君が悪いんだ
幽かな風を頼りに、仄暗い洞窟の壁に手を這わせて進む。
洞窟の湿った壁は、途中から人工的な滑らかな物に変わった。
空気が一瞬だけ重く沈んだように感じたが、進んでいくと体に馴染んで、清々しい神聖なものになっていく。
先導するように前を進む青年の白い装束が強い風にバタバタと暴れ、清い空気の塊が耳元で力強く唸る。
「やはり――君は選ばれし者だ」
青年の興奮したような声が洞窟の壁にぶつかって飛び回る。
白い息を荒く吐き出す様子は、どこか狂気を帯びて、不気味だ。
紅潮させた頬、持ち上がった口角、光を宿した瞳は瞳孔が開ききっている。
青年は突如、干からびた蛇のようなブレスレットを懐から出し、地面に叩きつけるように行き止まりの壁に落とした。
ブレスレットは肉が溢れたように膨れて、生き生きとした動きで風化したような溝を這い、饐えた臭い煙を吹き出す。
その悪臭が立ち込めた煙と共に体の横を通り抜け、消えると、あっという間に岩戸が表れていた。
「ここらの伝承を知っているかい?
『枯れた加護者導く、隠れた岩戸
死は枯渇、生は湧き水の如く
選ばれし者、母の愛を持って不死』
というものがある」
導く青年が立ち止まり、僕を見てそう言った。
恍惚、そしてやけに鋭いその目に、苛立ちを覚える。
「ここの生まれではありませんが、少しは知っています」
僕の言葉に、青年は少しの迷いも見せない。
嫌な汗が背中を伝い落ちて、心臓は激しく動く。
「この戸は神官である私でも一人では開けることもたどり着くこともできない。今代の神は、選ばれし者を数名に絞り、外部の出入りを禁じたんだ」
「……」
「かなり内部に限るようだが、これから君を守る者だ。悪く思わないで欲しい」
数日前に知り合ったが、今までで一番優しい声だった。
それほどまで、ここの神を大事にしているのだと、わかった。
でも、それもここの神も僕は無関係のはずだ。
そもそも、僕はここら辺の生まれではない。
簡単に言うと部外者だと言っていい。
「そんな所に部外者を連れてきてもいいんですか?」
「いや、君は部外者ではない」
「ここらの出身でもなければ、親戚でもありませんよ」
「いいや、君の母親が、ここの神の血筋なんだ」
死んだ母を思い出す。
艶やかな黒髪、少し色素の薄い綺麗な瞳、優しく柔らかな笑顔。
強盗に刺されて血を流して、赤く染まって死んでしまった。
苦しそうな表情で、最期まで僕を想って、庇って――。
「母はもう……」
「君がそのことで病む必要はない。神は――」
『ユウ、私の愛しい子……。やっと来てくれたのね』
「母さん……」
岩戸に一歩踏み入れた瞬間、耳元に暖かい息と母の声。
数年前に喪ってから、反抗期をひたすら後悔した日々。
守られた命を捨てる気にはなれず、仏壇に祈った日々。
僕は目元を熱く流れる涙を拭けなかった。
「君の母さんは……」
「あ、ああ……」
「君への想いで神になったんだ」
『ユウ、後悔しないで、私は後悔してないから』
「そんな……」
「あの日から数年、ずっと君を守るために存在して、村人たちから守られるように信仰されてるんだ」
ダメだ。
こんなことを聞いてしまって、僕は……。
「君の母は愛されているんだ」
灯された火が、フッと掻き消え、暗闇が訪れる。
鬱蒼とした嫌悪が、脳内を占めていく。
母を刺した覆面と同じ笑い声が、また、洞窟内に拡散していく。
脳細胞が激しい血流で異常な感情を巡らせていく。
リュックサックの中から錆びた包丁を取り出す。
「母さん、ごめんなさい。でも、僕は――」
瞼が震えて意味の違う涙が零れて行くことを、母さんは咎めてくれるだろうか。