッチボールである。

「よくご存じですね。この幅を広げるためには重力に耐えられるような軽くて強固な構造と常にゆがみを修正し続けるシステムが必要になります。そういうわけで、どうしても球殻にしたいという方にはこちらのネックレス衛星群がお勧めです」

 十分な速度を与えた人工衛星をリング状に並べれば地上に落下することはない。これは真珠のネックレスの一粒一粒に十分な起動速度を与えれば糸を通さなくても首に向かって落下することはない、というようなものである。〔いやいや、それって余計にわかりにくくなってないか?〕

「このネックレス衛星群を少しずつ軌道角度と高度をずらして配置していけば、いつかは恒星を覆い隠すことができるんです」

「ちょっと間ってよ。これ、遠くから見る分にはともかく、近くに寄って見るとスッカスカじゃない。こんなのはダイソンスフィアじゃないでしょ。ダイソンスフィアって、もっとこう……卵の殻みたいに一体の構造物だったはずよ」

「通ですねえ。そういうこだわりをお持ちの方にはこちらの木星スフィアをお勧めします。木星のようなガス惑星でしたら球殻も小さくて済みますから構造的に楽ですし、必要な材料も少ないので大変経済的です。そして恒星から遠い軌道上ですので太陽フレアに悩まされることもありません」

「でも、惑星じゃ核融合が起こらないでしょ」

「いえいえ、ガス惑星も恒星と同じように主成分は水素ですから、球殻で覆ってしまってから球殻の内側に並べた重力波レーザー発射機で惑星の中心部に十字砲火を浴びせれば核融合を起こさせることができるんです。他に熱核爆弾で点火するという方法もありますが、制御が難しいのでお勧めできません」

 作者は女の子が好きなので、ここは「水素の原子核である陽子ちゃんたちの背中をそっと押してあげるだけで、四人の陽子ちゃんたちが合体して熱く燃え上がり、ヘリウムの原子核に変身するのだ」という比喩を使いたかったところである。ちょっと残念だ。〔使ってるじゃないか〕

「でも本物のダイソンスフィアと比べるとやっぱり見劣りするわよね」

「いえいえ、木星スフィアには地球型惑星のように海や山や砂漠がありません。基本的に球殻の内面すべてを居住スペースとして利用できるんです。地球人サイズの住人でしたら木星スフィア1個で数万年から数億年の人口増加に対応できるとされています。『ダイソンスフィアなんて大きすぎて使い勝手が悪いのよ』というお客様からも高評価をいただいておりますし、土地が不足するようでしたら木星スフィアをもう1個建造すればいいんです。ここだけの話、いつかは使うんだからとフルサイズのダイソンスフィアを建造したら、いつの間にか目の届かない所に有害な生物が住みついていた、なんてこともよくあるんです」

「そうそう。あれって困るのよね」

「ただいまキャンペーン期間中ですから、無料点検1回の他に定期的な有害生物駆除のオプションも割引価格でお付けできますよ」

「ほんと? じゃあ、お願いしちゃおうかしら」

「はい。ありがとうございます」〔やれやれ、今回は長かったな〕



   次回予告

 鶏のガラを弱火でコトコト煮込んで。

 次回「トリアージ」鶏味じゃない!




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     トリアージ


 今月は科学雑誌からのネタが豊作だった。

 まずは『日経サイエンス』2021年4月号の「海外ウォッチ」というコラムに載っていた「クモの脚の知性」という記事から見ていこう。いずれかの脚が再生途上で短いクモ(クモの幼体の場合、脚がもげても脱皮の時に再生する。ただし、もげなかった脚と同じ長さにまではならないらしい)が網を作る動きを観察したところ、すべての脚が完全な長さのクモと同じくらいの速さで完全な網を作ったということらしい。「クモの脚は脳から基本的な指令を受けてはいるものの、体表にある感覚毛やスリット状の感覚器といったセンサーからの局所的な入力に基づいて動きを調節していると考えられる」のだそうだ。これはロボット工学に応用するための研究らしい。

 人間の場合、会社や軍隊のトップが「こういう事をやれ」という指示を出すだけで部下たちが目標達成に向けて自律的に動いていく。あるいは、隣にいる人とおしゃべりをしながら指先の感覚に従って仕事をしていたりすることもある。ロボット工学には詳しくないが、今のロボットはメインのAIが「灯りを点けろ」という指示を出しても、その手は何もできないんだろう。そこで手のAIが灯りのスイッチの手触りを記憶していて「灯りを点けるためにはこのスイッチをオンにすればいい」と判断できればメインのAIが何もかも指示する必要がなくなるわけだ。この人たちはロボットを生物に近づけていくことを考えているんじゃないかと思う。

 念のために言っておくと、作者は脚を一本失ったジョロウグモがやりにくそうに網を張っていた数日後に、別の脚を使って網を張っているのを見たことがあるのだが、こういう判断は脳を使わないとできないような気がする。

 もう1冊の方にはネタが3つもあった。

 まずは、もともと人間と同じ獲物を狙うライバルであったオオカミが家畜化されてイヌになったプロセスについて。

 フィンランド食品局のラーティネン博士らが北ユーラシアの後期旧石器時代末から続旧石器時代にかけての狩猟採集民が獲物としたヘラジカやアカシカのカロリー総量を推計した結果、それらの獲物から得られる総タンパクの推定量が人間が消費できる分を上回ることがわかったのらしい。「この寒冷期の北ヨーロッパからロシア地方にかけての狩猟採集民は脂肪分を含む肉を摂取して、脂肪分が少ない不要な赤身肉をオオカミのえづけに使った可能性があるという」「こうした人間との共存関係のもとでオオカミが飼い慣らされて従順になり、やがて猟犬や番犬になったのではないかとのべている」のだそうだ。

 うーん……オオカミだって肉が放り出してあったら食べるだろうが、それは共存ではなく、寄生だと思う。オオカミをイヌ化するのなら子どもの頃から世話をして、「私はこの群れの一員である」と思い込ませる必要があるんじゃないかなあ……。まだ自分では獲物を狩ることができない子オオカミなら子犬と同じようにかわいい顔立ちをしているだろうから、それならお互いに利益がある共生関係が成立するだろう。

 次は「睡眠は脳の老化を防ぐ」だ。

 脳脊髄液は脳内からアルツハイマー症に関係すると思われるアミロイドβという老廃物を洗い流しているらしいのだが、睡眠中は脳の動脈周辺に空洞を作っているグリア細胞の一部が縮むことによって脳脊髄液の流れがよくなり、老廃物が除去されやすくなるのらしい。睡眠を取ることは大事なのだな。そこで作者はというと、平均すれば夏場で1日6~8時間、冬だと8~10時間くらい眠っていると思うのだが、48時間くらい眠くならなかったり、1日20時間眠っていたりする。こういう睡眠リズムが狂った人間がアルツハイマー症になる確率はどれくらいになるんだろうかなあ。

「科学と倫理の交差点」というコラムにはトリアージの話が出てくる。これはニワトリの骨をコトコト煮込んで取った出汁を……。〔それは「鶏味」だ!〕

 もとい、トリアージとは病室や治療器具などが不足している状況下で患者に優先順位を付けて治療することだそうだ。で、ちょっと調べてみたのだが、日本ではトリアージに失敗、つまり、死亡していると判断して治療を断念した後に蘇生の可能性があったと判明したりすると犯罪になるのらしい。緊急事態とか優先順位とかの分野では発展途上国なのだな。

 このコラムには「2020年5月にイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどの研究者らによって発表された提言を簡単にまとめたもの」も掲載されている。

(1)パンデミックにおいては1人でも多くの命を救うことが重要である。若者が優先されたり、他人のために呼吸器を外したりすることも正当化される。

 当たり前だ。個人的には回復の見込みのない患者など積極的に諦めてもいいとさえ思うが、今の日本でこれをやると、新型肺炎が収束してから訴訟を起こされるだろうな。

(2)医療従事者など代替が困難な社会機能の維持者には優先的に医療資源が与えられるべきだ。

 病気が大流行している状況下では医療従事者を最優先で守るのは当然だろう。精神的に燃え尽きる前に休ませることも考えるべきだ。そのためなら新患の受け入れ拒否くらいは正当化されるべきだろう。そして次に優先するべきなのは、残念ながら政治家である。アメリカが弱体化している今は日本を侵略するチャンスだというのに、日本の自衛隊は政治家の許可がなければ国家を守ることができないのだ。ここで政治的空白を作ると日本という国家がなくなってしまうこともあり得る。「私たちは侵略しません。ですから、あなたたちも侵略しないでくださいね」などという自分勝手な論理は今の国際社会ではまったく通用しないのである。作者個人としては、仮想敵国の首都を焼き払う能力を獲得するくらいは専守防衛の範囲内だと思う。

(3)同じような生存確率の場合、先に待機していた人を優先するのは不公平。くじ引きなどで無作為に決めるべきである。

 なんでこういう話になるんだろう? こういう時こそトリアージで治療するべき人と諦める人を分けるべきだろう。……責任逃れ……なのか? 

(4)優先順位は、介入の種類(人工呼吸器の配分、ワクチンの接種順など)によって、その都度決めるべきである。

(5)新型コロナウイルスの治療薬やワクチンの治験参加者は参加していない患者より人工呼吸器の配分においていくらか優先されるべきである。

(6)新型コロナウイルスとその他の疾患に差を付けることは認められない。

 これらはおおむね正しいのだが、おそらく日本ではうまく機能しないだろう。救いようもないくらい平和な国なのだから。



   次回予告

 タンポポの花茎はなぜ伸びるのか?

