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『こんにちは、私はエマ。
この出会いがあなたにとって、大切なものになるように頑張るね。』
エマと名乗る少女はそう答えた。
俺はただその少女の見窄らしい格好を前にして、からかいついでに眼前に座してどれ話だけでも聞いてやろうと思っただけなのだが。まあ、見窄らしい格好という点では俺も人のことを言えたものではない。
それにしても普通こう言う時の子どもは怯えるか、助けを求めるか、人形のように黙っているか、自身の境遇を誰彼かまわず嘆くか、そんなところじゃないのか。なぜ俺のために尽くすような発言ができるんだと、呆気に取られてしまった。
レドナ川にかかるこの橋は人通りが多い。風は強く空気は冷たい。橋を渡れば城下町の栄えに着く、また降れば古くからの民家が並ぶ。かつてあった戦争はこの都市の作りを複雑にして、今なお過去の英霊は街に彷徨い、街に息づいている。
街の複雑さは人間の複雑さを生む。そしてそれは多様性を育む。往々にしてそういったところはいろんな人間がいて、そうしてあまり治安がよくない。ギャングの寝ぐらもあるし、ごろつきもそこいらにいる。悲しいことにこの国もそうであった。
したがって、もちろん仕事がある以上は、いろんな身分やいろんな立場の人間が行き交うこの街の、下層地域と上層地域をつなぐこの大きな橋。に少女は膝を抱えて座っていた。前髪こそ切りそろえているがその腰まである銀髪はレドナ川よりなお長く輝く。
美しい顔をしている。グリーンの目、長いまつげ、しとやかさが香る唇、そして形の良い鼻。良い家柄の娘と言われても違和感なく受け止められる。
なぜこんなところに一人なのか。なぜ何もトラブルがないのか。
「こちらこそ、エマ。ところで君はこんなところで何をしているんだい。家は?母ちゃんとは離れ離れになってしまったのか。」
「いいえ、私はここで暮らしているの。私はここであまり目立たないようにしているのだけれど。あなたが私を見つけられるなんで驚いた。あなた、名前はなんて言うの。」
なんだかひょうひょうとしたエマの口ぶりに少々困惑するが、最近の若い女の子のことなんか俺はわからない。オホン、と咳払いして心底丁寧に答えてやった。
「俺かい。俺は、聞いて驚け。この水の大都市フワウルルの義賊、強気をくじき弱気を救う、雨降らば降れ風吹かば吹け。大盗賊ザネリ様とは俺のことよ!!」
人々は淀みなく行き交う。風は相変わらず冷たい。エマが呆気に取られているのが見て取れる。
エマはぽかんとした表情から、次第にしとやかさが香る唇を綻ばせて笑顔で答えた。
「びっくりしちゃった。ザネリ、て言うんだね。なんだか昔読んだ本にそんな人がいたなあ。ああ、でもその人はいじめっ子だったけどね。それにきっとその人はもっと太ってて、きっともっと汚い表情をする人だと思う。だから貴方とは違うね。本物のザネリはこんなにもハンサムなんだねえ。」
「素敵な本だったよ、今度ザネリにも貸してあげるね。」
その時のエマの妙な色気にドキリとした。エマがどこまでも達観しているので、自分の自己紹介が心底恥ずかしい。
それよりも、このエマの妙な落ち着きぶりはなんだろう。そしてここで暮らしているとは?俺もこの橋を降った下層地域の住民だが、こんな美少女見たことがない。それにこんな子どもがこんなところで一人でいたら人攫いか変態か、あるいは豪族のお妾にあってとても無事ではいられないだろう。
だから俺に妙な正義心と少しの好奇心が俺を奮い立たせた。
「エマ、家がないときっとひどい目にあうよ。両親はいないのか。」
「うん。もういないの。だから私はここでゆるりと生きているんだ。あと、きっとここにいれば素敵な出会いがある気がするから。ザネリに会えたのもきっとそうだね。」
エマの銀髪が風に吹かれる。
俺は今この場のやり取り以外に目に耳に入らない。
「ゆるりって。飯はどうしているんだ。寝床は。まさかフワウルルの市場で果物を盗って、レドナ川の水を飲み、夜はこの橋のしたで星と共に寝るなんて言わないだろうね。」
「それも素敵だね。でもそうじゃないよ。一応家はある。それから食事もなんとかなるの。私こう見えてもお金持ちなんだから。だから気が向いた時に家に帰って、気が向いた時に食事をして、あとはこの橋の欄干にもたれてレドナの川のせせらぎを歌うの。待ち人来たるまで、ってね。」
あはは、とエマは笑った。そして続けた。
「ザネリは義賊なの?」