 次回「タンポポの謎」ヒトリガの幼虫と紅梅を添えて。




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     タンポポの謎


 1月にスーパーの近くで体長30ミリほどのよく太った全身真っ白いガを見つけたことがある(チョウやガの場合は一般的に羽を広げた時の「開長」で大きさを表すらしいのだが、作者はクモの観察もしているので、あえて体長を使わせてもらう)。出現期から少し外れているのだが、見た目はヒトリガ科のシロヒトリのようだった。ウィキペディアによると、このガの雄は「ヘアペンシル」というフェロモン放出器官を持ち、雌を呼び寄せるのだそうだ。亭主関白なガである。また、幼虫の色は黒褐色で「幼虫は地上を移動することが非常に多く、ガの幼虫では移動速度が最も速い。これらによって幼虫は食事の為に昼夜を問わず数百メートル以上移動し、農村や市街地のアスファルトの道路をよく横断する」とも書かれている。これは多分、夏場によく見かけるあの毛虫だろう。幼虫はクワ、スイバ、タンポポ、イタドリなどいろいろな草を食べるらしいから次の草まで移動する必要があるということなんだろう。逆にアゲハやモンシロチョウの幼虫のように特定の植物しか食べない幼虫は、移動した先に食草があるとは限らないのだから食べる物がある限りはそこから移動せずに食べ続けるのが正解になるのだろう。

 そしてこれは個人的な予想なのだが、ヒトリガの幼虫の移動速度が速いのは高温の路面に触れることによって体温が上がってしまって、筋肉の収縮速度も上昇してしまうということなんじゃないだろうか。それとも暑くてたまらんから涼しい場所を求めて急いでいる、とか? 毛虫が好きな研究者なら毛虫の体温と移動速度の関係を調べてみても面白いんじゃないかと思う。〔いるのか、そんな研究者?〕

 毛虫がいやならモンシロチョウの幼虫などを20度Cと40度Cにした板の上に乗せて、その移動速度を比較してみるとか、だな。ただ、食草が決まっているイモムシは直線的に歩いてはくれないような気がするのだが……その辺りの問題解決はお任せする。あしからず。


 3月初めには紅梅が咲き始めた。もしかして紅梅は白梅よりも遅く咲くのだろうか。そういうことなら、これがほんとの「紅梅先に咲かず」……。〔「後悔」に「立たず」だ!〕

 しかし『ジャパントレジャーメディアサーチ』というサイトには「紅梅と白梅で開花の時期が異なるということはありません」と書かれていた。品種によって早咲きと遅咲きがあるというだけのことらしい。しかも紅梅というのは材の断面が淡い紅色をしているから紅梅で、白梅の材は白っぽいのだそうだ。したがって、白い花を咲かせる紅梅も赤い花の白梅もあるのらしい。「1本の木に白い花と赤い花の両方が咲くようなこともあるそうですよ」とも書かれていて、これは作者も見たことがある。なお、梅干しや梅酒造りに使われるのは白梅で、紅梅の実は小さくて硬く、苦みもあって、あまり食用には向いていないらしい。つまり食べてみなくては最終的な判断はできないというわけだ。ただし、ウメやアンズ、モモなどのバラ科植物の葉や未熟な果実や種子には青酸配糖体が含まれているので、大量の未熟な種子を噛み砕いて食べたりすると中毒する場合があるそうだ。ちなみに、梅酒に漬けた青梅や梅干しにしたものは酵素が活性を失っているので毒性は低下しているのらしい。もっとも、梅酒や梅干しを大量に摂取するとアルコールや塩分の摂り過ぎという面で健康を害することになってしまいそうな気がする。


 3月上旬。サイクリングしながらタンポポの咲き具合を見てまわった。

 すでに綿毛になっているタンポポもあって、その綿毛の下の花茎は最長20センチほどだったが、そのタンポポは割と風当たりがよさそうな場所に生えていたのだった。風を遮りそうなものといえば、30センチほど離れたところに生えている20センチほどのホトケノザが1株しかない。これだけを見ると周囲の草丈と綿毛の下の花茎の長さは関係ないような気がするのだが、気温が高くなれば周囲の一年草の草丈が高くなって種子が風に乗りにくくなってしまうだろう。その場合は花茎を伸ばして綿毛を十分に強い風が吹く高さまで押し上げる必要があるはずだ。なお、今では冬でもタンポポが咲いていることが多いのだが、これは単為生殖ができる外来種のセイヨウタンポポらしい。なるほど、それなら昆虫に受粉の手伝いをしてもらう必要がないから1年中繁殖できるわけだ。

 しかし、同じキク科でヨーロッパ原産の外来種だというブタナは季節によって花茎の長さを変えたりしない。これはタンポポモドキという別名があるようにタンポポによく似てはいるがやや小さめの黄色い花を30センチから60センチにもなる枝分かれした花茎のそれぞれの先端に咲かせるという多年草である(花期は6月から9月)。ブタナは花期が来ると一気に花茎を伸ばして花を咲かせる。それはもう、周りの草の丈などお構いなしで、とにかく花茎を伸ばしてしまうのだ。それに対してタンポポは周囲の一年草が伸びる前なら花茎を短く、それらが育ってくると花茎を長くしているように見える。タンポポはなぜブタナのように一定の高さまで伸ばしてしまわないのだろう? 

 結論から言ってしまえば、タンポポにはジベレリンの量を調節するメカニズムがあるからだということになる。ウィキペディアによると、ジベレリンとはある種の植物ホルモンの総称で「生長軸の方向への細胞伸長を促進させたり、種子の発芽促進や休眠打破の促進、老化の抑制に関わっている」のだそうだ。ちなみにブドウの果実にジベレリン処理をしたものが種なしブドウらしい。

 タンポポは、春先はジベレリンの産生を抑制し、周囲の一年草が育って風当たりが弱くなるようならジベレリンを分泌し続けてどんどん花茎を伸ばして種子が風に乗りやすくなるようにしているのではないかと思う。ブタナはそういう調節をせずに、ただ花茎を伸ばしてその先に花を咲かせているように見えるのだが、それはブタナが花を咲かせる時期には周りの一年草も伸びているので、他の草が育っているという前提で花茎を伸ばすからなんだろう。

 さらに水や栄養の問題もあるかもしれない。作者がいままで見てきたタンポポの綿毛の下の花茎で最長のものは70センチから80センチほどになっていたのだが、そのタンポポが根付いていたのはアスファルト舗装の駐車場とブロック塀の間だった。こういう悪い環境で育ったタンポポのお母さんは「子どもたちはもっといい場所にたどり着けますように」と、精一杯背伸びして綿毛を持ち上げてもおかしくはないだろう(プロの研究者には嗤われそうだが)。逆に快適な環境に根付いているのなら、種子があまり遠くへ飛ばされないように花茎を短めにするようなことがあってもいいような気もするんだが、どうなんだろうかなあ……。



   次回予告

 ショック! 泉の女神は女装した男神だった。

 次回「金属の斧」んなわけあるかい! 




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     金属の斧


 あの童話のパロディーを思いついたので、念のためにウィキペディアを開いてみたら、もともとのイソップ寓話では正直な木こりが斧を落とすのは川で、川に潜って金の斧や銀の斧を拾ってきてくれるのはヘルメースという男の神様だったのらしい。昔の日本では木こりというと問答無用で男性というイメージだっただろうから、「見返りを求めることなくそれを助けるのが男神では不道徳だ」ということで女神に替えてしまったというような経緯があったんじゃないかと思う。

 ウィキペディアの「ヘルメース」のページを開いてみると、「オリュンポス十二神の1人」「神々の伝令史、とりわけゼウスの使いであり、旅人、商人などの守護神である」「商業・盗賊・雄弁・科学の神」などの説明が出てくる。現代のコンビニのように便利で親切な神様だったようだ。それなら困っている木こりのために斧を探してあげるくらいのことはしてくれそうである。とはいえ、金の斧や銀の斧まで拾ってくるというのはやり過ぎだと思うが。

 なお、作者は女の子が好きなので、今回は泉の女神という設定を採用させていただく。あしからず。

 さて、適度に尺を稼いだところで本題に入ろう。

 昔むかし、あるところに女神様が住む泉があったのじゃ。

 そこへやって来たのが1人の木こりじゃった。木こりは木を伐ろうとして手を滑らせ、斧を泉に投げ込んでしまったのじゃ。

 そこで木こりは叫んだのじゃ。

「オーノォ-!」

 木こりはアメリカ人だったんじゃなあ。めでたしめでたし。〔女神はどこ行った!〕

 もちろん女神バージョンも用意してある。

 昔むかし、あるところに女神様が住む泉があったのじゃ。

 そこへやって来たのが1人の木こりじゃった。木こりは木を伐ろうとして手を滑らせ、斧を泉に投げ込んでしまったのじゃ。

 木こりが困っていると、女神様が現れて木こりに問いかけたのじゃ。

「あなたが落としたのはこの金の斧ですか? それともこちらの銀の斧ですか?」

 それを聞いた木こりはたいそう困ってしまったのじゃ。

「い、いいえ。あの、その……私が落としたのは……あなたの頭に刺さっている鉄の斧です」

「おーまーえーかあぁぁ」

「ひええ~」

 耳まで裂けた口から伸びている牙を見た木こりは、命からがら村へ逃げ帰ったということじゃ。めでたしめでたし。〔業務上過失障害だな〕

 科学的なバージョンというのもある。

 昔むかし、あるところに女神様が住む泉があったのじゃ。

 そこへやって来たのが1人の木こりじゃった。木こりは木を伐ろうとして手を滑らせ、斧を泉に投げ込んでしまったのじゃ。

 木こりが困っていると、泉の中から女神様が現れて木こりに問いかけたのじゃ。

「あなたが落としたのはこの水素の斧ですか?」

 これには木こりも驚いた。

「ええっ。水素で斧が作れるわけがないじゃありませんか」

「甘いですね。超高圧の環境下では水素も金属のように振る舞うのですよ」

 周期表を見るとわかりやすいのじゃが、ヘリウムや窒素や塩素のように金属にならない元素の方が圧倒的に少数派なのじゃ。

「なるほど。でも、なぜ泉の中がそんな超高圧環境になってしまうんですか?」

「知らないわよ、そんなの。この泉はワームホールで大型ガス惑星の中心部に繋がっているでも、泉の底にブラックホールが沈んでいるでも好きなように考えたらいいじゃない」

「……そうですか。私の斧は、常温常圧ではあっという間に気化してしまうような厄介なものではありません」

「ではこちらのリチウムの斧ですか?」

「いいえ。私の斧は充電式ではありません」

「ではこちらのベリリウムの斧ですか?」

「スピーカーを作るわけじゃないんですから」

「ではこちらのナトリウムの斧ですか?」

「ナトリウムは水と激しく反応する金属だったはずです。なぜ水の中から取り出せるんですか?」

「さあ……。撥水コーティングでもしてあるのかしらね。ではこちらのアルミニウムの斧ですか?」

「斧にするには柔らかすぎます」

「ではこちらのチタニウムの斧ですか?」

「軽すぎて使いにくいでしょう」

「ではこちらのマンガンの斧ですか?」

「リーチ一発、ドラ3」

「親で1万2000点ですね。ではこちらの銅の斧ですか?」

「さりげなく鉄を飛ばしましたね。柔らか過ぎてどうにもならないでしょう」

「あなたもなかなかですね。ではこちらの亜鉛の斧ですか?」

「性欲が昂進してしまいます」

「亜鉛も摂取しすぎると有害なんですよ。ではこちらのバリウムの斧ですか?」

「銀まで飛ばしますか。硫酸バリウムを飲むと便秘してしまうんですよね」

「ではこちらの水銀の斧ですか?」

「金まで飛ばした! だいたい液体の斧で木を伐れるわけがないでしょうに」

「マイナス39度以下なら固体になりますよ。ではこちらの金の斧ですか?」

「やっとここまで来ましたか。いいえ、私の落としたのは鉄の斧です」

「あなたは正直者ですね。ではこれらの斧をすべてあげましょう。それっ」

「え? うわわーっ」

 木こりは斧の山の下敷きになってしまったということじゃ。めでたしめでたし。〔どこがめでたいんだ!〕



   次回予告

 複製を作らない生物はいるだろうか?

 次回「自然選択」それは生物ではありません。




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     自然選択


 もったいない気がしてきたので、S氏の問題図書にもう少し突っ込みを入れさせてもらうことにする。今回は「複製を作らない生物はいるか」という章について集中的に掘り下げてみよう。

 まずは「現実の生物でも、自然選択は非常に重要だ。地球の環境はつねに変化する。たとえば、気温が摂氏20度から0度になったとしよう。そのとき、生物が変化しなければ、つまり20度に適応したままならば、生物は寒くて絶滅してしまうだろう」という記述について。

 これはおかしくないか? 例えば関東地方の場合、夏の最高気温は30度Cを超えるし、冬の最低気温は氷点下になることもある。これだけの環境の変化があるのにウサギやタヌキ、シカ、鳥たちなどが絶滅していないのは何故なんだ? もしかして夏と冬とでは適応する気温を変えているということなのか? それとも一年草の話……いやいや、一年草だって冬が来る度に絶滅してはいないはずだ。

 その先にもおかしな記述がある。

「また、自然選択が働かずに、ただやみくもに変化するだけでも困る。気温は20度から0度に変化したのに、生物の方は20度に適応したものから40度に適応するように変化したら、やはり寒くて絶滅してしまう」

「寒くて絶滅してしまう」のは自然選択が働いた結果だろう。百万歩譲って、複数の個体で構成される生物種の中の「40度Cに適応するように変化してしまった」個体ならば寒くて死ぬこともあるだろう。これは確かに自然選択の結果だ。これをダーウィンの進化論的に表現すると、「その種を構成する個体群の中には高温には耐えられるが低温には弱い個体や、逆に高温には弱いが低温には耐えられる個体が混在していて、気温が低下した場合には低温に強い個体の方が子孫を残す上で有利になる」というような説明になるのではないかと作者は思う。

 さらにその先、「環境の変化に合わせるように、いや正確には環境の変化を追いかけるように、生物を変化させられるのは、自然選択だけである。もし自然選択が働いていれば、気温が20度から0度になったら、生物は20度に適応したものから多分10度くらいに適応したものに変化できる」だと。

 今、サンゴの白化現象が問題になっているのだが、サンゴが白化するのは自然選択が働かなかったからだというわけか? 作者には海水温の上昇という環境の変化に耐えられなかった、つまり自然選択によって淘汰されているように見えるのだが。自然選択にできるのは環境の変化に耐えられない生物を淘汰することであって、変化させることではないような気がする。

「そして時間が経てば、0度に適応したものも現れてくるだろう。環境の変化よりは少し遅れるものの、自然選択は環境の変化を追いかけるように、生物を変化させることができるのである」というのもある。

 時間が経つだけで生物が変化するというのならば、恐竜から鳥が生まれたように、三葉虫やアノマロカリスの子孫も生き残っていなければならないはずだ。生物を変化させるのは遺伝子の変異と生物自身の努力だろう。(努力で獲得した形質は一代限りかもしれないが)。トレーニングすれば筋肉は太く強くなるのだが、自然選択に力を強くしたり、背を高くしたりするような作用があるとは思えない。

「さらにもう一つ、自然選択にはよいところがある。地球の環境は、場所によって異なる。赤道直下は暑いし、南極は寒い。熱帯多雨林には雨が多いが、砂漠では少ない。そんないろいろな環境に適応していけば、生物はさまざまな種に多様化していくだろう」

 これもよくわからない。「生物種の中の形質のばらつきに自然選択が働くことによって、その環境への適応度が高いものたちが選別されて多様化が起こる」という意味なんだろうか? 

「つまり、自然選択によって、生物は多様化しつつ、環境の変化に合わせるように変化していく。そうなれば、環境の変化についていけずに一部の生物が絶滅することはあっても、すべての生物が絶滅することは滅多にないだろう。実際に地球では、およそ40億年もの長きにわたって、生物は生き続けてきたのである。こんなに長く生き続けてこられたのは、自然選択のおかげなのだ」

 生き続けてきた? 地球で生まれた最初の生命は、自己複製することができるRNAだとか、アミノ酸を重合させることができるタンパク質だとか言われている。今でもそんな原始的な生命活動をしている生命体はいないような気がする。S氏は「世代交代」という用語を知らない……んだろうな。生物学の世界の人ではないのだし。

 しかし、こうも「~である」「~である」と言われ続けると、さすがに作者の自信も揺らいでくるのである。そこでウィキペディアの「自然選択説」のページを開いてみると、「自然選択説は進化を説明するうえでの根幹を成す理論とされる。自然選択説に基づく総合説ネオダーウィニズムでは厳しい自然環境が、生物に無目的に起きる変異(突然変異)を選別し、進化に方向性を与えると主張する」と書かれている。作者もそういう認識でいるのだが、どうもS氏の「自然選択」は何か別のものであるような気がする。

 あ、そうか! S氏にとって「自然選択」は神なのだ。S氏のお宅の床の間には自然選択様を祀った祭壇があって、朝な夕なに感謝の祈りを捧げているに違いない。なるほど、自然選択教徒だったわけだ。そんな人が書いた本なら自然選択様が生物を進化させているという考え方をしているのも納得できる。

 この章の最後の2行は集大成的な傑作だった。

「もしかしたら、この宇宙のどこかには、自然選択と無関係な生物が、いや複製さえ作らない生物が、生きているかもしれないのである」

 語るに落ちたとはこういうことを言うのだろう。少し前でS氏自身が挙げた「多くの生物学者が認めている生物の定義」には自分の複製を作るという項目が含まれている。つまり、多くの生物学者にとって自分の複製を作らないものは生物ではないのである。〔SFでは別だがな〕

※後で読んだ日高敏隆先生の『世界を、こんなふうにみてごらん』には「動物学では、現在の動物の形が必ずしも最善とは考えない」「人間も、今こういう格好をしているが、それが優れた形かどうかはわからない。これでも生きていけるという説明はつくけれど」と書かれていた。作者にはこちらの方が理解しやすいし、賛同できる。結局のところ、S氏は化石屋で、現在進行形で生きている生物についての理解が決定的に不足しているということなんだろう。



   次回予告

 思いつきで漢詩を作ってみた。

 次回「春天到了」理系人間はやらない方がいいな。




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     春天到了


      野有蒲公英

      上方花是桜

      東風抱我温

      不如意不飲

            杜甫蒲 


     春が来た

      野原にはタンポポが咲いている

      頭上の花は桜である

      東風は私を包んで温める

      これでは飲まずにいられない


 いやはや、このたった4行の詩を作るのに20時間くらいかかってしまったよ。理系の人間がやることではないな。日中辞典を参考にして韻を踏んだり蹴ったりしてはみたのだが、付け焼き刃だとボロが出そうだし。〔「トホホ」なペンネームもどうかと思うぞ〕

 さて本題に入ろう。3月中旬に、近所の舗装路とブロック塀の間で枯れていた40センチほどのノゲシの根元部分から葉が出ていて、花も一輪咲いているのを見つけた。ノゲシは種子を風に乗せたら根まで枯れてしまうことになっているのだが、この子は第二の花生を生きることにした変わり者であるのらしい。この場所は去年、美容室の建設工事が行われていたから、かく乱されてしまったということなのかもしれない。いすれにせよ、生物の世界では珍しいことではあるまい。

 高さ5センチから20センチほどのアキノノゲシのように見える野草もそこら中のアスファルトの割れ目から生えている。この草のおかしな所はノゲシと比べると数が多いつぼみの先端が黄色くなっているのに開花する様子がないことである。アキノノゲシの花期は8月からとされているので、この開花直前のような状態のままあと4ヶ月以上もの間、草丈を伸ばし続けるつもりなのかもしれない。サクラなどでも前年の秋のうちに花芽(かが)ができているということらしいから、つぼみを早めに用意しておいてもおかしくはない、とは思うのだが、いくらなんでも早すぎじゃないのか? そこまで急ぐことに何か意味があるんだろうか。

 翌週には、この野草の上の方のいくつかのつぼみから綿毛が生えてきた。開花せずにつぼみの状態で自家受粉しているのか、あるいは風媒花なのかもしれない。ということはアキノノゲシではないのだろう。ひとまずツボミノゲシ(仮)と呼んでおこうかと思う。

 キク科ノゲシ属のオニノゲシというのもあって、葉の切れ込みが深いところは似ているのだが、葉がトゲトゲしていて触ると痛いというし、ノゲシよりも大型だと書かれている。花期は春から晩秋という点だけは一致するのだが、「春先はつぼみのままで自家受粉」などという記述は見当たらない。

 またノゲシやアキノノゲシは葉や茎を傷つけると白い乳汁が出るということなので試してみたのだが、ツボミノゲシ(仮)は出なかった。というわけで、この野草はノゲシでもアキノノゲシでもオニノゲシでもないということになる。

 3月中旬。よく見ると、ツボミノゲシ(仮)の一部のつぼみからおしべらしきものが何本か突き出ていた。これは、花びらを広げずに開花しているということなのかもしれない(おかしな表現だが)。種子がすべて飛んで行ってしまって先端が丸坊主になってしまっている花茎もある。

 もしかしたらこれは珍しい外来種なのではないかということで「キク科 外来種」で検索してみると、ビンゴ! ノボロギクというのが出てきた。ウィキペディアによれば、これは「キク科の越年生または一年生の広葉雑草」「茎は中空で高さ20から40センチに直立、多数に分岐して株を形成する」「開花は通常5~8月、温暖な地域では一年中。花は1センチ程度の頭状花序で黄色い筒状花だけの花をつける」「世界中の寒冷地~亜熱帯に分布する。日本では明治初期にヨーロッパから入り、北海道から沖縄まで全国に分布する」ということだから特に珍しい野草ではないようだ。大きく開く花ではないので無視されてしまいやすいということなんだろう、と思ったのだが、手元の植物図鑑では「冬の花」として掲載されていたのだった。まさか、3月に咲き始めた花が「冬の花」とされているとは思わなかったよ。ミステリーでよく使われる思い込みを利用したトリックみたいだ。

 それはともかく、その花の形と開花期からして虫をあてにせずに受粉するシステムを持っているのは間違いないだろう。他の一年草が生長する前から種子を散布し始めるというしたたかな戦略である。自家受粉だとすると遺伝子のシャッフルが起こらないという問題があるはずだが、ソメイヨシノも今のところは滅びていないのだから大きな問題ではないのだろう。ああっと、突然変異の確率を上げるというような奥の手を持っているのかもしれないな。

 ソメイヨシノよりも大きな白い花のオオシマザクラも咲き始めた。作者個人としては桜の仲間の中で一番好きなのがこのオオシマザクラである。今はまだ早いが、もう少しすると鮮やかな緑の若葉が萌えてくるので、花びらの白と若葉の緑のコントラストが美しいのだ。その上、オオシマザクラの若葉の塩漬けは桜餅に使われているのである。なお、オオシマザクラはソメイヨシノのお母さんでもある。ちなみにお父さんはエドヒガン。ソメイヨシノの葉が伸び出す前に花を咲かせるという形質はエドヒガンから受け継いだものらしい。そういうエドヒガンは「葉がない」と「歯がない」をかけてウバザクラ(姥桜)と呼ばれることもあるのだそうだ。現代ならばセクハラ案件だろうが、江戸っ子らしい言葉遊びである。

 念のために言っておくと、作者は桜に優劣を付けるつもりはない。それぞれの桜に相応しいシチュエーションがあると思っているだけだ。例えば、富士山の周辺から箱根辺りに自生しているマメザクラは樹高が低いし、花も大きくないので、近くに寄ってそのかわいらしい花を愛でるのがいいと思うし、大木になったオオシマザクラは少し下がって見上げるのがいい。ヤマザクラは開花と同時に赤っぽい若葉を広げるので、谷を隔てて対岸から眺めると花と若葉の色が混じり合って濃いピンク色に見えるのがいいと思う。特に針葉樹の中にぽつんと咲いているヤマザクラなどは毎日通っても飽きないくらいだ。ソメイヨシノはというと……満開の桜の下で酒を酌み交わすのがいいんだろうなあ。



   次回予告

 50キロ降下すればリンが手に入るはずだ。

 次回「ホスフィン」金星の地表は92気圧・460度Cなんだぞ。




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     ホスフィン


 これが読者に読まれる頃には古い話題になっていそうなのだが、ある雑誌の2020年12月号に「金星の大気に「生命の兆候」物質を発見」という記事が載っていた。金星を電波望遠鏡で観測したところ、ホスフィン(PH₃)という分子に特徴的な吸収を確認したということらしい。このホスフィンという分子は木星内部のような高温高圧環境で生成されるか、地球では人為的に合成されたものの他に嫌気性の微生物が土壌中のリンと水素を結合させて産生していると考えられるものなんだそうだ。ご丁寧に「金星の上空50~60キロメートル(この領域なら液体の水が存在できるのだろう)では微生物が存在できる可能性がある」というキャプション付きのイラストまで添えてある。

 しかし、だ。リンというのは基本的に地殻、つまり岩石中にリン酸塩の形で含まれている元素なのである。ということは、この雑誌さんは「金星のはるか高空に地球型の微生物が生きていて、彼らがわざわざホスフィンを産生するために92気圧・460度Cという地球型生物にとっては地獄のような金星の地表まで降下し、命が尽きるまでのわずかな時間でホスフィンを産生しているのだ」と言いたいのらしい。それは素晴らしいSFであるかもしれないが、少々非科学的過ぎるのではあるまいか。

 この件に関しては、1ヶ月も経たないうちに「複数の追試の結果、ホスフィンによる吸収は見られなかった」というニュースが流れてしまうのだった。電波望遠鏡による観測結果はホスフィンではなく、二酸化イオウでも説明できるということらしい。どうやらデータ処理の過程で生み出された幽霊のようなものだったようだ。科学の世界ではよくあることである。しかし、静かな水面に石を投げ込むような変わり者がいないと科学は進歩しないのだ。その勇気は賞賛されていい。ただし、日本でこういうことをして、ミスだったとわかると科学の約束事をしらないマスコミからくそみそに叩かれることになる。弱い者いじめが大好きな人間どもが多い業界だからしょうがないけどなあ……。

 と、ここで終わりになるのかと思っていたのだが、また何ヶ月か後、あるサイトに『やはり金星にはホスフィンが存在する? 40年以上前の観測データを分析した研究結果』という記事が掲載されてしまった。カリフォルニア州立工科大学ポモナ校の研究グループが「1978年に取得されたアメリカ航空宇宙局(NASA)の金星探査機による観測データを再評価したところ、金星の大気中にホスフィンを初めとした生命活動にも関連した化学物質の存在を示す兆候が見つかったとする研究結果を発表しました」ということらしい。NASAの金星探査機、パイオニア・ヴィーナス2号による観測データを分析したところ、金星の大気圏に突入した大型1基、小型3基のプローブのうち、大型プローブに搭載されていた中性ガス質量分析器の観測データの中から金星大気の中層(高度65キロから100キロの非常に安定した層らしい)においてホスフィン、硫化水素、亜硝酸、硝酸、シアン化水素、一酸化炭素、エタンといった化学物質の存在を示唆する兆候が見つかったのだそうだ。なるほど、これらは地球型生物に繋がる有機物の原料になりそうな物質である。これではSF者としても金星大気中のホスフィンについて真面目に考えてみるしかあるまい。〔あくまでも作者レベルでの「真面目に」だからそのつもりで〕

 あり得る可能性をいくつか挙げてみよう。

 まず第一に、観測されたのは二酸化イオウであってホスフィンではなかったというオチ。これなら問題は何もない。日本のマスコミが大喜びするだけである。

 第二に金星大気の中層で地球型生物がホスフィンを産生している可能性。この場合は金星の地表からこの高度までリンを持ち上げる必要がある。しかし、地球に存在しているリンの多くは水に溶けにくいリン酸塩鉱物になっているのだ。金星の地表の環境で液体の水が存在できるはずもないのだが、水に溶けにくいということはそれだけ安定していると思っていい。となると、まず固体のリン酸塩から昇華点が360度Cの5酸化2リン(これは実際には10酸化4リンの形になっているらしい)を生成するメカニズムが必要になるだろう。5酸化2リンは工業的にはリン鉱石(3Ca₃(PO₄)CaF₂)にコークス、ケイ砂(SiO₂)、鉄くずを混合し、650度C程度の熱風によって燃焼させて製造するそうだから、うまくいけば金星の地表でも無機的に生成することもあるかもしれない。こうして生成した5酸化2リンに水素を反応させればホスフィンを作ることもできるだろう。しかし、地表で生成した5酸化2リンを金星の高度50~60キロまで持ち上げるのはかなり無理がある。この気体は二酸化炭素の大気よりもだいぶ重いので強い上昇気流が必要になるのだ。

 光田千紘先生の『金星大気の鉛直温度構造』という論文によると、金星大気は下層、中層、上層の3つに分けられるのだが、「下層大気は基本的に安定成層しており、地球の対流圏のような対流は存在しないと考えられる」のだそうだ。これは30キロにも及ぶ厚い硫酸の雲に常時覆われているために地球のように地表まで太陽光が届くことがないので、低気圧の上昇気流や高気圧の下降気流が発生しにくいのだろうと思う。その代わり、と言っていいのかは疑問だが、スーパーローテーションと呼ばれる風速100メートルという東西風が高度70キロ付近に存在しているらしい。つまり、地球のような垂直方向の大気循環が存在しない代わりに上空で水平方向に循環しているということなんだろう。

 さて困った。5酸化2リンの地球の空気に対する相対蒸気密度は4.9だというから、金星の大気の主成分である二酸化炭素よりもだいぶ大きい。これではかなり強い上昇気流がないと、生物がいる高度まで届かないだろう。

 そこで第三の可能性。SFらしく、金星の地表に生息している地球型ではない生物がホスフィンを産生している、だ。ホスフィンの密度は1リットル当たり約1.4グラム。二酸化炭素は同じく約1.8グラムだからホスフィンさえ産生されてしまえば、後は自動的に大気の中層まで上昇していくわけである。

 もちろん92気圧・460度Cという環境で生きられる地球型生物など今のところ知られていない。好熱菌として知られるユーリ古細菌の一種は122度Cでも増殖できるというが、せいぜいその程度だ。そこで地球型生物が使っている有機物に含まれている水素原子をリチウムやナトリウム、あるいはフッ素や塩素のような水素よりもおとなしい元素に置き換えれば、最小限のアレンジで金星の地表向きの生物を生み出すことができるんじゃないかと思うんだが、どうだろう? 

※2021年7月。大規模な火山噴火によってリンを含む鉱物が硫酸の雲が存在する高度まで供給され、そこで硫酸と反応することによってホスフィンが生成する可能性があるという仮説が発表されたらしい。まいったね。



   次回予告

 リンがないのならヒ素を使えばいいじゃない。

 次回「リンとヒ素」そういうわけにも……。




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     リンとヒ素


 約40億年前、地球に生まれた最初の生命は遺伝子の材料に核酸塩基とリボースとリン酸を選んだ。DNAの二重らせん構造をはしごに例えれば、核酸塩基2個のペアとその両端に結合したリボースがステップ部分、その外側に並んだリン酸基の鎖が二本の棒に相当する。これがらせん状になっているのだかららせん階段ならぬらせん状の鎖はしごだな。〔使えるのか、それ?〕

 大気中で人間が使うのではなく、液体中で遺伝情報を保存するのだから何とかなるんだろう。そして、RNAはその核酸塩基の間で真っ二つにしたような構造になっている(DNAのチミンがRNAではウラシルに替わってはいる)。

 また細胞膜の主要な構成成分であり、生体内でのシグナル伝達にも関わっているとされるリン脂質にもリン酸基が含まれているし、生命活動のエネルギー源として知られるATP(アデノシン3リン酸)にはリン酸基が3個直列に結合していて、そのうちの1個が外れることでエネルギーを放出する。内骨格動物の骨にもリン酸カルシウムが使われている。そのせいかどうかはわからないが、地球の初期の生命は自己複製の能力を持つRNAだったとするRNA起源説でよく使われる地上の池のイラストにもリン酸イオンが溶け込んでいるように描かれていることが多い。

 このようにリンという元素は地球の生物にとって重要なものなのだが、どうも海水に溶け込んでいるリン酸イオンは極めて少ないのらしい。海水の成分表にも出てこない。おそらくカルシウムなどのプラスイオンと結合して不溶性の塩を形成してしまうのだろう。そこで疑問が生じる。40億年前の地球で生まれた最初の生物はなぜ、わざわざ存在量の少ないリンを使ったのだろう? 同族元素で最外殻の電子配置が同じ、つまり似たような性質を持っているはずの窒素とかヒ素は使えなかったんだろうか。

 実は窒素には「使えないだろうな」という印象がある。窒素の酸というと強酸として有名な硝酸(HNO₃)があるのだが、リン酸(H₃PO₄)のように酸素原子が4個結合している酸は存在しないようなのだ。あったとしてもごくわずかな量しか生成しないとか、極めて不安定ですぐ分解してしまうのだろう。逆にリンには、窒素分子に相当するリン原子が2個結合した分子が存在しないようだ(アンモニアに相当するホスフィンはある)。こういう違いがなぜ生じるかというと、おそらくリン原子が窒素原子よりも大きいからだろうと思う。周期表を見ればわかるようにリンの原子番号は15なのに対して窒素は7だ。原子核の周囲に存在する電子の数が半分以下ということは、実質的に原子そのものが小さくなって、酸素原子4個が結合するのに必要な原子の表面積が確保できないのだろう。〔許されるのか、そんな表現?〕

 リン酸基の代わりに硝酸基を使うという手もなかったとは言えないが、おそらく使いにくかったのだろう。例えば、ATPからリン酸基が1個外れることによって得られるエネルギーをマッチを擦る程度だとすると、硝酸基の場合は爆発になるんじゃないかと思う。いわゆる「多すぎる火は何も生みやせん」というやつだ。それでも、体温を地球の生物よりも数十度下げるなどして、その欠点を補うことは不可能ではないだろうが。

 そんなわけで、窒素にリンの代わりは勤まりそうもないのだが、問題は周期表でリンの一段下にあるヒ素だ。ヒ素は毒性の強い元素として有名なのだが、それはリンとよく似た性質を持っているために生物の細胞に取り込まれやすく、取り込まれた細胞内で初めてリンとは違う性質を見せるので(具体的にはヒ素の酸はリン酸基よりも加水分解されやすいということらしい)、それを我々は「毒性」と呼んでいるのだ。ヒ素化合物が古くから殺鼠剤、暗殺、毒ガスなどに用いられてきたのはそのせいである。

 しかし、だ。この毒性が強いという性質さえ克服できれば、リンの代わりにヒ素を使うこともできるのではないだろうか? 実際、2010年にはGFAJ-1という細菌が核酸塩基のリンの代わりにヒ素を用いているという報告があったらしい(2012年には否定されたそうだ)。だが、地球のすべての生物の祖先である40億年前のイヴは手に入りにくかったはずのリンを使った。何が彼女をそうさせたのだろうか。

 その答は、『本当は怖い宇宙の話』という本の中にあった。「月の凄まじい「潮汐力」が巨大地震の引き金を引く!」という記述があったのだ。文部科学省所管の防災科学研究所が「2004年に発生したスマトラ島沖の巨大地震の前後に周辺地域で発生した地震を調べた結果、月や太陽の引力がこれらの地震の発生に深くかかわっていたことがわかった」のだそうだ。月や太陽によって及ぼされる潮汐力は潮の満ち干を起こすだけではなく、地中の岩石も伸び縮みさせ、地殻に溜まったひずみを開放するための最後の一押しとして大地震発生のきっかけになるということらしい。イギリスの地震学者オーガスタ・エドワード・ラブ氏の調査結果によると「地面は毎日約30センチメートルも上下に伸び縮みしている」ということだし、京都大学の地震学者志田順氏によると「月の潮汐力が地球に作用して地球全体を変形させるため、地上の各地点で周期的な上下変動が起こる。その結果、毎日数センチメートルから数十センチメートルの地面の上下や岩盤の伸縮、0.2秒くらいの傾斜角(1秒は3600分の1程度)」が生じる」とも書かれている。

 さらに、40億年前の月は今よりも地球に近い軌道を周回していた。したがって地球には今よりも大きな潮汐力が作用して、地殻も大きく変形していたはずだ。地殻というのは要するに岩石なので、大きく変形すれば細かなひびが入り、そのひびに入り込んだ海水にリン酸イオンがわずかに溶け込み、その海水がまた絞り出されるということが全地球的規模で毎日起こっていたのだろう。つまり、最初の生物が生まれた頃の地球の海水には現在よりも多くのリン酸イオンが含まれていた可能性があるわけだ。存在量に大きな差がなかったならば、より安定しているリンの方が使いやすかったのだろう。あるいは、ヒ素を使う生命も生まれていたが、そういう不安定な物質を使う生命はリンを使う生命との競争に敗れてしまったのかもしれない。ということは、40億年前の地表のリンの存在量がもっと少なかったら、地球の生物はリンの代わりに窒素かヒ素の酸を使うことになっていたかもしれない。

 いつかは地球外生命体が発見されるだろうし、地球人と異星人が恋人同士になることもあるだろう。その彼女(彼氏)が窒素生物だった場合には大きな問題はない。せいぜい手をつないだりしたら手首から先が凍り付いてしまうくらいだろう。〔それは「せいぜい」と言える範囲なのか?〕

 しかし、ヒ素生物だった場合にはキスをする度にヒ素中毒が進行していくことになる。異星人とキスをする前には相手がヒ素生物ではないことを確認することが必要だろう。まあ、1回くらいならたいした症状は出ないはずだが。



   次回予告

 少子化して困るのは誰なのか。

 次回「少子化」そこから考えないと。




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     少子化


 今は4月中旬。ツツジが咲き始めている。それはいいのだが、例によって赤紫色の花の中に不完全な花びらのようなものが生えているツツジを見つけてしまった。ツツジの花のおしべは通常10本だが、この花のおしべは9本しかなかったから、おしべの1本が「あたしは花びらになりたいのよ!」という強い思いを抱いてしまったんだろう。〔おしべは花の男性器部分だと言っただろうが!〕

 もとい、「俺は花びらになりたいんだよ!」だな。トランスジェンダーのおしべである。

 他にもおしべが7本で不完全な花びらが三枚という花もあって、こちらには不完全な花びらの1枚に小さな葯が付いていた。なお、この花びらモドキは他の場所に植えられている白い花のツツジでも観察されているから珍しいものではないようだ。少なくとも作者の自宅周辺では、だが。

 おしべが10本もあるのなら、1本や2本や3本が花びらモドキになってしまっても大きな問題にはならないのだろう。そもそもツツジは低木であって、一年草でもないのだし。

 植物の細胞は動物のそれのように分化が進んでいないので、それぞれの細胞が動物の幹細胞のような万能性を持っている。だから挿し木をすると枝の切り口から根が生えてきたりするのだ。本来はおしべになっていくべき細胞群が花びらモドキになってしまっても不思議はないのである。

 とはいえ、これをヒトに例えると、肋骨になるべき細胞群がクーデターを起こして胸の真ん中から腕モドキが生えてしまうようなものなので、少々不気味ではある。それでも命に関わるような異常ではないだろうし、胸を分厚く見せる効果も期待できるかもしれない。ああっと、ネクタイは第三の手で押さえておけばいいのだからネクタイピンがいらなくなるな。ただ、恋人を抱きしめる時には第三の腕がじゃまになるかもしれない。おそらくこれが最大の問題になるだろう。

 腕化した肋骨がさらに増えて8本くらいになると、これはもう、胸に映画『エイリアン』に出てきたフェイスハガーが付いているようなものになる。ホラー映画の登場人物(登場怪物?)にしかなりようがない。特に怖いのは巨乳の女性をナンパしてホテルに連れ込み、ブラウスのボタンを外し始めたところで、その手を押しのけて8本の腕モドキが伸びてくるというシチュエーションだろうな。それはもう、一度でいいからそんな胸に顔を埋めてみたいというくらい怖い。〔卵を産み付けられてしまえ!〕

 この場合、怖いのは腕が中途半端に多いせいだろう。ゴキブリやクモやムカデは一般的に嫌われ者だ。チョウは好かれているが、チョウの場合は大きな羽が目立つ分、脚の多さが気にならないという点で得をしているわけだ。

 それならばということで、思い切って腕モドキを1000本まで増やして、しかも背中側から生えるようにすれば千手観音菩薩になれる。多数の腕がチョウの羽と同じ効果を発揮するののだ。この場合は5対10本の肋骨がそれぞれ100本の腕モドキに変わればいい。ただし、肋骨を減らしてしまうと強く抱きしめられただけで骨折するから恋人さんは気を付ける必要があるだろうな。


 これではスペースが埋まらない。そこで最近問題になっているという少子化についても考えてみることにしよう。

 まずは内閣府のサイトの「少子化の原因の背景」というページを開いてみると、以下のように書かれていた。

(1)仕事と子育てを両立できる環境整備の遅れや高学歴化

(2)結婚・出産に対する価値観の変化

(3)子育てに対する負担感の増大

(4)経済的不安定の増大等

 ここで(1)は大学に4年間も通ってしまうと、男女共に婚期が遅れるということが主な要因だろう。就業環境はともかく、4年間ろくに学びもしないで遊び続けるための大学なんか潰してしまえばいいだろうに。本気で研究者を目指す人たちのための大学など10校もあれば十分だろう。潰した大学の代わりにプログラミングなどの専門技術を2年間で教える専門学校を設置して20歳で社会人にしてしまえばいい。ただし、実際にこれをやると次の選挙で負けることになるんだろうなあ。

(2)の説明には「個人が自由や気楽さを望むあまり、家庭を築くことや生命を継承していくことの大切さへの意識が失われつつあるのではないかとの指摘がなされている」と書かれている。ばかばかしい。戦争中でもないだろうに、お国のために子どもを産むような物好きがどれだけいると思っているんだ? 

(3)には「理想の子ども数よりも実際のこども数が少ない理由として、子育て費用や教育費の負担をあげる人が最も多い」と書かれている。要するに貧乏な国民が増えたというわけである。しかし、GDPはほぼ横ばいなのだから裕福になった国民もいるはずだ。それなら「年収1千万円ごとに子どもを1人つくれ」というような法律を作ればいいだろう。これも選挙に負ける要因になるだろうが。

(4)についてだが、2020年度の世界の経済成長率ランキングで日本は105位だったらしい(台湾が8位、ベトナムが9位、中国が12位、ドイツが106位、イギリスが165位)。日本の経済成長は止まったのだ。衰退途上国で苦労する可能性が高い子どもなど作らない方がいいに決まっている。

 あくまでも個人的な見解だが、少子化の根本原因は子どもの需要が減ったということだと思う。かつて農業や漁業などの第一次産業では子どもは働き手だった。だから子どもは多い方がよかったのだ。しかし、街で働くサラリーマンではどうか? 会社員にとって子どもは必要ないだけでなく、熱を出したり泣いたりするじゃまな存在でしかない。しかも教育のためにお金まで掛かるとなったら「いない方がいい」となっても不思議はあるまい。

 ではどうしたらいいかというと、一番簡単なのは、子どもは多いけれど育てるための食料が不足しているような国に経済援助をして、その代わりに子どもを引き取り、日本人として育てることだろう。〔それは人身売買にならないか?〕

 あくまでも日本の国内で解決したいということなら国が子育てすればいい。「子どもさえ産んでくれれば、あとは成人するまで国が面倒見ますよ。ご両親は時間がある時に面会に来てください」ということにすれば、女性の産休・育休もせいぜい12ヶ月くらいで済むはずだ。後は国家公務員のベビーシッターが責任を持って養育するのである。ああ、1人いくらで子どもの生産を請け負うプロの妊婦がいてもいいな。

 少子化が進行することで困るのは国家であって、国民ではないのだよ。



   次回予告

 どれも一回分にならないのだ。

 次回「ウイルスと古墳と柿の種」またまた小ネタの詰め合わせ。




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     ウイルスと古墳と柿の種


 古書店で手に入れた巨大ウイルスの解説書を読み終えた。2015年発行だからちょっと古い本なのだが、なかなか興味深い内容だった。新たな情報も得られたので以前書いたことを補足すると、最初に発見された巨大ウイルスはミミウイルスで、その後にマルセイユウイルス、メガウイルス、パンドラウイルス、ピトウイルスという順で発見されてきたのらしい。さすがにハナウイルスとクチウイルスはまだのようだ。日本人研究者の活躍に期待したい。〔それに意味があるのは日本人だけだぞ〕

 そしてミミウイルスの正20面体のカプシド(タンパク質でできた殻)にはスターゲート構造というヒトデ形の門があるのだそうだ。おそらく、その周囲には目的地を示す星座と出発点である地球を表す39種類の謎の文字があり、ホームダイアル装置を正しくセットするとゲートが開いてワームホールが形成され、DNAが乗った宇宙船はアメーバの体内に開いたゲートのイベントホライゾンで再構成されるのだろう。〔それはテレビ版『スターゲイト』だ!〕

 バクテリオファージT2は注射器かスポイトのようなとても生物とは思えない形をしたウイルスだし、タバコモザイクウイルスも電子顕微鏡サイズの糸くずにしか見えないから「ウイルスは生物じゃない」と言われてしまうんだろうなあ(何度も言うようだが、作者は「宿主の細胞内にウイルスの遺伝子が入り込んだ状態ならば、それは生物であると言える」という立場だ)。もしかして巨大ウイルスの方が先に発見されていたら「生物かもしれない」くらいのことは言われていたんじゃないかという気もする。

 パンドラウイルスは小さなバクテリアほどの大きさで形の崩れた瓜のような形をしている。このウイルスは細胞自身の貪食作用によって細胞膜に包まれた状態で細胞内に取り込まれ、通常のウイルスのような暗黒期(ウイルスの姿が消える期間)の後、宿主の細胞核を破壊して、そこで増殖するというトロイの木馬のようなウイルスである。それに対して、ピトウイルスはパンドラウイルスと似た形で、さらに巨大でありながら宿主の細胞核を破壊しないのだという。そのゲノムもパンドラウイルスとほとんど一致しなかったのだそうだ。つまり、この2種のウイルスの形が似ているのは単なる収斂進化の結果ということらしい。おそらく瓜のような形だと細胞の食欲を刺激するのだろう。〔あるのか、そんなもの?〕

 しかし、第四章に出てくる「生命は自己複製できるDNAから始まった」という仮説はどうかと思う。自己複製ができるのなら生命の原型と言えなくもないだろうが、それは「どこでもドアがあれば好きなところへ行ける」という程度の話なんじゃないかなあ。40億年前の地球上に4種のデオキシヌクレオチド(DNAの基本単位。核酸塩基とリボースとリン酸基が結合したもの)が大量に存在していた可能性はまったくないとは言えないだろうし、適当な触媒と十分なエネルギーさえあれば複製もできたかもしれないが、40億年前にDNAの二重らせんをほどいたり、コピーしたりする触媒が存在したとしたら、それはタンパク質だったはずだ。

 DNAというのはコンピュータで言えばハードディスクやSSDに相当する記憶装置だろう。コンピュータには詳しくないのだが、記憶装置はCPUがなければ書き込みも読み出しもできないのではないかと思う。仮に自己複製ができる記憶装置が存在したりしたら、勝手にデータをコピーして、いつの間にか容量がいっぱいになってしまうだろう。それにアミノ酸を順に結合させていけばいつかはできあがるタンパク質ならともかく、DNAのような複雑な分子が自然に生じる状況というのは想像し難い。DNA起源説のようなヨタ話が出てきてしまうのは、DNAの研究者が研究資金を獲得するためにはダメ元でもDNA起源説を主張する必要があるということなんだろう。


 さてさて話は変わるのだが、作者の自宅の近所には古墳が多い。玄室の壁画の保存状態がいい虎塚古墳は有名らしいが、埴輪などが出土していない前方後円墳なんてのもある。これはあまり力がなかったリーダーの墓なんだろう。さらに、畑の真ん中に玄室の出来損ないらしい四角い板状に切り出された礫岩の集積があったりする。古墳を平らに削ってまで畑にするとも思えないから、玄室を造ろうとしたところで古墳の建造そのものが中止されてしまったんだろうと思う。天井部分の岩がずれて落ちてしまっているし、石棺の類は発見されていないという話もあるから、玄室を組み立てる段階で事故が発生したので「死者がお怒りになっている」とかいう話になってそのまま放棄され、どこか別の場所に新たな墓が建造されることになったんだろう。

 これくらいの時代になると記録も伝承も残っていないから、どんな人たちがどんな暮らしをしていたのかは想像するしかない。したがって、この時代を舞台にした小説はSFになる。実際にこういう小説を書いておられたのが豊田有恒先生だ。今は魔法を使えばすべて解決という、何でもありのお気楽ファンタジーが全盛だが、厳格なルールの範囲内で正々堂々と戦うような考古学SFがあってもいいような気がする。


 またまた話は変わるのだが、とりのなん子先生の『とりぱん』28巻によると、テンの糞の中からカキノキの種子が出てきたらしい。カキノキは種子を哺乳類に運んでもらうことによって分布域を広げるということなのかもしれない。

 実は作者にとってカキノキの大きな種子は長い間悩みの種だった。〔…………〕

 リンゴやアケビのように甘い果肉を持った果実は、基本的に鳥に果肉を提供する代わりに種子を運んでもらっている。しかし、カキノキのように巨大な種子を作ってしまうと、多くの鳥はそれを避けて果肉だけを食べるはずだ。実際、実家のカキノキの下にはその種子から生えたらしい幼木がびっしり生えていた。中国の奥地(カキノキは中国原産)にはカキノキの果実を丸呑みにできるような巨大な鳥が生息していたのだとしたら面白いなと思っていたのだが、またまたハズレだったわけだ。まあ、よく考えてみれば、カキノキの種子の皮は薄いから鳥の砂嚢でこすられたら胚乳がむき出しになってしまうかもしれない。

 それにしても、テンが食べるとしたら熟して地面に落ちたカキノキの果実だろうと思うのだが、なぜ果肉だけを食べないで種子まで呑み込んでいるんだろう? 作者が実家にいた頃はよく柿の木に登って、ギリギリで渋くなくなった緑色の柿をガリガリ囓っていたものだが、種子は歯で引き抜いて果肉だけを食べていたぞ。テンは呑み込んでしまえば種子も栄養になるとでも思ったんだろうか? それとも、果肉だけをいただくのはフェアじゃないという考え方なのか? 謎は解けたが、また新たな謎が生まれてしまったというところだなあ。



   次回予告

 火星をテラフォーミングするのには。

 次回「地球外生命と重水の味」潮汐力を利用するのがいいだろう。

  



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     地球外生命と重水の味


 あるサイトに掲載されていた「地殻の厚さも重要? ハビタブルゾーンでも水や大気がある惑星になるとは限らない」という記事が気になった。「研究グループは、地殻が厚い惑星では地表の含水鉱物が火山活動によって埋没したり、リソスフェア(地殻およびマントルの最上部)の一部が沈み込んだりすることによって、水などの揮発性物質が惑星内部へと効率的に運ばれていくと考えています。地球では内部に取り込まれた水などの一部が火山活動によって大気中に放出されていますが、地殻が厚い惑星における揮発性物質の移動は一方通行であり、内部に取り込まれた後で地表に戻ることはないようです」と書かれていた。少し前に「火星の水の多くは地下の岩石に取り込まれているようだ」というような説が発表されていたから、それに繋がる仮説なのかもしれない。これはハビタブルゾーン内にある火星についてはおそらく正しい。しかし、だ。この研究グループの皆さんは木星の衛星イオやエウロパのことを見落としているんじゃないかと作者は思う。

 ウィキペディアによれば「イオは太陽系の中で最も水を含む割合が少ない天体」なのだそうだ。なぜそうなるかと言えば、イオは木星とエウロパやガニメデから及ぼされる潮汐力でこねくり回されるために衛星内部の温度が上昇し、水を初めとする揮発性物質が絞り出されてしまったためらしい。そこで火星の場合はというと、地球に対する月のような強い潮汐力を及ぼす衛星がない。それが火星の表面に水がほとんど存在しない理由のひとつだろうと作者は思うわけだ。というわけで、火星をテラフォーミングするのなら火星の直径の4分の1くらいの衛星を造ってしまうのが手っ取り早いということになるかもしれない。〔それのどこが「手っ取り早い」んだ!〕

 地球型生物が存在する惑星を探そうというのなら、地球のように巨大な衛星を従えているか、あるいは思い切って二重惑星を探査するべきなのではあるまいか。ただし、潮汐加熱がいつまでも続いていると、イオのような乾いた惑星になってしまいかねないから、地球のように惑星の形成初期に巨大な衛星も形成され、さらにそれが遠ざかっていった惑星がいいだろう。つまり、現在のみならず、地球と同じような歴史までも持つ惑星を探すべきなのだ。地球型生物に限定しなければ別だがね。


 話は変わるのだが、『ニュートン』誌の2021年7月号に「重水は甘かった」という記事が載っていた。「イスラエル、ヘブライ大学のアブ博士らは、ヒトの重水の味判定と詳細な分析により、重水の味が甘いことをはじめて科学的に実証した」のだそうだ。博士らは実験に参加した28人に重水と水を無作為に飲み比べて味判定を行ってもらった結果、28人中22人が重水の甘みを認識し、さらに重水の濃度の比率の上昇とともに甘みが強くなることを検証したのらしい。

 ウィキペディアによれば「味覚は嗅覚と同様に、主に化学的受容体に物質が結合することで検出される」のだそうだ。甘みは、舌に存在する受容体にショ糖や果糖のような巨大な分子が結合することで神経電流が発生し、それが中枢神経系に伝達されるのだろう。この受容体を重水のような小さな分子で活性化することができるというわけだ。これは面白い。

 ただ、重水が甘く感じられる理由までは書かれていなかった。そこで考えてみると、ショ糖などの分子は炭素原子でできた骨格の周囲に水酸基や水素原子が結合した構造になっている。というわけで、この分子の外側部分はほぼ水素原子で覆われていることになる。したがって、受容体に直接触れているのは水素原子なのだろう。ショ糖分子は大きいので水分子ほど自由に動くことはできないはずだ。そして重水分子も中性子が多い分重いので、水分子よりは動きが鈍いのだろう。そのために受容体に重水素原子が触れている時間が長くなって、それが「甘み」として感じられるということなんじゃないかと思う。

 重水が甘いと感じることを実証したのは素晴らしいことなのだが、その先におかしな記述があった。「ネズミに水、重水、砂糖水を与えたところ、砂糖水が最も消費されたという」って、何なんだ、このいい加減な実験は? 

 どこがいい加減かというと、第一に「ネズミ」という言葉だ。日本語ではどちらも「ネズミ」なのだが、動物実験で使われるようなネズミにはマウスとラットがある。マウスはハツカネズミ系の比較的小型のネズミ、ラットはクマネズミ系の大型のネズミだ。ただの「ネズミ」ではどちらのネズミなのか、あるいはこの2種以外のネズミなのかが明らかでない。

 第二に「水、重水、砂糖水を与えた」という記述。ネズミが重水に甘みを感じるかということが実験のテーマなら水と重水を選ばせればいい。重水と砂糖水のどちらを好むかということならこの2つだ。ただし、この場合は重水と砂糖水の甘さを定量的に同じにしなければならないだろう(現代の科学がネズミの味覚を数値化できているとして、だが)。

 後で英語で書かれている原著論文を見つけたのでざっと身を通してみたら、この「ネズミ」はマウスの方だった。そして、水と重水、水と砂糖水、参照のための水と水のグループもちゃんと分けられていた。作者に英語の論文を正しく理解しろと言われても困るのだが、添付されている図を見る限りでは100パーセントの重水は水よりもやや多く飲まれ、水1リットルに43ミリモルのショ糖を溶かした溶液はただの水よりも明らかに多く飲まれていたようだ。うん、この論文は信じられる。重水が甘いのは確かなのだろう。要はこの雑誌がまったく科学的ではないというだけのことだったのだ。

 作者はこの雑誌に書いてあることは一切信用しないことにしているから何の問題もないのだが、こんなヨタ記事を鵜呑みにしてしまうような読者は1人もいないという保証はない。文部科学省からの指導が必要なのではあるまいか。……無理か。今の日本では科学を大事にする習慣がないのだから。

 最後に、これはただの思いつきなのだが、重水が甘いと言うのなら、もっと重いトリチウム水(3重水素水。陽子1個と中性子2個でできた原子核の水素原子を含む水)はもっと甘いのではあるまいか? それなら某所に大量に貯蔵されているトリチウム水を「トリチウムたっぷり 〇〇原発の甘い水」として商品化したらどうだろう。同じ放射性物質であるラドンを含有する温泉水は強直性脊椎炎、リュウマチ性慢性多発性関節炎、変形性関節症、喘息、アトピー性皮膚炎などに効果があるらしいから、トリチウム水もそういう厄介な自己免疫疾患の患者に効果的である可能性があるはずだ。作者も喘息持ちだから治験をするということなら喜んで参加させてもらうぞ。



   次回予告

 体重540キロの翼ある馬でも羽ばたいて飛べる。

 次回「空飛ぶドラゴンの解剖学」空力学的に無理です!




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     空飛ぶドラゴンの解剖学


 7月に水田の上4メートルくらいの高度を飛んでいる白いサギを見たことがある。サギは通常首をS字状に曲げて飛ぶのだが、このサギは水田の中にある舗装された農道の上で一瞬首を伸ばしてから、また首を曲げて飛び去ったのだった。さて、この行動にはどういう意味があるのだろう? 

 順序として、サギはなぜハクチョウやカモのように首を伸ばして飛ばないのかという問題から考えてみよう。もちろん空気抵抗は首を伸ばした方が小さくなる。実際、サギが飛んでいるところをみてもハクチョウなどよりも遅いようだ。スピードを犠牲にしてまで首を曲げているのなら、そこには大きなメリットか、あるいは伸ばせない事情があるはずだ。それはいったい何なんだろうか。そこでまずはウィキペディアの「サギ」のページを開いてみた(寄付を欠かさないのはこんな時のためなのだ)。すると、サギはペリカン目であるのがわかった。さらに「ペリカン」のページに移動すると「ペリカンは、前後に頭の位置をシフトさせることによって、重心を変化させてバランスを維持する」と書かれていた。翼による揚力の中心は移動しないのだから、首を伸ばすことによって重心の位置が前方に移動すれば頭下げのモーメントを発生させることができるわけだ。

 ここからは作者の推測になるのだが、水田の上を飛んでいたサギの場合は、太陽光によってアスファルトの温度が上がったために舗装路の上にだけ上昇気流が発生していたのではあるまいか。そのまま上昇気流に突っ込むと高度が上がってしまうから、それを防ぐために首を伸ばして頭下げのモーメントを発生させて高度を一定に保とうとしたのだと考えるとつじつまが合うだろう。航空機操縦の世界で言うトリム操作というやつである。ほんの一瞬の上昇気流に対してさえ、こともなげにトリム操作ができるのが鳥なのだ。

 そのように実際に空を飛んでいる鳥たちを見てきた作者が「ざけんじゃねえ!」と叫びたくなってしまったのが『日経サイエンス』2021年8月号の「空飛ぶドラゴンの解剖学」という特集である。これは古生物学者と空想上の生き物のデザインを専門とするイラストレーターのコンビが共同で書いた本の中から「天かける馬」「聖書の天使」「東洋の竜」を紹介するという記事だ。

 この8ページの特集では、ご丁寧に骨格や筋肉の付き方までイラスト化されていて「素人の思いつきではないな」という感じではあるのだが、説明を読んだ限りではこれらの架空生物がまともに飛べるとはどうしても思えないのだ。

 この特集では著者2人が「特に興味を持っているのは、生き物の飛翔を可能にする生体力学と、空飛ぶ幻獣たちを説得力を持って描くことだ」とか「ここではその中から三つの空想上の生き物について、どんな姿形であれば飛ぶことができるか、科学的に考えてみよう」とか書かれている。ここまで読めば明らかだ。根本的な問題は、この「科学」に「航空力学」が含まれていないことである。

 さて、ここからは3種の架空生物が飛行する場合の具体的な問題点と、それを解決する方法について考えてみよう。

 まずは「天かけるヒッポグリフ」について。ここに掲載されているイラストを見ると、この2人は馬に白亜紀の巨大翼竜ケツァルコアトルスの翼を付ければ空を飛べると考えたようだ。「解剖学的に実現可能な範囲で体を作り上げていけば、体重1200ポンド(540キログラム)の馬でも翼を羽ばたかせて空を飛べるようになる」という記述もある。やれやれ……。それではなぜ、体重540キロクラスの鳥が存在しないんだろうかねえ。 

 ケツァルコアトルスの翼開長は10~12メートル、体重は70キロ~250キロと推定されているらしい。さて、12メートルの翼を体重540キロのウマに移植したら、そのヒッポグリフは飛べるようになるだろうか? 実は、まったく飛べないとは言えない。体の構造や環境に対してSF的な改変を加えれば、だが。

 航空力学の世界には「2乗3乗の法則」というものがある。同じ姿形ならば、体長が2倍になると翼面積は4倍になるのに対して体重は8倍になるというものだ。3倍ならそれぞれ9倍と27倍になる。コンドルやアホウドリのような大型の鳥がスズメなどよりも大きな翼を持っているのは、そうしないと飛べないからなのだ。正しい計算ができているという自信はないのだが、体重540キロのヒッポグリフが空を飛ぶためには、翼幅5メートルで翼開長25メートルくらいの翼が必要になるのではないかと思う。こんな巨大な翼を羽ばたかせるための筋肉はどれほどの量になるんだろうか? しかも、その筋肉も翼が生み出す揚力で支えなくてはならないから、より大きな翼が必要になり、その結果体重が増えて、さらに大きな翼が……と翼は果てしなく巨大化していくのだ。

 この巨大化スパイラルを防ぐ方法のひとつに高速飛行がある。揚力は速度の2乗に比例して増加する。ケツァルコアトルスの飛行速度は時速50キロから60キロだったと推定されているから、同じ翼でもだいたい時速150キロで飛行すれば540キロの体重を支えられる……はずではあるのだが、このヒッポグリフが飛び立つためには時速150キロで助走することが必要になる。サバンナの最速スプリンターと言われるチーター(体重は35~72キロ)の最高速度でも時速110~120キロである。ここでも速く走るためには筋肉と骨格の強化が必要になって、それは体重の増加に繋がるだろう。

 SF的に解決してもいいのなら大気を高密度化するという手もある。極端な例えをすれば、液体の水と同じくらいの高密度大気があれば、540キロの体重でも浮かんでしまうだろう。

 次は「聖書の天使」。こいつらの翼には風切り羽があるから基本的にコンドルの頭をヒトのそれに替えて、尾羽の代わりに風切り羽を付けたヒトの脚を付けたようなものである。この場合は頭の中を空っぽにしてしまえば体重を減らせるし、重心の位置も調節できる……のだが、大きな顔による空気抵抗だけはどうにもならない。

 最後に「東洋の竜」。個々でも体重と揚力が問題になる。ヒトも描き込まれているイラストに糸を当ててみたところ、この竜の全長は約200メートル、幅は2対の脚の部分を除けばだいたい3.4メートルになる。肋骨を広げて滑空するトビヘビを参考にしたらしいが、この体型は空力学的には最低の部類である。グライダーの翼が細長いのはできるだけ効率よく揚力を発生させるためだ。この竜のように幅が狭くて縦方向に長い翼だと翼の横から空気が逃げ放題になってしまう。それに、この全長なら一気に伸び上がればそれなりの高度まで届くだろう。わざわざ飛行する必要などあるまい。

 空想上の生き物を物理法則を無視して飛ばそうというのなら、素直に魔法を使った方がいいんじゃないかと作者は思う。



   次回予告

 作者はクモに指を咬まれたことがない。

 次回「ジョロウグモとナガコガネグモ」何よ、これ! イモムシじゃないの。



     『次回予告3 後編』に続く

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